+聖ルチアおとめ殉教者の記念日に神をたたえよう。
今日は聖ルチアおとめ殉教者の記念日です。
救い主・イエス・キリストと無原罪の聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖ルチア、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<ヨハネが来て義の道を示した。徴税人や娼婦たちは信じた。>
〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」(マタイ 21・28−32)
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「今日の黙想」です。
日帝占領期(日本の植民地時代)に光化門を撤去することに反対するなど、日本人でありながらも韓国文化に対する深い愛情でこの地の文化財を保存する上で大きく貢献したことで有名な「柳 宗悦」という人物がいます。 日本の民芸運動の中心人物として優れた宗教哲学者だった彼の文章を読んで、真の美しさを認識する姿勢について印象的な部分に出会いました。
「見ずに知っている人は神秘を知らない。 例えば、美の内容についてかなりの知識があるからといって、彼が言うのが果たして美なのだろうか。 はっきり定義できる美は果たして深い美だろうか。 大したことがない美とは言えないだろうか。 美学者は美学で彼の知識を根拠にしてはならない。 いや、そうではない。 知ることから見ることを引き出そうとしてはならない。 それは本末転倒だからだ」(『柳宗悦の民芸、心、人』より)。
彼は何よりも「知っていることで見ることを代わりにしようと」することを警戒します。 偉大な芸術作品や自然の美しさに本当に出会いたいのなら、それについて話す前に、それが私たちにささやくようにすべきだと勧告しています。 美的認識に対する彼の洞察は、御言葉の受肉という信仰の深い神秘と真理を悟ろうと努力し、待降節を過ごす私たちに大きな教えになります。
私たちはすでに知っている知識に基づいて予測し、判断することで真理を所有できるわけではありません。 真理の光はいつも「自分よりもっと大きい」神秘から出てきます。 私たちはじっとその前に留まらなければなりません。 あまりにも偉大な「真理の光」は、闇に慣れた私たちを盲目にします。 忍耐と渇望で、光が私たちの目を開いてくれる時を、沈黙のうちに待たなければなりません。
ついに光が私たちの目を開いてくれて、受肉の真理を「眺めることができる」時、初めて私たちが救いの神秘の中に生きていることを「知る」ことになるでしょう。
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ご降誕の真理について啓示があるのを待つことができますように聖霊、来てください。