|
毎日新聞 2023/1/20 06:00(最終更新 1/20 06:00) 有料記事 1949文字
夕暮れの東京上空を飛ぶ航空機。温暖化対策で地球を冷やすため「日没を作り出す」米スタートアップの試みが波紋を広げている=2023年1月10日、AP
地球を人工的に冷やす。SFではありません。潜在的な気候変動のリスクを前に、現実的な研究として注目が集まっています。ギリシャ神話で、天候を支配する最高神ゼウスが社会秩序をつかさどる存在として描かれているように、人類による気候の操作は神への挑戦であり、社会の安定を脅かす表裏一体のテクノロジーです。そんな中、米国である企業が「一線を越えた」と報じられ、波紋を広げています。【外信部・八田浩輔】
米国のスタートアップ企業が、メキシコ西部のバハカリフォルニア半島で気球を上げ、硫黄の粒子を空高い成層圏に放出していたことが、昨年の暮れに明らかになった。降り注ぐ太陽光を人工的にブロックして、温暖化の源となるエネルギーを弱める「太陽放射改変」(SRM)と呼ばれる試みだ。米メディアや専門家によれば、一企業の野外実験としては初めてとみられる。それもそのはず。「神の領域」である気候の操作は、副作用を含む影響について科学的な理解が限られており、規制や倫理について広範な議論のさなかにあるからだ。
企業の名は「メーク・サンセッツ」。日没を作り出すという意味になろうか。米国では「気候テック」と呼ばれる温暖化対策に焦点を当てた技術関連のスタートアップ投資が盛り上がるが、同社の存在はほとんど知られていなかった。気候変動の深刻な脅威を危惧しているという同社CEO(最高経営責任者)は、米紙ワシントン・ポストに「この分野(SRM)は前進していない。私たちは喜んで危ない橋を渡る」と挑発的に語っている。
20世紀最大とされる1991年のフィリピン・ピナツボ火山の噴火で生じた大量の噴出物は成層圏に達し、太陽光を反射させて北半球の平均気温を0・5度ほど押し下げた。規模はともかく、同じような環境を人工的に作って温暖化のペースを抑えてしまおうとする発想は新しいものではない。だが野外実験となれば、小規模であっても話は別だ。
例えばマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏らから資金提供を受ける米ハーバード大のプロジェクトは、独立した諮問委員会の助言を受けながら慎重に研究を進めている。同プロジェクトは2021年、スウェーデンで成層圏に粒子を放出する前段階の試験飛行を行う計画があったが、環境団体や先住民族らの反対を受けて中止になった。
ところがメーク・サンセッツのCEOが昨年春に個人で実施したと主張する打ち上げは、地元への相談なしに行われたとされる。経過を観測する専用の衛星どころか、気球に高度計もなかったとの情報もあるようだ。「気候を操作する 温暖化対策の危険な『最終手段』」(KADOKAWA)などの著書がある杉山昌広・東京大准教授いわく、「科学実験とはとても思えない」試みであり、注目を集めるための「炎上商法」だと非難する。
同社は、温室効果ガスの削減効果を定量化して「冷却クレジット」として企業に販売する計画もあるという。今月にもメキシコで複数の打ち上げを予定していたが、メキシコ政府は13日、国内におけるSRM実験を禁止するとの声明を突如発表した。今回はメディアを通してチェック機能が働いた形だが、規制や監視のルールがない現状では、アカデミアのみならず投資家も厳しい視線を向けて抑止していくほかないだろう。
一方、長くタブー視されてきたSRMをめぐる環境が変わりつつあるのも事実だ。バイデン米政権は、SRMを含めた「気候介入」の研究を調整する省庁横断のグループを立ち上げた。5年かけて研究目標を定め、潜在的なリスクや公的な研究予算の規模などを評価していく計画だ。
国連の報告書によれば、各国が現在掲げる温室効果ガスの排出削減目標が守られたとしても、今世紀末までに地球の平均気温は産業革命前と比べて2・4~2・6度上昇すると見込まれる。排出削減の努力だけでは手の施しようがなくなった時、人類は神の領域に本格的に足を踏み入れるのだろうか。杉山さんは著書で「技術の未来のあり方を決めるのは市民であり、私たち自身」だと指摘した上で、そのために科学技術をめぐる「ガバナンス」が必要だと説く。すなわち、市民、専門家、行政やビジネスなど多様なステークホルダーが連携してリスクと便益を考慮しながら方向性を定めるという考えである。
「少し、政治的になるが」と前置きした杉山さんは、「そもそも日本は広く温暖化対策について真面目に議論するスタートラインにも立てていない状況」だと嘆き、こう忠告するのだった。「もし米国などがSRMに本気で動き出せば、日本も大きな影響を受ける。その時、せめて意見を述べるとか、振り落とされないようなガバナンスの構築を今から始めておくべきではないか」
<※1月21日のコラムは大阪学芸部の花澤茂人記者が執筆します>