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毎日新聞 2023/2/4 06:00(最終更新 2/4 06:00) 有料記事 1696文字
富雄丸山古墳から出土した蛇行剣の実物大X線写真。蛇のように曲がりくねった刃の形が特徴で、全長237センチという破格の大きさだった=奈良県橿原市で2023年1月20日、川平愛撮影
ニュースサイトや新聞に掲載された写真を見て、驚いた読者も多かったのではないでしょうか。1月25日に奈良市教委などが発表した、奈良市の富雄丸山古墳から出土した前代未聞の盾形銅鏡と、破格の大きさの蛇行剣と呼ばれる鉄剣のことです。取材で実物を目にした感動を振り返ります。【大阪学芸部・花澤茂人】
「こんなものが本当に……」。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)で開かれた記者発表の場で展示された盾形銅鏡を見て、思わず声が漏れてしまった。初任地の奈良支局以来、断続的に15年ほど文化財取材に関わってきたが、3本の指に入る驚きだった。
古墳で出土する銅鏡は円形が当たり前で、盾の形なんて想像したこともなかった。裏面に浮かび上がる文様は実に精緻で優美。全体に生々しく土の汚れが残っていたが、所々土が落ちた場所からのぞく緑青の色が鮮やかだった。蛇行剣は保存処理中のため実物は見られなかったが、実物大写真の大きさだけでも驚嘆に値すると思った。
発見についておさらいしたい。
富雄丸山古墳から出土した鼉龍文盾形銅鏡。盾と鏡を合わせたようなデザインで、鼉龍や幾何学模様など精緻な装飾が特徴的=奈良県橿原市で2023年1月20日、川平愛撮影
奈良市北西部にある富雄丸山古墳(4世紀後半)は直径109メートルの国内最大の円墳で、市埋蔵文化財調査センターが発掘調査を続けている。今回はその中央ではなく、北東に突き出した「造り出し」という部分で、丸太をくりぬいた木棺を粘土で覆った埋葬施設が見つかった。その木棺の外側に重ねるように、銅鏡(長さ64センチ、最大幅31センチ)と蛇行剣(長さ237センチ)が置かれていた。
銅鏡の表面は丁寧に磨かれ、裏面には中国製銅鏡の神獣の文様を参考にした日本オリジナルの「鼉龍(だりゅう)文」や、三角形をのこぎりの刃のように並べた「鋸歯(きょし)文」が表現されていた。前例がないため、市教委と橿考研で話し合い「鼉龍文盾形銅鏡」と命名された。
蛇行剣はくねくねとした独特の形状の鉄剣で、国内でおよそ85例、韓国で4例の出土例がある。ただこれまでは最大でも全長84.6センチで、今回はあまりの長さに当初「2本か3本がくっついているのでは」と疑問視されたらしいが、X線撮影で1本の剣と確認された。いずれも国産とみられ、当時の金属器生産技術のレベルの高さをまざまざと見せつけたことになる。
発表会場でしゃがみ込んで銅鏡を凝視しながら、被葬者像や、当時の製造方法などの謎が次々と浮かんできた。しかし一番気になったのは「なんのために」ということだった。
富雄丸山古墳=奈良市で2023年1月20日、本社ヘリから
銅鏡も鉄剣も、邪悪なものを遠ざける「辟邪(へきじゃ)」の意味があるというのが多くの専門家の見解だ。それを盾の形にしたり巨大にしたりすることで、より強い効果を期待したのだと想像できる。その上で、記者発表で橿考研の岡林孝作副所長が語った言葉が印象に残った。
岡林さんは「まったく個人的な意見」と断った上で、「盾形銅鏡はあえて斜めに、鏡面を外に向けて置いてある。その先にあるのは中央の埋葬施設。詳しい中身は分からないが、そこに対して何らかの呪術的な作用を期待したような気がする」。つまり、中央に埋葬された人物の呪術的パワーをはね返し、封じ込めるような意味があったのでは、という指摘だ。
古墳のある地域は、「日本書紀」に描かれる神武天皇の東征の際に抵抗した勢力を率いた「長髄彦(ながすねひこ)」の拠点だったともされる。滅ぼした敵対勢力のトップを手厚く葬り、さらに怨念(おんねん)を恐れて最強の鏡と剣とを埋めた……というストーリーを想像したくなる。
発掘現場で「鼉龍文盾形銅鏡」(中央下)と「蛇行剣」の実物サイズの模型を手にする奈良市埋蔵文化財調査センターの担当者ら=奈良市で2023年1月25日、花澤茂人撮影
それにしても、古墳を取材していると、いにしえを生きた人たちがはるかな未来に向けて注いだ情熱に驚かされる。死後の行き先を具体的にイメージし、そこで永遠に効力を発揮すると確信したからこそ、最高の技術を詰め込んだ品も惜しげもなく埋めたのだろう。その永遠を途中で止めた私たちは、大きな感動と引き換えに、遺物を未来へとつないでいく責任を負った。
さて、今この時代から1600年後の人たちに届けられる感動はあるだろうか。目の前の仕事に追われ、自分の死後のことすらなかなか考えることもない自分が、なんだかちっぽけに思えてくる。
<※2月5日のコラムは那覇支局の比嘉洋記者が執筆します>