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毎日新聞 2023/3/12 東京朝刊 有料記事 940文字
鎌倉・円覚寺にある小津安二郎の墓に水をかける長江曜子・聖徳大教授。酒や生花が供えてあり、墓参者がいまも多いことがわかる=滝野隆浩撮影
<滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>
2月下旬、晴天の古都・鎌倉には紅白のウメが咲き乱れていた。JR北鎌倉駅の改札を出ればすぐ円覚寺である。拝観入り口で場所を聞く。道順はすらすら教えてもらえた。山門を抜け、仏殿を見て右に曲がり、案内図で確認して細い坂道を上ったところに、小津安二郎(1903~63年)の墓はあった。
言わずと知れた世界的に有名な映画監督。ファンでもない私が小津の墓前に来たのには理由がある。先輩記者の年賀状に「コラムで取り上げてもらえないか」とあった。「小津の終生のテーマは家族の老いと死でした」とも。心が動いた。本欄で一緒に著名人の墓巡りをしてきた長江曜子・聖徳大教授に相談すると、二つ返事で鎌倉行きが決まった。
味わい深い墓である。一辺60センチほどの立方体。大きなサイコロのようだ。正面に刻まれたのは一字。「無」であった。
長江先生は、小津作品によく出た女優、原節子(1920~2015年)との関係に興味があると言った。2人とも生涯独身だった。私は数日前に見た代表作「東京物語」のことを思い出していた。広島・尾道の老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が主人公。東京に住む長男と長女を訪ねるのだが、せわしげでろくに相手もしない。夫婦をいたわったのは戦死した次男の嫁(原節子)だけ。新幹線もない時代。長旅で体調を崩し、老妻は亡くなる。尾道での葬儀はバタバタと始まって、すぐ終わる……。
還暦を過ぎた私は、笠智衆に感情移入してしまう。若い人はいつの時代も忙しい。年寄りは不満をのみ込むしかない。忙しいのはいいことだ。でも、さびしい。「家族の時間のズレ」がこの作品のテーマなのか。形見として原節子に渡されたのが懐中時計だった。東京に戻る汽車の中で時計を取り出したときの女優の表情……。なぜか、泣けた。
小津は日露戦争勃発前の1903年12月12日に生まれ、先の戦争を体験し還暦を迎えた63年12月12日に亡くなった。今年は没後60年に当たる。円覚寺の墓で手を合わせながら、家族や戦争について考えてみた。「無」という文字の意味についても。
神奈川近代文学館(横浜市)では4月1日から「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」が開かれる。自筆の日記を見てみたい。(専門編集委員)