|
緊急事態宣言発令中ながら午後8時を過ぎても飲食店などの看板が明るくともり、人々が行き交う新宿・歌舞伎町=東京都新宿区で2021年8月11日午後9時7分、吉田航太撮影
過去のコラム「新型コロナ ワクチン接種後もマスクを使う理由」及び前回のコラム「新型コロナ デルタ株対策にワクチン後もマスクを」で、「新型コロナウイルス以前の世界に戻るためには、特効薬がどうしても必要だ」という私見を述べました。これまで「『レムデシビル』『バリシチニブ』といった、重症例に限定して使われている薬剤は患者全員に使えるわけではなく特効薬とは呼べないこと」「『アビガン』『イベルメクチン』『トシリズマブ』など期待された(されている)薬はあるが、どれも必ずしも有効性が高いとは言えないこと」などを述べてきました。
また、米国のトランプ前大統領が使用して有効であったとされている薬剤、米国Regeneron社の「REGN-COV2」については、過去のコラム「新型コロナ トランプ氏が使った薬とは?」で紹介しました。この薬の特徴として「感染して早い段階で投与すれば大きな効果が期待できること」「しかし費用が高すぎて(前大統領が希望していたように)患者全員に使えるようになるのは難しいこと」などを述べました。
7月に承認された抗体医薬
さて、すでに各メディアで報道されているように、このREGN-COV2がついに日本でも使用できることになりました。今回はこの製品がどのように使われ、どのようなことが期待できるかについて私見を交えてお伝えします。まずは薬の名前を整理しておきましょう。
過去のコラムで紹介した「REGN-COV2」という製品名は現在、「REGEN-COV」と変更されています。そして実際の製品は「カシリビマブ」と「イムデビマブ」という、新型コロナウイルスに対する2種類の抗体を組み合わせたものです。二つの抗体はRegeneron社が開発し、スイスのロシュ社が臨床試験を行ってきました。これを日本では中外製薬が製造販売することになり、商品名を「ロナプリーブ」と名づけました。同じ薬を指す名前がいくつも出てきて大変ややこしくなっています。混乱を避けるために、ここからは商品名のロナプリーブで統一します。
7月19日、厚生労働省がロナプリーブを特例承認し、新型コロナの治療薬として使用可能となりました。中外製薬によると、臨床試験の結果、ロナプリーブは入院や死亡を約7割減らす効果がみられたそうです。
新型コロナウイルス感染症に使用する薬「ロナプリーブ」=大阪市淀川区で2021年8月13日、菱田諭士撮影診断後すぐに使いたいけれど
ただし、厚労省は翌20日付で「事務連絡」を公表し、この薬については、国が一括購入して医療機関に無償譲渡すると宣言しました。薬は通常、各医療機関が自由に購入するものですが、ロナプリーブは安定供給が難しいため、通常とは違うやり方にするというのです。そして、薬の適応(使用してもよい患者)を「酸素投与を必要としない患者」で、同時に「入院患者」である人だけに限りました。
先述したように、この薬は大きな治療効果が期待できるのは事実ですが、使う時期は重症化する前です。できれば診断がついたと同時に使いたい薬です。実際、トランプ元大統領には速やかに使用されました。
ところが、第5波が猛威をふるい、病床が不足している日本の現状では、入院できるのは原則として重症患者(もしくは重症化しそうな患者)のみです。これではどうしても、薬を使うタイミングを逃してしまいます。
このような意見が相次いだためなのか、同省は8月13日に事務連絡を一部改正し、宿泊療養の患者の一部にも使用できることにしました。
ただし、使えるのは新型コロナ用の臨時宿泊療養施設で、しかも副作用が出た場合に緊急対応ができる体制を整えたところだけです。高齢者の施設(老人ホームなど)での使用や、自宅療養中の患者さんに対して往診した医師が使用することは依然認められていません。これでは早いタイミングでの使用は困難なままです。
関連記事
<政府が期待寄せる新治療薬 対象者は? 「万能」までは道半ば>
<新型コロナ デルタ株対策にワクチン後もマスクを>
<新型コロナワクチン「四つの視点」 谷口恭氏講演>
<「マブ」と魔法の弾丸=永山悦子>
<新型コロナ 後遺症の頭痛は諦めず治療を>
安全な使用には入院などが必要
厚労省が、ロナプリーブの使用対象者を絞ろうとする理由には、薬の供給不足のほかに「安全性の担保」もあります。
新しい薬だということに加え、ロナプリーブは点滴で体内に入れるタイプの薬です。一般に、点滴で直接血管内に入れる薬は内服薬や吸入薬に比べ、一気に体内に吸収されます。ですから重篤な副作用、とりわけアナフィラキシー(重いアレルギー症状)の発生リスクが高くなります。実際、海外ではすでに重篤なアナフィラキシーの報告があります。このような薬を使うときには、点滴が終了してからもしばらくは経過観察が必要であり、自宅や医療スタッフの少ない場所では実施が困難なのです。
新型コロナウイルス感染症の軽症・無症状の患者を受け入れていた東横INN新宿歌舞伎町の個室=東京都新宿区で2020年7月28日午後4時41分、長谷川直亮撮影
では、せっかく大きな効果が期待できる薬が承認されたのに、実際に使える患者は少ないままなのでしょうか。そして「入院(もしくは宿泊療養施設への入所)さえできればロナプリーブが使えて助かったのに、病床が逼迫(ひっぱく)していたせいで助かる命が助からなかった……」と、このような現実を手をこまねいて嘆くしかないのでしょうか。
ここで代替案を考えてみましょう。ロナプリーブが使いにくい最大の理由は「点滴静注(静脈注射)」だからです。これを点滴ではなく「飲めばどうか」と考えた人はいないでしょうか。この薬の主成分である抗体はたんぱく質でできていますから、飲んだ場合は、体内に吸収される前に胃や腸で分解されてしまい、効果はありません。しかし、「点滴がダメなら飲んではどうか」というその発想自体は間違っていないと私は思います。では、飲むのがダメならば皮下注射はどうでしょうか。
医学誌「New England Journal of Medicine」2021年8月4日号に「新型コロナ予防のためのREGEN-COVの皮下注射(Subcutaneous REGEN-COV Antibody Combination to Prevent Covid-19)」という論文が掲載されました。新型コロナの濃厚接触者にロナプリーブを皮下注射(点滴ではない)し、予防効果があるかどうかを調べた研究です。
研究の対象者は、家庭内で新型コロナ感染者と接触して96時間以内の、12歳以上の人です。ロナプリーブを皮下注射した753人中発症したのは11人(1.5%)、プラセボ(偽薬)を注射した752人では発症したのは59人(7.8%)でした。発症リスクを8割以上も低下させることが分かったのです。また、ロナプリーブを注射された人たちは、症状が出現している期間が有意に(統計的に偶然ではないとみられるほど)短く、血中ウイルス量が高くなる期間も有意に短くなることもわかりました。一方、大きな副作用は認められませんでした。
ここで点滴と皮下注射の違いをまとめておきましょう。点滴でアナフィラキシーが起こるのならば、理論的には皮下注射でも起こり得ます。ですが、その頻度は減ります。なぜなら皮下注射の場合、注射自体は数秒で終わりますが、薬が体内に吸収されるのは、点滴した場合よりも遅くなるからです。
また、ロナプリーブの点滴は最後まで落とし切るのに少なくとも20~30分はかかります。もしも、この間に患者が不意に動いてしまったり、腕がふるえたりして針がずれてしまうと、薬が体内に吸収されなくなってしまいます。ですから医療者はその場におらねばならず、医療者の負担が重くなります。点滴の針が入りにくかったり、入っても外れてしまったりしてやり直しになる場合もあります。
つまり、皮下注射の場合、点滴に比べて、手技が簡単で(針が入りにくかったり外れたりすることがなく)、ごく短時間で終わり(ほんの数秒)、アナフィラキシーを含む副作用のリスクが低減するわけです。点滴に比べて効果が弱くなれば元も子もありませんが、先述の論文が示すように高い効果が期待できます。もっとも、この論文は発症者に対してではなく濃厚接触者に対しての予防使用の効果を調べたものです。発症してからの皮下注射が有効かどうかについてのデータはありませんが、期待はできると思います。
点滴でなく皮下注射にできれば
ということは、ロナプリーブが新型コロナの特効薬になる可能性が出てきます。つまり、PCR検査の結果を待つことなく、有症状者のみならず濃厚接触者(もしくはその可能性がある人)にできるだけ早い段階で皮下注射をしていけば発症率・死亡率ともに大きく下がることが期待できます。PCRセンターではなく、「ロナプリーブ皮下注射センター」をつくって、希望者にどんどん皮下注射をしていくのです。
車椅子で患者を運び込む緊急酸素投与センターの関係者=横浜市中区の横浜伊勢佐木町ワシントンホテルで2021年8月16日(代表撮影)
ちなみに現在新型コロナに使われている他の薬をみてみると、レムデシビルは入院患者のなかでも基本的には重症例(もしくは重症化が予想される例)のみ(しかも点滴のみ)で、バリシチニブはレムデシビルと併用しなければなりません。デキサメタゾンはそもそもステロイドであり、ウイルスに刺激された人体が起こす「免疫の暴走」を抑える薬であって、ウイルスそのものを抑制する効果はありません。
これまで新型コロナの治療としていろんな薬剤が注目されてきましたが、ロナプリーブは使用しやすくて高い効果が期待できる初めての薬剤となる可能性が出てきました。では、近日中に厚労省がロナプリーブの適応を広げて、診断がつかなくても濃厚接触というだけで使用を認めるようになるでしょうか。
課題は安全性と経済性
それには少なくとも二つの壁があります。
一つは安全性です。点滴に比べると副作用のリスクは小さく、先述の研究対象となった約750人では安全性を脅かすような報告はありません。ですが、対象者を増やしていけば看過できない副作用が起こる可能性はあります。
もう一つは費用です。抗体を使った医薬品は一般に高価です。他の抗体医薬品の価格からみておそらく、ロナプリーブ1回分の費用は十万~数十万円くらいになると思われます。※編集部注
対象者を濃厚接触のある希望者全員に広げていけば多大なコストがかかります。特に若い人の場合、放っておいても数日で治る見込みのある疾患にこれだけのお金をかけてもいいのか、という議論は必ず出てきます。
ロナプリーブが簡単に使えるようになったからもう新型コロナは怖くない、という事態に直ちにはならないでしょう。ですが、ワクチンの効果も少し怪しくなってきた今、ロナプリーブがコロナ対策の切り札となるかもしれません。
※編集部注 厚労省は、ロナプリーブの購入価格を非公表としています。まだ薬価(健康保険を適用する場合の薬の価格)が決まっておらず、現段階で購入価格を公表すると、今後の薬価決定に影響する心配があるからだそうです。また同省は、購入量も公表していません。しかし政府関係者によると、年末までに20万回分の供給を受ける契約で、現状では7万回分が使用可能です。これに対し、8月中旬の段階で、全国の患者数は1日あたり約1万7000人です。
また、この薬を在庫として常備し、患者が入院したらすぐ使用できる医療機関は、同省の18日の事務連絡で、医療機関の一部に限られました。常備できる医療機関は都道府県が選定しますが、具体的な機関名は非公表だそうです。一方、常備できない医療機関は、患者の入院後、薬の送付を依頼します。届くまで1日~数日かかります。同省は「平日15時までに取りまとめられた配分依頼については、地域等により多少の差異がありますが、土日祝を除き、1~2日程度で送付されます」と事務連絡に記しています。