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頭翼思想時代の到来
第3章 - 民主主義と共産主義を統一する頭翼思想
一 地球家族時代の到来
共産主義体制が崩壊した今、人類は戦争の脅威から解放され得るという希望をもつようになった。そればかりでなく、二十一世紀を目前に迎えて、闘争と戦争によって綴られてきた人類歴史の流れが、新しい転換時代に向かっているという希望をもつようになった。今日まで人類を苦しめた国家利己主義的な覇権主義が消え去って、国境と人種の壁を越えて、地球家族時代の到来という新しい環境を迎えるようになった。これは闘争歴史の帰趨から見ても、摂理史の流れから見ても、当然な現象である。
共産主義の崩壊と民主主義の限界
マルクスが約束した共産主義の理想社会は「人間の解放された社会」、「富のあふれる社会」、「真の自由の国」、「労働が喜びになる社会」、「必要に応じて分配される社会」、「階級のない社会」、「道徳的な不正のない社会」であった。マルクスはその理想を「事物は闘争によって発展する」という唯物弁証法に従い、暴力的な革命によって実現しようとした。ところが実際に現れた共産主義社会は、ことごとくその反対のものとなった。それは暴力によって苛酷に人民を支配する独裁社会であり、経済的に停滞し、破綻した社会であった。
マルクスの共産主義の試みは、完全なる失敗であった。しかしそれはマルクス主義理論が間違っていたということであって、共産主義の理想そのものが間違っていたわけではない。公平、正義、自由の理想は、やはり実現されなくてはならない人類の理想なのである。そして、その実現は、マルクス主義ではない、新しい理念によらなくてはならないのである。
一方、民主主義社会において、利己心を中心とした自由競争を基調とする、アダム・スミス(Adam Smith, 1723--90)の経済学に基づいて資本主義経済が成立したが、そこには富の不平等と労働者の疎外という問題が生じた。企業は資本家の私有のもとにおかれ、労働者は企業の側のメンバーとはみなされなかった。労働者は契約によって会社に雇われただけの被雇用者であり、労働者に支払う賃金は単に生産費の一部とみなされたのである。したがって不況の時には、不必要な施設を減らすように、労働者は簡単に解雇されたり、レイオフ(一時帰休)された。そのような資本主義において、当然ながら労働者は疎外され、経営者に対する反感、企業の業績に対する無関心が生じ、ストライキ等が頻繁に起きるようになった。また今日、民主主義社会において、空洞化した人間の頭脳を埋める行き過ぎた個人主義・利己主義と、そこからもたらされた家庭の崩壊、麻薬やエイズの蔓延、不倫や犯罪の増大などが深刻な問題となっている。結局、民主主義においても、人間の疎外の問題は解決されなかったのである。
民主主義は行きづまり、共産主義は崩壊した今日、人類は民主主義と共産主義を越えた、新しい第三の道を求めている。民主主義も共産主義も西洋のキリスト教文明から生まれたものである。したがって、第三の道は従来の西洋文明の限界を超えた新しい文明、新しい主義でなくてはならない。
科学文明による自然破壊
西洋文明の限界を示すもう一つの現象が科学の発達による自然破壊である。今日、地球上の生物の活動を支えている生態系が人間の無節制な活動によって危機にさらされている。炭酸ガスの増加による地球の温暖化、フロンガスによる大気中のオゾン層の破壊、森林破壊、酸性雨による被害などの環境破壊がそれである。工業社会において、増大するゴミの洪水をどう処理するかという問題も深刻である。特に有害廃棄物の処理が大きな課題となっている。放牧や薪の採取などによって土地が砂漠化していくことも深刻な問題である。
近代自然科学の確立の道を開いたのがフランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1561--1626)であった。その後、今日まで約四百年にわたって、科学万能の時代を迎えることになった。「われわれは先入的な偏見を捨て去ってから、客観的に自然を観察して、正しい認識を得なくてはならない」と、ベーコンは主張した。ところがベーコンの自然に対する態度は、自然を人間の力で暴力的に支配するというものであった。そして、ベーコン以来、科学は主として「自然を支配する」ことを目指すようになったのである。
今、地球は「宇宙船地球号」とか、「ガイア」(Gaia, 一つの生命体としての地球)とか、「かけがえのない地球」と呼ばれるようになった。そして地球の生態学的なバランスを守り、「地球を救おう」という、環境保護運動またはエコロジー(ecology)運動が世界的に高まりを見せている。ここにおいても、やはり従来の西洋文明の限界を越えた新しい哲学に基づいて、科学の在り方が探求されなくてはならないのである。
地球家族時代の実現
新しい文明社会は共生主義、共栄主義、共義主義の社会すなわち共生共栄共義主義社会である。それこそ、民主主義と共産主義の問題点を克服した、真の理想社会であり、全人類が一家族となる地球家族主義の社会である。
共生主義とは、神の真なる愛に基づいた共同所有を内容とする経済理念をいう。しかしその共同所有制度は同時に個人所有も認める制度である。共生主義社会の基本は家庭であるが、家庭において、すべての財産はたとえ法的には父母の名義になっていても、実質上、父母と子女の共同の所有になっている。それと同時に、家族の一人一人は、それぞれの部屋とか、衣服を持ち、小遣いも持つようになるのである。そのように家庭においては、愛を基盤として全体目的と個体目的の調和のもとに、共同所有を基盤としながら、個人的所有も認められるのである。このような家庭における所有形態が、社会、国家、世界へと拡大したのが理想世界の所有形態であって、それが正に共生主義の社会である。この社会は社会所有を内容とする社会主義(共産主義)の要素と私的所有を基盤とする資本主義の要素が調和した社会である。共栄主義とは、民主主義の理想である自由、平等、博愛の理想を神の真の愛を中心として実現する共同参加の政治理念であり、立法、司法、行政が相互に円満な授受作用をなす社会をめざす政治理念である。そして共義主義とは、全人類が、共通に、普遍的な倫理や道徳を守るようになる社会を実現する倫理的、道徳的な理念である。
共生共栄共義主義社会を実現するためには、全世界が等しく繁栄しなくてはならない。そのためには、技術をもつ国と技術をもたない国の格差がなくならなくてはならない。そこで文先生は早くから「技術の平準化」を説かれた。一九八九年十月、ソウルの新羅ホテルで開かれた「中国パンダ工業都市建設計画説明会」において、文先生は「技術はその恵沢が人類全体に行き渡るようにするための神の祝福であります。先進国が技術力を独占して、それを手段として、低開発国家に不利益を与えることは、また一つの搾取であり、罪悪であります」と語られた。技術の独占は、結局、分裂と不和の火種となり、世界平和を威嚇することになるのである。
世界経済の平準化をなし、人類一家族の理想を実現するために、一九八一年、ソウルで開かれた「第十回科学の統一に関する国際会議」において、文先生は国際ハイウェイ建設を提唱された。これは海底トンネルによって日本列島と韓半島を連結し、韓半島から中国を通るアジア・ハイウェイ、さらには中東、ヨーロッパを通過してロンドンにまで至る国際ハイウェイを建設するという構想であった。ハイウェイの、道の両側のそれぞれ少なくとも一キロの地帯は、国境を超越した中立の緩衝地帯にするという。それにより国境を越えた経済や文化の交流が頻繁になり、技術の平準化が促進され、地球一家族世界へ向けて、大きく前進することができるのである。
今、アフリカでは約二千万人が飢えに直面していると報じられている。文先生は多くの人々が餓死の危機に瀕しているという事実を深刻に受け止められた。そして人類の食糧問題を解決するためには、水産業を世界的に発展させるしかないと考えて、一九七四年以来、アメリカにおいてそのための基盤をつくってこられた。産業活動において、陸地の大きさには限界があり、資源にも限りがある。また緑の革命によって食糧を増産することはできるとしても、それも限界に達する。そこで大きな可能性をもっている広大な海に未来を託すほかないのである。
歴史家アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee, 1889--1975)は「たとえ私たちの子孫が今の十倍になるとしても……海は人類の冒険心を受け入れる広大な領域であり、その生存を確かに保証する」と述べた。人類が互いに争い奪い合うことをやめ、海の資源を大切に守りながら漁業を発展させる時、その予言はやがて成就することであろう。統一運動はその成就を目指して、アメリカにおける最後のフロンティアに挑戦しているのである。
一九九五年四月、文先生は南米ブラジルにおいて、「新しい希望農場宣言」を発表された。これは南米に、一つのモデルとして理想社会、理想国家を建設しようとする計画である。南米が選ばれたのは、そこは広大な未開の地があり、現代の堕落した文明の垢のあまりついていない地であって、新しい文明を築くのに適しているからである。そこに先進国の技術と資本を投入し、自然と万物を愛し、保護しながら、各種の産業を発展させていくのである。そして技術の平準化、生活の平準化を実践しながら、あらゆる民族と人種が互いの壁を超えて、超民族的、超国家的な人類一家族社会を実現していくのである。
技術の平準化を進めて、全世界が豊かで平等な社会を実現するためには、民族を超え、国家を超えて、全人類を等しく愛する思想がなくてはならない。そのような思想は共産主義を克服しながら民主主義の混乱を収拾し得る思想であり、超教派運動による宗教の統一をなし得る思想であり、民族の対立を和解せしめる思想であり、東西文化を統一し得る思想である。
それはまた自然を愛し、自然を保護しながら、科学を発展せしめる思想である。人間は神から創造性を与えられており、それによって自然万物を治めるようになっている。神の創造性は愛に基づいたものである。したがって人間の創造性も本来は愛を中心としたものである。ところが人間は堕落することによって、愛を失い、自己中心的な欲望を中心として、創造性を発揮してきた。そのため、今日まで、特に科学万能の現代において、人間は環境破壊等に見られるように、自然を暴力的に支配してきたのである。神の創造された自然において、環境破壊はあり得ない。人間や生物が安全に生きられるように、あらゆる心遣いがなされているのである。人間が、そのような神の愛の創造性を受け継ぐようになれば、自然破壊の問題は自動的に解決するようになるのである。
二 共生主義社会を目指して
労働価値説の終焉とその代案
一八六七年に、マルクス主義経済学のバイブルである『資本論』(第一巻)が発行され、労働価値説が提示された。そして間もなく、マルクス主義に対抗する形で、一八七〇年代に、限界効用説が打ち出された。やがて労働価値説は社会主義経済のバックボーンとなり、限界効用説は資本主義経済を分析する手段へと発展していった。
労働価値説の終焉
資本主義経済の研究を始めたマルクスは、資本主義の富の基本形態は商品であると考えて、商品の分析にとりかかった。マルクスによれば、商品は「有用性」、すなわち人間の何らかの欲望を満たすことのできる性質をもっているが、その有用性を価値として表現したものが「使用価値」である。例えば洋服やパンや住宅は、それぞれ衣食住に対する欲望を満たす性質をもっているが、そういう性質が洋服やパンや住宅の使用価値である。しかし商品は使用価値のみならず、他にもう一つの価値をもつと言い、マルクスはこれを「交換価値」と言った。交換価値は商品の交換の比率を決定するものであり、これを貨幣額で表したものが商品の価格となるのである。
このような商品のもつ二重性は、労働のもつ二重性がその原因となっている。労働の二重性とは、稲作労働、紡績労働、木を切る労働というように、それぞれ特定の使用価値を生み出すための「具体的労働」、すなわち「有用労働」と、頭を使う、筋肉を使う、神経を使うというような、どんな種類の労働にも共通する一般的な労働、すなわち「抽象的人間労働」をいうのである(図3―1)。
ところがマルクスは、使用価値は量的に比較できないという理由から、「使用価値は問題にしない」で、「使用価値を捨象する」ことにした。そして「人間の脳や筋肉や神経や手などの生産的支出」である抽象的人間労働が、価値(交換価値)を形成すると主張した。そして抽象的人間労働の量は労働時間で測られるとして、商品の価値は労働時間で決定されると結論した。さらに商品の価値は、個々の個別的な労働時間によってではなく、平均的に必要な「社会的必要労働時間」によって決定されるとした。
ところが実際には、商品の中には、明らかに労働量(労働時間)の投入によって形成されないものが多い。石油や石炭のような天然資源がそうであり、アイデア(特許など)もそうである。また労働を加えないでも、どんどん価値が大きくなったり、小さくなったりする株券、美術品、骨董品などがある。そして今日の知識集約的な産業においては、製品に込められた労働量はどんどん少なくなっているのであり、労働価値説は完全に破綻したのである。
近代経済学の行き詰まり
マルクスが捨象してしまった商品の使用価値に注目し、使用価値こそ価値の源泉であると考えたのが、メンガー(C.Menger, 1840--1921)、ヴィーザー(F.von Wieser, 1851--1926)、ベーム・バヴェルク(B喇m-Bawerk,1851--1914)等のオーストリア学派であった。彼らは、限界効用という立場から、使用価値を経済分析の基礎に据えた。
アダム・スミス以来、効用の大きい水の交換価値(価格)が低く、効用の少ないダイヤモンドの交換価値が高いのはなぜかというジレンマがあった(効用とは、財を消費することによって得られる心理的な満足感をいう)。それに対して、彼らは、財を一単位新たに追加しようとするときの効用、すなわち、すでにあるものに加えて、もう一個(もう一杯)を得るときの効用に注目した。そうすると、水は効用がどんなに大きくても、大量にあるために、水一杯の価値は小さい。それに対して、ダイヤモンドは効用が小さくても、その数は非常に少なく、ほとんどの人がもっていないために、一個の交換価値が大きくなるのである。このように財の一単位を新たに追加するときの効用を限界効用という。
オーストリア学派とほぼ同時に、限界効用理論を発見したのがフランス人のワルラス(M.E.L.Walras, 1834--1910)であった。ワルラスは商品が与える効用(限界効用)が測定可能なものであると考えて、効用の大きさを貨幣額で表現することを試みた。ところが、その後、そもそも効用は測定できないものではないか、異なった商品から得られる効用は比較できないのではないか、という根本的な疑問が提示されるようになった。
そこでイタリア人のパレート(V.Pareto, 1848--1923)がこの問題に取り組み、効用の量的な可測性の問題を排除して、効用の高低だけを示す等高線というべき無差別曲線を考え出した。そしてイギリス人のヒックス(J.R.Hicks, 1904-- )がこのアイデアを引き継ぎ、近代経済学を数学的に計量可能な学問に発展させたのであった。このようにして、近代経済学は商品の効用や価値の本質を追求することをあきらめてしまい、経済的数量とその変動のみを取り扱うことが、経済学の任務であると考えるようになった。ところが現実の経済は、欲望、技術、イノベーション、発明など、商品の価値の本質にかかわる要素によって大きく左右されている。そのため数理的な分析をこととする近代経済学は完全に現実と遊離してしまったのである。
新しい経済学への試み
アメリカの経営学者、ピーター・ドラッカー(P.F.Drucker, 1909-- )は経済学の現状について次のように述べている。
約百年前に、経済学は二つに割れた。主流は、富の創造という問いに対して解を求めることを完全に断念し、ただひたすら分析した。……分析は、価値に基礎を置かないがゆえに、社会に対して言うべき何ものももたなかった。カール・マルクスは、経済学のこの欠陥に気づき、労働価値説を生み出した。……それはまさしく一つの価値論に根拠を置くがゆえに、恐るべき魅力をもった。……こうしてわれわれは、過去百年間、一方で勝れた分析力を有するが価値論的基礎のない経済学[近代経済学]と、他方で経済学とは似て非なるものであるが、人間に基礎をおく一つの体系としての経済学[マルクス経済学]の二つをもった。
ドラッカーは、価値の本質の問題を正しく解明することが、未来を導く新しい経済理論にとって、最も重要な課題であると言う。そして彼はその課題に答えて、「知識が富の源泉である」という結論に達したと、次のように言っている。
今やわれわれは、富の源泉が、ある人間的なもの、すなわち知識であることを理解するにいたった。すでに知っている仕事に知識を応用するとき、これを「生産性の向上」と言う。全く新しい仕事に知識を応用するとき、これを「イノベーション」と言う。知識こそ、「生産性の向上」と「イノベーション」という二つの目標を実現するものである。
そしてドラッカーは、今行き詰まっている経済学に代わる新しい経済学の可能性について、次のように述べている。
「生産性の向上」と「イノベーション」という二つの灯台がわれわれの道しるべでなければならない。……人間の仕事に知識を適用することをもって富の源泉とすることの中に、われわれは経済的組織の機能を見る。われわれは、初めて経済学を人間に関する理論とすることのできる方法を見出した。経済学を人間の価値に結びつける方法、つまり企業人が、自分は正しい方向に向かっているか、成果は現実か幻想かを知る尺度を与えてくれる理論を手にする方法を見出した。われわれは今、富の創造について、新しい経済学の理論の入口に立っているのである。
アメリカの未来学者、アルビン・トフラー(Alvin Toffler,1928-- )も、同様に、「価値を生み出すものはもはや筋肉労働ではなく、頭脳労働になった 」、「二十一世紀における経済成長の鍵は知識にある(5)」と言い、価値の本質は知識であると主張している。
価値の本質は創造力である
「統一思想」から見るとき、価値の本質は、ドラッカーやトフラーのように、知識であるというだけでは十分ではない。価値の本質は人間のもっている創造力であって、知識は創造力を支える一つの要素にすぎないのである。そしてマルクスのいう労働力は創造力の一形態なのである。
創造は二段階で行われるのであり、それを「創造の二段構造」という。ここで人間の創造活動と神による被造世界の創造を関連させて考えてみよう。神は性相と形状の二性性相の中和体であるが(6)、神の創造において、まず性相(心)の中にロゴス(言)が形成され、次に形状のエネルギー(前エネルギー)を投入して(7)、被造世界が創造された。人間の創造活動においても、まずアイデアや構想が生まれ、設計図や企画書が作られる。そして次に、実際に製作とか建設がなされるのである。
「創造の二段構造」に関して、二段階の四位基台形成の図を描くことができる(図3―2)。第一段階は内的四位基台の形成であるが、目的を中心として内的性相と内的形状が授受作用することによって、ロゴスや構想(設計図)が生じるのである。内的性相とは、性相(心)の中の知情意の機能をいい、内的形状とは、性相の中の形状的な要素、すなわち観念、概念、法則、数理等である。ここで知識とは、内的形状のこれらの要素にほかならない。内的四位基台の形成において、知識は欠くことのできない重要な要素であるが、その知識を対象にして、内的性相である知情意の機能が主体的な役割を果たしている。特に、分析、推理、総合等の働きをする理性(高度な知の機能)が重要な役割を果たしている。内的性相と内的形状の授受作用は目的を中心として行われる。その目的は心情から立てられる。心情は「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」、すなわち「愛して喜びたい」という抑えられない衝動である。したがって「喜ばせよう」、「奉仕しよう」、「ために生きよう」という動機が、創造において最も重要な要素なのである。
第二段階は外的四位基台の形成である。神の創造において、ロゴスが形成されたのち、ロゴスに対応して、神のもっておられる形状のエネルギー(前エネルギー)が投入されることによって、被造物が造られる。人間の創造の場合、構想や設計図に従って、材料や道具を用い、労働力を投入して、製作や建設が行われる。第二段階の創造においても、心情が動機であり、心情から目的が立てられ、目的を中心として知情意の作用のもとで授受作用が行われる。
創造力とは、新しいものを造る力であるが、それは授受作用を行って、四位基台を形成する力であるということができる。四位基台には内的四位基台と外的四位基台がある。したがって創造力は、内的四位基台と外的四位基台という二つの四位基台を形成する力である。第一段階の内的四位基台形成の際の創造力を「構想力」といい、第二段階の外的四位基台形成の際の創造力を「技術力」ということができる。ここにおいて労働力は技術力の一形態なのである。
ドラッカーやトフラーは、第一段階の内的四位基台の形成が富を生産していると見たのであり、特にそのうち、内的形状である知識が決定的な要素であると見たのである。それに対してマルクスは、第二段階の外的四位基台の形成が富を生産しており、特に形状に相当する抽象的人間労働の投入が決定的な要素であると見たのである。 しかしいずれの場合も一面的な見方であった。富を生産しているのは創造力であり、そこには構想力と技術力があるのである。したがって構想力や技術力をもって生産に寄与するあらゆる要素が、価値の創造に寄与するのである。
統一思想の効果価値説
マルクスは労働の二重性と商品の二重性をとらえたが、統一思想においても労働の二重性と商品の二重性を主張する。しかしマルクスの場合とは、その視点が全く異なる。すべての存在には、性相すなわち内的な、機能的な側面と、形状すなわち外的な、形態的、物質的な側面があるが、性相が主体、形状が対象である。労働力すなわち創造力には、性相としての創造性と、形状としての体力があるが、この体力がマルクスのいう抽象的人間労働に相当する。そして創造力が体化したものが商品であって、商品は性相としての使用価値(有用性)と、形状としての形態、構造、材料からなるのである。そして商品の使用価値が消費者に効用を与えるのである(図3―3)。なおここでいう効用とは、限界効用の意味での効用である。
マルクスは使用価値を問題にしないことにし、抽象的人間労働のみが価値を形成するとした。ここにマルクスの致命的な誤りがあった。形状である抽象的人間労働は、性相である創造性を表すための手段にすぎない。したがって創造性がよく発揮されて、優れた使用価値をもつ商品が生産されることが、商品生産の本質であり、労働量の大小によって商品の価値が決定されるのではない。労働価値説が意味をもつとすれば、それは労働力の性相面である創造性がほとんど問題にされない場合である。すなわち労働の質が問題にならない単純な作業だけで生産が行われるような場合だけである。
それでは交換価値すなわち商品の価格はいかにして決定されるのであろうか? 交換価値とは、商品に投入された創造力の成果に対する評価量、すなわち商品の効用を実現した創造力に対する評価量である。この評価量は、生産者の立場から見れば、効用を実現したことに対する報酬として、収入に対する期待(満足量)を表したものであり、消費者の立場から見れば、使用価値が与える満足感(効用)に基づいて謝礼(感謝量)として表したものである。そして両者間の調節によって決定されるものである。このように商品の価値は、商品を中心として、生産者(または所有者)と消費者の間の授受作用によって決定されるのであるが、このような価値決定の理論を「効果価値説」という(図3―4)。生産者と消費者のそれぞれの心理的な効果に基づいて価値が決定されるからである。
ところで価値を決定するとき、生産者(または所有者)と消費者の価値追求欲が問題になる。生産者(または所有者)が本然の価値追求欲に基づいて報酬を求めようとするとき、生産者は消費者に対して、より多くの効用を与えることによって、また生産費を節約して消費者に安い商品を提供することによって、消費者を喜ばせながら報酬を受けようとする。一方、消費者が本然の価値追求欲に基づいて商品の効用を追求しようとするとき、消費者は生産者の価値創造の実績に対して感謝しながら効用を追求するのである。
ところが非原理的な、自己中心的な価値追求欲を中心とするとき、問題が生じる。商品の価格が異常に高騰したり、異常に低迷したりするようなことが起きるのである。資本主義社会でしばしば見られるバブル経済は、商品の本来の価値を追求しようというのではなく、投機によって莫大な利益を得ようという貪欲によってもたらされるものであり、バブルがはじけると莫大な負債が残って悲劇的な結末を迎えるのである。また豊作や豊漁の時、価格が低迷して生産者が大きな打撃を被るというようなことが起きるが、これは消費者(または仲買人)が生産者に対して感謝することを忘れて、買いたたくからである。これらは非原理的な価値追求欲によってもたらされる異常な価値決定の事態である。しかし本然の価値追求欲を中心とするとき、このような資本主義経済の深刻な問題は解決するようになるのである。
剰余価値説の終焉とその代案
剰余価値説の終焉
マルクスは労働者の労働力だけが価値の源泉であると主張し、労働価値説を打ち立てたが、実は、その労働価値説はアダム・スミスに端を発していた。水とダイヤモンドの使用価値と交換価値の関係の謎に窮したスミスは、使用価値を無視して、物の価値はその生産に要した労働量によって決まるとした(投下労働価値説)。これがリカード(D.Ricardo, 1772--1823)を通過して、マルクスの労働価値説へと結実したのである。ところがスミスは、商品の価値はその財を生産するためのすべての費用に依存するとも言っており、労働力のみならず、資本家や地主の寄与も認めているようでもあり、何が価格を決定するかという問題について、あいまいであった。
次に問題になるのが、商品を売って得る所得はだれのものになるか、そしていかに分配すべきか、ということであった。商品の販売によって生まれる所得が、いかにして資本家、地主、労働者へと分配されるかということに対して、スミスは、労働者は支払いを受ける賃金以上の剰余の価値をつくり出しており、その剰余の価値の中から資本家が利益を得ていると考えた。そして所得から労働者の受け取る賃金と資本家の受け取る利潤を支払った残りが、地主の受け取る地代だと考えた。スミスのこの見解が、やはりリカードを通過して、マルクスの剰余価値説として結実し、革命への理論的根拠となったのである。
ところがスミスは、一方で、地代の水準を土地の質と関連させながら、「牧草地の良さに比例して地代は高くなる」と言ったりして、労働者、資本家、地主の間で所得がいかに分配されるか、その根拠を明確にしなかった。そしてスミスはそれ以上、この問題を追究しなかった。結局、スミスの立場は、価値と分配の問題において、あいまいであった。その結果、その後、経済学において二つの流れが生じることになった。一方がマルクス主義経済学であり、もう一方が近代経済学であった。
マルクスは労働力だけが新たな価値を付加すると主張した。つまり資本家や地主などは、何ら新たな価値を生まないというのであった。そこにおいて問題となるのが機械であった。実際、資本家は新しい機械を導入することによって、安い商品を多量に生産し、多くの利益を得ることができたからである。しかしマルクスは「機械は磨滅しただけの価値を商品に移転するだけの不変資本である」と言って、「決して価値を付け加えない」と強弁した。そして労働者だけが新たな価値を生産しているのだから、利潤はすべて労働者のものであると主張し、そのすべてを手に入れてしまう資本家に対して、「労働者を搾取している」と糾弾したのであった。
労働価値説と剰余価値論はコインの表と裏のような関係にあった。したがって労働価値説の虚構があらわになり、その終焉を迎えると同時に、剰余価値説もまた終焉を迎えることになった。今日、先端技術の分野では、生産において労働力(肉体的な労働力)の占める割合が、どんどん減っていき、ゼロに近づいている。そういうところでは、労働力だけが価値を生み出しているとは、だれも考えることはできないのである。
マルクスは、労働力のみが価値を付加すると言って、労働者を最高の立場においた。それに対して企業家(資本家であると同時に経営者である人)の企業精神、イノベーションこそが、価値を生む源泉であると言って、企業家をひときわ輝く存在に高めたのがシュンペーター(J.Schumpeter, 1883--1950)であった。
統一思想の見解
労働力が価値(交換価値)の源泉であるというマルクスの労働価値説に対して、「統一思想」は創造力が価値(交換価値)の源泉であると見る。したがって、創造力をもっていて、生産に関与している、すべての要素が価値の創造に寄与しているのである。すなわち、工場で働く労働者のみならず、資本家、経営者、事務員、技術者等、生産にあずかるすべての人々が、それぞれの創造力を発揮して、価値の創造に寄与しているのである。そればかりではなく、マルクスが価値を付加しないと言った機械も立派に価値を生むと言える。機械は科学者の創造力の体化したものだからである。これらの人的要素と物的要素(機械、原材料、土地など)が円満な授受作用を行うことによって、価値をもつ商品が生み出されるのである。また価値は生産者と消費者の授受作用において決定されるから、セールスマンも価値の付加に寄与している。そして消費者は価値の決定にかかわっているのである。以上のことをまとめると図3―5のようになる。トフラーの次のような主張も、「統一思想」の見解と一致するものである。
価値は労働者の背の汗からだけ生まれるという考えと、価値化は輝かしい資本主義的企業家によって生み出されるという考えは、どちらも物質尊重主義に根ざすものだが、政治的にも経済的にも誤りで人を迷わせるものだということがわかってきた。新しい経済のもとでは、受付係、資本を集める投資銀行家、キーパンチャー、セールスマン、システム・デザイナー、テレコミュニケーション専門家、……すべての人が価値を加える。さらに重要なのは、消費者もそうであることだ。価値はプロセスの中の切り離された一段階からの果実でなく、全体の労苦から生まれた果実である (8)。
それでは、それぞれの人的要素がどれだけ価値の付加に寄与しているのであろうか。それは、それぞれが投入した創造力の程度によって差異がある。経営者は生産や販売など、会社の運営全体に対して責任をもたなくてはならず、そのための創造力の投入は大きい。マルクス当時の資本家は、資本家であると同時に経営者でもある、いわゆる企業家であって、彼らの創造力の投入は大きかった。しかし今日の一般の投資家は、会社の事業そのものにはほとんど関心をもたず、ただ気にかけるのは、株を売買して儲けるとか、配当金を得ることである。したがって彼らの創造力の投入は、小さいと言わざるを得ない。また単純な作業をする労働者よりも、熟練や技術やアイデアを要する労働者や技術者の方が創造力の投入は大きい。セールスマンが投入する創造力も大変なものである。
そして企業の所得(付加価値)の分配についていえば、それは、それぞれの人的要素がいかなる創造力をどれだけ投入したかを基準として決定されるべきである。しかしそうであっても、企業の中で、経営者、労働者、技術者、事務員、セールスマン等は、一つのファミリーをなしているのであるから、分配においてあまり大きな差別をすべきではない。
さらに、その他にも所得の分配をなすべきものがある。金融機関には借り入れた資金に対して利子が支払われなくてはならない。国家や地方行政に対しては、税が納められなくてはならない。公共財なくして生産はなされないからである。なお機械も創造力をもっており、価値の創造に寄与しているが、機械に対しては分配する必要はなく、機械の購入に要した資本に対して配当または利子が支払われればよい。そして企業の維持、発展のために、留保収益が蓄えられなくてはならないのである。以上のことをまとめると、図3―6のようになる。
経済発展の原理
今日、社会主義経済の破綻と東アジアの発展はだれの目にも明らかである。その事実から見て、経済発展の必要条件として、次のようなことを挙げることができる。
経済発展のための必要条件
① 意欲のある、勤勉な国民
経済発展を遂げた東アジアの国々において、共通に見られるのは、経済発展を成し遂げようとする国民の情熱であり、先進国に追いつき追い越そうという強い意欲であった。韓国では、国民が貧困を脱しようという一念でもって、世界で最も長い労働時間を耐え抜いて働き、その結果、驚異的な経済発展を遂げた。他のNIES諸国においても同様であった。東アジアで先がけて発展を遂げた日本も、国民の勤勉さがその特徴であった。アメリカのジャーナリスト、ハルバースタム(D.Halberstam,1934-- )は、日本の経済発展を導いたのは、日本人の「仕事それ自体を愛するひたむきさ(9)」であり「モノを作りたいという意欲 (10)」であったと言う。
② 政府と企業、経営者と労働者の一体性
日本経済の発展が政府と企業の一体化、そして労使一体によってなされてきたことは、よく知られた事実である。NIES諸国においても、それぞれの差はあれ、同様な傾向が見られる。献身的で強力な経営者と勤勉な労働者が一体となって世界的な企業を発展させた例が、日本と韓国には多い。またNIES諸国は一様に、国家の強力なリーダーシップによって経済発展をなしたのであった。
③ 教育と技術
日本やNIES諸国の成功の要因として教育を重要視する人は多い。今日、経済発展にとって最も重要な要素である技術は教育水準の高さによって与えられるのである。ハルバースタムも次のように述べている。「世界の動きは、ますます加速している。技術を牽引力とする変革は、足踏みをすることがない。そのスピードに歩調を合わせなければ、後れを取り、脱落する。仕事は、ますます高水準の教育と能力を必要としている (11)。」
④ 資本とインフラストラクチャー
経済発展にとって、資本の蓄積と、道路、港、通信網、電気、水道などのインフラストラクチャーが整備されていることも不可欠である。日本と台湾は国民の貯蓄熱が高く、国内で資本が蓄積された。韓国とシンガポールは、積極的に外資を導入した。香港は国際金融都市として、資本を自由に受け入れ、また貸し出している。今日、外資を導入した中南米諸国は、軒並みに累積債務が悪化して、破産状態に陥っているが、それは輸出産業を育てられなかったからである。それに対して、NIES諸国は外資を導入しながら輸出産業を育てることに成功し、経済発展を遂げたのである。
マルクス主義に基づいた社会主義経済がことごとく失敗に終わったのは、以上のような経済発展の条件に反していたからである。まず徹底的な官僚体制のもとで国民の働く意欲を失わせたことである。次に、階級闘争理論によって導かれた社会では、支配者(共産主義官僚)と人民(労働者)の一体化を実現することはできず、陰に陽に人民の反発が蔓延していたことである。そして労働力のみを価値の源泉とみなしたために知識や技術を軽視したことである。また資本を吸血鬼のように、忌まわしいものと見たために、資本を有効的に蓄積することができなかった。そのため農民を極限まで搾取し、その代価でもって無理な工業化を強行するしかなかったのである。さらに社会主義において、自由市場を禁止し、企業活動の自由を封鎖したことが、経済の自律的な発展を妨げたのであるが、それに関しては、次の「�計画経済と自由経済の調和した本然の経済体制」において述べる。
以上、経済発展の条件として ①勤勉で意欲のある国民、②政府と企業、経営者と労働者の一体性、③教育と技術、④資本とインフラストラクチャーを挙げたが、実はそれ以外に、より本質的なものがある。それは経済発展のビジョンであり、さらには創造力の発揮とそれを導く神の摂理である。
経済発展のビジョン
経済発展のためには、社会や国家ひいては世界が目指す明確な目標またはビジョンがなくてはならない。目標を中心として、人々が一つになって、力を結集しなくては発展はあり得ないからである。
かつてソ連は共産主義社会というユートピアの実現を目指して、数次にわたる五カ年計画を立てて、全人民の力を結集した。その結果、農業国であったソ連は短期間のうちに工業化を達成し、間もなくアメリカに次ぐ第二の工業国になった。そして一九五○年代の後半には、人工衛星スプートニクの成功(一九五七年)に象徴されるように、社会主義体制が資本主義体制を圧倒するような勢いとなった。しかし、先に述べた経済発展の条件に反していたために、やがてソ連経済は行き詰まり、停滞の時代を迎えたのであるが、初期の驚異的な発展は、明確なビジョンと目標のもとで成し遂げられたのである。
アメリカの経済学者、レスター・サロー(Lester C.Thurow,1938-- )も、社会が統一され、成功を収めるためにはビジョンが必要であると、次のように言っている。
社会が成功を収めるには、長い生命をもつイデオロギーが必要であり、それに基づく力強い筋書きを中心に社会が統一されていなければならない。語るに足る筋書きがないのであれば、指導者は政策をもっておらず、自分のやることに自信をもっていないのだ。社会の統一をもたらすには、ユートピアのようなビジョンが根底にあり、それに基づく共通の目標があって、社会の全員が目標達成のために協力し合えるようになっていなければならない(12)。
サローは一例として、一九六○年代にアメリカでなされた月旅行計画を挙げているが、それは国民全体が誇りをもって達成したプロジェクトであったという。そしてアメリカの未来に向けて、ヨーロッパや日本を打ち負かす世界一の高速鉄道網の建設を提案している。
イギリスの経済学者、ポール・オルメロッド(Paul Ormerod)も、経済発展のためには明確な目標とビジョンが必要であると言い、その一例として、シンガポールの経済発展を挙げている。シンガポールは、国が戦略的な重要な位置にあり、水深の深い港をもつだけで資源は何もなく、水さえも輸入しなくてはならないが、これからは情報社会になると見通して、明確な目標をもって経済発展を成し遂げたと説明している(13)。
しかし今日、一国を中心として経済発展を目指す時代は終わりを告げようとしており、これからは国を超えた地域や世界の繁栄なくして国の繁栄はあり得ない。したがって今、必要とされているのは、全人類の福祉を目指す地球規模のビジョンであり目標である。統一運動は正にそのようなビジョンを提示している。その中で代表的なプロジェクトを挙げると次のようである。
①東京からロンドンまでを結ぶ国際ハイウェイ構想
②人類の食糧問題を解決するための、アメリカを基盤とした世界的な水産業の構想
③未来の理想社会建設のモデルとしての、南米を中心とした希望の農場構想
④先端技術を中心とした世界的な技術の平準化構想
すでにこのようなプロジェクトが民間のレベルで実施されているが、やがて国家的、世界的に受け入れられて、本格的に推進されるようになるとき、地球全体が、平和で繁栄した世界に向かって、等しく発展していくようになるであろう。
創造力と神の摂理
経済学の根本問題は、商品の価値の本質は何かということであった。すでに説明したように、商品の価値を生み出しているのは「創造力」であった。したがって創造力を発展させて、より価値ある商品をつくること、経営や流通を革新すること等が、経済を発展させることなのである。創造力は経済における生命力である。国民の中で、創造力が発揮されるとき経済は発展し、創造力が枯れるとき経済は衰退するのである。そして創造力を背後から導いているのが神の摂理なのである。
これまで述べたことをまとめると、次のようになる。すなわち、経済発展を導いている原動力は創造力であるが、創造力は神の摂理のもとで、経済発展のビジョンを中心として、国民の意欲、勤勉、団結、教育、そして労働力と資本の投入等によって展開されるのである。
ここで経済発展の歴史的な動向を見てみよう。経済の発展は、広い意味では文明の発展に含まれる。したがって経済の発展の歴史は文明の発展の歴史でもある。そこで近代以後の文明の発展の歴史をたどってみよう。
歴史家は、十五世紀から今日に至る世界史において、約百年ごとに覇権国家が交替し、文明が次第に西へと移っていったことに注目している。十五世紀には遠隔地貿易により、北イタリアの都市国家ベネチアが栄えた。十六世紀の大航海時代には、イベリア半島のポルトガルとスペインが覇権を握った。十七世紀には、海外のあらゆる国へ船を差し向けて貿易を独占したオランダが覇権を握った。そして十八世紀と十九世紀には、産業革命を中心としてイギリスが覇権を握り、パックス・ブリタニカを実現した。二十世紀には、電気、ガソリン、原子力に基づいた文明によってアメリカが覇権を握り、パックス・アメリカーナを確立した。そして欧米の文明はロシアと日本に波及したのち、二十世紀の終わりに至って衰退し始め、文明の中心は東アジアに移動しつつあるのである。
神のみ旨は一国の繁栄のみを願うのではなくて、一国を中心として繁栄した文明を世界に拡大していくことにあった。したがって、まずイタリアで繁栄した文明が、ポルトガルからスペインへと波及したのであった。これはカトリックを中心とした文明であった。ところが「太陽の没することのない帝国」を築いたスペインは、自国の利益を中心として植民地支配を行ったために、神のみ旨に反することとなった。それで摂理はプロテスタントの文明に移行し、オランダからイギリスへと移った。
十九世紀にイギリスは「世界の工場」として繁栄を誇り、「七つの海の支配者」として世界最大の植民地を有する大英帝国となった。しかしイギリスも自国の利益を中心として植民地を支配したために、神のみ旨から離れていった。そこで神の摂理はアメリカへ移動したのである。
第二次世界大戦における連合国の勝利により、アメリカは世界を指導する繁栄した国となった。しかしアメリカの繁栄はアメリカだけのものではなかった。アメリカの繁栄を世界に分け与え、再臨の摂理を迎えなくてはならなかった。しかし必ずしもそうはならなかった。そのためサタン側の再臨主型の思想である共産主義が、アメリカと対決しながら、ソ連を中心として世界的に膨脹するようになった。
そして今日に至り、天の側の再臨主の出現により、共産主義の崩壊とともに、東アジアを中心として、新しい文明が築かれようとしているのである。しかし、この文明は東アジアだけにとどまるものではない。北米、南米、ヨーロッパ、ロシア等の各地域に波及しながら、多極的に展開し、世界的に広がっていく。そしてやがては世界的な共生主義社会が実現するのである。
このように見るとき、経済の発展は神の摂理と密接に関係していることが分かる。したがって経済が発展するためには、神の摂理に一致しなくてはならないのである。そして今日、一国家の繁栄だけを求めるのではなく、地球規模の繁栄を目指していかなくてはならない。人類は間もなく、創造理想世界の実現の時を迎えようとしているからである。
創造の二段構造から見た経済発展の原理
創造の二段構造についてはすでに説明したが、ここでは経済発展の原理を創造の二段構造の立場から整理してみることにする(図3―7)。創造の二段構造は、内的四位基台と外的四位基台という二つの四位基台からなっている。まず内的四位基台の形成において、心情を基盤として目的が立てられる。心情は「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」であるが、ここでいう愛とは、自己中心的な愛ではなく、真の愛である。すなわち、家族、民族、国家、人類の「ために生きる」愛である。言い換えれば、自己中心的な愛や欲望(貪欲)が中心であってはならないということである。
次は目的であるが、それは理想世界を実現するためのビジョンであり目標である。その目的を中心として、国民が一つになり、世界が一つになって、経済を発展させていくのである。一企業においても、企業の目的(目標)を中心として、社員が一体となるとき、企業は発展していくのである。
次は内性(内的性相)の知情意が動員される。ここにおいて、理性が働き、情熱と意欲が注がれる。内形(内的形状)は知識であって、ここに自然科学や社会科学等の知識が要求される。内性(特に理性)と内形の授受作用によって構想または設計図が形成されるが、これは目的(ビジョン、目標)が具体化されたものである。企業経営の計画、製品の設計図などがそうである。
第二段階の外的四位基台の形成においては、構想(設計図)に従って工場で製品が生産される。ここにおいて原材料、機械と労働力(広い意味では技術力)が投入される。外的四位基台の形成においても、心情が動機であり、目的を中心として、知情意の作用のもとで、合理的に、情熱的に、意欲的に、生産がなされるのである。
四位基台は授受作用によって形成されるが、そのとき授受作用をなさしめる力が創造力である。第一段階の内的四位基台形成に作用する創造力が構想力であり、第二段階の外的四位基台形成に作用する創造力が技術力である。この二つの創造力が発揮されるためには教育が必要である。すなわち、構想力を発揮するためには知識教育が、技術力を発揮するためには技術教育がなされなくてはならない。さらにこの二つの四位基台が形成されるためには、環境条件としてインフラストラクチャーが整備されていなくてはならず、また動力(エネルギー)として、資本が投入されなくてはならない。様々な経済的な規制が除去されていることも必要な条件である。
それでは創造の二段構造の中心となっている心情(愛)と原動力となっている創造力はどこから来るのであろうか。心情(愛)は神から来るのであり、創造力も神からインスピレーションを通じて、人間に与えられるものである。神において、愛して喜びたいという心情が動機となって、人間と宇宙の創造がなされた。すなわち神の創造力は愛が基盤となっているのである。ところが人間の創造力は、ほとんどの場合において愛と関係なく、自己中心的な理性や欲望に基づいて発揮されてきた。その結果、今日の深刻な環境破壊を招いたのであり、人類の生存を脅かす殺戮兵器を開発してきたのである。
神の創造力が愛を動機としているように、人間の創造力も本来、愛によってはぐくまれ、高められるのである。したがって人間が自己中心的な創造力でなくて、愛の創造力を発揮するようになるとき、今までよりも、はるかに次元の高い創造活動がなされるであろう。そして神を中心として、真なる愛に基づいて、諸科学が発展するようになるとき、創造本然の文化である心情文化が花開き、人類の長い間の理想であったユートピアが実現するようになるのである。
計画経済と自由経済の調和した本然の経済体制
資本主義社会の自由経済は、利益を追求する利己心を経済活動の出発点とするものであり、すべての物資や資本は私有物として認められる。人と人は利益を追求しようとして、互いに競争するが、社会全体としては、アダム・スミスのいう神の「見えざる手」によって、調和ある発展を遂げると考えられている。経済運営は市場に任される。したがって自由経済は市場経済とも呼ばれるのである。
一方、計画経済では、物資や資本の私的所有は認められず、生産は国家の計画に従ってなされる。資源、労働力の配分、生産量、生産期限、価格、そして給料まで、政府によって定められるのである。このような社会主義の計画経済によって、生産力は飛躍的に増大し、労働者は疎外から解放されるものと期待された。ところが数多くの人命を犠牲にして実現された計画経済の社会主義国において、「計画経済の硬直化と非能率」と「市場経済の生命力と効率性」が確認されるという結果をもたらしたのであった。
自由経済においては、貧富の差や恐慌、インフレのような、自由放任市場の弊害が生じたが、それらを収拾するために、政府による政策が実施されるようになった。所得の不平等を少なくするための福祉政策、市場がうまく機能するための財政政策や金融政策などがそうである。そのような資本主義は、自由経済に社会主義的要素を加えたものであり、「修正資本主義」と呼ばれている。
「統一原理」によれば「完成した人間によって実現される理想社会は、完成した人間一人の構造と機能に似ている(14)」という。したがって理想社会の経済体制も健全な人体に似たものとなるのである。ここで社会主義の計画経済と資本主義の自由経済を人体の構造と機能と比べながら分析してみよう。
計画経済と自由経済はそれぞれ人体の中枢神経系と自律神経系の営みに相当すると見ることができる。中枢神経系は頭脳の命令に従って身体を動かすものであるが、社会全体を「一つの工場」のように動かす計画経済は中枢神経系の営みに相当するものである。一方、自律神経系は内臓に分布して、我々の意識とは無関係に働くものである。基本的に政府の干渉を受けない市場経済は自律神経系の営みに相当するものである。自律神経系では交感神経と副交感神経のバランスによって内臓の機能が調節され、人体の健康が維持されているが、市場では需要と供給のバランスで価格が調節され、経済が円滑に営まれているのである。
人体において、中枢神経系と自律神経系が調和的な関係を保っているように、理想社会における経済体制も、計画経済と自由経済が調和した姿になるのである。人体において内臓に異変が生じた時には、中枢神経(頭脳)が、適切な治療を指示するが、それと同様に、自律神経系に相当する市場経済にインフレ、不景気などの異変が生じた時には、政府が適切な政策を施して、市場経済をコントロールするのである(図3―8)。
このような立場から見るとき、社会主義計画経済の失敗は、経済における自律的な機能を抑えつけて、すべてを中枢において命令的に管理しようとしたところからくるのである。社会主義計画経済はいわば「自律神経失調症」のような状態にあったのである。
人体モデルから見た三つの経済政策
第一次世界大戦以後、今日までの間に、西欧先進資本主義国、特にアメリカにおいて行われた経済政策には、ケインズ主義、サプライサイド、マネタリズムという三つの立場の推移があった。
ケインズ主義
一九三〇年代、経済的には十分な生産力がありながら、需要が激減し、生産資源が遊休化し、人々がモノを買わないという大不況が訪れた。そこでジョン・メイナード・ケインズ(J.M.Keynes, 1883--1946)は国家が需要を積極的につくり出す政策を提案した。経済の運営は市場メカニズムに任せながらも、全体として総需要の管理によって、コントロールしようというものであった。そしてその具体的な実験となったのが、アメリカにおけるルーズベルト大統領(F.D.Roosevelt, 1882--1945)のニュー・ディール政策であった。その後、ケインズの影響力は、ケネディ=ジョンソン政権において最高潮に達し、ニクソン政権の時代まで続くことになった。
ケインズ主義は生命力の衰えを見せる資本主義経済に対してアドレナリン注射をするような効果をもった。不況に陥った経済は、政府による積極的な需要の拡大政策によって、一時的に生き返り、活気を取り戻した。しかしながら一九七〇年代を迎えてケインズ主義は没落することになった。不況の時代には有効であったが、インフレに対しては無力さを露呈することになった。また成長が鈍化した社会にいくら刺激を与えても、それ以上の成長は望めなかった。インフレと経済停滞が結びついた「スタグフレーション」(stagflation)が生じたのである。
マネタリズム
ケインズ主義に代わって登場したのがミルトン・フリードマン(M.Friedman, 1912-- )のマネタリズム(monetarism, 通貨主義)であった。マネタリズムは、貨幣量の増加率を一定の水準に維持しながら、国家の統制や介入を排除し、市場経済の自律的な調整能力に期待しようというものであり、徹底した自由主義市場経済の立場に立つものであった。
アメリカではスタグフレーションが深刻な問題として現れていたが、経済システムをあれこれいじりまわすのをやめて、経済のもつ自律的な生命力またはダイナミズムを発揮させるように導こうとしたのである。一九七〇年代の末期にマネタリズムは経済学界の主流となった。アメリカではカーター政権に続いてレーガン政権が、そしてイギリスではサッチャー首相(M. H. Thatcher, 1925-- )がマネタリズムに立脚して、経済の再建を図った。その結果、インフレは沈静化していった。だが間もなくマネタリズムの輝きも光を失っていった。貨幣供給量を抑制することによって、インフレは下がったが、深刻な景気後退が生じ、失業率は急上昇したのであった。結局、マネタリズムも経済を活性化させることはできなかった。
サプライサイド経済学(レーガノミックス)
次に登場したのがサプライサイド経済学(supply-side economics)である。これは供給を強化して安定成長を目指すという考え方である。政府資金による需要の創出は非効率的であるから、公共部門には歯止めをかけて、民間部門の活力を生かすべきだというのであり、自由な企業活動こそ経済成長の原動力であると主張した。そして「減税」と「予算・権利とも小さな政府」を経済政策の基本に据えた。企業活動にやる気を起こさせるために、最大の便宜を図ろうとするものであった。この政策はレーガン政権に取り入れられ、いわゆる「レーガノミックス」と呼ばれるようになった。一九八三年に至り、景気は劇的に改善し、失業率と物価は低めで安定した。「アメリカは立ち直った」といわれ、一九八四年にレーガンは再選された。しかし、アメリカ経済の生命力が根本的に回復したのではなかった。
第二期のレーガン政権において、財政と貿易の双方に赤字が生じた。いわゆる「双子の赤字」である。レーガノミックスの立場から減税政策が推し進められ、平和時としては前例のない財政赤字となった。一方、マネタリズムの立場から貨幣供給量を抑制した結果、金利が高騰して、海外から大量の資金が流入し、ドル高になった。そしてアメリカには物を売りやすいが、アメリカから物を買うのは高くつくようになり、その結果、巨大な貿易赤字が生じた。「双子の赤字」は見る見るうちに増大し、一九八五年にはアメリカは債務国に転落した。そして一九八八年には「世界最大の債務国」になった。レーガン政権を引き継いだブッシュ政権においても、その傾向は変わらず、今日、アメリカは巨大な赤字経済の中であえいでいるのである。
人体モデルによる考察
ケインズ主義、マネタリズム、サプライサイドという三つの経済政策を人体モデルの立場から考察してみよう。
まずケインズ主義であるが、これは政府が積極的に需要を拡大して、動きの鈍くなった経済を動かそうとするものであった。消費をよくすれば経済は健全に成長すると考えたのである。これは人体に例えると、肺を中心とした消費体制をフルに稼働させようとすることに相当する。よく運動すれば体は健康になるという考え方である。
マネタリズムは貨幣量の増加率を一定に保ちながら、市場経済の自律性にゆだねるように説いた。貨幣は人体においては血液に相当する。したがってマネタリズムの主張は、一定の割合で血液を補給しながら、一定のリズムで血液を循環させれば、人体は健全に成長するということに相当する。これは心臓を中心とした血液の循環体制を整えるということである。
サプライサイド経済学は、企業活動がやりやすいように最大の便宜を図ろうとするものである。そして企業活動が活発になれば、経済は活気を帯びると考えたのである。これは人体に例えれば、胃を中心とした生産体制を強化することに相当する。よく食べれば体は成長するという考え方である。
人体において、肺を中心とした消費体制、心臓を中心とした循環体制、胃を中心とした生産体制は、いずれも人体の健康と成長にとって重要なものであるが、そのうちどれか一つだけで十分なのではない。三つの体制が調和しているときに体は健全に成長するのである。『原理講論』に「生産と分配と消費は、人体における胃腸と心臓と肺臓のように、有機的な授受の関係をもたなければならない(15)」とあるとおりである(図3―9)。したがってケインズ主義、マネタリズム、サプライサイドの三つの経済政策は、それぞれが万能でなかったのも当然のことであった(16)。
人体の成長において、より本質的な原動力は生命力である。生命力が旺盛でなければ、いくら、生産、分配、消費の機能を刺激しても、人体は成長できない。経済において生命力に相当するものは創造力である。したがって国民の創造力を高めることによって経済は発展するのであって、創造力が衰えている社会において、これらの三つの経済政策のうち、いずれを講じたとしても経済の健全な成長は望めないのである。
創造力を高めるためには、明確なビジョンのもとで国民が意欲をもち、教育と技術の水準を高め、勤勉、努力し、資本を投入していくことが必要である。そして、それは愛と奉仕の精神に基づいてなされなくてはならない。さらに神の摂理と一致しなくてはならない。すなわち、神の摂理を中心とした経済発展の波動の中に入っていかなくてはならないのである。
三 共栄主義社会を目指して
第一次世界大戦と第二次世界大戦を通じて、民主主義を信奉する国家が全体主義を信奉する国家に対して勝利し、第二次大戦の直後、民主主義(自由民主主義)は輝かしい光に包まれた。しかし、やがて民主主義を代表するアメリカは個人主義と道徳的退廃の中にその輝きを失っていった。他方、もう一つの民主主義の旗を掲げて登場した共産主義は、民主主義の名のもとに、歴史上かつてない独裁国家をつくりあげたが、ついには崩壊していった。今後、民主主義はいかなる方向へ行くのであろうか。今日までの政治体制を歴史的に振り返りながら、今後の行くべき道を考えてみることにする。
従来の政体観
ギリシアの民主政治
古代ギリシアではポリス(都市国家)という共同体が形成されていたが、ポリスをいかに営むかということにおいて、デモクラティアすなわち民主政治が選ばれた。デモクラティアはデモス(民衆)の支配を意味していた。ポリスはノモス(法)の下に団結した自由人の共同体であり、自由人はポリスの公共善に献身するものとされた。人間の本質はポリスでの政治活動においてのみ実現されると考えられたのであり、アリストテレス(Aristotele-s, 384--322 B.C.)は人間を「ポリス的動物」または「政治人」と呼んだ。そしてポリスの在り方を問題とする学問が成立し、ポリティカ(politica, 政治学)と呼ばれた。
ポリスにおいて、すべての自由人が公共の広場に集まって政治的な決定を行った。これは後世、直接民主主義と呼ばれる形態であった。裁判も陪審によって行われた。しかし、このような民主政治は必ずしも理想的な政体とはいえなかった。真理に生きたソクラテス(So-krate-s, 470--399 B.C.)は、陪審によって、世間を惑わす者として有罪を宣告されて毒杯を仰ぐことになった。プラトン(Plato-n, 427--347 B.C.)はそのような民主政体に激しく敵意を抱き、アリストテレスは民主政体を「貧民の支配」であると否定的に語っている。民主政治は衆愚政治に陥る可能性をはらんでいたのである。
そこでプラトンは最高善を目指す哲学者が王とならなくてはならないと考え、哲人支配の王国を理想とした。それは神に近い人物による政治共同体の創設という理念であった。この考えは、のちに現れた近代民主主義の「契約」という理念とともに、政治思想の中の根本的な理念となった。
ローマ帝政
ギリシアのポリス崩壊後、ローマが興り、初期の王政から共和政、さらに帝政へと転換しながら、地中海世界の覇権を握った。この時代をヘレニズム時代と呼ぶが、ポリスから解放された人々は、自らを単独で自立している個人として、そして世界をコスモポリス(世界国家)として、とらえるようになった。ここに人々には、特定のポリスの市民であることよりも世界市民であるという意識が生じた。
ストア派は宇宙の理法(ロゴス)を自然法と呼び、それが世界国家を支配していると考えた。すなわち自然の法則が人間の理性的本性に結びつけられて、人間と社会を導く規範として働くという考えである。この自然法がローマ法の基本的な概念となった。ローマ法の成果は近代ヨーロッパ諸国に受け継がれることになった。しかし、そのようなローマ法の下で、ローマ帝国はやがて専制支配に陥り、分裂し滅亡していった。
キリスト教の政治思想
アウグスティヌス(A.Augustinus, 354--430)によって代表される教父哲学によれば、神が人間を創られた時、人間は自由であり、平等であったが、人間が罪を犯して堕落した結果、世俗的な政治権力、私有財産、奴隷制などが生まれたのであった。そこで人間社会には、罪を犯す以前の絶対的正義の世界(神の国)と相対的正義の世界(この世の国)が対峙するようになったという。
中世キリスト教社会において、キリストは真の聖職者にして王であるが、彼のその二つの権威はその後、教会と皇帝に分け与えられた、と考えられた。教会は精神的事柄を管理し、皇帝は世俗的事柄を担当するのである。ここにおいて精神的権威である法王が世俗的権力を担当する皇帝より優位にあるとされた。ところが、次第に世俗的権力の方が強大になり、精神的権威から離れていった。
マキァヴェリ
マキァヴェリ(N.Machiavelli, 1469--1527)は人間の本質を際限のない野心と貪欲であると見た。したがって自然状態において、共同体は存在し得ず、無秩序な無政府状態である。そこで、そのような無政府状態を収拾するために、強制力としての「権力」が生まれたと考えた。そして「国家」(ステート)は権力ないし権力者を中心に組織される支配の装置であるとした。「君主」については「愛されるより恐れられよ」、「信義を捨て、奸策を弄することもあえてなせ」と言った。そして「政治学」とは、権力を獲得し、維持し、拡大していく統治術であると言った。
ホッブス
近代政治思想を展開した代表的人物はホッブス、ロック、ルソーであるが、マキァヴェリと同じような見解をもっていたのがホッブス(T.Hobbes, 1588--1679)である。彼は、人間の自然状態は戦争状態であるとして、それを「万人の万人に対する闘い」、「人は人にとって狼である」と表現した。そこで自由で平等な自然権をもつ各人が、このような戦争状態を脱するために、「自然法」に従って契約を結び、社会を形成するのである。その際、自然法が守られるために、人々は自分が本来もっていたすべての権利を一人の人間または一つの合議体である「主権者」にゆだねるのである。したがって全人民は主権者に絶対的に服従しなくてはならない。ここに「リヴァイアサン」と呼ばれる国家が成立するのである。
ロック
ロック(J.Locke, 1632--1704)は近代政治原理の生みの親とされている。ロックによれば、自然状態では、神によって人間に示された自然法の範囲内において、各人は自由で平等であり、そこにはいかなる支配服従関係も存在しない。人々が自然法に従う限り、平和に生活することができるのである。ホッブスの自然状態が戦争状態であるのに対して、ロックの場合は平和状態であった。
ところが自然状態において、いずれかの個人が悪意をもって暴力的に他人に向かう可能性があり、そうすると戦争状態になり、生命と自由と財産の三つの自然権が脅かされる。そこで自由で平等な人々が契約によって、一つの人為的な構成体として、国家を形成するのである。そこにおいて、国王の政府はあくまで「人民から委任された権力」を行使するにすぎなかった。さらに立法権と行政権(司法権を含む)を分立させて、立法権は議会に、行政権は政府(国王)に属すものとした。立法権が最高の権力であり、行政権はそれに従属するものとされ、ここに議会制民主主義の根本的原理が提示されたのである。
ルソーとフランス革命
ルソー(J.-J.Rousseau, 1712--78)において、社会契約説は人民主権論と結びつけられて、十八世紀から十九世紀にかけて、文字どおり革命的な役割を果たした。ルソーによれば、自然状態における人間は、悪徳を知らない無垢の人であり、自然的感情として自愛心と憐れみの情をもっていた。他人と自分とを同じように考える平和な未開状態が自然状態であった。ところが文明社会において、人間は自分を他人と比較し、人間の貪欲、悪徳が展開するようになる。文明状態は正に戦争状態である。そのような中で、富者が自らの財産の安全を貧者から守るために考えたのが政府の樹立である。すなわち、ひとにぎりの富者が多くの貧者を恣意的に支配するために政府が樹立されたのである。
では、そのような堕落した状態から脱するにはどうしたらよいのだろうか。ルソーは新しい政治社会の樹立によって事態を改善する方案を示した。それがルソーの社会契約論であった。それは「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体に対して全面的に譲渡すること」であり、「各人は身体とすべての力を共同のものとして一般意志(volonte generale)の最高の指導のもとにおく」ことであった。
「一般意志」とは、共同体として結合した人民の意志であり、個人の「特殊意志」やその総和である「全体意志」が「私の利益」を求めるのに対して、「共通の利益」を求める意志である。国家生活の中で、一般意志への服従を通じて、人間は本能や欲望によって支配される状態から理性と正義の支配を受けるようになり、動物的存在から道徳的存在になり、人間らしい自由を獲得するのである。
一般意志は人民の意志であるから、一般意志のもとに契約をするというとき、各個人は「いわば自分自身と契約している」のであり、支配する者と支配される者が同じ人間の二つの顔ということになる。主権に参加する者としては「公民」、国家の法律に服従するものとしては「臣民」というのである。
ここに次のような問題が生じる。ルソーは一般意志は絶対に誤りがないと主張するが、私的利益を追求する個々の人民が、果たして現実にそのような一般意志を担い得るであろうかということである。そこでルソーは、立法者に対しては、特殊意志に支配された人間を一般意志の担い手に変革する、超人的な、しかし何ら政治的権限をもたない人物でなくてはならないという。そして主権者である人民は立法者によって樹立された制度に従って統治するものであるとした。
それではルソーの一般意志論は実際はどういう結果をもたらしたのであろうか。フランス革命後、ジャコバン派独裁の中心人物として恐怖政治を行ったロベスピエール(M.F.Robespierre, 1758--94)は自らを一般意志の担い手であるとみなして、反対者を断頭台に送りながら独裁政治を行った。ルソーの思想はロベスピエールのような独裁者を生み出したのである。
アメリカン・デモクラシー
十八世紀の後半には二つの民主主義革命が展開された。一つはフランス革命によって導かれた民主主義であり、もう一つはイギリスの清教徒革命とアメリカの独立によって導かれた民主主義であった。
清教徒たちは国王の専制主義と国教の強化による圧迫に対して、信仰の自由を要求して立ち上がった。信仰の自由の要求は、やがて人民主権の要求に結びつき、民主主義運動へと展開していった。アメリカの民主主義も、信仰の自由を求めてメイフラワー号で新大陸に渡った清教徒たちが、「メイフラワー契約」を結んで植民地建設を始めたところから始まった。植民地は平等な人間の組織であり、神に仕える共同体をつくることを目的とした。やがて植民地は英国から独立し、アメリカ合衆国がつくられた。その「独立宣言」には、神の下での自由と平等の精神と、ロックから継承した自然権と社会契約の思想が貫かれていた。すなわち、自明の真理として、人間は平等であること、神から与えられた天賦の権利としての生命、自由、幸福の追求のために、人民の同意により政府が組織された、と宣言したのである。
ジャクソン大統領(A.Jackson, 1767--1845)によって民主主義が体制化され、リンカーン大統領(A.Lincoln,1809--65 )によって奴隷解放が実現されて民主政治の原則が貫かれた。ここに平等主義的な新しい文明が築かれたのである。ところが、次第に信仰の自由と神へ仕える共同体の建設という建国の精神が失われ、個人主義的自由主義の色彩が強められていった。そしてアメリカン・デモクラシーの特色は機会の均等ということになり、機会の均等をスタート・ラインとする自由競争が展開されるようになった。
共産主義
フランス革命によって打ち立てられた民主主義を、さらに唯物論の立場から徹底化したのがマルクスの共産主義思想であり、それはロシアにおいてレーニン主義として体系化されることになった。マルクスによれば、フランス革命が目指した民主主義は単に法的な平等にすぎなかった。しかし普通選挙権を意味するような政治的な平等によって民主主義は実現されるのではない。人間を抑圧している経済的な体制を変革することにより、人間を経済的に解放しなくてはならない。そうすることによって階級もなくなり、真の自由と平等が実現されるのである。
マルクス主義を信奉するレーニンは世界革命のための新しい権力機構を構想した。階級意識というものは自然発生的に生まれるものではない。したがって大衆を導く少数の職業革命家の規律ある前衛組織(前衛党)の独裁的な指導なしに革命はできないというのである。この前衛組織の考え方は、基本的にはジャコバン派独裁のモデルを継承したものであった。ところが前衛組織が独裁的に大衆を導くということは、個人の独裁に進む必然性をもっていた。レーニンはそのことを隠そうとしなかった。そして実際、ジャコバン派の独裁がロベスピエールの独裁へと展開したように、レーニンの指導したボリシェヴィキ革命はスターリンという人類歴史上、最大の独裁者を生むことになったのである。
一九三六年に制定されたスターリン憲法では、人権の保障の規定を含む民主主義が誇らしげに宣言されていた。しかし実際に政治参加の実質を決定するのは、全く憲法に規定のない共産党であった。前衛党である共産党は民衆から独立し、一切民衆のコントロールを受けないものとされていた。しかも党内では最高指導者に対してだれも統制できない体制となっていたのである。その最高指導者とは、神と宗教に最大の敵意を抱く独裁者であった。
では、マルクス主義の国家観はどういうものであろうか。マルクスによれば「国家は一つの階級による他の階級の抑圧の機関」とされた。したがって共産主義革命が遂行されて、一切の階級差別が消滅するとき、国家は死滅するというのである。しかし共産主義社会において国家は死滅せず、ますます強大化していき、消滅する徴候は全く見えなかった。一九九一年十二月二十五日、ソ連という強大な共産国家が消滅したが、それは共産主義革命が完成したからではなく、失敗に終わったからであった。
ルソーにおいて、人民を代表して主権に参加する者が、果たして一般意志の担い手になり得るのかという問題があった。それと同様に、労働者の前衛であるという共産党が、ひいてはその最高指導者が、果たして正義の担い手になり得るのかという問題があった。歴史はそれを明確に否定したのであった。
統一思想の政体観
「統一原理」によれば、理想社会は完成した人間一人の構造と機能に似ている。したがって人体のすべての器官が頭脳の命令によって作動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によって営まれなければならない。ここにおいて、頭脳に相当するのが神であり、脊髄に相当するのがキリストであり、脊髄を中心とする末梢神経は政党に相当するのである。
三権分立の思想は、国家の権力が個人や特定の機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想家のモンテスキュー(Montesquieu, 1689--1755)によって提唱されたものであり、その後、民主主義体制に取り入れられることになった。これは理想社会の構造に似たものとして理解される。人体において肺、心臓、胃の三臓器が円滑に機能して人体の営みを支えているように、理想社会においても立法、司法、行政の三機関が社会の営みを支えるのである。
西洋の歴史発展を見れば、立法、司法、行政と政党の機能を国王一人が担当してきた時代があった。それが変遷して、国王が三権を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担当する時代に変わった。そしてフランス革命により、立法、司法、行政の三権に分立され、前衛組織としての政党が、明白な政治的使命をもつものとして現れてきた。
民主主義革命の進展とともに、国王の政治関与は次第に弱くなっていった。そしてイギリスでは「君臨すれども統治せず」というように、国政から手を引くに至った。そのようにして民主主義的立憲政治体制が樹立されることになった。
理想社会は一人の人間の姿に似ているのであるから、そこには頭脳があり、また脊髄を中心とした神経組織がなくてはならない。頭脳や神経組織のない人体があり得ないように、社会にもやはりそれに相当するものがなくては、社会自体が成立し得ないのである。ここで社会における頭脳や神経組織がいかなるものであるかということが問われなくてはならない。理想社会において、頭脳に該当するのは神であるが、堕落した今日までの社会においては、人々が絶対的であると見なすものが頭脳の位置に立ったり、自らを神のように絶対的であると主張する者がその位置を占めるということもあった。
ギリシアの民主政治において、すべての自由人が公共の広場に集まって政治的な決定をなしたが、そこにも中枢や末梢神経に相当する指揮官や公務に携わる者たちがいた。公職者は輪番制または抽選によって選ばれた。しかし、ソクラテスを有罪にしたように、ポリスの民主政治は腐敗して、衆愚政治に陥ったのであった。
ローマ帝国において、ストア派がいうように、宇宙の理法が自然法として世界国家を支配していると考えられた。しかしそのような自然法のもとでも、中枢や末梢神経の立場にある皇帝や貴族は腐敗し、ローマは専制的な帝国となってしまった。
中世のキリスト教社会において、世俗的権力を握る皇帝は精神的権威である法王に従わなくてはならないとされた。しかし皇帝は精神的権威から離れて専制的な権力を振るうようになった。また時には、法王も世俗化してその精神的権威を失墜していった。
マキァヴェリの「君主」は正に専制君主を正当化するものであった。ホッブスの「主権者」も専制的な権力であった。ルソーのいう「一般意志」は、共同体として結合した人民の意志であり、人民の共通の利益を求める意志であるとされたが、一般意志の担い手である中枢として登場したのは狂信的な独裁者であった。
アメリカの民主主義は、信仰の自由と社会契約論と自然権の思想に基づいて立てられたが、次第に個人主義的傾向が強くなり、社会の混乱が著しくなった。
共産主義は階級のない自由の王国をつくろうとしたが、プロレタリアの前衛であるという共産党は、プロレタリアに対する無慈悲な支配者となり、さらに共産党の中から史上例を見ない独裁者たちが現れたのであった。
このように歴史を振り返ってみるとき、不幸にも、人民を抑圧する独裁社会か、混乱した社会か、そのいずれかでしかなかったことが分かる。そして今、人民のための真なる主権の出現が切に望まれるのである。それでは真なる主権を担い得る指導者や政党とはいかなるものであろうか。ただ人民の代表であると自称するだけでは、そのような資格がないのは明らかである。何よりも必要なのは人民に対する愛である。そしてそれは、すべての人民を子女のように愛する父母の愛である。国家は一つの大きな家庭であり、そこにおいて主権者は父母、国民は子女の立場に立つのである。
ところでそのような愛は神から来るものである。キリスト教では「神は愛である」といい、儒教では「天は仁なり」という。仏教では「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是なり」という。そしてイスラム教では「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラー」という。国家の指導者になり得る人たちは、何よりもそのような神の愛の心情に通じ、神のみ旨を知らなくてはならないのである。
「統一原理」では、神が頭脳に相当し、神の心情を最も体恤した人類の真の父母が神のみ旨を伝える役割を果たし、そしてそのみ旨を受けて、立法府、司法府、行政府が機能すると見る。今日の民主主義は三権が分立されているが、神経系統が切れて頭脳からくる命令に感応できなくなった三臓器のように、三権は相互間の調和と秩序を失っている。そこで政党が真の父母を通じて神のみ旨を知ることにより、三権は協力して理想社会を実現するように機能するようになるのである。
また従来の政治思想において、憲法は自然法に基づいて定められるものとされたが、宇宙の法則(自然法則)と社会の規範がいかに対応しているか、明確にされていなかった。それに対して「統一思想」では、哲学的な根拠を与えている。すなわち、宇宙の法則と人間社会の規範がどのように対応し、また、なぜ対応しているのかを明らかにしているのである。それによって、憲法は揺るぎなきものになるのである。
プラトンは善のイデアを体現した哲人王が現れることを待望したが、そのような哲人が現れることはなかった。ルソーは超人的な人物が立法者になることを期待したが、そのような人物は現れなかった。キリスト教ではキリストこそが真の聖職者にして王であるとしたが、いまだ地上に、そのような理想は実現していない。イエスの時に成し遂げられなかったその理想は再臨主にゆだねられたのである。
再臨主は人類の真の父母として神の愛と真理を三権に伝える役割を果たす。そして人類はみな真の父母のもとで兄弟姉妹の関係になるのである。今日までの民主主義は父母のいない、相争う兄弟主義であった。それに対して未来社会では、父母を中心とした兄弟主義、すなわち家族主義となるのである。さらに未来社会では議会政治が行われる。その際、代議員の選出は、初めは選挙によって行われるが、最終的には、選ばれた複数の候補者の中から抽選によって選ばれる。そうすることによって選挙の腐敗が追放され、また天意にかなう人物が選ばれるようになるのである。結論として、未来の政治体制は兄弟主義的民主主義または家族主義的民主主義であるといえよう。ここで兄弟主義とは、一民族や一国家の人々だけが兄弟となるというのではなくて、全人類が兄弟になるという意味での兄弟主義である。
近代の民主主義は自由、平等、博愛の旗を高く掲げた。しかし今日、民主主義社会において、自由とは持てる者の自由にすぎず、不平等は拡大し、愛のない社会となってしまった。民主主義の掲げた自由、平等、博愛の理想は、それだけでは実現し得ないスローガンでしかなかった。それでは民主主義はどのような意義をもっていたのであろうか。
民主主義の果たす本質的な役割は信仰の自由を保証することにあった。そして民主主義体制のもとで、メシヤ(再臨主)を迎えることにより、神の創造理想世界が実現されるのである。その時、民主主義の掲げた自由、平等、博愛の理想が真に実現されるようになる。神の愛が家庭と社会において実現されるとき、人々は真に自由になり、真の平等が実現され、博愛の理想が実現されるからである。このように見るとき、今日の民主主義は、民主主義という制度だけを求めるのではなくて、神の摂理に従って、理想世界を実現するという使命に目覚めなくてはならない。その目指す理想社会は、民主主義の理想が真に実現した共栄主義社会なのである。
四 共義主義社会を目指して
――真の愛による絶対的価値観の確立――
冷戦時代の終わりとともに、世界は大混乱時代を迎えた。民族主義の台頭とともに民族紛争は激化し、諸文化は調和よりは対立に向かっているかのように見える。それでは、これからの世界は分裂と闘争へと後退していくのであろうか。あるいは、このような混乱期の試練を越えて、平和な統一世界を迎えるのであろうか。
今日の文化や民族の対立の背景には民主主義と共産主義という二大価値観の崩壊のもとでの価値観の相対化現象、あるいは排他的な疑似絶対的価値観の相互激突があるのである。したがって統一世界が実現するか否かという問題は、真の絶対的価値観が可能か否かという問題になるのである。
絶対的真理を掲げた共産主義の崩壊
マルクスによれば、支配階級に奉仕してきたそれまでの哲学はすべて相対的真理であったが、唯物弁証法に基づいた科学的社会主義は全人類的な絶対的真理であるとされた。しかし社会的科学主義によって、革命を実践した社会主義国において、その理想は達成されなかった。人間が抑圧から解放される自由な社会、富のあふれる社会、階級のない社会を目指したにもかかわらず、かえって人間性はいっそう抑圧されて、自由を奪われた社会、経済的に破綻した社会、新しい階級(共産主義官僚)によって人民が暴力的に支配される独裁社会となった。
その苛酷な独裁社会の中で、共産主義に対する人民の憎悪と反抗心が高まっていった。そしてついに共産主義の崩壊という事態を迎えたのであった。それとともに、絶対的真理であり、絶対的価値であるとみなされた科学的社会主義の虚構性があらわになった。そして今、絶対的真理であるはずの共産主義を放棄した東欧や旧ソ連において、それまで批判の対象であった資本主義をそのまま受け入れることはできず、思想の空白状態が残ったのである。
相対主義に陥った自由民主主義
一六二〇年、メイフラワー号で北米プリマスに上陸した清教徒たちは、公平で平等な法律を制定し、それに服従することを神の前に誓った。メイフラワー契約であった。その精神は一七七六年の独立宣言に受け継がれた。その冒頭には次のように書かれていた。「すべての人間は平等につくられている。すべて人間は創造主によって、一定のだれにも譲ることのできない権利を与えられている。これらの権利の中には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれる」。
この宣言を貫く論理は、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)として、普遍的、絶対的真理であるとみなされた。そしてこれに基づいた生き方、考え方は絶対的価値観であるとされた。アメリカはこのような絶対的価値観に基づいて建国され、二百年間で世界最強の国となった。そして今日まで、全世界の自由と平等を求める人々にとって、アメリカは正に希望の国であった。
しかし一九九〇年代を迎えても、アメリカの建国の理想はいまだ達成されていない。経済的な不平等を力ずくで廃止しようとした共産主義は、経済そのものを破壊してしまったが、自由の旗を掲げて、あらゆる権利の平等を追求したアメリカも、大きな壁にぶつかっている。様々なプライバシーの主張、ウーマンリブによる徹底した男女同権の追求、そして同性愛者の権利まで、あらゆる権利が主張された結果、家庭は崩壊し、麻薬とエイズの氾濫する社会となってしまったのである。
そしてすべての宗教ばかりでなく、無神論までも同等に扱おうとしたため、アメリカの公立学校から、神が追放されて、進化論が科学的真理として教えられるようになった。その結果、伝統的なキリスト教的価値観は蝕まれていった。このような事実から見るとき、自由と平等を掲げた自由民主主義はそれ自体では絶対的真理となり得なかったことを示している。
アメリカの独立宣言はロックの理念に大きく影響されていた。すなわち生命の安全と自己保存のために、各人の同意のもとで社会契約に基づいて政府は立てられるという考えである。これは自由民主主義は個人主義の上に立つ方便的な政治体制でしかないことを示すものである。一方、独立宣言には、人間の権利は「創造主によって与えられた誰にも譲ることのできない権利」と明記されている。そこでは人間の権利は神から与えられたものであるとされた。したがってアメリカの民主主義は、神を中心として、はじめて絶対的な基盤をもつことができたのである。
ところがアメリカは個人主義、物質主義に陥り、次第に神への信仰を失っていった。そして個人主義に基づいて、あくなき権利の平等を追求したアメリカの自由民主主義は、家庭の崩壊をきたし、健全な社会と国家の威信を失うことになったのである。自由民主主義はそれ自体では絶対的価値とはなりえず、人間と社会の理想の実現のための手段にすぎないのに、自由民主主義そのものを絶対視したところに問題があったのである。
絶対的価値観の確立
経済的平等の旗を掲げた共産主義は闘争と貧困をもたらし、自由の旗を掲げた自由民主主義は利己主義と道徳的退廃に陥った。共産主義も自由民主主義も、絶対的真理とはなりえず、絶対的価値を実現することはできなかった。そしてこのような絶対的価値観の崩壊の中で今、民族主義の台頭による民族紛争の激化と、倫理観の喪失による家庭崩壊が深刻化したのである。それでは、真に人類全体の平和と幸福を実現し得る絶対的価値は存在し得るのであろうか?
文先生は、アトランタで開かれた「第十六回科学の統一に関する国際会議」において、次のように語られている。「私は、有神論、人本主義、唯物論による各主張が今日まで、互いに非妥協的闘争の中にのみあったとは思いません。むしろ、それらは一つの原理つまり絶対的価値の、部分的かつ未熟な表現であったと考えます。現代世界における人間の諸問題を根本的に解決するために、私たちは既存のいかなる主義や主張をも超越した、全体に対処できる絶対的価値、一つの原理を見いだすべきです (17)」。そしてそのような原理として、頭翼思想(または神主義)すなわち統一思想を提唱されたのであった。
絶対的価値とは、時代を超え、民族を超え、国家を超えて、すべての人々に普遍的に受け入れられるものでなくてはならない。それは何であろうか? 知識でもなく、権力でもなく、財力でもない。無規律的な自由でもなく、形式的な平等でもない。それは愛でしかない。その愛は利己的な愛――個人を中心とした愛、一家庭だけの愛、一民族だけの愛、一国家だけの愛――ではない。個人、家庭、氏族、民族、国家を超えた超民族、全人類的な愛である。また一時的、衝動的な愛ではなく、永遠な愛である。そのような愛を真の愛、または絶対的な愛という。それは神の愛を基盤とした愛であり、他のために生きることを喜びとする愛である。
共産主義に欠けていたのは、真の愛であった。共産党は人民を愛し、人民の利益を代表すると称していたが、それは看板にすぎなかった。実際は、共産党による、人民に対する暴力的な支配が行われたのである。一方、自由民主主義は個人主義に流れて、家庭において親子、夫婦の愛のきずなが失われ、社会において、人と人のきずなが失われてしまった。そこには自己中心的な愛があるだけで真の愛が欠けていたのである。
それでは真の愛はいかなるものであろうか? それはイエス・キリストの説かれた愛であり、釈尊の慈悲であり、マホメットの慈愛、孔子の仁である。それらはそれぞれの立場から真の愛を表現したものであった。しかしながら、これら従来の真の愛の教えは漠然としており、論理的、科学的思考方式をもった現代の人々には理解し難いものとなっている。したがって今、その愛を明確に説くことが必要なのである。
そのためには、まず神の実在と神の属性を明確に理解しなくてはならない。また自己中心的な堕落した愛の起源を知り、それを克服していかなくてはならない。そして従来の漠然とした真の愛の内容を、明確なものにしなければならない。そのような明確な真の愛の教えが、文先生の提唱されている統一思想である。
個人において心と体が真の愛を中心として統一されるとき、個人の平和が実現され、家庭において夫婦が真の愛で愛し合うとき、家庭の平和が実現される。国民と国民が真の愛で結ばれるとき、国家の平和が実現され、国と国が真の愛によって結ばれるとき、世界の平和が実現されるのである。
統一思想から見れば、真善美の価値はそれ自体で絶対的なものではない。真の愛に基づいたとき、真善美は初めて絶対的な価値となるのである。同様に、共産主義の掲げた平等の原理も、自由主義の掲げた自由の原理も、それ自体で完全な原理とはなり得ない。自由も平等も、真の愛のためにあるのである。すなわち自由も平等も、真の愛を実現するという目的に向かうときに、初めて絶対性をもつことができるのである。
このような立場から見るとき、統一思想の提示する絶対的価値は、共産主義の掲げた価値観も自由民主主義の掲げた価値観も、共に包容し得ることが分かる。真の愛において、真の平等が実現され、真の自由が実現されるからである。そればかりでなく、統一思想は相対化してしまったあらゆる伝統的な価値観を包容し、それらを絶対的なものとして 蘇 らせることができるのである。
このような真の愛に基づいた絶対的価値が実現されるとき、国境紛争、民族紛争、人種の対立、環境問題等、すべての問題は解決され、文化は調和と統一を成し遂げ、人類はみな神を中心とした兄弟姉妹となり、一家族世界が実現されるようになるのである。この世界を倫理・道徳の面から見るとき、共義主義社会というのであり、その理想の実現の日は間近に迫っているのである。