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毎日新聞 2023/3/30 東京朝刊 有料記事 3089文字
29日に公表された「富士山火山避難基本計画」は「逃げ遅れゼロ」を目指し、噴火する前から早めの避難を呼びかける内容だ。住民と要支援者、観光客はそれぞれ、いつ、どこから、どのように避難すればよいのか。いざというときに、計画通りに避難できるのか。
対象エリア6分類
「避難計画を実現するため、住民との対話などに時間をかけ、官民が一体となって『逃げ遅れゼロ』の達成を目指したい」。富士山火山防災対策協議会の副会長を務める長崎幸太郎山梨県知事はこの日の会合を終え、記者団にこう述べた。
富士山の噴火により想定される現象は多岐にわたり、影響が及ぶ範囲も広い。新たな避難計画は、2021年に17年ぶりに改定されたハザードマップに基づき「避難対象エリア」を6分類した。それぞれについて要支援者やそれ以外の住民、観光客がいつ、どのように避難するかを示した。
避難対象エリアは、現在の火口から近い順に(1)火口が生じる可能性がある(2)火砕流や大きな噴石が到達する(3)溶岩流が3時間以内に到達する――など。溶岩流は人が歩く程度の速度で拡大するとされ、到達までの時間が(4)3時間を超えて24時間以内(5)24時間を超えて7日間以内(6)7日間を超えて57日間以内――のエリアもある。
避難の対象者は▽高齢者や障害者ら、避難に時間のかかる要支援者▽それ以外の住民▽観光客など――と3分類した。11年3月の東日本大震災で避難者の移動速度を分析したデータなどから、対象者が一斉に車で避難すると渋滞で逃げ遅れる可能性があると判断した。要支援者はどのエリアでも車で避難できる。
避難を始める時期は、富士山を常時監視している気象庁が発表する「噴火警戒レベル」(5段階)や「火山情報」に基づく。
最も早い段階で避難の対象となるのは、観光客のうち、火口に近い(1)に居合わせた登山客だ。気象庁が噴火警戒レベルを引き上げる可能性があると判断し、そうした臨時の情報を発表した場合、市町村は山小屋組合などを通じて5合目から上にいる登山客に下山を呼びかける。
観光客は(1)~(4)にいれば、火山活動が高まって警戒が必要な状態とされる「レベル3(入山規制)」が出るまでに帰宅し始めることが求められる。観光客が帰宅困難者となる事態を未然に防ぎ、観光関連事業者の従業員も避難が遅れないようにするためだ。
要支援者を除く住民は、レベル3が出た場合に(1)から、地震活動が活発化するなど噴火の可能性が高まったとみられる状態の「レベル4(高齢者等避難)」では(2)から、それぞれ避難を求められる。噴火した場合は(3)~(6)から、原則徒歩で避難することとなる。渋滞が発生しない地域であれば、車も使える。
要支援者はレベル3で(1)に、レベル4で(2)(3)にいる場合に、それぞれ車での避難が推奨される。地震が多発するなど噴火の発生が切迫した「レベル5(避難)」となり、噴火に至っていない場合は(4)からの避難を準備する。
住民が車を使う避難は、要支援者が避難を始める前(レベル3まで)であれば認められる。【安藤いく子】
「原則徒歩」住民困惑
関係市町村は今後、それぞれの避難計画を策定し、具体的な避難方法などを詰めていく。大きな課題の一つは、要支援者を除く住民が「原則徒歩避難」を徹底できるかどうかだ。実際に富士山が噴火すると(3)~(6)にいる人たちは、原則として徒歩で避難する。車の使用は、渋滞が発生しない地域や噴火前に自主的に避難する場合などに容認する。
この地域は都市部のような公共交通網が備わっているわけではない。1世帯に複数の車があることも珍しくなく、通勤や通学、買い物と、外出には大抵、車が登場する。「車を置いて逃げるなんて考えられない」(山梨県富士河口湖町の70歳主婦)との声は大げさではない。住民の間には避難後の心配もつきまとう。避難対象エリア外にある職場や学校が普段通り運営される場合、自宅に残した車を使えなくなるからだ。
町域の5割が(3)に該当している同町の渡辺喜久男町長は「若者にはなるべく徒歩を勧める対策も考えられる」と話す一方で「自宅で家族と暮らす高齢者も多い。多くの世帯が、まずは車で逃げようとするだろう」と困惑する。同県山中湖村の高村正一郎村長も「車は生活の足。みんな車で逃げることになるのでは」と懸念する。
ある自治体の担当者は「(29日に発表された避難計画と)市町村が策定する計画は、ずれが生じるかもしれない」と打ち明ける。複数車両を所持する世帯が1台の車で避難することを検討する自治体もある。
学校などにおける対応を不安視する声もある。避難対象エリア内にある保育園や幼稚園、小中学校などは、噴火警戒レベルが3に引き上げられた時点で休校・休園となる。学校などに子供がいれば保護者に引き渡す必要が生じる。
ただ、レベル3の段階では、まだ噴火が始まったわけではない。大地震が発生して津波が迫る状況での引き渡しとは状況が異なる。とりわけ静岡県内の学校では、南海トラフ巨大地震による津波の危険性が高いとして、保護者に子供を引き渡す訓練を定期的に実施している。同県富士市の担当者は「『何も発生していないのに、なぜ迎えに行く必要があるのか』と保護者に思われるかもしれない」と懸念する。【山本悟、島袋太輔】
発生場所 特定困難
富士山は日本を代表する活火山だが、直近の噴火は江戸時代の宝永噴火(1707年)だ。ただ、地質調査などで詳細な活動履歴が把握できる過去5600年間を見ると、噴火の頻度は平均30年に1度となり決して少なくない。現在までの300年の平穏な姿は富士山の見せる一面に過ぎない。
過去5600年間に確認されている噴火は約180回で小中規模のものが多い。だが、宝永噴火では2週間にわたり爆発的な噴火が続き、100キロ離れた江戸にも多量の火山灰が降り積もった。また、平安時代の貞観(じょうがん)噴火(864~866年)では、溶岩流がふもとの森を焼き尽くして青木ケ原樹海や富士五湖が形成された。
この噴火様式のバリエーションの多さから「噴火のデパート」ともいわれる。頂上からの噴火は2300年間発生していないが、山腹からの「割れ目噴火」は多数起きていることから、噴火する場所を事前に特定するのは難しいとされる。
近年の動きとしては2000~01年、地下のマグマの活動が関与したとみられる低周波の群発地震があった。11年には東日本大震災の4日後に、富士山のほぼ直下で火山活動に結びつく可能性のあるマグニチュード(M)6・4の地震が発生した。また、宝永噴火の49日前に遠州灘と紀伊半島沖が震源の南海トラフ地震「宝永地震」(M8・6)が起きた例があり、今後も海溝型地震と噴火が連動する可能性が指摘されている。
現在の火山活動について、山梨県富士山科学研究所の石峯康浩主幹研究員(火山物理学)は「静穏で噴火の兆候はみられない」と説明する。一方で観測の難しさについて▽山体が大きい▽標高が高く、風雪や雷などにより観測機器の維持管理が困難▽観測体制が整備されてからも噴火している桜島(鹿児島県)や三宅島(東京都)と異なり、噴火前にどういった変化が表れるか十分わかっていない――などの要因を挙げる。
石峯さんは「最近の300年は噴火していないものの、過去1万年に範囲を広げると噴火の活動度や溶岩の噴出量は非常に多く、潜在的なリスクは国内の他の火山と比べてもかなり高いと言える」と指摘する。【垂水友里香】