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できないとかいうところは、もう善なる理想が始まりかどうか、この決定的解決の表示として見せてくれる事実を証拠するところだ。 相対になれば、すでに対象格の位置である1ヵ所を希望させてくれるのは事実だ。 すると善と理想成事だとか、私には大きな喜びの始まりだとか、自分を中心にこのような判断をさせるところだ。 このため、人は自分に似せという相対格の存在を占有できなければならない。 そうしてこそ対象の成事をつかむことができる。 全ての人間は善良な者を対象にしようとするのは、自分の一つの目的達成を早く進めようとするのは原理によるものだ。 人の根本的に自分を立てて大衆の中心になろうとするその本音は、自分自身の根本的に善良だという一根本体という宣言に表示なのだ。
안된다든가 하는 곳은 벌써 善한 理想의 始作인가 아닌가 이 決定的 解決의 表示로서 보여주는 事実을 증거하는 바다. 相対가 된다 하면 벌써 対像格 位置인 한 곳을 所望하게 하여 주는 바는 事実이다. 그러면 善과 理想의 成事니 我(나)에게는 큰 기쁨의 始作이니 自己를 中心하고 이런 判斷을 짖게 하는 바다. 이런고로 사람은 自己를 닮으려고 하는 相対格 存在를 占有할 수 있어야 한다. 그래야만 対像成事를 잡을 수 있다. 全(모든) 人間은 善한 者를 対像하고자 하는 바는 自己의 한 目的 達成을 速進시키려고 하는 바는 原理(로 된 바)다. 사람이 根本的으로 自己를 세워서 大衆의 한 中心이 되고자 하는 其 本心의 마음은 我(나) 自身이 根本的으로 善(하다는 )한 根本体다 하는 宣言의 表示인 바다.
したがって、このようなことを見ても、私に似てほしいという要求を立てようとするのは、私が本来善良な標準上の存在であることを宣言するのは事実だ。 私と合わせれば善になれるということだ。 このようなことを見ても、すでに自己は第一存在善境に一つの表示的役割を与え、相対を捕まえて対象を立てて、その線を直接自分と連結させようとする第一存在善を目標にしているのは事実だ。 したがって自我という存在は第2存在であり、その目的は第1存在の一対象格の存在にならなければならないということも原理的に感触を得たことは事実だ。 この事実だけを知ることになれば、神様の問題も問題外でなくなる。 第一存在善と第二存在善 = 神様+私 = 神様+対象 = 神様+(私+対象)自己
그런고로 이런 것을 보아도 나 닮아라하는 要求를 세우고자 하는 바는 나는 本來 한 善한 標準上 存在라는 것을 宣布하는 事実이다. 나와 合하면 善할 수 있다는 것이다. 이런 것을 보아도 벌써 自己는 第一存在 善境의 한 表示的 力活(役割)을주어서 相対를 잡아 対像을 세워서 그 善을 直接 自己와 連洛(連結) 짖고자하는第一存在善을 目標하는 바는 事実이다. 그런고로 自我란 存在는 第二存在이며 其 目的은 第一存在의 한 対像格 存在로 되어야 된다는 바도 原理的으로 감촉받은 바는 事実이다. 이 事実만 알게 된다면 하나님에 対한 문제도 問題 外로 되게 된다. 第一存在善과+ 第二存在善 = 하나님 + 我(나) = 하나님 + 対像 = 하나님 +(我나+対像)自己