+神をたたえよう。神はわたしたちのうちに不思議なわざを行われた。
おはようございます。
今日主の変容の祝日です。
聖なる変容の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。>
そのとき、17・1イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。(マタイ17・1-9)
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ヤン·スングク神父様の 「愛は動くこと、変化するもの」です。
神様の私たち人間に向けた愛の「色」「特徴」「強さ」は、不完全な人間の言語では表現が不可能なようです。 それでも私たちに向けた神様の愛の特徴の中で、優勢な側面を一つ選ぶとすれば、おそらく「躍動性」ではないかと思います。
こんな言葉をたくさん聞きました。 愛は動くものです。 愛は変化する姿を見せるものです。 愛は成長させます。 愛は一箇所に安住したり停滞することなく絶えず流れるものです。 愛は童心円のように広がっていくものです。
このような意味で、私たちの教会は、当然閉鎖的であってはならず、積極的な開放型、外部指向的、すなわち宣教的でなければなりません。
しかし、このような愛の開放性とは異なって、私たち人間の中には一ヶ所に安住して定着しようとする習性が位置しています。
新約聖書に登場する使徒ペトロは、ある意味今日の私たちを代表し代弁する人物です。 彼が福音書の中で見せてくれた多様な姿の中で、今日私たちの姿を発見することができます。
イエス様と一緒に高い山に登って、しばらく地上の天国を味わった使徒ペトロの表現から、一種の定住本能を垣間見ることができます。
「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」(マタイ17・4)
しかし、神様が望むところは、静かで平穏で天国のような山頂、何のストレスも傷もない山頂に、私たちだけで仲良く生きていくことでは決してありません。 霊性の高い山にたどり着いた後、そこに留まらず、多事の人間の世界へ下山するのが父の意思でした。 そのため、山の下でなんだかんだと言いながら暮らす不完全な人間たちにも、山頂での味を感じるよう招待するのが、主の意思でした。
御父である神様の大きな愛に支えられ、ナザレの青年イエス様は、ご自分を送った御父のより大きな栄光のために、絶えず変化します。 成長に成長を重ねます。 その過程の一つがイエス様の変容の出来事です。 十字架上の死で、イエス様の変化と成長は完結します。 変容の終わりは、御父の御心に完全に従順である、大事件である十字架上の死です。
神様が、今日私たちに望んでおられることは何であるかを考えてみます。 私一人が何不自由なく食事をし、豊かに暮らし、世を去ることを、神様は望んでおられないと思います。 歳月が経っても、何の変化や成長もなく、一生退屈な姿で生きていくことを、神様は絶対に望んでおられないと思います。 いつまでも小さいこと一つにも譲歩できない「醜い人」「ケチな人」のように生きていくことを、神様は望んでおられないと思います。 私たちの内面の中に隠された、この途方もない可能性の宝物を、まともに使うこともできずに世を去ることを、神様は決して望んでおられないと思います。
死ぬ一歩手前まで、変化と成長のために努力を尽くす、そんな姿を、神様は望んでおられると思います。 霊的に成長に成長を重ね、絶えず人生の地平を広げていき、一本の大きな木、大きな人物として定着することを待っておられると思います。 そのことによって、私たちの人生自体が、神様の栄光となり、周りの人々には、喜びとなるような人生を生きていくことが、私たちをこの地上に送られた神様が、最も望まれることだと思います。
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毎日、農夫の気持ちで私たちの中にある毒麦を抜き出し、良い実を結ぶための愛の変化をし、最後にはイエス様と一致する変容ができますように、聖霊、きてください。