|
毎日新聞 2023/4/10 06:00(最終更新 4/10 06:00) 有料記事 1973文字
日本民芸館を訪れた金建希氏(右端)=東京都目黒区で2023年3月17日(韓国大統領府提供)
「朝鮮の芸術ほど愛の訪れを待つ芸術はない」。日本による朝鮮半島の植民統治時代にこう主張し、失われつつあった「朝鮮の美」を守ろうと動いた日本人の宗教哲学者がいた。暮らしの中にある工芸品を再評価する民芸運動の提唱者、柳宗悦(むねよし、1889~1961年)。朝鮮人差別が横行した時代に、独立を奪われた朝鮮人の悲しみに寄り添おうとした「元祖・韓流ファン」とも言える。
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が3月に訪日した際、同行の金建希(キムゴンヒ)夫人は、柳が建設した日本民芸館(東京都目黒区)を訪問した。現代美術の展示企画運営会社の代表だった金氏は芸術に造詣が深いが、生活感がにじむ民芸は畑違いでは? 意外に思って調べると、金氏は尹氏と結婚して間もない2012年ごろ、夫婦で日本を旅行した際に民芸館を訪れていた。柳の訴えに共鳴し、長年温めていたメッセージを発信したのだろうか。
「柳先生の精神を記憶」
金氏の「夫人外交」は、過去の大統領夫人と比較にならないほど、ネット上で話題になる。韓国メディアが、金氏の尹大統領への影響力の大きさに注目し、言動をウオッチしているのは確かだ。
大統領府によると、金氏は民芸館で展示を見て回った後、柳の書斎だった別館も訪れた。「柳先生の精神を記憶し、韓日両国が文化を通じて親密な交流を続けられるよう尽力したい」と語ったという。
「精神を記憶」。そう簡単に出てくる言葉ではない。そもそも柳の精神とは?
「それぞれの民族が生み出す文化の素晴らしさを認め合う心でしょうか。美しいとか好きとか、それだけの次元ではない。民芸運動を理解し、心から尊重する思いを表現されたのだと思います」
こう語るのは、訪問の際に金氏を案内した同館学芸員の古屋真弓さんだ。在日韓国大使館関係者から「芳名録に署名するかもしれないが、時間がないから難しいだろう」と事前に言われていた。実際には、金氏は自ら進んでペンをとり、「温かな目でお互いの文化を発見しながら、文化を通じて一緒に新しい時代を開くことを期待します」と韓国語でメッセージまで記した。
同館関係者によると、記録には残っていないが、ソウルの徳寿宮で開催された「柳宗悦」展の準備作業をしていた12年ごろ、尹氏夫妻が民芸館を訪問したことを、当時の職員が覚えている。金氏には韓国語で説明できる職員が案内したが、尹氏は「自分でゆっくり見て回りたい」と1人で堪能したという。17年にも夫婦で訪れていたという韓国メディアの報道もある。事実なら、夫婦とも同館を複数回訪問していたことになる。
「朝鮮の友」からの反応
大統領夫人が植民地時代の日本の知識人を評価するのは、韓国では「親日派」とレッテルを貼られる政治的リスクが伴う。海外に持ち出された文化財に対する韓国政府傘下の財団による調査も続いている。厳しい環境の中で、訪問が実現したのはなぜか。
一つは、民芸館と韓国政府傘下の韓国文化院(東京都新宿区)が、柳が収集した工芸品の調査研究などで協力してきた実績があるからだろう。民芸館は信頼関係を前提に、所蔵品リストを韓国政府側に提供している。昨秋には「柳宗悦の心と眼」と題し、共催で企画展を開いた。
もう一つは、国家間の関係がゆがんだ状況であっても、国家の論理に振り回されずに、市民交流を模索した「柳の精神」が、改めて評価されているからではないだろうか。
柳は三・一独立運動が起きた翌1920年、「朝鮮の友に贈る書」と題する公開書簡を月刊誌「改造」に発表。英語や韓国語にも翻訳された。
柳は書簡の中で「この世の不自然な勢い」が朝鮮と日本の民を引き裂いたと、検閲ギリギリの表現で嘆き、「私も共に貴方(あなた)がたの苦しみを受ける」と朝鮮の人々と痛みを共有しようとした。「淋(さび)しい沈黙を私の前では破ってほしい」と呼びかけもした。
昨年9月の企画展では、柳の人間性も伝わるよう、「朝鮮の友に贈る書」の手書き原稿も展示した。原稿用紙は鉛筆や赤ペンで何度も修正した跡があり、支配する側の日本人である立場に葛藤する姿が行間からにじみ出ている。
手紙は、多くの日本人が朝鮮の人々に友情を感じていると訴え、「貴方がたはそれを疑うだろうか」「信じては下さらぬだろうか」「信じて下さる事を切に望んでいる」とたたみかける。
日本民芸館を訪れた金建希氏のメッセージ。「温かな目でお互いの文化を発見しながら、文化を通じて一緒に新しい時代を開くことを期待します」と書かれている=東京都目黒区で2023年3月17日(韓国大統領府提供)
金氏の民芸館訪問は、「信じている」と答えを持ってきたようにも感じる。日韓関係がまだ正常化したとは言えないので、信じたいという願いかもしれない。
こじれた外交をただすのは日韓両首脳の責任だ。ただ、友情を築く当事者は市民。柳流に言えば、友が抱える課題や不信感をまずは理解しようとする想像力と共感力が試されている。【外信部・堀山明子】
<※4月11日のコラムは古河通信部の堀井泰孝記者が執筆します>