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毎日新聞 2023/4/12 06:00(最終更新 4/12 06:00) 有料記事 1769文字
ソウル市内の書店に設けられた「スラムダンク」特設コーナー=2023年4月11日午前11時、坂口裕彦撮影
「日本の宝を知らないなんて……」韓国に語学留学していた2020年冬。私が人気バスケットボール漫画「スラムダンク(スラダン)」を読んだことがないと知った友人がそう言い、わざわざ船便で全31巻を送ってきた。読んでみるとスラダンは熱い興奮だけでなく、当時、韓国語で頭がパンクしそうな私にちょっとした息抜きも提供してくれた。それだけでない。同世代の韓国人と会い、話題に困った時の強い味方にもなってくれたのだ。
スラムダンクは韓国でも「ドラゴンボール」に並ぶ名作漫画として親しまれてきた。1992年に漫画が発売され、アニメは98年に放送が始まった。
韓国では戦後、日本製の映画、アニメ、歌謡などは全面的に禁止されていた。金大中政権の日本大衆文化開放政策により98年以降、段階的に解禁が進められた。スラムダンクの漫画発売は開放政策前だったため、主人公の桜木花道は「カン・ベクホ」、宮城リョータは「ソン・テソプ」などと登場人物の名前は韓国名に置き換えられた。反日感情が根強い時代だったが、スラムダンクは子供たちから絶大な支持を得た。韓国国内の販売部数は約1500万部に上る。スラムダンクを読んでバスケットボールを始めた韓国人も多い。
そういった背景もあり、昨年日本で公開されたスラダンが原作のアニメ映画「THE FIRST SLAM DUNK」が韓国で大ヒットしている。1月4日に公開されたが、公開2週間で観客動員数が100万人を突破。3月中旬には日本アニメで史上初めて400万人を突破した。韓国統計庁によると22年の韓国の人口は約5163万人。既に13人に1人は見た計算になる。当初、観客の多くが幼少期にアニメや漫画を楽しんだ30~40代だったが、その後、他の世代にも広がった。
「漫画は100回以上読んだ。映画は2回見た」という崔武赫(チェムヒョク)さん(33)は、スラムダンクがきっかけでバスケを始めた一人だ。日本の大手企業勤務を経て、現在はソウルに住んでいる。崔さんと「スラダントーク」をしていると、崔さんは感慨深そうにこう言った。「あんなに長い時間を一緒に過ごしたら思い出になるよね。頑張った仲間同士の絆が良い」
崔さんの言葉の背景には日韓での部活動文化の違いがある。韓国のスポーツ界は徹底した「エリート主義」で知られる。スポーツ選手になりたければプロ選手を育てる部活がある中学や高校に入らなければならない。通常の学校にある部活動は「トンアリ」と呼ばれ、プロ選手育成の部活とは完全に区別されており、選手が参加する大会も異なる。プロを目指す部活は当然、学業よりも練習を優先する。しかし、超学歴社会で競争が激しい韓国では通常の学校に行った場合は学業が最優先になる。練習は毎日ではなく、参加に強制力はない。学業がおろそかになることを「将来のリスク」と考え部活に消極的になる若者は少なくない。だからこそ、スポーツ選手になる、ならないに関係なく部活にまい進するスラムダンクの熱い登場人物たちの姿に一種の羨望(せんぼう)と憧れを抱く人が多いのだろう。
だが、崔さんはプロを目指すつもりはないのに「高校はバスケばかり」していたという。韓国の若者の就職難は深刻で良い大学に入らなければ、就職も困難になる。将来が不安にならなかったのだろうか。
「勇気は必要だった。でも自分が頑張れるものを追求するのが楽しかった。母親に小言を言われ続けるのは嫌だったけど」と崔さんは笑った。崔さんは丸3年バスケに打ち込み、進学先の大学が決まらないまま高校を卒業した。その後、一念発起して「あいうえお」から日本語を勉強し、2年の浪人生活を経て日本の大学に入学した。今では石油会社に勤めるエリートサラリーマンだ。「あの時、やり切った経験があったから、その後の受験や日本での仕事を頑張れたんだと思う」と笑顔で語った。
似た言葉を聞いたことがあるのを思い出した。「あの時、頑張れたから、これからも頑張れると思う」。数年前、駆け出しの記者だった時に取材した高校球児が社会人になって私に発した言葉だ。日韓の社会やスポーツ事情は違っても、頑張り抜いた人には同じような「スポーツ根性」が心に宿るのだと感じている。【政治部・日下部元美】
<※4月13日のコラムは外信部の八田浩輔記者が執筆します>