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毎日新聞 2023/4/22 東京朝刊 有料記事 2359文字
割れた「KAZU Ⅰ(カズワン)」の窓。沈没した船体を引き揚げる前に撮影されたものという=運輸安全委員会提供
1年前のあの日、何があったのか。北海道・知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故は無事に救助された乗客乗員がいなかったこともあり、当初は事故に至る経緯はほとんど不明の状態だった。海底に沈んだ船体が発見されたのは、事故から6日後だった。しかし、その後の国の運輸安全委員会の調査などで、多くのことが分かってきた。当時の船や海の変化、乗客の様子を改めてまとめた。【木下翔太郎】
事故のあった2022年4月23日、カズワンは午前10時ごろ、ウトロ漁港(北海道斜里町)を出発した。知床半島先端の知床岬を折り返し地点にする約3時間のコースで、子どもを含む乗客24人と乗員2人の計26人が乗り込んだ。
出航時、知床半島を含む地域には強風注意報と波浪注意報が出ていた。これから天気が荒れることが予想されるとして、同業者らは豊田徳幸船長=死亡=に出航を見合わせるよう助言したという。だが「天候が悪くなった時点で引き返す」という条件付きで、カズワンは出航したとされる。
当初は波もそれほど高くなく、豊田船長は午前11時ごろ、「午前10時40分ごろにカムイワッカの滝付近でクマを目撃した」と、僚船の乗員に無線で伝えた。乗客が持っていた全地球測位システム(GPS)機能付き携帯電話の位置情報を基に、運輸安全委が解析したところ、カズワンは往路はほぼ予定通りに航行し、午前11時47分ごろに知床岬付近に到達していたことが判明した。
だがその頃、天気や海の状況は悪化し、知床岬周辺の波の高さは1メートルを超える状況になっていたとみられる。斜里町にある運航会社「知床遊覧船」事務所にいた従業員が心配して1時間の間に3回、豊田船長の携帯電話に連絡したが、つながらなかった。豊田船長の携帯電話は、航路の大半で通話圏外だったとされる。
運輸安全委の調査によると、カズワンは復路に入った後、波を右前方から受けるようになった。波が次第に高さを増すなか、速度は大幅に低下していった。近くには緊急時に退避できる避難港があったが、カズワンはそのまま航行を続けた。午後1時2分には乗客の一人が携帯電話で親族と会話し、下船後に昼食にすると伝えており、変わった様子は感じていなかったとみられる。
事態が一変し、緊迫した状況が伝えられたのは午後1時7分ごろだった。豊田船長から「カシュニ(の滝)です。ちょっとスピードが出ないので、戻る時間、結構かかりそうです」と、無線で同業者に連絡があった。この頃にカズワンのいたあたりは、波の高さが2メートルほどに達していたとされる。
波をかぶったカズワンの船体には海水が流入していたとみられ、無線からは「浸水している」「救命胴衣着させろ」などの声も聞こえたという。豊田船長からは「船が浸水してエンジンが止まっている。船の前の方が沈みかけている。救助してくれ」と要請があり、無線を受けた同業者は午後1時13分、海上保安庁に救助を求めるため118番した。
午後1時18分、乗客の携帯電話から「カシュニの滝近く。船首浸水沈んでいる。バッテリーだめ。エンジン使えない。救助頼む」と118番があった。乗員が携帯を借りて通報したとみられる。
午後1時20分ごろ、乗客の一人が「船が沈みよる。今までありがとう」と携帯電話で親族に告げた。別の乗客も同じ頃、親族に携帯電話でこう伝えた。「浸水して足までつかっている。冷たすぎて泳ぐことはできない。飛び込むこともできない」
海保のヘリが現場上空に到着して救助が始まったのは、最初の通報から約3時間後だった。
運輸安全委は22年12月に公表した経過報告で、ふたに不具合のあったハッチなどから船内に入り込んだ海水によって電子制御系の部品がショートしたことでエンジンが停止し、船が沈んだと結論づけた。そして、事故の背景には知床遊覧船のずさんな安全管理体制があったと指摘した。
出航判断、協議記録なく
事故を巡って、当日のカズワンの出航可否について知床遊覧船が協議した記録が残されていなかったことが、国土交通省などへの取材で判明した。当日は天候の悪化も予想され、知床遊覧船は状況次第で引き返す「条件付き運航」を決めたとされるが、義務づけられている記録の保存がされていなかった。
国交省によると、知床遊覧船は事故前の21年6月に実施された特別監査でも同様の記録を残していないことなどが明らかになり、北海道運輸局から行政指導を受けていた。知床遊覧船が国に提出した安全管理規定では、「運航管理者及び船長は、運航中止基準にかかる情報、運航の可否判断、運航中止の措置及び協議の結果等を記録しなければならない」と明記されていた。また、運航基準に「運航中止の基準に達する恐れがあった場合に継続したら、その判断理由を記載する」とのルールもあった。
一方で、桂田精一社長は事故後の記者会見で、「海が荒れたら船長の判断で引き返す条件付きで出航した」と説明。当日朝に豊田船長と打ち合わせして出航を決めたとしていた。安全管理規定や運航基準には、船長は事前に決めた場所を通過する際、時刻や波の高さなどを運航管理者に報告する「定点連絡」をすることも盛り込まれていた。だが事故当日、この定点連絡もされていなかったという。
一方、知床遊覧船はカズワンとは別の船で21年5~6月にも浮遊物に衝突したり座礁したりする事故を起こし、21年6月に北海道運輸局の特別監査を受けた。その際にも出航の可否判断の協議記録がなく、定点連絡も実施されていなかったとして行政指導の対象となった。北海道運輸局は「その後の抜き打ちチェックで記録を残すようになったと確認した」と説明しているが、少なくとも事故当日の記録は残されていなかったことになる。