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毎日新聞 2023/4/27 東京朝刊 有料記事 4460文字
少子化対策についての記者会見を終え、会見室を出る岸田文雄首相=首相官邸で3月17日、竹内幹撮影
出生児が80万人を割り込むなど、少子化が進んでいる。政府は「異次元の対策」を打ち出しているが、早くも実効性に疑問符がついている。子どもを産み育てるためには何が必要で、何が欠けているのか。森健氏が論じた。益尾知佐子氏は組織の意思決定が男性に偏っていることの現状と、抜本的改革を訴える。また今回から新たな執筆者となる小堀聡氏は、交通事故で亡くなった障がい児について裁判所が下した「逸失利益」から、社会の在り方を考えた。(寄稿中敬称略)
◆少子化対策
出産と育児しやすい環境を 森健氏
「少子化問題に今、正面から立ち向かわないと日本の地域も社会も維持をすることができないのではないか」
2月下旬、岸田文雄首相は自民党内の会合でそう危機感を述べた。3月半ば、首相は少子化対策で「三つの基本理念」を掲げた。若い世代の所得を増やす、社会全体の構造・意識を変える、全ての子育て世帯を切れ目なく支援する、の三つだ。
昨年の出生数は統計を取り始めた1899(明治32)年以降最少の79・9万人だった。下落し続ける出生数を反転できなければ、従来の社会生活を維持できなくなるという首相の懸念はもっともなことだろう。
問題はその対策の中身だ。政府は6月にまとめる経済財政運営指針「骨太の方針」に向け、「こども未来戦略会議」を始動させた。この会議の目的が施策の精査と財源の確保の二つだ。
現在上がっている施策には、児童手当の拡充(所得制限の撤廃や多子世帯への加算など)、出産費用の保険適用導入、公営住宅への子育て世帯の優先入居などの経済的支援や保育士の充実などの育児支援がある。また、2030年の男性の育児休業取得率目標を85%に引き上げることなどが検討されている。
だが、この並びを見て「異次元」と考える人はどれほどいるだろうか。立命館大学の筒井淳也教授も「過去の政権とほぼ同じ」と疑問を抱いている。「少子化の直接的な原因は晩婚化と未婚化」だからだ。
岸田首相自身「少子化の大きな要因は晩婚化や未婚化」と語っており、「結婚、出産、子育てといった希望の実現を阻む要因は、なんといっても経済的な要因だと思う」と読売新聞のインタビューで述べている。だが、今の施策が晩婚化や未婚化を改善するとも考えにくい。
非正規支援の必要
家族問題に詳しい中央大学の山田昌弘教授も今の方向性について「異次元はおろか、ことごとく失敗してきた従来の政策の延長にすぎません」と断じている。その間違いの一つとして山田は「夫婦ともに正規雇用者であることを前提とした対策に終始」しているためと指摘する。
「非正規雇用者でも将来生活の不安なく結婚できる構造をつくるほかないのです」と。
この30年で日本では女性を中心に非正規雇用が大幅に増えた。にもかかわらず、保育サービスや育休などの施策が正規雇用だけに向けられ、非正規雇用の女性が受けられなければ、結婚や出産が増えるはずもない。
では、非正規雇用の女性が安定的な経済状況になれば、結婚や出産が増えるのだろうか。
これらの議論で見過ごされがちなのが、婚姻のあり方を含む女性の生き方の問題だ。
人口学の大家、河野稠果(こうのしげみ)は、欧州では近代化で「家族や子どもに対する考え方が変わり、晩婚、非婚、同棲、婚外出産、離婚というこれまで正常な家族形成の形態から逸脱していると考えられたものが認知され、家族のあり方が根本的に変わった」と指摘。だが、日本は今なお「男性中心社会、男女役割分業社会、そして伝統的な家族の呪縛に対する女性の反乱、リベンジという意味で婚姻率が減少し、出生率が低下した面が強い」と人口減少が始まりだした頃に記した(「人口学への招待」)。要は、古い家族像にとらわれていることが女性が結婚や出産を拒む要因になっているということだった。
同じような違和感は今月、ノンフィクション作家の河合香織も書いている。河合は精子提供でできた子どもをもつ母親や特別養子縁組で親子になった家族を取材したうえで「さまざまな家族のあり方に目を向けることが少子化対策には必要ではないか」と記す。
毎日新聞の連載「産む、産まない、産めない~私の場合」でもさまざまな立場の女性を取材、初めて内密出産を経験した10代女性のケースを熊本・慈恵病院の取材から紹介した。パートナーの男性に逃げられ、迷った末にこうのとりのゆりかごも運営する慈恵病院を頼った。
無責任な男性の問題は問われなくてはいけないが、同時にもう一つ重要な点は女性が産みたいと思える環境を用意するということだ。あえて言うなら、選択的シングルマザーでも産み、育てられる制度や仕組みがあれば、出産に踏み切れる女性はもっと増えるだろう。
では、どうしたら女性が産みたいと思えるようになるのか。
沖縄がヒント
ひとつのヒントは沖縄だ。沖縄は都道府県別の平均世帯年収では約367万円と最下位だが、出生率は1・8と最大だ。厚生労働白書は「共同社会的な精神が残っており、子どもを産めばなんとか育てていける」と考える風土があると分析している。要は、「子は宝」のように地域として子どもを歓迎する空気があるということだろう。
子どもをもつ・もたないの問いは女性にとってセンシティブであり、国が語りにくかったのは確かだ。だが、女性にとって、生きやすく暮らしやすい環境をどれだけ整備できるか。それが少子化から脱却できる秘訣(ひけつ)ではないか。
子どもが減り、人口が減っていけば、経済も社会保障も安全保障も成り立たない。その瀬戸際でどこまでできるだろうか。
◆日本の慣習
女性キャリア形成の障がい 益尾知佐子氏
先週、豪英の研究者たちの日本ツアーに同行した。幸い何度か、日本の安全保障の現場にいる実務者を訪問する機会に恵まれた。第一線の幹部たちから学べる点は多く、研究者たちは満足していたようだ。
日本を取り巻く安全保障環境は厳しい。実務者らは繰り返し、スタッフ不足の問題を提起していた。ただし事後に、ある海外の研究者は、こう感想をもらしていた。「案内係とか通訳には女性もいたけど、話をしてくれた幹部が男性ばかりでびっくり。責任あるポジションに女性が入れば、だいぶ問題解決するんじゃないの?」
個別には反論のしようがあるが、総論ではそのとおりだ。日本社会の慣習は、女性のキャリア形成にとって障害の塊。数十年前からある選択的夫婦別姓の議論ですら、国民の抵抗感は薄らいでいるのに前に進まない。国内培養の似たような男性が組織の意思決定を行う仕組みが、学界を含む日本の多くの分野で連綿と続く。しかもこれは、成果や業績で見て男性の方が優秀だから、ではなさそう。海外では、日本で女性研究者が男性と同じ評価を得るには数倍の実績がいる、とうわさが広がっている。日本では、表向きのルールではなく古い慣習に基づく秩序が不合理に継続している。
高齢化社会で防衛費を拡大するのに、最大の課題は経済の持続性だ。広島の主要7カ国(G7)サミットで、日本は西側の自由民主主義諸国との連携を訴えるだろう。でも本当は、抜本的な国内改革なしに安全保障などもう成り立たないのではないか。
◆障がい児の逸失利益
目指す社会の鏡 小堀聡氏
2018年、ある難聴の女の子が横断歩道での信号待ち中に重機にはねられて亡くなった。この事故をめぐって、大阪地裁は今年2月、損害賠償額を全労働者平均の85%基準で算出する判決を下した。15%の格差は、障がいのある子の逸失利益(将来得られたはずの収入)は健常者よりも小さいという考えに基づく。
だが逸失利益の思想については、経済学者・宇沢弘文が約50年前の「自動車の社会的費用」(岩波新書)で、既に根本から批判している。それは人間を市場経済における「一つの生産要素」としてだけ捉え、「人間のもつさまざまな社会的・文化的側面」を捨て去った考えである、と。
では、どうするか。21年の「クローズアップ現代+」では、日本とは違う補償制度もあることが紹介された。例えばフランスでは、楽しみの喪失や家族を築けなくなったことへの損害など精神的苦痛への補償を充実させることで、事故によって失われたものへの幅広い補償が試みられている。
そして補償以前に何より重要なのは、事故による生命・健康の損傷自体を防ぐことであろう。日本の交通事故死は、歩行中や自転車乗車中に被害にあう割合が、西欧や米国よりもかなり高い(交通安全白書)。「弱者」に対して冷たい点で、いまの日本の道路は、逸失利益と同じではないか。
上記の番組でフォトジャーナリストの安田菜津紀は、逸失利益を考えることは「私たちがどんな社会に生きていきたいのかを考えること」と述べた。強く同意したい。
◆今月のお薦め4本 森健氏
■少子化対策にマジックはない(山田昌弘、Voice5月号)高等教育の無償化や経済格差の解消など手立てはすべて打つべしと指摘。
■岸田政権の少子化対策「かくあるべし」を白紙に(河合香織、毎日新聞4月16日)お金を配るだけでなく「あるべき母親像」の価値観をリセットすべきだと期待。
■産む、産まない、産めない~私の場合(毎日新聞1月26日~)海外の精子バンクを利用して出産予定の女性や経済的負担から第2子を諦める女性など多様な人に取材。
■「仕事と家庭」の改善で制度を生かせ(筒井淳也、Voice5月号)日本的雇用では子どもがいる女性は時間外労働や転勤に難しさも。
◆今月のお薦め3本 益尾知佐子氏
■日本企業は「中国の穴」を埋められるか(竹森俊平、Voice5月号)経営モデルの転換が必要。
■「仕事と家庭」の改善で制度を生かせ(筒井淳也、同)つながる諸課題に包括的取り組みを。
■透明にされた「中高年シングル女性」の困難(和田静香・大矢さよ子・植野ルナ・金涼子、世界5月号)日本社会の「女性罰」。
◆今月のお薦め3本 小堀聡氏
■いのちの格差“逸失利益”が問いかけるもの(NHKクローズアップ現代ウェブサイト)
■「災害」の環境史 第4回(瀬戸口明久、京都大オンライン講義)日常に埋め込まれた「災害」の視点から交通事故や排ガスをみる。
■高齢者に冷たい「効率至上主義」と社会の荒廃(井上智洋、毎日新聞政治プレミア3月30日)
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■人物略歴
森健(もり・けん)氏
ジャーナリスト。早稲田大卒。著書に「『つなみ』の子どもたち」(大宅壮一ノンフィクション賞)、「小倉昌男 祈りと経営」(小学館ノンフィクション大賞ほか)など。1968年生まれ。
■人物略歴
益尾知佐子(ますお・ちさこ)氏
九州大教授(国際関係論)。1974年生まれ。
■人物略歴
小堀聡(こぼり・さとる)氏
京都大准教授(日本経済史)。1980年生まれ。