+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第28金曜日です。
愛の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。>
そのとき、12・1数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。2覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。3だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。
4友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。5だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。6五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。7それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(ルカ12・1-7)
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イ·ジョンジュ·アウグスティノ神父様の「今日の黙想」です。
恐怖は、人間が持つ最も基本的な感情の 1 つです。 性格によって恐怖の方が多い人もいれば、恐怖をあまり感じない人もいます。 この恐怖は、私たちが何かをできないように防ぐ否定的な役割をしますが、それだけ慎重な姿勢を持たせる肯定的な役割もします。
ここでさらに重要なことは、私たちが「何を恐れる(畏れる)か」です。 神を畏れ、天国の正義を畏れることは、信仰者としての私たちの姿勢をまっすぐに支えてくれます。 逆に、世の力を恐れて屈服するなら、それは卑屈さと卑怯さへ私たちを導くだけです。
今日の福音でイエス様は、「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方を恐れなさい。」とおっしゃっています。 神に対する恐れ(畏れ)は、私たちにむしろ世に対して自信を持たせてくれます。 神様は(私たちと)親しく交わることができる存在であり、人になって来られた神様の御子は、神様と人間の間の仲介者になられました。 私たちの間に兄弟になって来られたイエス様のおかげで、私たち人間の間にも兄弟愛が厚くなり、福音の喜びを「明るみで」、そして「屋根の上で」叫ぶことができるようになりました。
イエス様のおかげで、キリスト者は偉大なお方を畏れ、永遠の(天国で永遠に憩うことができる)人生をめざし、絶対者である神様と親しく交わることができる存在になりました。
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神様を畏れ、神様を愛し、神様への孝行を通してまっすぐに天国を向かって歩くことができますように、聖霊、きてください。