+神をたたえよう。神はわたしたちのうちに不思議なわざを行われた。
おはようございます。
今日は聖カルロ・ボロメオ司教記念日です。
救い主・イエス・キリストとロザリオの聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖カルロ・ボロメオ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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聖人は1538年、イタリア·ロンバルディアのアローナ貴族の家に生まれた。 信心深い家庭で幼い頃を過ごした彼は、早くから学問を積むことに力を入れた。 1560年、母方の叔父であるビオ4世教皇が一般信徒である彼を枢機卿に任命すると、一歩遅れて聖職者教育を受け、1563年に司祭になった。 彼はミラノ大司教として教会改革に大きく貢献した。 また、貧しく苦しむ人々を支援する制度を設け、広く普及させた。 1584年に死去した彼を1610年パウロ5世教皇が列聖した。(今日の典礼から)
ルカによる福音
<だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。>
安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
7イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。8「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、9あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。10招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。11だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ14・1、7-11)
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キム·ジュンチョルトーマス·アクィナス神父様の「今日の黙想」です。
今日の福音のテーマは「謙遜」です。 イエス様は招待されたら上席より末席に行って座るよう勧告し、このように付け加えます。 「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
私たちは謙虚でなければなりません。 傲慢な知識は神様の御前に進むのに邪魔になるからです。 「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。 もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」(1コリン8・1-2)。
「謙遜」こそ、隣人と共に生きていかなければならない私たちに、最も必要な徳目だと言えます。 もちろん現実はそうではありません。 多くの場合、(私たちは)上席を好んでると思いませんか? 自分自身を表したいからです。 このように傲慢な姿勢で生きるなら、神様が私の中に入ってくださる空間がなくなると思われます。 謙遜であるためには、まず自分をよく知り、他の人を認めてあげなければなりません。
「私でなければならない」という考えを捨てなければなりません。
謙遜な人は、自分に不利に接する人に出会っても、このことさえも神様の恩寵として受け入れます。 「相手が自分に優しくなく接するなら、自分もやはり相手に何か悪く接したからではないだろうか?」このように振り返るのです。 また、相手の言動を通して、自分の不足ささえ悟ります。
したがって、謙遜な姿勢を持つということは、隣人を通して伝えてくださる、主の意思を推し量るためだと言えます。
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隣人を通して良い教えをくださる主の恵みを悟ることができるように、謙遜なキリスト者になれますように、聖霊、きてください。