+神をたたえよう。神はわたしたちのうちに不思議なわざを行なわれた。
おはようございます。
今日は聖ヨハネ(十字架の)司教教会博士記念日です。
愛の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖ヨハネ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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十字架の聖ヨハネは1542年頃、エスパーニャ·アビラのポンティベロスで生まれた。 幼い頃、非常に貧しかった彼は、カルメル修道会に入会して修道生活をしていたが、司祭になった。 以後、ヨハネは「アビラの聖女」としてよく知られたイエスのテレジア聖女と共にカルメル修道会の改革を推進しながら霊性生活の師の役割をした。 1591年に亡くなった彼は1726年に列聖され、1926年に「教会博士」と宣言された。 教会の偉大な神秘家である聖ヨハネ(十字架の)が、自身の体験を土台に書いた『カルメル山登攀』、『暗夜』、『霊の賛歌』などは、霊性神学の古典として広く認められている。
マタイによる福音
<およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。>
そのとき、イエスは人々に言われた。11・11「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。12彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。13すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。14あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。15耳のある者は聞きなさい。」(マタイ11・11-15)
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イ·チャンジュ神父様の文「十字架の聖ヨハネ司祭教会博士の記念日」です。
今日は待降節第2週間木曜日であり、十字架の聖ヨハネ司祭教会博士の記念日です。 今日祝日を迎える多くの姉妹兄弟に、主の愛と恩寵が満ち溢れますよう祈ります。
私たちの教会には、「ヨハネ」という名前が「ヤハウェは慈悲深い」と意味する通り、本当に多くの神様の恩寵を受けた聖人がいます。 主から受けた恩寵のように、「ヨハネ」という洗礼名も本当に多いです。 よく知られている「洗礼者ヨハネ」や「使徒ヨハネ」だけでなく、すべての聖人の人生は、神の恵みそのものです。 そのため、私たちがよく知らないだけで、(聖人の)誰一人も(神様から)愛されなかった方々はいないのです。
このような立場から見れば、十字架の聖ヨハネ(司祭教会博士)も、またどのヨハネ聖人たちに劣らず、神の恩寵を人々に広く知らせようと努力した方です。 1542年スペインで生まれ、21歳でカルメル会に入会し、25歳で司祭になりました。 そしてその翌年に大聖テレジア(アビラの聖テレジア)と共に、カルメル改革運動を始め、「洗足カルメル会」という修道会を設立し、多くの著書を残しました。
十字架の聖ヨハネは、自分の名前の前に十字架を付けるほど、十字架の愚かさ(素晴らしさ)を実現しようと努力した方です。 「誰でも私に従おうとするならば自分を捨てて毎日自分の十字架を負わなければならない」という主の御言葉を、(自分の)人生で証しようと努力しました。 それがまさに神を愛する方法であることを知り、私たちに伝えようと努力した霊性の方でした。
そして今日、私たちはイエス様が住んでいた時代に、「十字架の聖ヨハネ」のような人に会うことになります。 「洗礼者ヨハネ」、彼は時代の最後の預言者として、イエス様からこの世で最も立派な人だと褒められた人です。
「 洗礼者ヨハネ」が主から愛された理由は、今私たちが赤ちゃんイエスを切実に待っているように、主がこの地に神の国を建てることができるように、ただ主を待つ心だけを持っていたためです。
主の靴紐を解く資格さえ持っていないと謙遜に言う荒野の叫びの前に、私たちはどんな謙遜な心を持っているでしょうか?
私たちは愛を実践しなければならないことをよく知っています。 私たちの席に、先に主を優先しなければならないということをとてもよく知っています。 しかし、私たちの心には、私たちの自我が多すぎます。 神様を待つのではなく、神様を愛するのではなく、私たちが準備したものが結実する時間を待って、自分が愛しているものを知らせようとしているのではないか?一度考えてみてください。
イエス様がこの世にいらっしゃる理由は、私たちをあまりにも愛しているからであり、私たちの十字架を負うために来られます。 私たち一人一人の救いのために、神様が私たちの席に入ろうとします。
イエス様が来られることを切に望む「洗礼者ヨハネ」のように、毎日自分の十字架を背負うことで主を愛し、再び来られる主を待っていた「十字架の聖ヨハネ」のように、主が私たちのところに来ることを切に願って待つ人生を生きるように、皆が努力をしなければなりません。
今日、「聖ヨハネ」を見習うことで、皆様に神の恵みが満ちることを願っています。
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十字架を愛し、主に従うことができますように、聖霊、きてください。