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毎日新聞 2023/5/27 東京朝刊 有料記事 1018文字
<do-ki>
広島県加茂村(現福山市)出身の井伏鱒二は、最初の東京オリンピックがあった翌年、戦後20年で初めて原爆を小説にした。高度経済成長の繁栄まっただ中。被爆者の日記や証言を基に書いた。
「ノートを取っていると、話している人が息をのみ込んだ。3度くらいあった。よほど得体の知れない怖さがあったんだろう」
「その人は軍医さんで、20年たってもウジ虫が耳たぼ食ってる。ゴソゴソ音が聞こえる。幻聴だけは昔のままだって。耳たぼは食われてなくなっているのに」
「言っている通り書いた。文章の直しようもない。思考力が止まってしまう。おしまいだ」
政治思想史家の丸山真男は、先週、主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)が開かれた広島市宇品町(現南区)で被爆した。爆心地から約4キロ。陸軍暁部隊の情報班員で、翌日には「原爆投下」を伝える米国の短波放送を傍受し、上官に報告。8月9日に市内の被爆状況も巡視していた。
敗戦前から戦後の民主化を構想し、戦争責任論を主導した論客だが、膨大な言論活動でほとんど被爆体験を語っていない。戦後20年以上たって告白している。
「戦争について論じながら、原爆を論じなかった。至近距離の傍観者だった。原爆の意味をもっと考えなかったのはざんげです」
あれほどの知識人でも思考力が止まったのか。語れない、語りたくないという心の動きか。
「語り得ぬものについては沈黙するしかない」と言った哲学者がいた。文脈は違うが、原爆も人に長い沈黙を強いる。沈黙は何を語るか。丸山は大事なことを言ったのかもしれない。戦争を論じるように原爆は論じられない。原爆を戦争と同列に語るな。
サミットは広島で開かれるべきだったのか。へそ曲がりと言われようと、ウクライナへのF16戦闘機供与が最大の「成果」で、原爆慰霊碑に献花する光景の後、戦闘機発進の映像を繰り返し見せられれば、もの言わぬヒロシマに、本望かと尋ねたくなる。ゼレンスキー氏が「人影の石」を引いて自国の戦禍を広島になぞらえ涙したと聞けば、分かっていないじゃないかと呼び止めたくなる。
岸田文雄首相に「逃げるんですか」と広島開催の欺まんを問う記者がいた。首相も核抑止と廃絶を併記したご都合主義を自覚しているから振り返ったのに違いない。
長男の首相秘書官が公邸で将来の「組閣ごっこ」に興じたのは、防衛大増税を閣議決定した1週間後。やはり広島ブランドで議員になる気だろう。(専門編集委員)