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毎日新聞 2023/6/7 東京朝刊 有料記事 2982文字
医療保護入院をしていた時のことを振り返る女性。「入院は私のトラウマになった」という=東京都内で、奥山智己撮影
精神科の入院患者の半分は、本人の同意なく強制入院させる「医療保護入院」の患者だ。この制度が定められている精神保健福祉法の改正法が2022年12月に成立し、一部が今春から段階的に施行されている。人権侵害の恐れがあるとして、国連は政府に強制入院をやめるよう勧告しているが、なぜ制度は維持されているのか。【田中韻、奥山智己】
統合失調症や認知症など精神疾患では、患者が大声を出したり徘徊(はいかい)したりするなど症状が悪化する場合がある。患者は入院したいと思っていなくても、入院治療が必要だと判断され「精神保健指定医」という国の資格を持った精神科医が診察した上で、家族の同意が得られれば医療保護入院になる。
「外界から閉ざされた閉鎖病棟では病室内にトイレがあり、着替えの時も含めて24時間カメラで監視されていました。私の尊厳は完全に奪われました」
東京都内で暮らす20代の女性は、約3カ月にわたった医療保護入院について、こう振り返った。
16歳の頃、うつ病と診断された。21年秋には、体の震えが止まらずじっとしていられない症状に悩まされ「つらい」「生きていけない」と口にすることもあった。ただ、これまで病と正面から向き合って治療に取り組んでおり、今回も処方された薬を自宅で服用すれば問題ないと感じていた。
ところが、受診した精神科医は、女性が女性自身を傷つけることを恐れたのか「しっかり治すためには入院が必要」と言い、医療保護入院の手続きを取った。
女性は双極性障害と診断され、入院生活を強いられた。医師や看護師から具合を聞かれると、体調のいかんにかかわらず「元気です」と答えていた。「早く退院したくて、そう答えるしかない状況に追い込まれていました」
女性は、今でも不信感が募る。「患者の意思や人権を無視して治療を進める入院制度は、トラウマとして残っています」
精神科病院では患者の安全を確保するため、病室によってはカメラが設置されている。
千葉県精神科医療センターの平田豊明(とよあき)・名誉病院長は「医療保護入院の患者は手厚い医療が提供されないと心に傷を残し、入院した病院側と適切な治療関係を築けないまま退院する場合も多い」と話す。再発しても疑心暗鬼になって任意入院を拒み、医療保護入院を繰り返すことがあるという。
厚生労働省によると、11~20年の10年間で、精神科の入院患者のうち自分の意思による「任意入院」は5割余りで、残りの5割近くが医療保護入院だ。その患者数は毎年13万人前後に上る。他人や自分を傷つける恐れがある場合に強制入院させる「措置入院」は、1%に満たない。
こうした一部の症状を除いて、患者の自由を奪うのは人権上の問題があり、患者の支援団体を中心に医療保護入院を縮減させるべきだという声は根強い。国連の障害者権利委員会は22年9月、強制入院の廃止を求める勧告を政府に出した。
日精協「対応できぬ」
医療保護入院の方向性は、厚生労働省の検討会の資料でどう変わっていったのか
医療保護入院を減らそうという議論は、国内でもあった。厚労省の「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」では、テーマの一つだった。精神保健福祉法の改正も念頭に21年10月~22年6月に計13回開かれ、有識者らが議論した。
「将来的な廃止も視野に、縮小に向けた具体的かつ実効的な方策を検討してはどうか」。22年3月の第7回の資料には、これまでの議論を踏まえそう記されていた。検討会のメンバーで、全国「精神病」者集団の桐原尚之(きりはらひさゆき)・運営委員らは、この方向性に賛同した。
議事録によると、第10回の検討会には参考人として日本精神科病院協会(日精協)の山崎学(まなぶ)会長が出席した。「廃止になったら、急性期(主に統合失調症などで幻覚や妄想といった症状が表れた患者)の対応ができるわけがないというのが、協会の大多数の意見です」「代替案を提示せずに廃止してしまったら精神科の医療は完全に壊れます」と述べた。
こうした議論を経て、当初の表記は最終的に報告書で「課題の整理に取り組み、具体的かつ実効的な方策を検討することが必要」という表現に変わった。改正法には「あり方に関し、必要な措置については検討する」という付則が設けられるにとどまった。
日精協の桜木章司常務理事は「最近は医療保護入院の3カ月後には6割強、半年で7割強、1年後には8割強の患者さんが退院している」と話し、運用の妥当性を強調する。一方、桐原さんは驚きを隠さなかった。「表現が後退し、縮減の合意さえなくなったのにはびっくりした」
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の藤井千代部長は次のように提言する。「医療保護入院を現時点でゼロにはできないが、減らしていくような手続きを考えなくてはいけない時期に来ている」
要件審査 実効性担保を
千葉県精神科医療センター名誉病院長の平田さんは「医療保護入院は、長期入院も課題の一つになっている」と話す。
これを解消させようと精神保健福祉法の改正により、半年以内で入院期間をあらかじめ定めることが決まった。さらに入院が必要なら、同じように期間を定めた上で継続となる。
入院にあたり、診察した指定医は入院の要件を満たしているか確認する。さらに患者の権利擁護のため、弁護士や指定医などがメンバーになって都道府県などに設けられている「精神医療審査会」は、入院が適切かどうかを5人の合議体で審査する。
入院の継続の時も審査会が審査するのかなど具体的な手続きの方法は、厚労省が今後検討し、24年4月に施行される。政府の狙い通りに入院期間の短縮を図れるか。ポイントは、審査会が有効に機能するかどうかだ。
平田さんは、法改正を評価しつつ「千葉県の場合、審査会は日常の業務を抱えたメンバーが月1回、定期的に集まって半日かけて審査する」と指摘。「もし審査会の合議体を増やすなど予算的な裏付けがないなら、審査会が忙しくなるだけで入院期間の短縮につながるか疑問だ」との見方を示す。
国立精神・神経医療研究センターの藤井さんは「患者の権利擁護にかけるお金が、日本は英国やカナダといった海外よりも桁違いに少ない」と解説する。
さらに法改正では、医療保護入院のハードルを下げてしまいかねない規定も盛り込まれた。
患者の家族にとって、医療保護入院は、本人が望んでいない入院を強いることになるので、入院後に家族関係の悪化を招くことが多かった。このため、24年4月からは家族が同意の意思表示をしない場合、関係する自治体の福祉担当部署などの情報を踏まえ市町村長が同意すれば、入院させられるようになる。
さらに今年4月から、家族による患者へのDV(ドメスティックバイオレンス)の可能性がある場合、家族の代わりに市町村長の同意で医療保護入院が可能になった。
平田さんは「市町村長に家族のような役割は果たせないから、同意は形式的になりかねない。退院のことまで考慮して、入院が長引かないような運用をしていくべきだ」と指摘する。
厚労省の担当者は「家族が判断する場合でも市町村長が判断する場合でも、患者の権利擁護の観点から適切な手続きにより行われる必要がある」と説明。「医療保護入院に安易に流れてしまわないよう、手続きの方法をしっかり考えたい」と話す。