+きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。
おはようございます。
今日は四旬節第1土曜日です。
愛の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。>
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。5・43「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5・43-48)
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キム·ジュンチョルトマス·アクィナス神父様の「今日の黙想」です。
今日、イエス様は神様の限りない愛を強調しながらこのように付け加えました。 「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」このように神様は善人でも悪人でも、すべての人を同じように扱います。 みんな御自分の子供だからです。 どの人も貴重な存在だからです。
もちろん、私たちの周りには、悪人も善良な人も存在します。 しかし、その差はどれくらいのものでしょうか? 誰もが長所もたくさん持っていますが、弱点と痛い傷さえあります。 それだけに相手の可能性を見なければならないのではないでしょうか? そのため、相手の善良な点は育て、痛みは癒し、闇は洗うように協力しなければなりません。
また、今日忘れてはならないことは、私たちがどんな状態であろうと関係なく、太陽は常に私たちを照らしているという点です。 しかし、ここにつまづいて転ぶこともあります。 ある日は日差しがいつもより強く、ある日は弱いです。だからといって、私たちが日光を浴びていないわけではありません。
私たちの日常生活も同じです。 少なくない場合、相手がつい取った行動一つにつまづいて転んだりすることが多いのです。 相変わらず愛していても、相手のくだらない表現一つや、言葉遣い一つで、私たちは傷つくことがあるのではないでしょうか?
したがって、私たちは些細な誤解や先入観から脱皮し、より根本的な問題、すなわち「主の愛を、隣人に具体的に実践する」ことに、もっと集中しなければなりません。
神様は私たちが本当の信仰者、すなわち完全な人になることを望まれています。 それで今日の福音を通してこのようにおっしゃいます。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
完全な者になる方法は何でしょうか? 世の人々が見せてくれるように、(自分が好きな)隣人を愛し、敵を憎む姿で生きるのではありません。 それよりは、「敵までも愛することができる、完全な愛を実践する」時に可能だと仰せになります。
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私たちの自力では不可能ですが、イエス様がおっしゃるように天の御父が完全なように私たちも完全な人になれますように、聖霊、きてください。