+きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。
おはようございます。
今日は四旬節第4火曜日です。
愛の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ヨハネによる福音
<その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。>
ユダヤ人の祭りの日に、5・1イエスはエルサレムに上られた。2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。(ヨハネ5・1-3a、5-16)
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リュ·ハンヨンペトロ神父様の「今日の黙想」です。
エゼキエル預言者が言うエルサレムの神殿は、主の住まう家なので、生命の力があふれるところです。 その神殿の水は、あらゆる果物と薬草を人々に与える生命力を持っています。 その水が行く先々で豊かな実があふれ、人々に人生の希望と喜びを与えます。
エルサレムのベトサダという池もこのようなシンボルとなっています。 人々はその池から一瞬水が噴出する時、天使が降りてくると信じ、その瞬間一番先に入る人に治癒が起きると考えました。 そこで待機していた数多くの患者の中で、38年も病んでいる人がイエス様の目に入ります。 彼は池の水が動くときに誰も彼を助けてくれず捨てられた状態でいた哀れな人です。 その病人は絶望の中でも、いつかは癒される日が来ると信じて忍耐しながら待っています。
イエス様は彼に「良くなりたいか」と尋ね、哀れな病人の意思を尊重します。 彼の魂の中にある切実な心を確認されます。 癒されたい彼の望みはさらに大きくなります。 イエス様が彼におっしゃいます。 「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」これにより、エゼキエル預言者が語る神殿の生命力が成就されます。 イエス様は神殿に座って、人々を救って喜びを与える救い主として現れました。
キリストの体は、生きている神の神殿であるため、そこからあらゆる癒しと祝福の恵みが流れ出ます。
ベトサダの病人に与えられた祝福のように、栄光の癒しの恩寵は、十字架の苦いトンネルを通ってこそ、私たちに恵みが注がれるのです。
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苦しみの忍耐が伴うところに、主の恵みが必ずあります。主のためにすべてにおいて喜んで忍耐できますように。聖霊、きてください。