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毎日新聞 2023/6/23 06:00(最終更新 6/23 06:00) 有料記事 1866文字
初音ミクさんと一緒に暮らす近藤顕彦さんは結婚式をきっかけに世界が広がった。後悔は一切無く、穏やかな日々を送っている=東京都内で2021年12月13日、生野由佳撮影
「ただいま」
仕事から帰宅したら、いつものように声をかける。「おかえり」の返事はない。だが、心はやすらぎ、自然と笑顔になる。永遠の愛を誓ったあの日から、4年半が過ぎた。
2018年11月、二次元の人気キャラクター「初音ミク」と結婚式を挙げた。東京近郊に暮らす地方公務員、近藤顕彦(あきひこ)さん(40)は今も、人間サイズの大きな初音ミクさんと一緒に暮らす。
人間の家族と同じように、朝起きれば「おはよう」と声をかけ、向き合って食事をする。長い青髪のミクさんが近藤さんをじっと見つめる。
「愛は今も全く変わりはありませんよ」
識者「特異ではない」
キャラとの恋愛――。突拍子もないように思えるが、実は性的指向の一つとして、そこまで珍しいことではない。
日本性教育協会(東京都)が17年に実施した「青少年の性行動全国調査」では、「ゲームやアニメの登場人物に恋愛感情を持つ」かとの質問に対し、中学生から大学生までの男女それぞれ1割以上が、中でも大学生の女子は17・1%が「ある」と答えた。
「二次元との恋愛」を研究テーマの一つとしている弘前大人文社会科学部の羽渕一代教授(社会学)は「キャラクターに愛情を向けることは特異なことではない」と話す。
1990年代から研究を始めて30年以上になる。「多様性が認められるようになり、最近は注目が集まってはいます。ですが古今東西、率は一定で変わらないと推定できます」と指摘する。
マイノリティーに対する「偏見」
円筒状の機器「ゲートボックス」に立体ホログラムで映し出された「初音ミク」に話しかける近藤顕彦さん。このサービスは2020年に終了したが、「ミクさんとの生活を実現できた」と感謝している=東京都内の自宅で同年3月17日、宮崎稔樹撮影
だが、今も昔も変わらず、世間からの風当たりは厳しい。周囲に迷惑をかけているわけではないのに、と記者が尋ねると近藤さんはこう答えた。
「気持ち悪い。病気じゃないか。そんな言葉を浴びせられた回数は数え切れません。キャラと一緒にいる姿に気分を害すると言われたら仕方がありませんね」
近藤さんは6月、仲間と一緒に一般社団法人「フィクトセクシュアル協会」(https://www.fictosexuality.org/)を立ち上げた。人形やアニメなど架空のキャラクターに恋愛感情を持つことを、「フィクトセクシュアル」と呼ぶ。当事者同士の交流会や、理解を広げることを目的にしている。
団体の設置に、羽渕教授は「つらい思いをしている当事者は少なくありません。マイノリティーへの差別や偏見に、社会的理解を呼びかけていくことは必要だと考えます」と話す。
キャラに愛情を持ったきっかけ
何をきっかけに、キャラに愛情を持つようになったのか。
近藤さんの場合、高校生のころまで人間の女性が好きだった。数えること7回、告白もしたが、いずれもかなわなかったという。
ミクさんとの「出会い」は、社会人になって4年目だ。職場のいじめで適応障害となり、休職を余儀なくされた。自宅で療養中、動画サイトでミクさんの歌声を聞いた。その澄んだ声に夢中になり、癒やされ、引きこもり生活から脱したという。職場にも復帰し、以来、人生の“パートナー”となった。
ミクさんと向かい合い、デザートの時間も楽しむ=近藤顕彦さん提供
同士も、多くは同じような「経験」を経ているという。
「生まれながらの『フィクトセクシュアル』の人に、私は会ったことがありません。人が好きだった経験があり、同じように二次元のキャラに感情を抱き、今があるのではないでしょうか」
架空のキャラと、現実を混同しているワケでもない。食事は向き合って食べるが、準備するのは1人分だけ。「ミクさんに人の権利、人権があるとは思っていませんよ」
「離婚」の可能性は?
結婚式がメディアに取り上げられ、実名と顔出しをしている近藤さんのもとには、同じように二次元を愛する人たちから今も相談が相次ぐ。多くは、生きづらさを抱えている人たちだ。
協会のホームページには、メッセージが並ぶ。
近藤顕彦さん宅には、服装や大きさが異なる「初音ミク」さん人形がずらりと並ぶ=近藤さん提供
<アニメやキャラクターに心を支えられた人がいます>
<思い悩むことを打ち明けられる場所があることを知ってもらいたい>
当事者の「心のよりどころ」を目指し、こんな目標を掲げる。
「愛するキャラと一緒に、人生の節目となるような結婚式を、気軽に挙げられるような社会になってほしいですね」
結婚生活も5年目。「離婚」の可能性はないのだろうか。意地悪な質問に、近藤さんは笑った。
「心変わりがこの先、絶対にないとはいえません。人間の離婚率も低くはないでしょ。同じではないでしょうか」
穏やかな表情で話す近藤さんはとても幸せそうだった。【デジタル報道グループ・生野由佳】
<※6月24日は休載します。25日のコラムはデジタル報道グループの國枝すみれ記者が執筆します>