+きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。
おはようございます。
今日は受難の主日[枝の主日]です。
愛の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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この日の教会は、主イエス·キリストが御自分の過ぎ越しの神秘を完成させようとエルサレムに入城したことを記念する。 聖なる枝の祝福と行列を挙行し、イエス様のエルサレム入城を光栄にも記念する一方、「主の受難記」を通してイエス様の受難と死を荘厳に宣言する。 聖なる枝を持ってイエスのエルサレム入城を歓迎するのは4世紀頃から行われ、10世紀以後広く伝播された。
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マルコによる主イエス・キリストの受難
<わたしは顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。わたしは知っているわたしが辱められることはない、と。(第3の「主の僕の歌」)>
C 15・1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラトはイエスに尋問した。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスは答えられた。
十 「それは、あなたが言っていることです。」
C 3そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。
A 「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
C 5しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは言った。
A 「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
C 10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。12そこで、ピラトは改めて言った。
A 「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」
C 13群衆はまた叫んだ。
S 「十字架につけろ。」
C 14ピラトは言った。
A 「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
C 群衆はますます激しく叫び立てた。
S 「十字架につけろ。」
C 15ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
A 18「ユダヤ人の王、万歳」
C と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22そして、イエスをゴルゴタという所その意味は「されこうべの場所」に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。28-29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
A 「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」
C 31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
A 「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
C 一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。
十 「エロイ、工ロイ、レマ、サバクタニ。」
C これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
A 「そら、エリヤを呼んでいる」
C と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
A 「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」
C と言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。
A 「本当に、この人は神の子だった。」(マルコ15・1-39)
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教会からの教えです。
「十字架につけろ。」(マル15・13、14)この叫びは、2000年前のユダヤ人の叫びだけではないと思います。 エルサレムに入城するイエス様を歓呼しながら熱烈に歓迎した人々が、わずか数日でイエス様を十字架につけろと叫んだとすれば、私たちもまた無意識のうちに「十字架につけろ!」と大声を上げる群れに加担しないと断言することは難しいです。
今日聞いた二つの福音、イエス様のエルサレム入城を記念する福音と、イエス様の受難記はこれ以上ない対照を成します。 マルコ福音書では、そのすべてが一週間の間に起きたと伝えています。 この一週間に何があったのでしょうか。
福音書で目立つのは、多くの人が完全な自由意思によって決定をしたわけではないという点です。 群衆がピラトにバラバを放してほしいと頼んだのも、祭司長たちや長老、律法学者たちが彼らを煽ったためです。 ピラトはイエス様に罪がなく、祭司長たちがイエス様を妬んで自分に渡したことを知っていながらも、群衆の煽りに遭い、イエス様を十字架につけるように渡します。
群衆が、そしてピラトが自由であったとすれば、彼らはイエス様を十字架につけることに賛成しなかったでしょう。 では、果たして私たちは真理と正義の前でどれだけ自由なのでしょうか。 目上の人や指導者が私たちを扇動しても正義を守ることができるでしょうか? 群衆が私たちの地位を脅かしても真理を擁護できるでしょうか?
「主よ、私も正義に目をつぶり、自分の意志と主体性をたたんだまま、体面や群衆心理に振り回されて『十字架につけろ』と叫ぶ愚かさを犯さないように守ってください。」
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日々十字架のイエス様を再び釘つける罪を犯すことのないように、むしろ毎日自分の罪を十字架につけることができ、イエス様と一致することができますように!聖霊来てください。