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毎日新聞 2022/2/17 東京朝刊 有料記事 1946文字
「クマムシ」という少し変わった微生物がいる。地球のマントルほどの高圧に耐えたり、30年以上凍っていた個体が蘇生したりと、興味深い生態が報告されてきた。仕組みに迫ろうと分子レベルで構造を調べる研究も手がけられる。謎めいたクマムシの世界をのぞいた。
蘇生したクマムシ。南極で採取されたコケの中で約30年間凍結保存されていた。腹部の緑色は餌のクロレラ。右の線は0.1ミリ=辻本恵・慶応大専任講師提供
クマムシは、「ムシ」という呼び名から受ける印象とは形態が異なるかもしれない。昆虫ではなく、脚は4対8本ある(昆虫は3対6本)。体長は0・1~1ミリほどだ。
他の生物とは体の構造が異なり、緩やかに歩くような動きをすることから、生物学では「緩歩(かんぽ)動物」と分類されている。動く様子が「熊」のようであることが名前の由来だ。陸上や湖、海などあらゆるところに生息し、これまでに1300種類以上の存在が確認されている。
注目を集めるのが、その耐性だ。クマムシの中には、脱水し体を縮ませて「たる」のような形をした「乾眠」という状態になって、高圧や高温・低温など、さまざまな厳しい環境に耐えられるものがいる。例えば、岡山大の研究チームは、超高圧状態にできる機器で乾眠状態のクマムシに7万5000気圧を加え、その後常圧に戻して水に浸すと動き出すことを確認している。
●南極で採取 30年後蘇生
2016年には、国立極地研究所のチームが、約30年前に南極の昭和基地周辺で採取後に凍結保存されていたコケの中にいたクマムシが蘇生したと、国際専門誌「クライオバイオロジー」で発表した。コケはマイナス20度で保存されており、これを解凍して水につけたところ、2匹のクマムシ(体長約0・3ミリ)が動き出したという。餌としてクロレラを与えて飼育すると、うち1匹は産卵して、その卵がふ化したことから、繁殖能力の維持も確かめられた。
その後、研究チームを率いていた辻本恵・慶応大専任講師が、凍結保存されていたクマムシの子孫の遺伝子を調べたところ、南極に広く分布している系統とは遺伝子型が異なることが確認された。ただ、長期生存と遺伝子との関係はまだ分かっていないという。
辻本さんがクマムシの研究を手がけるようになったのは、生態についてまとめられた「クマムシ?! 小さな怪物」(鈴木忠著、岩波科学ライブラリー)という本を約15年前に読み、「かわいさと生態の面白さに魅せられた」からだったという。南極地域観測隊にも参加し、南極という厳しい環境の中でクマムシがどうやって生きているのかを調べている。まだまだ生態には謎が多いといい、「まだ調べられていないことが多く、一つ何かを調べると、新たに10~20の疑問が出てくる。調べれば調べるほど、大小の新しい発見があります」と語る。
●たんぱく質が構造変化
一方、クマムシの生態を、先端的な計測技術を使って分子レベルで調べる研究も進んでいる。
自然科学研究機構生命創成探究センター(愛知県岡崎市)の加藤晃一教授と矢木真穂助教らのチームは、クマムシの細胞内に豊富に含まれているたんぱく質「CAHS1」に着目した。このたんぱく質が、クマムシの体内でどのような役割を担っているかを知ろうと、試験管内で水に溶かしたたんぱく質を乾燥させると構造がどのように変化するか、電子顕微鏡や原子間力顕微鏡で観察した。
すると、CAHS1たんぱく質は乾燥が進んで濃縮されると、自然に集合してファイバー(繊維)やゼリー状のゲルを形成し、水を加えると元に戻ることが分かった。21年、英科学誌「サイエンティフィックリポーツ」で発表した。
水中のCAHS1たんぱく質は、ひもとらせんがつながったような形態をしている。乾燥の進行に伴って、らせん部分が束のように集まることでファイバーになり、さらにゲルになると、ファイバー同士が寄り集まって網目状の構造になるという。こうした構造の変化は、研究用の市販のヒト培養細胞内でも起きることを確認した。
研究結果について加藤さんは「クマムシの細胞内でCAHS1たんぱく質が集まると、網目状の空間ができて、生命維持に必要な成分を保護するはたらきがあるのかもしれない」と推察する。今後は、CAHS1たんぱく質と他の生体関連物質との関わりや、クマムシの体内でのCAHS1たんぱく質のはたらきを探っていきたいという。【野田武】
■クマムシの特徴
・体長は0.1~1ミリ
・脚は4対8本
・「ムシ」と呼ばれるが昆虫ではない
・動く様子が「熊」のようであることが名前の由来
・他の生物とは体の構造が異なり、「緩歩動物」と分類される
・陸上や湖、海などあらゆるところに生息。1300種類以上存在
・高圧や高温、乾燥など、さまざまな厳しい環境に対する耐性を有するものもいる
・脱水して縮こまった「乾眠」と呼ばれる状態で、さまざまな厳しい環境に耐えられることが知られる