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48歳の会社員の智華さん(仮名)は、1週間ほど前から、右手が痛くて明け方に目を覚ますようになった。右手全体がしびれた感じがしてズキズキ痛んで眠れないが、手首を曲げて手を前後に振ると痛みが軽減した。右手が体の下敷きになって圧迫されたからしびれが出たのかもしれないと考え左向きで寝てみたが、やはり明け方になると右手にしびれと痛みを感じて目が覚めてしまう。右手のしびれと痛みで明け方に目が覚め、仕事にも支障が出そうになったので、近所の整形外科を受診したところ手根管(しゅこんかん)症候群と診断された。
手首の神経が圧迫され明け方に手指のしびれや痛みが出現
「手根管症候群は、腕の中心を通って手や指の運動と屈曲を支配している正中神経が、手首にある手根管と呼ばれる狭い管の中で圧迫され、手指や手首にしびれや痛みが出る病気です。一般的には明け方や夜間に親指から薬指まで4本の指にしびれと痛みが出るケースが多いとされますが、初期の段階では智華さんのように、手全体や腕の痛みを訴える患者さんも少なくありません」
そう解説するのは、慶応義塾大学病院整形外科准教授の岩本卓士さんだ。進行すると、痛みはほとんど感じなくなるが、親指の付け根の筋肉が萎縮して動かせなくなり、親指と人さし指をくっつけてOKを出すパーフェクトオーサインができなくなるという。
「手足のしびれやまひにつながる首の椎間板(ついかんばん)ヘルニア 再発予防には首を鍛える運動」で紹介したように、手や腕のしびれは首の椎間板ヘルニアなどでも生じる。手根管症候群かどうか判断するためには、診断用のハンマーで手首をたたく「ティネルテスト」、あるいは手首を曲げて両手の甲を合わせる「手関節屈曲テスト(ファーレンテスト)」で症状が誘発されるかをみる検査が必須だ。これらの検査と問診、触診、手の末梢(まっしょう)神経に電気刺激を加えて伝わる速度をみる「神経伝導検査」などの結果から総合的に診断する。手根管で正中神経が圧迫されると電気刺激が伝わる速度が遅くなるという。
女性ホルモンの急激な低下が手指の症状悪化の原因に
手根管症候群は、男性や高齢女性にも生じるが、特に更年期や授乳中などの女性に多いのが特徴だ。それはなぜなのだろうか。
「更年期や授乳期に手根管症候群を発症しやすいのは、女性ホルモンのエストロゲンが急激に低下するのが原因とみられます。エストロゲンは手指などの関節や腱(けん)の周りにある滑膜(かつまく)という組織の炎症や腫れを抑える役割を果たしていると考えられています。その分泌が急激に低下すると、腱や関節に炎症が生じたり硬くなったりして手指の関節や腱の周りの滑膜が分厚くなり、神経などが圧迫されやすくなるのです」と岩本さんは説明する。
大塚製薬が今年7~8月に全国の50~64歳の女性207人を対象に実施したインターネット調査では47%が、手指にむくみ、痛み、腫れ、こわばりなどの不調があると回答した。更年期症状がある人だけに限定すると、71%もの人が手指の不調を自覚していた。更年期症状としては、顔や体のほてりやのぼせ、異常に汗が出るホットフラッシュがよく知られているが、実は、手指に不調が生じる人も多いのだ。
「日本手外科学会では2023年に、更年期の女性に特徴的な手指の関節の痛みやしびれ、むくみ、腫れ、こわばりなどの症状をまとめて『メノポハンド(更年期手)』と呼ぶことにし、更年期症状の一つと位置づけました。メノポは英語で更年期を意味するメノポーズ(menopause)の略語です。更年期の女性の手根管症候群はメノポハンドの一種と考えられますが、治療できる病気なので、手や腕のしびれや痛みが続くときは整形外科を受診しましょう。手外科専門医のいる医療機関を受診すれば、適切な診断と治療を受けられます」
岩本さんは、そうアドバイスする。手外科専門医は、日本手外科学会が認定する専門医だ。専門医のいる医療機関は同学会のホームページで調べられる。
保存療法、ステロイド注射、手根管開放術で症状が改善
智華さんの場合は、整形外科で手根管にステロイド注射を打ってもらったところ、手のしびれと痛みがなくなり、朝までぐっすり眠れるようになった。整形外科医に勧められ、寝るときには右手首をサポーターで固定するようにしている。
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岩本卓士さん=福島安紀撮影
スウェーデンで実施された研究では、手根管症候群の患者にステロイド注射を打つと、10週間は効果が持続し症状が軽減されることが分かっている。しびれや痛みがそれほど強くない場合には、症状が出やすい夜間に手首をサポーターや弾性包帯で固定し、消炎鎮痛薬やしびれを軽減するとされるビタミンB12などを用いた保存療法だけで症状が軽減することもある。
「ステロイド注射や局所麻酔薬による神経ブロックなどを繰り返しても症状が改善しないときや、親指の付け根の筋肉が萎縮している場合には、手根管の屋根の部分である靱帯(じんたい)を切開して正中神経の圧迫を解除する手根管開放術を検討します。狭くなっている手根管のトンネルの一部を開いて神経の圧迫がなくなれば、しびれや痛みも出なくなるわけです。手術にかかる時間は15~20分程度で、日帰りでできる手術です」と岩本さんは語る。
高齢者の発症は心アミロイドーシスの初期症状の恐れも
手根管症候群は男女を問わず高齢になると発症することがあるが、近年注目されているのがこの病気と、心不全の原因となる心アミロイドーシスの関係だ。アミロイドーシスは、アミロイドという異常なたんぱく質がさまざまな臓器に沈着して機能障害を起こす病気で、心臓に沈着すると心アミロイドーシス、脳に蓄積した場合には、アルツハイマー型認知症を発症しやすくなる。
国内外の研究で分かってきたのは、手根管症候群の高齢者の一部は全身にアミロイドがたまる全身性のアミロイドーシスで、5~10年後に心アミロイドーシスを発症するリスクが高いことだ。手根管症候群が、心アミロイドーシスの初期症状である可能性もあるわけで、手指の不調も侮れない。
「特に、手根管症候群と心アミロイドーシスの併発は、高齢男性に多い傾向があります。当院では、手根管開放術を実施したときには採取した組織を調べ、手根管にアミロイドの沈着があることが判明した場合には循環器内科へ紹介しています。心アミロイドーシスに関しては進行を抑える薬が出てきているので、早く見つけて治療し心不全を防ぐことが重要です。手根管症候群の高齢者全員が心アミロイドーシスを発症するわけではありませんが、気になる人は手外科専門医や循環器内科医に相談してみましょう」と岩本さんは強調する。
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福島安紀
医療ライター
ふくしま・あき 1967年生まれ。90年立教大学法学部卒。医療系出版社、サンデー毎日専属記者を経てフリーランスに。医療・介護問題を中心に取材・執筆活動を行う。社会福祉士。著書に「がん、脳卒中、心臓病 三大病死亡 衝撃の地域格差」(中央公論新社、共著)、「病院がまるごとやさしくわかる本」(秀和システム)など。興味のあるテーマは、がん医療、当事者活動、医療費、認知症、心臓病、脳疾患。