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毎日新聞 2023/7/13 東京朝刊 有料記事 1027文字
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ワシントン駐在時代、病院通いをしたことがある。治療の副作用で口の中がただれ、痛くてまともに食事がとれない。とはいえ、病気に勝つには体力の維持が重要になる。医師は、力ずくで痛みを抑え込もうと鎮痛剤を処方した。
薬局で処方箋を出し、いつものように保険請求用に「コピーが欲しい」と伝えた。だが、処方薬が「オキシコドン」と知った途端、店員の表情がこわばった。
オキシコドンは、麻薬性鎮痛剤「オピオイド」の一種だ。鎮痛効果に優れ、手術直後の患者などに処方される。痛みに苦しむ患者には有用だが、使い方を誤ると死に至る。薬は時に「毒」に変わる。
すったもんだの末、手に入れた処方箋のコピーは、「支払い済み」のスタンプで埋め尽くされていた。他の薬局で再利用されないようにするためだ。
フェンタニルの致死量はわずか2ミリグラム。鉛筆の芯の上に載る量だ=米麻薬取締局(DEA)提供
そしていま、米国ではオキシコドンよりさらに強力な「フェンタニル」が社会問題化している。
約60年前に開発されたオピオイドの一種で、ケシを原料とするモルヒネやヘロインより50倍から100倍も強い。安価に製造でき、麻薬組織からみると利益率が高い。ヘロインなど他の麻薬に混ぜ、錠剤や粉末で密売される。
2016年に人気歌手のプリンスさんがこのクスリで死亡、今月も、名優ロバート・デニーロさんの19歳の孫が亡くなった。
犠牲者は猛烈な勢いで増え、21年には7万人に達した。ネットで簡単に手に入るため若者の死が目立つ。米国の18歳から49歳の死因トップは、麻薬の過剰摂取。その大半はフェンタニルだ。
フェンタニルは、中国製の化学物質を使いメキシコで製造される。それが米国に密輸される。
中国は18年12月の米中首脳会談を機に、フェンタニルの製造・販売の規制に乗り出した。だが、国内には16万社もの化学メーカーがあり、隅々にまで目が届かない。米中間の対立が続くことも、問題の解決を難しくしている。
「麻薬問題は1カ国だけでは解決できない」。米国は先週末、フェンタニルなど合成麻薬に対処する有志連合を結成しようと初の閣僚会合をオンラインで開いた。日本など80を超す国が参加した。
会合の冒頭、ブリンケン国務長官は、合成麻薬の死者が相次ぐ米国を「炭鉱のカナリア」に例えた。その上で「米国市場が飽和状態になれば、麻薬犯罪組織は新たな市場探しを始める」と警告、一致団結した対応が必要と訴えた。
米国の麻薬禍は、どの国にとっても「対岸の火事」とは言い切れない状況にある。(専門編集委員)