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毎日新聞 2023/7/15 東京朝刊 有料記事 1948文字
8月15日が1カ月後に近づいた。この時期に呼び戻されるのは、戦争をめぐる記憶である。78年前のあの日、日本国民はラジオの玉音放送をとおして敗戦を知ったことになっている。ところが音声は雑音で聞き取りが難しく、漢語交じりの難解な表現も多かった。玉音放送の趣旨はわかりにくかった。重大発表があるとの予告を対ソ開戦と誤解する人もいた。
ある地方では憲兵隊が「本日のラジオ放送はデマ放送なり。敵の謀略に乗ぜられるな」と市民に伝えた。東京でも陸海軍がバイクのサイドカーから、あるいは飛行機からビラを散布して、徹底抗戦を呼びかけた。嘘(うそ)のビラを信じて、復讐(ふくしゅう)戦を誓う人々もいた。
昔も今も戦争は嘘をつく。ウクライナでの戦争が始まって1カ月の昨年3月のこと。ウクライナのゼレンスキー大統領が自国の兵士と市民に投降を呼びかける動画が広まった。この動画はAI(人工知能)によるディープフェイクで、ロシア側の仕業だったとされる。
戦争の嘘がやっかいなのは、嘘をつく方が悪いとは限らないからである。一例を挙げる。湾岸戦争のさなか、ペルシャ湾に原油が流出した際に、メディアは油まみれで真っ黒な水鳥の写真を掲載した。イラクの「環境破壊」が国際的に非難された。ところが原油流出は、米軍機がイラクのタンカーを爆撃したからだった。ならば湾岸戦争の正義はイラク側にあったのか。いや、イラクが正当化するのは難しい戦争だった。
だまされないためにどうすればいいのか。近代日本における戦争の嘘をめぐる歴史から考える。
近代日本の戦争の嘘としてすぐに思い浮かぶのは、大本営発表だろう。大本営発表は今では虚偽の発表の代名詞になっている。ところが対米開戦の当初は、大本営発表も正確に戦果を伝えていた。誤報は後日、訂正されている。大本営は客観的な情報を伝えることで、国民から協力を調達しようとしたからである(保阪正康「大本営発表という権力」)。しかし戦況の悪化に伴い嘘が忍び込む。撤退は「転進」と言い換えられた。全滅は「玉砕」と美化された。
戦争の嘘は、自国民だけでなく、相手国にも向けられる。戦争は宣伝戦でもあったからだ。満州事変を直接のきっかけとする日中プロパガンダ戦争は、中国側が優位に立った。アメリカの雑誌「ライフ」(1937年10月4日号)が「上海南駅の赤ん坊」の写真を掲載した。そこには日本軍の爆撃によって破壊された駅での悲惨な赤ん坊の姿が写っていた。日本側はでっち上げと反論した。しかし手遅れだった。この写真は世界中を駆けめぐり、日本の非人道性を印象づけた。
排日ポスターや伝単(宣伝ビラ)を駆使する中国は宣伝戦の巧者だった。「毒蛇(=日本)に中国人がまさかりで立ち向かっている」「日本兵が過ぎて行くあとには無数の骸骨がころがっている」。このような排日ポスターは、日本の当局者が中国は「宣伝第一位の国」だと感心するほどの出来栄えだった。対する日本側は、「捕虜をいじめはしない」との伝単をまいて投降を呼びかけた。投降した中国人兵士を待ち受けていたのは、正反対の結果だった。
結局、問題は宣伝戦の巧拙ではなかった。中国本土での日本の軍事侵攻は、中国の主権・領土の尊重を掲げる9カ国条約違反を免れ難かった。国際社会からすれば、日中戦争は日本の対中国侵略だった。だから、日本は宣伝戦で勝ち目がなかったのだ。
宣伝戦だけでなく、対米開戦後ほどなくして、戦況は急速に不利に傾く。戦場の日本軍は味方の嘘の情報よりも敵の謀略情報を信用するようになる。連合国の短波ラジオ放送や空から舞って来る伝単は正確だった。本土の空襲は伝単の予告どおりだった。「お見舞申す」とのビラをみた人々は、予定の日を覚悟し、爆撃された。そして、日本は敗れた。
以上に概観した歴史から何を学ぶべきか。戦争の嘘にだまされないためには、何が事実かを見極めるべきはもちろんである。ディープフェイクにはファクトチェックで対抗すればよい。ところがファクトチェックのフェイクまであるのだから、そうは問屋が卸さない。巧緻なディープフェイクを見抜くのは不可能に近い。
私たち一般市民は、高度なICT(情報通信技術)の習得に励むよりも、常識を鍛えるべきである。どちらの国の方が、戦争に訴えてでも目標を達成することを国際的に正当化できるのか。このことを判断できる常識があれば、戦争の嘘にだまされることはない。「五族協和」の満州国、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」。かつての日本の後づけの理屈に、国際的な正当性はなかった。(第3土曜日掲載)
■人物略歴
井上寿一(いのうえ・としかず)氏
1956年生まれ。学習院大教授(日本政治外交史)。同大学長など歴任。著書「矢部貞治」など。