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毎日新聞 2023/7/20 東京朝刊 有料記事 1286文字
6月前半、欧州連合(EU)加盟国ハンガリーでの「ブダペスト平和フォーラム」に招かれた。ウクライナ問題で、停戦も含めた平和構築のあり方を自由に議論するという。一見まともそうだが、プーチン露大統領に甘いオルバン政権肝煎りなのが気になった。
参加してみると、やはり懸念通りで、基調報告は「反米」「反北大西洋条約機構(NATO)」一色。とりわけ強烈だったのが、「途上国」支援のエキスパートとして著名な経済学者、ジェフリー・サックス氏とキショール・マブバニ元シンガポール国連大使だ。前者は、「米国が手を引けば世界は平和になる」と主張。後者は世界の「多極化」を支持し、主要7カ国(G7)による露批判を歴史の遺物であるかのように嘲笑した。
米国が手を引けばいい。この見解は、朝鮮やベトナムでの米国による戦争を批判した政治学者、ブルース・カミングス氏ら米日欧のリベラルな「知識人」に珍しくない。要は、世界にいつもしゃしゃり出る米国が悪い。が、彼らは周囲の大国の干渉や抑圧に苦闘する「小国」が見えていない。
例えば、モンゴルは「我々は『2人の巨人』(中露)に囲まれており、安全保障に『第3の隣国』が必要だ」とする。中央アジアや中東のいくつかの国もそうだ。彼らは、生存をかけて米国を自らの地域に巻き込もうとする。「米国が手を引けば」の論理こそ、米国中心思考の裏返しなのだ。
マブバニ氏の「多極化」論は、露による国家主権平等ルールの破壊を看過している。たしかに、現実には大国が小国の権利を侵害することはままある。とはいえ、このルールは、国連憲章も明記している。世界の植民地が独立を達成して以降は普遍的で、必ずしも欧米主導のものではない。
この間明確になったプーチン大統領の主権理解は、三重だ。まず、過去に王朝などがなく自らで統治した空間が乏しい「民族」の新興国は、主権国家ではない。様々な帝国に支配され続け、ソ連解体後にできたウクライナがまさにそう。いずれなくなる「人造国家」でもある。だから、責任ある大国ロシアが関与せねばならない。
第二に、安全保障など国家の基礎となる政策を自ら決められない国家も、(歴史的に大国でも)主権国家ではない。たとえば、安全保障を米国に依拠する日本。そんな国と平和条約交渉など無意味だ。昨今のロシアの日本を見下す態度は、この考えに基づく。
第三に、「主権なき国家」はどうすべきか。かつてソ連が東欧諸国へ軍事介入した際の「制限主権」論は、「各国の主権は社会主義共同体の下でのみ行使される」とした。プーチン大統領も、こう言うだろう。「各国の主権行使はロシアと共に」
プーチン流の「多極化」の意味するところは19世紀的な大国による小国支配の理屈だ。「主権平等」は米露中などに限られ、小国はその支配下に置かれる。
言語学者のノーム・チョムスキー氏らも今回のフォーラムのような主張だ。彼ら「知識人」の底の浅さが見えたことが、今という時代の変わり目を象徴している。
■人物略歴
岩下明裕(いわした・あきひろ)氏
1962年生まれ。博士(法学、九州大)。専門は境界地域研究。