+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第9火曜日です。
三位一体の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マルコによる福音
<皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。>
そのとき、12・13人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。14彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」15イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」16彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、17イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(マルコ12・13-17)
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パク・ヒョンスン神父様の「今日の黙想」です。
今日私たちが聞く福音の内容は、イエス様に対する否定的な感情を表す「陥れ(罠)」から始まり、「驚き入る(感嘆)」という肯定的な場面に移り変わる動きを示しています。注目すべき点は、その罠が感嘆に変わるその場に神が存在するということです。イエス様は自分に対する試しに直面しながら、華麗な言葉ではなく神を通して答えます。
それゆえに今日の福音は、次の二つのことを考えさせてくれます。
第一に、私たちが直面する信仰の疑問、信仰と生活の質問は私たちの考えや判断を通じて答えを見つけることができないということです。私たちは自分の思考に基づいて持っている信仰について自分自身に「罠」を仕掛けようとします。私たちに訪れるさまざまな状況の中で信仰に疑問を呈する際、私たちは「正当か、正当でないか?」、「すべきか、すべきでないか?」という罠に直面し、結局その罠にかかってしまいます。結果として私たちが直面し、投げかける信仰の疑問に対する答えは、神の中でしか解決されないことを今日の福音は知らせています。
第二に、イエス様の答えのように、神のものは神に返すべきだということです。人々は皇帝に税金を納めることは知っていながら、神に神のものを返すことは知りません。「成功」と「富」というこの時代の皇帝に私たちは多くの税を納めながら生きています。富と栄光が私たちを守ってくれると固く信じ、大切にせず当然のこととして税を納めます。一方で、神に属するものに対してはどうでしょうか?主に属するものが何かを探そうともせず、自然と神に捧げることを考えずにいます。そんな私たちに詩編の著者は声高に叫びます。「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」(詩編24[23]・1)。世と世界を満たすすべてが神のものです。それを見分けることができる目が私たちには必要です。
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神様のものと世のものを見分ける目を持ってきちんと主に感謝と賛美をささげることができる知恵が満ち溢れますように聖霊、きてください。