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細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 目次
前書き. 5p
01. 逗痕 9
02. 黑髮 26
03. 櫓 47
04. 鉦の音 67
05. 緣 88
06. 輿入れ 108
07. 平蜘蛛の釜 128
08. 氷雨 154
09. 覇道 169
10. ジュスト高山右近
11. 匂い袋 209
12. 丹後の海 237
13. 暴君信長 263
下巻につづく- 293p
● 前書き
ガラシャ夫人の名を、はじめてわたしが聞いたのはいつの頃であったろうか。多分十二、 三歳の頃ではなかったかと思う。ガラシャという異国の人名が何か奇異に響き、わたしには無縁の女性のように感じられた。
おんちようひあけちわたしが夫人に心を惹かれるようになったのは、そのガラシャという名が、実は洗礼名グレーシア(恩寵・神の恵みの意)であること、夫人の父親があの三日天下 明智光秀であることを知ってからである。
細川ガラシャについて詳しくは知らなくても、ガラシャが美貌と才気、そして熱烈な信仰を持ち、壮烈な最期をとげた女性であることを知っている人は多いであろう。逆臣の名を日本史上に残した明智光秀と、このガラシャとのかかわりは、普通の親子以上の深いものがあったのではないかと思う。
戦前に育ったわたしが、学校の歴史で教えられた明智光秀は、主君織田信長に反逆した稀に見る悪臣であった。三日天下は彼に対する蔑称嘲称である。この言葉から受けるものは、光秀という人間が、如何にも思慮分別のない愚か者といった印象である。
が、敗戦によって、わたしたちは自分の学んだ歴史に多くの不信を抱くようになった。戦争中の教科書が、余りにも天皇中心に編さんされ、歪められたものであったことを知ったからである。歴史上逆臣といわれた者が、必ずしもそうでないばかりか、真の勇者であり、反骨の士であったことも知ったのだ。
この度、ガラシャ夫人の一生を書こうとして、わたしは先ずその父光秀について調べた。 親は多く子を語るものだからである。
信長を本能寺に倒した光秀は、秀吉に追われて逃げる途中、農民に殺されたというのは一般の歴史書の記すところである。にもかかわらず、徳川家康が帰依し、親交の厚かった名僧天海大僧正(後に慈眼大師号を諡られた)は光秀であったという説が、今もって伝えられている。天海大僧正の前身が判然としないというだけで、それが即ち光秀だと伝えられるのは、 当時の人々の心の中に、光秀の最期を農民に殺されたままにしてはおけない、敬慕の思いがあったからではないだろうか。
光秀は砲術、築城の第一人者であると同時に平生、茶道、短歌、俳句、花にも長じた教養人で、静かな人であったという。本能寺の乱の直後、信長には見られなかった人民を重んずる法制をいち早く敷いた。この光秀に、京都の人々はみな名君現ると拍手を以て迎えたという記録もある。
この光秀を農民が団結してかくまい、他の臣の首をあげて光秀と偽るということは、あり得たような気もする。また、信長の叡山焼打ちの事件の際、光秀はひそかに僧たちをあわれみ、情けをかけていた。その恩義に感じた僧たちが、光秀をかくまったともいわれている。
更に一説には、千利休の前身が、天海大僧正同様つまびらかでないため、利休は明智光秀であったともいわれている。秀吉が後に、利休を光秀と見破り、切腹させてしまったというのである。
以上二説、虚か実かはともかく、当時の人々がいかに光秀を惜しんでいたかが、 れるのではないだろうか。なぜこのように光秀が惜しまれたのか。それは恐らく、光秀の信長に対する反逆が、単なる反逆ではなかったからにちがいない。
事実光秀は、信長のためにその義母を殺されている。また信長は、徳川家康に対する饗応の役を突如変更して、光秀の面目を失わしめた。が、これ以外に更に重大な理由があったといわれる。それは、信長の胸中に、光秀をだまし打ちにしようとする計略があったという説である。いわば光秀の行動は、反逆ではなくて正当防衛であったというのだ。こうして、 人々は光秀を惜しむあまり、天海大僧正や利休を光秀ののちの姿と信じたかったのではないだろうか。
事情はともあれ、名僧天海大僧正、名茶人千利休に光秀の面影を見たのは、光秀が並々ならぬ人物であったことを物語っているといえよう。
玉子(ガラシャ)には、この光秀の教養と反骨が確かに豊かに流れていた。その光秀の娘として生まれたが故に、彼女の三十八年間の生涯は、実に波乱に富んだ悲劇的なものとなった。
彼女の一生は、今なお多くの人を感動させ、既に小説に戯曲に伝記にと、多くの書が著されているが、わたしもまたわたしの視点に立って、今の時代に生きる自分の問題として、書きつづってみたいと思う。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 痘痕(あばた) 01-1
家人たちが騎馬のけいこをしているのであろう。土塀の外を大声で笑いながら、二、三騎駆けて行く音がした。凞子はいま、病後はじめて、離室の縁にすわり、庭ごしに母屋を眺めていた。うらうらとひざした春の日ざしが膝にあたたかい。(あとひと月)凞子は病みあがりの肩をおとして、ほうっと溜息をついた。明智城主明智光綱の一子光秀と凞子は、幼い時からの許嫁である。光秀が十八歳になり煕子が十六歳になった今年の正月早々、婚儀の日が決まった。
その婚礼の日がひと月ののちに迫っている。だが熈子の心は重い。病みほそった白い指で、 またしても郷子は頬にそっと手をやった。熈子が近づけば、花も恥じて萎むといわれたほどに美しかったのは、既に過去のことなのだ。 二月初めのある夕べ、凞子は突如悪寒がしたかと思うと、たちまち高熱を発して床に臥した。最初は悪いはやり風邪かと思ったが、それは恐ろしい疱瘡であった。
発熱した翌日、紅斑が顔に手足に出て来たため、医者はすぐに庭の一隅にある離室に移すように命じた。頭痛や腰痛に悩まされ、化膿の痛みにもだえ苦しんだのち、一命だけはとりとめた。が、はじめてその頬に手をやった時の驚きと悲しみはいいようもなかった。顔ばかりか、首にも手にも
痘痕は残っていた。父母は神に仏にひたすら祈ったが、痘痕は消えるはずもない。 のりひろみのとき父、妻木勘解由左衛門範煕は、美濃の豪族土岐氏の出である光秀との良縁を諦めることはできなかった。土岐氏の出であるばかりではない。相手の光秀は、その三歳の時既に、万軍の将たる相がありと、さる僧が驚いたというほどで、十八歳とは思われぬ秀れた人物であったからでもある。
とてもこの顔では、嫁入りさせることはできない。といって、光秀との縁組を取り消すのは惜しい。父の範凞が窮余の一策を案じたのも無理からぬことであった。が、その時、まだ熈子は父の考えを知る筈もなかった。
熈子はおそるおそる再び頬に手をやった。絹じゅすのような、曾ての肌理細かな頬とは、 似ても似つかぬ手ざわりに、熈子は唇をきっとかんだ。
切れ長の黒い目は、庭の三分咲きの桜の花に向けられていたが、花も目に入らない。幼い時から幾度か会った光秀の、落ちついた思慮深げな風貌が目に浮かぶ。見馴れている若い家人たちの荒々しさとは、全くちがった光秀のその静かさに、熈子は心ひかれていた。 しかし、それはもう諦めねばならないのだ。どこの世界に、疱瘡のあとも醜い女を、奥方に迎える殿があろう。
(それにしても、女の命は見目形であろうか) 熈子は、この二、三日思いつづけてきたことを、いままた思った。幼い頃からついこの間まで、愛らしい、美しいと人々にいわれつづけてきた。自分の美しさは、太陽が西から出ぬ限り、いつまでもつづくものと思っていた。が、いまにして熈子は顔の美しさの変りやすさに気づいたのだ。ひどく頼りにならぬものに、頼ってきたような気がする。
ほうっと、また溜息をついた時、先程の騎馬であろうか。再び地ひびきを立てて塀の外を駆け過ぎて行った。「いやですこと。またいくさが始まるのでしょうか、お姉さま」清らかな声がして、妹の八重が母屋から縁伝いに歩いてきた。八重のその白い陶器のような肌に、無子の視線がちらりと走った。凞子の肌は、これより更になめらかだったのだ。
「若い方たちが、騎馬のおけいこをなさっておられるのでしょう。先程も笑いながら駆けて行かれましたもの」「それなら、よろしいけれど」八重は無邪気な笑顔で熈子を見、「ご気分はよろしゅうございますか、お姉さま」二歳年下だが、八重は燃子と時折まちがわれるほどに、背丈も顔かたちもよく似ている。
腰まで垂れた豊かな黒髪を下くくりし、元結をかけている。 「ありがとう。気分はもうずいぶんよろしいのです。でも・・・」ほほえんでいた熈子の目がかげった。「お輿入れのことがご心配なのでしょう?」八重は大人っぽい表情になった。
「おことわり申し上げるより仕方がないでしょうけれど・・・」「でも、お姉さま。光秀さまががっかりなさるだろうと、お父上さまがおっしゃっておられました」「お父上さまが?」父の範熈は、熈子が病んで以来、結婚のことについてはぴたりと口を閉じていた。光秀との結婚を誰よりも喜んでいた父だけに、その落胆が思いやられてならなかった。
「あのう、お姉さま」凞子の傍らに八重は腰をおろした。病状はすっかりおさまり、伝染の危険期は脱したものの、熈子は少し体を離して、「何でしょう」「本当は、お姉さまにはまだ内緒だと、お父上さまがおっしゃったのですけれど・・・」「何をですか」「・・・いいえ、何でもありませぬ」あわてて八重は、かぶりを横にふった。
「わたくしに内緒のこと?・・・」光秀に関することにちがいない。父は遂に破約を申し入れたのではないか。ひと月ののちに迫っている結婚を、そのままずるずるにしておくことは決して出来ないのだ。「・・・よいことですのよ。でも、お姉さまは何とおっしゃるでしょうか」八重は無邪気に凞子を見た。
「さあ? わたくしに内緒のことでしょう。内緒のことにいいようはありません」「お姉さま、お聞きになりたい?」よいことと聞けば、知りたくはある。が、今の凞子には、そのよいことさえ知るのは恐ろしくもあった。「いいえ。内緒のことを伺っては、お父上さまに申し訳がございませんもの」「でも、お姉さまが黙っていらっしゃれば、教えてさし上げます」
「いいえ、よろしいことよ。お八重、わたくしはお父上さまが仰せになるまで、伺わないことに致します」「あーら、つまらないこと。わたくしとお父上さまが内緒ごとをしたので、怒っていらっしゃるのですか?」「いいえ、怒ってなどおりません」凞子の目がやさしく微笑した。肌はあばたになっても、その整った目鼻立ちには変りはない。それだけに痘痕は一層痛々しくもあった。
「じゃ、お教えします。お父上さまには黙っていらっしゃって。どうせお父上さまも、すぐにお話しなさることですもの」「------」「あのう、お姉さま。わたくしお嫁に行くことになりました」「まあ!それはおめでたいお話ですこと」「喜んで下さります? お姉さま」「それは喜びますとも、おめでたいことですゆえ」
「嬉しいこと。お姉さまはお病気をなさったから、あまりお喜びにならないと思っておりました」にっこりした八重の口もとがいかにも幼なかった。「で、お八重、どなたさまのところに?」「それが、明智光秀さまのところに」「え? 光秀さま!?」はっと凞子は耳を疑った。が、次の瞬間くらくらと目まいを覚えて、片手を縁についた。
八重はその凞子の驚がくには気づかず、 じっと自分の膝頭をみつめたままいった。「そう、光秀さまのところですって。お父上さまは、光秀さまのところにお嫁に行くのが、一番お家のためだと申しておられました」「お姉さまはお病気になられたので、光秀さまのところにも誰のところにも、もうお嫁に行く気持はつゆほどもない。それでは長いこと許嫁だった光秀さまが、あまりにお気の毒だとお父上さまは申されました」
「お姉さまとわたくしは、よく似ておりますでしょう? だから、わたくしがお姉さまの身代りになって行くのですって。それが明智さまにも、この妻木の家のためにも、一番よいことなのだそうです」「お家のためになることなら、わたくし、喜んでお姉さまの身代りになって差し上げます」
八重は熈子の顔をのぞきこむように見た。涙の溢れそうな姉の目がそこにあった。八重はあわてて、「あら、どうなさったの。わたくし、お姉さまの身代りになって差し上げますのに・・・」「・・・うれし涙です。お八重があの方の奥方になることが・・・」「まあ、本当? それなら、わたくしも嬉しい」
八重は単純であった。体は大人でも、まだこの正月十四歳になったばかりの八重には、男女の間の情などわかろう筈がない。父範熈の立場で、何よりもお家が大事と諭されれば、八重はその通り素直に思いこむだけなのだ。疱瘡などという恐ろしい疫病にかかったのは、姉の不運である。しかも、こうして姉の顔を眺めれば、この顔で嫁入りしたい思いなどあろうはずがない。
まだ心の幼い八重にはそんなふうにしか考えられなかった。八重の乳母は生涯結婚するふうがない。それをふしぎとも思わずに育った八重である。同様の感覚を姉に抱いたのも当然だった。何の悪気もないのだが、しかし、女としての目ざめのない八重のその幼さは、非情であった。非情であることに本人が気づかぬ故に、それは一層非情であった。
「お八重さま、お八重さまはどちらでございますか」母屋のほうで、八重の乳母志津の呼ぶ声がした。「あら、乳母が呼んでいます。では、お姉さま、お大事に」何のくもりもない晴れ晴れとした笑顔を見せて、八重は母屋のほうに立ち去って行った。しばし凝然と縁にすわっていた熈子は、静かに立ち上がり、部屋に入って戸を閉じた。と、 うすぐらい部屋の真ん中に、くず折れるようにすわった。
(八重が、光秀さまの奥方に・・・) 凞子にとって、それはあまりにも大きな衝撃であった。幼い時から光秀の妻になると信じて今日に及んだ熈子なのだ。事もあろうに、妹の八重に光秀を奪われるとは。「人の世は苦じゃ」つい数日前、妻木家菩提寺の老僧から聞いた言葉が思い出された。人生に待っているのは、 老いることであり、病むことであり、愛する者との別離や、裏切りによる苦しみであり、そして最後の死であるといわれたのだ。
「しかし、それらが苦であるのは真理を知らぬ無知から来るものでな。すべてのものは、刻々変化して行くものと知らぬからじゃ。生まれた者は死ぬ。若い者は老いる。健やかな者も病む。美しい花も散る。すべてが無常と知ること、それが真理を知ることじゃ。真理を知らねば、迷い苦しむも道理でな」痘痕のできた凞子の白い手をいとおしそうに取って、老僧は説いた。
(では、今のこの苦しみも、また刻々と変化して、いつかは消えるものではないか。苦が楽に変ることではないか) いま凞子はふと、そんなことを思った。八重に光秀を奪われたと苦しむよりも、今の苦しみもまた、無常だと観ずればよいのではないか。 凞子は老僧の言葉を素直に信じたいと思った。が、今受けたばかりの心の痛手が、直ちに癒えるはずもない。
凞子は畳に打ちふし、声を殺して泣いた。 しばらく泣いているうちに、黒子の心は少し静まってきた。確かに悲しみにも移り変りがあると、凞子は再び老師の言葉を思った。自分の病いが、疱瘡とわかった何十日も前に、既に凞子は光秀を諦めていたはずだった。考えてみれば、八重が光秀に嫁ぐという夢想だにしなかった事実に、自分は心を傷つけられただけなのだ。自分が嫁ぐことができぬ以上、光秀が他の女性を娶ることは必定である。
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見も知らぬ他の女を娶られるくらいなら、自分によく似た妹の八重と結婚してもらったほうが、 まだしも幸せというものではないか。しかも、父は八重を凞子と偽って嫁がせる魂胆らしい。去年の夏一度会って以来、今日まで光秀は自分を見てはいない。光秀が八重をこの無子と思いこんで、そのまま一生夫婦として終るならば、それはこの凞子自身を娶ったも同然なのだ。自分は光秀に捨てられたことにはならぬ。
それはともかく、父にとって、土岐氏の縁つづきである光秀との結婚は、重大事にちがいない。父としては、必死の思いで八重を光秀に輿入れさせるのだ。自分はこのままこの家に果てるとも、父をも八重をも決して恨んではならない。「お家が大事…」
つぶやいた凞子はかすかに微笑んだ。いや微笑もうとして、またもや涙が噴き上げた。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 痘痕(あばた) 01-2
遂に、八重の輿入れの日が来た。五月晴のすがすがしい朝である。朝から馬のいななく声や、出入りする人々のざわめきがして、閉めきった離室にいる凞子の耳にも、母屋のめでたい気配は伝わってくる。八重から光秀との結婚を知らされた日の夜、凞子は父の口からも、その事について聞かされた。その夜離室に来た父は、「言いにくい話じゃが・・・」と、苦渋に満ちた表情で語り出した。
長い間待っていた光秀殿との婚儀の日取りまで決まったというのに、その直後思わぬ病気に倒れたそなたは不憫である。病名が知れては、直ちに破談になるであろうと、自分もいたく心痛した。今のところ家族と乳母、侍女のふくのほかには、いかなる病気か知らせてはいない。明智殿を偽るのは心苦しいが、八重をそちの身代りとして嫁がせる決心をした。
無論そなたの胸中を思うと、かくいう父も甚だ辛い。が、戦乱の世にあっては、良縁は一人のものではなく、一族の幸せにかかるものである。辛かろうが、納得してほしい。 範凞は諄々と説いた。それは八重から聞いた通りの言葉であった。既に覚悟していた凞子は、唇に微笑さえたたえて、両手をつき、きっぱりと挨拶を述べることができた。
「お父上さま。どうぞ仰せのようになさって下さいませ。ご心労をおかけするような疱瘡になどなりましたのは、わたくしの不注意からでございます。八重が光秀さまに嫁ぐと伺って、凞も嬉しく存じます」思いもかけぬ凞子の言葉に、「そなたは・・・」範凞は絶句して頭を垂れたが、思わずはらはらと落涙し、「許してくれよ、お凞。お家のためじゃ」
「いいえ、お父上さま。おゆるしを頂戴しなければならないのは、この凞のほうでございます。窓はただ、明智さまと八重が幾久しゅうむつまじく、添い遂げられますよう、御仏におたのみするばかりでございます」十六歳の小娘とは思われぬ言葉に、範凞は感嘆していった。「お凞。そなたをおいて、明智殿にふさわしい女はなかったのに・・・」
範凞にとって、凞子は八重よりも一段と愛すべき娘であった。聡明で素直で美しく、範凞の誇るべき存在であった。自分の名を一字凞子に与えていることも、ことさらにその愛着を深いものにしていた。その父の情がわかるだけに、黒子はいささかの愚痴も、恨みの言葉も口に出すことはできない。
母屋のめでたい賑わいを耳にしながら、無子はいま、ふすまをぴたりとしめきって、暗い部屋の中にじっとすわっていた。健康状態はほとんど、もとに戻っている。こうして、暗い中にすわって、手も見なければ鏡も見ない限り、凞子自身以前の自分と何ひとつ変るところがないような気がする。
本来ならば、今日は自分が輿入れすべきめでたい日であった。幼い時から、胸に抱きつづけた花嫁姿になるはずであった。いかに聡明であり、心に諦めを持ってはいても、まだ十六歳の乙女である。さすがに昨夜から心が騒ぎ、ほとんど一睡もしていない。「お凞さま」ひそやかに、ふすまの外で声がした。凞子より八歳年上の侍女ふくの声である。
「もし、お凞さま」何度めかの呼びかけに、凞子はそっと、ふすまを三寸ほど開けた。「何のご用?」「はい・・・」ふくは伏目のまま、「あの、ただいま、お八重さまがお別れのご挨拶に伺いますとおっしゃってでございます。ご都合およろしゅうございましょうか」凞子が疱瘡を患って以来、ふくは凞子を正視しようとはしない。
「そうですか。八重の仕度はもうできましたか。では、お待ちしておりますと伝えておくれ」「はい」答えたが、ふくは立ち去ろうとはしない。「どうしました、ふく」「あんまり・・・あんまり・・・でございます」「・・・」「おいたわしゅうございます・・・ふくは・・・おいたわしくて・・・」「ふく。心はありがたく思います。でも、おめでたい日に涙は不吉。八重のために喜んで上げなければなりません」
ふくは袖口で目をおさえたまま、しばらく泣いていたが、思いなおしたように涙を拭いて立ち去って行った。ややしばらくして、ふくのあとに、母に手を取られた白いうちかけ姿の八重が、静かに離室に入ってきた。白い綿帽子をまぶかにかむっているためか、玉虫色の紅をつけた形のよい唇が、ひときわ可憐であった。
「お姉さま、長いことお世話さまになりました」板の間に、八重はきちんと両手をついた。「お幸せに・・・」自分のために整えられた白無垢を着た八重に、凞子は万感をこめて、ただひとことそういった。 「お姉さまも、お幸せに」この自分に、何の幸せが残っているものかと思いながらも、「ありがとう。大そう美しい花嫁姿ですよ、お八重」と、嬉しそうに凞子はいった。その姉と妹のやりとりを、母の万は何もいわずに聞いていた。
「では、参ります」「お幸せに」再び、凞子は同じ言葉を、同じ思いでいった。母屋に立ち去って行く八重の姿を、縁に出て見送った熈子は、再びふすまを閉じて呆然と部屋の中にすわった。八重の花嫁姿と共に、自分の心も自分の中から去って行ったような、 そんなうつろな思いであった。さぞや涙が出るであろうと覚悟していたが、涙も出ない。涙を流すには、余りにも苛酷な現実であった。
二年前から、光秀のために織ったかたびらや袴も、自分のために用意した幾枚かの小袖やうちかけや帯も、みんな八重の長持の中に納められて、今日明智城に運ばれて行く。凞子は自分自身も、せめて八重の侍女になってでも、光秀のもとに行きたいと思った。そして事実、 今日限り自分はここに生きるのではなく、八重と共に光秀のそばに生きて行くような気がした。
「お立ちいー」やがて凜とした声がひびき、緊張したざわめきが響いてきた。騎馬を先導に、輿や長持の数々がつづくのであろう。その様子を目に浮かべ、輿に乗ったであろう八重の姿を思いつつ、 凞子は身じろぎもせずに、暗い部屋の中にすわっていた。
「八重、お幸せに」つぶやくともなくつぶやいた凞子は、いまはじめて、嫁ぎ行く八重もまた哀れだと気づいた。今の今まで、光秀の妻となる八重を羨望していた自分が、ひどく浅はかに思われた。八重は八重という名を今日限り捨てて、凞子と名乗って生きて行かねばならぬのだ。光秀に凞子と呼ばれる八重は、果して本当に幸せであろうか。
八重が凞子の名を名乗る以上、自分もまた、今日限り凞子の名を捨てなければならぬ。共に悲しい姉妹だと凞子はしみじみと感じた。 どのくらい経ったことだろう。気がついた時には、邸内はいつしかしんと静まりかえっていた。(尼僧になりたい)凞子はそう思った。どうせ凞子の名を捨てたのだ。
今更八重の名を名乗ることもそらぞらしい。尼となれば、俗名を捨てて全く新しい名を与えられるだろう。凞子はそっとふすまを開けた。人気のない庭には風さえもない。ひどく静まりかえって、 無人の邸のようである。雲一つ浮かぶ空を見上げていると、ふいに涙が一筋頬をつたわった。「ぴーひょろろ」とびどこかで鳶の声がした。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 痘痕(あばた) 01-3
寝苦しい一夜が明けた。昨夜も一昨夜も、ほとんど眠れなかったというのに、神経が異様に冴えている。光秀と八重の盃事の様子が目にちらついて離れない。諦めていたはずが、少しも諦めてはいないのだ。凞子はそのような自分があさましく思われて、一刻も早く尼僧になりたいと思った。早速老師を招いて、尼になる相談をしたい。
この丈なす髪を剃ったならば、この世への未練も断ちきれるのではないか。そう思った瞬間、凞子の視線が自分の手の甲に落ちた。あばたのある両手である。凞子は蒔絵の手鏡をとって縁に出、いどむような視線で自分の顔をみた。頬に額に唇のそばに、点々とあばたが残っている。
(このような顔になっても、光秀さまへの思いを断ち切れぬ者が、たとえ剃髪したとして、果して煩悩を断ちきれるものかどうか) 鏡を膝の上に置いた時だった。ばたばたと駈けてくる足音がした。父の範熈であった。「お凞」範凞の顔色が変っている。「いかがなされました、お父上さま」「お凞、八重は戻されて参るぞ」「えっ? 八重が!?」
「うむ、明智殿のこの書状を見るがいい。明智殿は、明智殿はな、凞、八重がそなたの替玉であることに気づいたのじゃ。そして八重より事情を聞き、こうして書状を・・・」入口に突っ立った範凞の、手も唇もわなないている。「八重は後刻送り返される。たった今、明智殿の使者が、早馬でこの書状を届けてこられた」「それでは、かわいそうに八重は・・・」「うむ、是非もない。即刻父は明智殿に詫びと御礼に参らねばならぬ」「御礼? と申しますと」
「おう、肝腎要のことがあとになったわ。凞、明智殿はな、大したお方じゃ。これ、この書状を見い。予が評嫁せしはお凞どのにて、お八重どのには御座なく候、いかなる面変りをないされ候とも、予がちぎるはこの世に唯一人、お凞どのにて御座候。いいか、お凞、いかなる面変りをなされ候とも・・・」範凞は絶句した。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 黒髪 02-1
凞子が明智光秀の妻となって、二十年の歳月は流れた。秋の日ざしが縁側の障子に明るい。その障子に、折々庭の木の葉の散る影が映って、静かな午後である。凞子は布団の上に横になり、今もなお豊かなその白い乳房を、みどり児のお玉の口にふくませていた。
お玉は十日程前に生まれて、ようやく肌の赤味がうすらいできたところである。 凞はそのお玉を、さっきから飽かず眺めていた。(どのような一生が待っていることやら・・・) 凞子自身、生まれて以来三十六年、戦さに遭わなかった年は一度もない。この戦乱の世では、せっかく生まれてきても、いつ戦火の中に亡びて行くか予想もつかないのだ。
(明智に嫁いで、早二十年…) 凞子は昨日のことのように、婚礼の夜を思い浮かべた。疱瘡の痕のみにくい凞子を、父が恥じて妹の八重を身代りに輿入れさせた。が、幼い時から熈子と許婚者だった明智光秀は、八重には手も触れずに返し、改めて凞子を娶ったのだった。
その輿入れの夜、光秀は床の中で、かすかにふるえている凞子を抱きしめていった。「おの 「お凞。この戦さの絶えぬ今の世では、人が人間らしく生きて行くことは、まことにむずかしい。何よりも己が命己が身を全うするために、武士といえども、今日はあの主君に仕え、 明日はこの主君に走る。
男と女のちぎりさえ、いわば戦略の具がならいとなっている。親が子を殺し、弟が兄にそむくこともしばしば。全く心をゆるす相手もいない侘びしい世の中とは思わぬか。 このような世の中で、わたしは幼い時から、許嫁のそなたを、自分の分身のように思って育った。政略とはかかわりなく結ばれた縁の故でもあろう。わたしにとっては、そなたに代る何ものもなかった。
よいか、お凞。そなただけは、わたしの分身なのだ。そなたが病んだことは、即ちわたしが病んだことなのだ。そなたに疱瘡のあとができたことは、即ちわたしの体にできたも同然のこと。決して恥ずることはないぞ」十八歳とは思われぬ静かな声音で、光秀は諄々と説いた。ねんごろなその光秀の言葉を、凞子はくり返しくり返し、胸の中で自分に言い聞かせてきた。
あの夜限り、凞子は光秀の命そのものになって生きてきたのだ。光秀のその夜の言葉は、確かに真実であった。あばたこそあれ、聡明で、立ち居ふるまいの優雅な凞子を、単にいとおしむのみではなく、尊び且つ深く信頼してくれた。武将にはそれが慣らいの側室をも、光秀は決して置こうとはしなかった。凞子も無論、婚礼の日のことは片時も忘れず、光秀を敬愛して倦むところがなかった。
こと夫婦仲に関する限り、凞子は幸せな二十年を過してきた。が、決して平穏な日々ばかりではなかった。「おや、もうよろしいの、お玉」乳房を、その小さな口から離したお玉の顔を見やって、凞子はやさしく声をかけた。お玉はすやすや眠っている。凞子はそっと衿もとをかき合せると、自分も再び枕に頭をつけて目をつむった。
忘れもしない今から七年前、弘治二年四月二十日。美濃の国守斎藤道三はその息子義竜に襲われて死んだ。勢いに乗じた義竜は、明智城をも襲って陥れた。多勢に無勢である。光秀は、父代りであった叔父光安と共に自刃しようとしたが、光安は許さなかった。 「この不孝者奴が! お前が死んでは、明智家はここで絶えるではないか。草の根を噛んでも、必ず生きのびて明智家を再興せよ」
光安はきびしく叱咤し、自らは切腹して果て、城と運命を共にした。光秀は叔父の子光春と家人数人、妻子を伴って、ひそかに城をのがれ、若狭に落ち、越前に走った。今でこそ、こうして越前一乗谷城主朝倉義景に客礼をもって迎えられ、五百貫 (五千石)の地を受ける身分となった。家人も侍女も置いて、日々の暮しに何の不自由もない。
が、浪々の日には、明日炊く米のないこともあった。今でも凞子は、時折空の米びつに困惑する夢を見ることがある。城主の奥方から、一転して食うに事欠く生活を経験した凞子は、 ほかにも様々な困苦を味わってきた。だから、今はいかに豊かになっても、決して贅沢はしない。
お玉が生まれても、乳母をおかなかったのは、昔を忘れなかったからであった。子供はわが乳で育てるべきだと、凞子は考えている。疱瘡を患ったあとは、ほとんど病いにもかからず、凞子の体は健やかであった。廊下に落ちついた足音がし、人影が障子に映った。凞子がハッと半身を起した。
「お帰りなされませ。今日はお早いお帰りで・・・」客礼で迎えられている光秀は、出仕も人にくらべて自由である。侍女に着更えさせたのであろう。着流しのまま、枕もとにひざを折り、お玉を見てから視線を凞子にもどして、「寝ているがよい。無理をしてはならぬ」と肩に手をかけた。
「いえ、もう起きましても、障りはござりませぬ」「いやいや。お凞。赤子を一人産むということは、女の一大事じゃ。産めば産んだで、眠る時間もそがれるであろうし」横になった妻に布団をかけ、「男には、真似のできぬことよのう」とねぎらった。「恐れ入ります」「お凞、外は珍しくよい天気じゃ。だが、越前はすぐ雪がくる」言葉にこそ出さぬが、美濃のおだやかな冬を懐かしんでいるのだと凞子は察した。
「だが、お凞。いつまでもこの雪国に、そなたを置きはせぬ」明智の血筋である土岐氏は、二百年守りつづけた美濃の国守の地位を、斎藤道三に奪われた。そして道三の息子義竜に明智城も奪われた。その美濃の地に夫は戻るつもりであろうか。
光秀は浪々の日に、諸国をめぐって軍学を身につけ、築城の技術を学び、武芸に励み、とりわけ砲術は衆にぬきんでる腕前であった。しかも思慮深く何事にも洞察力に富んだ人柄である。いつまでも朝倉殿の禄を安閑と食んでいるお人ではないと凞子は思う。必ず朝倉殿をあるじはも凌ぐ一国一城の主となるにちがいないと、凞子は夫光秀を信じていた。
「嬉しゅうございます」「だが、時は待たねばならぬ。再び、そなたに、あの大盤振舞はさせられぬからの」「まあ、またそれをお言いあそばす」凞子はちょっと顔を赤らめた。「あの大盤振舞」とは、夫婦二人だけに通ずる言葉であった。
それは、五、六年前のこと・・・光秀がまだ浪々の頃のことであった。浪人とはいいながら、 文武に秀でた光秀の周囲には、同じく志を得ない屈強の浪人仲間が、いつも幾人か集まっていた。昨日は名もない素浪人が、今日は高禄をもって召し抱えられることの珍しくない世であったから、浪人といえども士気は盛んであった。この仲間が、順次当番となって酒宴を開くことになった。
光秀は諸国を足で歩き、軍略から築城までも広く学んでいたから、話題は豊富だ。が、金はなかった。親子が辛うじて、かゆをすすらんばかりにして生きている毎日である。幾人もの仲間を招いて馳走するゆとりは、何としてもできぬ相談であった。
もの思いに沈んだ。 当番が当ると、妻が病気だの、子供が熱を出しただのといって逃げてはいたものの、そういつまでも逃げてばかりはいられなかった。ある時、遂に止むを得ず引受けるところとなった。引受けはしたものの、家に金のないのはわかりきっている。帰宅した光秀は、さすがに
「殿、お顔の色が冴えませぬ。どこか具合でもお悪うございますか」凞子は不安気に光秀を見た。「いや、別に変りはないが・・・」ものうげに返事をして、光秀はごろりと横になった。「では、何かお案じなさらねばならぬ大変事でも起りましたか」 「うむ、実は、この次はわが家が仲間に夕食を馳走する番に当ってな」
凞子はちょっと光秀の顔を見やったが、「まあ、そのような些細なことで、殿ともあろうお方のお顔が冴えませんでしたか。殿方はもっと天下の一大事にお心を使うもの、当番の宴は、測がお引受けいたしました。何卒お心置きなくいらせられますように」なにとぞ凞子はにっこりと笑った。
やがて、約束の当番の日がきた。家にいても光秀は落ちつかない。友人の家に行って時間をつぶし、夕方家に帰って驚いた。鯛の塩焼、大根の酢のもの、山いも、蓮、こんにゃくの味噌煮、そうめんと貝の吸物などが、酒と共にずらりと並んでいる。膳や食器もどこから借りて来たのか、きちんと六人前の用意がしてあった。
大いに面目をほどこした光秀が、その夜凞子にいった。「お凞、何ともかたじけないことであった、礼をいうぞ」「お言葉もったいのうございます」「ところで今宵の馳走は、いかにして手に入れた? わが家には、金に代える物は何ひとつない筈、わしにはどうしても解せぬが」不審がる光秀に、凞子は笑って答えなかった。
幾日か経ったある日、どうしたはずみか、黒子のかぶっていた布が、光秀の前で頭から落ちた。あわてて凞子は布を頭に巻こうとしたが既におそかった。「あ、お凞、その頭は!?」光秀が声を上げた。室町時代には、束髪に子守りの手拭かむりのような向う鉢巻きの「桂巻き」が流行していたが、その頃になって、束髪の上から赤や紫の布で頭を包む風習があった。
凞子が垂髪にしていたのは明智城に住んでいた時のことで、今は誰もがするように、いつも紫の布で髪を包み、僅かに額の生えぎわが見える程度にしていたから、光秀は凞子の頭の変化に、うかつにも気づかなかった。「お凞!」光秀は凞子の肩を抱きよせて、痛ましげなその頭を見た。曾て疱瘡という熱病を患った割には、凞子の髪は豊かだった。その髪が、ほんの一つかみだけ残されていて、あとはぷっつりと切られているではないか。
「お凞、そなたは・・・」光秀は凞子をひしと胸に抱きしめて、「女の命の・・・その髪を、金に代えて・・・」と、あとは言葉もなかった。夫の面目のために、惜しげもなく黒髪を切って金に代え、しかもそれを一言も告げない凞子の気持が、光秀の胸をしめつけた。「髪はおろか、黒の命も殿のものでござります」抱きしめる光秀の胸の中で、凞子は答えたのだった。
玉子に添寝する凞子に、今、光秀がいった「あの大盤振舞」とは、このことをさしているのだ。「あの時のことを思うと、わたしはいつも、じっとしてはおれぬ気持になる」「もったいのうござります」今は、その時切った髪も豊かに伸び、思い出話とはなった。「お凞、今日、朝倉殿のところで、よい御方に会った」
光秀が微笑した。夫のとおった高い鼻筋、細く、きらりと光る目、輪郭のはっきりとした、 ややうすい唇、そして、とり乱すことを知らぬ落着きと、茶人のような静かな挙止。それらが、「水のように冷たい」と人に評させることにもなっているのを、凞子は知っている。が、 笑うと言いようもないやさしさと親しみが、その口もとと目尻の皺に漂う。このやさしさこそ、夫光秀の本性なのだと凞子は思う。
「それはよろしゅうござりました。で、どなたさまにお会いなされました?」「うむ、それが細川藤孝殿じゃ」「まあ、あの勝竜寺城の御城主の?」「そうだ」「あの名高い御方に・・・」「うむ、聞きしにまさるお方じゃ。和歌には勿論、茶道にもすぐれておられることは知ってはいたが・・・。当代彼の人の右に出る相剣(刀剣鑑識)家はあるまい」感じ入ったように、光秀は腕組をした。
端正な顔に似合わぬふとい腕である。「とは申されましても、殿も博学、さぞかしお話が合ったことでございましょう」「いや、わしなどの遠く及ぶところではないが、ふしぎにうまが合った。政治についても鋭いが、何か、とらえどころのない大きさがある。賢すぎるという、いわゆる小利口者ではない。非凡な方じゃ」凞子には、何でも話してくれる夫の気持がありがたい。
視線は時折お玉に行くが、一々熱心にうなずいて聞いている。「ところで、面白い話を伺った」光秀の唇にふたたび微笑がのぼった。「まあ、どんなお話でござりましょう」小腰を屈めて、部屋の前を通り過ぎる侍女の影が障子に映った。「うむ、細川殿は二十の頃まで、和歌には見向きもなさらなかったそうな」「まあ、でも、あの細川様は和歌の道では、当代並ぶもののない御方…」
「その通り。二条家に和歌を学んで、古今伝授を受けた歌道の権威だ。だが、今日の話では、和歌などは柔弱な者のもてあそぶものと、全く無関心であったらしい。それが、関心を持つようになったのは、二十の時であったか、戦場で一つのことに遇われたそうだ」「何やら、面白そうでござりますな」黒い聡明なまなざしが、まっすぐに光秀に注がれた。
「ある時、敵を追って桂川まで馬を走らせてきたが、途中道を違えたためか、既に敵影はどこにも見えない。敵の乗り捨てた馬がいるだけだ。相手が馬だけでは戦さにはならない。いたし方なく帰ろうとすると、家来が駈けよってきて、〈殿、なぜ帰られまするか〉と問うた。
〈敵がいなければ戦さにはならぬ〉と言い捨てて、馬首をめぐらそうとすると、〈殿、この古歌をご存じでござりましょう。君はまだ遠くは行かじ我が袖の袂の涙冷えしはてねば〉といった。が、細川殿には、一体何のことやら、さっぱりわからぬ。家来が、〈殿、おわかりになりませぬか。これ、この馬の背に手を当ててごらんなさりませ〉といったそうな。お凞はわかるであろう」
「はあ、それでは、敵の馬の背が、まだ冷えてはいなかったのでございましょう」「そう、その通りじゃ。くらがまだあたたかく、汗で濡れてさえいた」「では、その辺りに、まだ敵がひそんで・・・」「うむ、土手のかげの田の中にかくれていたそうだ。こうして敵の首をあげ、功を立てることができた。それがきっかけで、和歌をはじめられたらしい。和歌は柔弱者のするものと思いこんでいたが、大まちがいであったと、そんなことをいっておられた」
「なるほど、それがきっかけで、勉強なされて・・・。それは面白うござります」うなずく凞子に、光秀は、「しかしな、お凞。わしは、この話は少しうまくできすぎていると思う」「と、申しますと、これは細川様のつくり話・・・」
「さあて、それはともかく、和歌を顧みぬ者や、軽んじている者たちも、この話を聞けば、和歌に興味を持つであろう」「おっしゃる通りでござります」「軽んじていたものも、見直すことになる。とすれば、歌道の権威として、この道を広めるに、大いに役立つ話ではないか」「確かに役立ちます。でも・・・」凞子は軽く目を閉じた。何か思案する時に見せる表情である。
光秀はいち早く察して、「いや、お凞。わたしはいささか憶測したに過ぎぬ。何事にも、その中から真を汲みとらねばならぬことは、いつも申す通りだ。細川殿には、外との交渉にもすぐれておられることを言いたかったまで、心配はいらぬ」光秀は笑った。光秀はいつも凞子に、このようにして語る。それが光秀には心ほぐれるひと時であり、凞子にはしみじみと夫の心の中に浸るひと時であった。
「今後とも、細川殿には、じっこんに願いたいと思っている」「殿も和歌をなされますし・・・」「いやいや、わしのは、ほんのたしなむ程度だ。だが、武将というものは、強いばかりでは一流の武将とはいえぬ。細川殿は、和歌、茶道のほか、絵も太鼓もそれぞれ名人の域ということだ」
「まあ、絵や太鼓まで」「その上、われらの及ばぬところがある」「殿も及ばぬところ? と申しますと」熈子はほつれ毛を、そっと小指でかきあげた。「細川殿は将軍家と親しい家柄じゃ」「代々、将軍の側近でいられるご様子は、よくお聞きいたしておりますが」
「いや、それだけではない。今日、殿の話では、細川藤孝殿は、義晴将軍の御落胤ということじゃ」「まあ! 将軍様の?」「うむ、母なる人は、公家の清原宣賢殿の娘御でな。身分は卑しくはないが・・・。それで細川殿は義輝将軍が義藤といわれた時の、藤の一字をいただいたという話だ。細川家には養子となったらしい」
「それは存じませんでした」「まあそういうことだ。では、大事にせよ。お玉、健やかに育つがよい」お玉のやわらかい頬をちょっとつつき、「お凞、細川藤孝殿のところでも、今年三月に若殿が誕生なされたそうな」「まあ、さようでござりましたか」
「お玉の話を朝倉殿がなさると、細川殿は、十幾年か経てば、双方、共に年頃じゃなといっておられた」光秀は立ち上がった。こう言った光秀も、その言葉を聞いた熈子も、この細川藤孝の嫡子忠興に、お玉が嫁ぐ日があろうなどとは、無論夢にも思わぬことであった。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 黒髪 02-2
永禄十二年。玉子、数えて七歳の正月である。既に、二年前父の光秀は、織田信長に召し抱えられ、今は京都奉行をつとめていた。光秀は以前、朝倉義景に重んぜられていた。が、その光秀をそねんで、義景にざん言する者があった。光秀は朝倉と離れ、軍学塾を開いた。
その教えの評判を聞いた信長が、五百貫 (五千石)をもって、光秀を招いたのだ。既に細川藤孝を通じ、将軍足利義昭に会って忠誠を誓っていた光秀は、将軍義昭が住む所もなく諸国を放浪しているのを見かね、細川藤孝と謀って信長に引き合わせた。美濃を平定し、勢いに乗じて天下を狙いつつあった信長は、喜んで将軍を奉じ、京都に入った。
この後、信長の将軍推戴に功のあった細川藤孝と明智光秀が、一層親密になったのは当然であった。そして細川藤孝もまた信長の配下となった。そんな事情は、数えて七歳のお玉にはわかるはずもない。今、侍女たちと共に、お玉は嬉々としてお手玉遊びに興じていた。
「容貌の美しきこと、たぐいなく」「楊貴妃桜を見るような、あでやかな美貌」と記録に残っているお玉のその美しさは、七歳にして、早くも人の目を集めた。肩で切りそろえた豊かな黒髪は、侍女たちの中にあってもひときわ黒くつややかで、色白のふくよかなその頬、賢そうに見開いた切れ長な目、描いたような唇、玉子のいるところは、光をさすようなまばゆさがあった。
「なんと、お姫さまのお上手なこと」玉子は小さな手で器用に受けながら、お手玉をつづけている。目は真剣にお手玉に注がれ、小さな赤い唇が、かすかに開いているのも愛らしい。「わたしの名前はお玉、だからお手玉が上手なの」「まあ、頓知のよいお姫さま」侍女たちは顔を見合わせた。
赤い小袖を着て、黄色い帯を結んだ姿は人形のように愛らしいのに、七歳とは思えぬ機知である。「お母さまは、もっとお上手よ。早くお母さまがおいでになるといいのに」ふいにつまらなそうに、玉子は手をとめた。「大事なお客さまでいらっしゃいますから・・・」
.正月の十日、奥座敷には細川藤孝が、和歌の仲間を連れて遊びにきていた。玉子の目がくるりと動いた。「大事なお客さま? どこのお方? 織田のお殿さま?」織田信長は、半年程前に一度この家に泊ったことがある。その時は姉たちと共に、玉子も信長の前に挨拶に出された。その時のはりつめたような家の中の空気を、玉子は幼いながら感じとっていた。
玉子はその時のことを思い出したのである。「いいえ、織田のお殿さまではございません、お姫さま」侍女たちは信長のことを口に出すだけで、不安な表情になった。額に青筋の浮き出た、いかにも癇の強そうな信長の、ぴりぴりとした神経が忘れられないからだ。
「わたし、あのお殿さまなら、ごあいさつに行くのに」小さな手をついて挨拶をした玉子を、信長はひょいと膝に抱き、「いい子じゃ」と頬ずりをしてくれたのだ。「大きくなったら、美しい嫁御になるであろう」信長がいうと、玉子は頭を横にふり、「いいえ、いくさに参ります」
と言って、信長を喜ばせた。そして、その信長のひげを引っぱった玉子に、光秀夫妻があわてても、 「よいよい。この子が男の子なら、頼母しい武将になったであろう」と、機嫌がよかった。「お姫さま、今日のお客さまは、勝竜寺城のお殿さまたちですよ」そう侍女がいった時だった。廊下を走る幼い足音がした。「あら、どなたでしょう」
侍女の一人が障子をあけた。と、やや浅黒い、利かなそうな男の子が走ってきた。「与一郎さま、与一郎さま」後を追ってきたのは、玉子の長姉の倫であった。細川藤孝の長子、与一郎忠興が、父に連れられて来ていたが、大人の間にすわっていても面白くない。見かねて、凞子が娘の倫と菊に相手をさせたが、十三、四になる娘と双六をしても、興が湧かない。
そこで、廊下に出て走ってしまったのだ。「まあ! かわいらしいこと」侍女が声を上げた。玉子が、「どなた?」と部屋から顔を出した。その玉子を見て、与一郎はびっくりしたように、立ちどまった。玉子も、自分より一つ二つ年上らしい与一郎を珍しそうに見た。
「お玉、細川様の与一郎さまですよ。ごあいさつなさい」「与一郎さま?」姉の言葉に、玉子は冷たい廊下にぺたりとすわり、両手をついて、ていねいに頭を下げた。与一郎はてれて、黙ったまま突っ立っている。「与一郎さま、遊びましょう」ものおじしない玉子は、にっこりと笑って誘った。
人形よりも愛らしい玉子を、与一郎はまぶしそうに見ていたが、おなご 「女子となぞ、遊んだことはない」と首を横にふったが、立ち去ろうともしない。その与一郎に、姉の倫が微笑した。「お手玉は?」玉子が聞いたが、与一郎はぶっきらぼうに、「したことがない」「追羽子は?」「たこなら上げる」「たこあげ? でも、外は寒いでしょう」
京都の冬は寒い。今日も朝から底冷えがして、雪がちらついている。玉子は庭に目をやって、 ちょっと考えていたが、「では指角力をいたしましょう」と、小首を傾けて、与一郎を見た。首を傾けると、黒い髪が肩一杯にひろがった。指角力ときいて、与一郎はようやくうなずいた。部屋に入ると、侍女たちが二人のために大きく場所を開けた。
「細川さまの若殿ですって」「お丈夫そうな」「さぞ、御立派な殿になられることでしょう」「与一郎さま、お年はおいくつでござります?」侍女は口々に、与一郎の機嫌をとった。「七歳になった」与一郎はにこっと笑って、指を七本立ててみせた。「あら、わたしも七歳ですよ」玉子の言葉に、侍女たちは、「まあ、与一郎さまは大きくいらっしゃる。男の子だけありますこと」とほめた。
「わたしだって大きい」「それは、お姫さまも大きゅうございます」侍女たちはあわてて言った。「与一郎さまはお馬に乗るの?」玉子が聞いた。「一人では乗らない。父上と一緒に乗る」侍女のむいて差し出した栗を、与一郎は頭をちょっと下げて食べた。その様子に侍女たちは、「かしこそうな・・・」とうなずきあった。
「じゃ、槍のおけいこも?」「いや、木剣をふる」「わたしも、もう少し大きくなったら、長刀のおけいこをするのですよ」栗を食べ終った与一郎に、玉子は無邪気に手を差し出して、「では、指角力をいたしましょう」というと、与一郎も玉子の手を握った。
手を握り合ったとたん、玉子も与一郎も緊張した顔になった。倫も侍女たちも、興深げに小さな二人を見守った。玉子の拇指がしなやかに、機敏に逃げる。それを与一郎のやや太い指が追いかける。なかなか、つかまらない。与一郎は唇をかんで追うのをやめた。
玉子の指が逆に与一郎の指をおさえようと動いた。と、その瞬間、「あ!」玉子が声を上げた。与一郎の指にがっちりとおさえられてしまったのだ。「どうだ、参ったか」「参りません」与一郎は指に力を加えた。「これでも参らぬか」「参らないわ」玉子は唇を歪めた。おさえられた指が、ぐみの実のように赤くなっている。
「参らない? では、十を数えたら負けだ。一、二、三・・・八、九、十、ほうら、わしの勝だ」「参らないわ。今にわたしが勝つわ」おさえた与一郎の指から逃れようとして、玉子は必死で指を動かそうとする。「負けぎらいだなあ」大人のように言い、与一郎は指を放した。玉子は指の先をじっとみつめていった。
「おかしいわ」「何がおかしい?」「だって、わたし、侍女たちには一度も負けたことがないのに」「侍女たち? ばかだなあ、そなたは」「わたし、ばかじゃないわ」「ばかだよ。侍女や家来たちは、わざと負けるものなのだ」ハッと侍女たちが顔を見合わせた。「まあ! 本当? おねえさま」玉子は姉の倫を見た。「本当だよ。侍女や家来はわざと負けるから気をつけろと、父上がいつもいわれる」与一郎は平然と言い放った。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 櫓 03-1
琵琶湖の碧水が、夏の日を眩しく照り返している。初老を過ぎた足軽平五郎の漕ぐ磯舟に、お玉と侍女のおつなが並んですわっていた。ふっくらとしたお玉の白い頬に、黒髪が風になびく。お玉は今年十二歳、おつなより五つ年下である。こころもち首を傾けて、お玉は今出て来た坂本城をふりかえった。
琵琶湖の水は坂本城の堀に引きこまれていた。その堀の一カ所が船着場になっていて、そこからすぐ城の庭につづく。船は、その堀から出て来たのだ。濃緑の比叡山を背に、そびえ立つ坂本城が、今日はひときわ美しく見える。その城をふりかえるお玉を、平五郎は櫓を漕ぎながら、(おとめさびられたのう)と、心の中でつぶやいた。
「平五郎、今日は少し遠くまで行ってください」お玉が平五郎の日焼けした顔を見た。「いや、お姫さま、お城に近い所でなければ、奥方様にお叱りをこうむります」琵琶湖には、折々海賊が出る。岸を遠く離れては危険なのだ。「平五郎は、叱られるのがいやか」お玉が凜とした声でいった。「は?」虚を突かれて、平五郎は漕ぐ手をとめた。
「いやではござりませぬが・・・」「では、叱られるがよい」お玉は突き放すようにいった。「は、しかし、奥方様は遠くへ行ってはならぬと仰せられました故・・・」「母上は舟がこわいのです。姉上たちと同じように、弱虫なのです」舟遊びを喜ぶのはお玉だけで、母の凞子も、嫁いだ姉の倫も、菊も舟が嫌いだ。すぐに酔うのである。
「お姫さま、平五郎様の申すとおり、奥方様のお言葉には従わねばなりませぬ」侍女のおつなが、やんわりといった。「つまらないこと」お玉は不承不承おつなの言葉を受け入れた。おつなの言葉には、お玉はふしぎにさからわない。
湖のおだやかな日には、母の凞子はお玉の舟遊びを許した。お玉は他の娘たちとちがって、 物おじをしない。武将の娘は、お玉のような気性でなければ、この乱世を生きがたいのではかいかと、凞子はひそかに思うことがある。
長刀を習うことが武家の娘のたしなみの一つなら、舟に乗ることも許してよいと、燃子は考えていた。それに、城の中だけに閉じこめておくより、外の生活も自分の目で見て育つべきだと凞子は思っていた。曾て、夫光秀浪々の頃、共に苦労をした凞子らしい考え方であった。
「平五郎、わたしも漁師の娘に生まれたかったと思います」「なぜでございます?」平五郎は漁師の出なのだ。北条早雲や斎藤道三のような一介の素浪人が、一国一城の主になる戦国の世である。農民や漁師が武士になることは珍しくはなかった。
「だって、乗りたい時に自由に舟に乗れるではありませんか。ほら、今日もあのように、たくさん舟が出て・・・」「姫。漁師は舟が楽しくて自由に乗っているのではありませぬ。魚をとらねば生きて行けぬ故、舟に乗るのでござります」「ほんにお姫さま。そのとおりでございますよ。漁師は、天候の悪い日も、命がけで魚をとりに参るのです」
「命がけで?」「は、悪天候の日に漁に出て、命を落す漁師も、年に一人や二人ではござりませぬ」「でも、命がけは武士も同じこと。男は命がけで生きるものだと、わたしは思います」 その秀麗な眉に、利かぬ気が漂った。おつなと平五郎は、そっと顔を見合わせた。
「まあ、きれい!」お玉は二人の表情には気づかずに、彼方の近江富士を指さした。入道雲が、近江富士の上に伸び上がるように突っ立っている。「まこと美しき所・・・お、あれは初之助」お玉に答えかけた平五郎は、ふと十間ほど向うの小舟に目をとめた。
「初之助? 初之助って、どなた」「私共の総領奴にござります」平五郎は照れたように首を撫でた。何を釣るのか、一人の若者が背を見せて糸を垂れている。「ああ、都で武道の修行をしていられたとか・・・」おつながいった。「いえ、ただ木剣をふり回していただけで・・・」言いながらも、舟は初之助の舟に近づいて行った。岸から百五十間ほど離れた所である。
「初之助」すぐそばまで行って、平五郎が声をかけていた。無心に釣糸を見つめていた初之助がふりかえって、「なあんだ、父上ですか」と笑いかけたが、すぐにその顔から笑いが消えた。初之助と呼ばれた若者は、自分をじっとみつめているお玉に気づいたのだ。
「姫だ。お玉さまだ」初之助は、ありありと驚きの色を浮かべている。お玉の頬に微笑が漂った。自分を初めてみる者は、必ずハッとしたように驚きの色を顔に現す。お玉にとって、それは幼い時から幾度となく経験してきたことであった。午 た。年少の者から、大人までが必ず示すその反応を、お玉は今また意識して微笑したのである。
「初之助、ご挨拶を申し上げぬか」年の頃十六、七と見える初之助は、ふっと目をそらした。「礼儀をわきまえぬ奴が!」たまりかねた平五郎は、櫓をのべてさっと一突き初之助の体を突いた。「あっ!」声をあげたのはお玉とおつなだった。一瞬にして初之助の姿が舟から消えていた。二人は初之助をのんだ湖水を青ざめて凝視した。
「あのような不作法者では、まだ明智家の侍にはなれませぬ」平五郎がこともなげにいった。「平五郎、早く…」初之助は浮かんでこない。お玉は不安気に平五郎を見た。平五郎はややしばらく沈黙していたが、「死んだかも知れませぬ」「死んだ?」「多分。先程姫の申されました通り、男は命がけで生きる者、虚を突かれて水に落ちて死ぬような奴は、所詮戦さの用には立ちませぬ」
「死んでもいいのですか? 平五郎。自分の息子が…」「かまいませぬ」平五郎は微笑して、櫓をとると舟の向きを変えた。「いけません。飛びこんで探してあげなければ・・・」「ははは・・・」平五郎は声高に笑い、「今からでは、遅すぎましょう。姫、男は命がけで生きる者でござりまする」と、再び哄笑した。お玉は青ざめた顔をおつなに向けた。おつなも体をふるわせ、「平五郎様、早く助けてさしあげねば・・・」と哀願した時、「ごろうじませ」平五郎は浜を指さした。
「ま、あれは?」二人は声をあげた。何と浜では、初之助が濡れた着物をしぼっているではないか。浜に向って櫓をあやつりながら、平五郎は、「初之助奴にござります」「いつ? どうして?」「姫が心配していられる間に、奴は、湖の底をくぐって泳ぎました」「まあ!では、それを平五郎は知っていましたか」
「もとより。初之助はこの湖で産湯をつかいましてな。幼い時から、しじみを取って家計を助けて居りました。彼奴は陸の上より、水の中で多く育ちました。それにどうやら、間髪のまに体をかわすことも、会得したようでござります」二人は二の句がつげなかった。舟が浜に近づくと、初之助が水ぎわに来てお玉たちの舟を砂浜に引き上げた。
「初之助とやら。泳ぎが上手ですこと。死んだかと思って、心配致しました」舟から下りたお玉は率直にほめた。初之助はちらりとお玉を見たが、返事はしなかった。 代りに平五郎がいった。「そのうちに、初之助もお城に出仕つかまつります」「まあ、本当ですか」お玉はうれしそうに声を上げた。初之助はちょっと目をまばたき、浅黒い裸身を日の下にさらしたまま、腕を組んで突っ立っている。
眉の濃い、きりりとした顔立ちである。おつなはまぶしそうに初之助の裸身から目を外らしたが、お玉は平気で、「平五郎、この初之助は泳ぎはできても、口はきけないのでしょう」「口はきける!」初之助が言い捨てて、さっと砂浜を蹴って去って行った。「何を怒っているのですか。初之助は」「申し訳ござりませぬ。初之助は・・・」姫がまばゆいのでございますという言葉をのみこんで、平五郎は額の汗をぬぐった。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 櫓 03-2
夕餉のあと、光秀は義母のお登代と、妻の凞子、それにお玉を誘って裏庭の涼み台に腰をかけていた。夏の空はまだ明るい。夕空を映して、ひときわ輝いているであろう琵琶湖は、土塀に遮られて見えないが、湖からの風が、時折庭木の枝を揺すり、頬をなぶって行く。
「そうか。平五郎の総領息子は、そんなに泳ぎが達者であったか」お玉の話を聞いて、光秀は静かに微笑した。父は大声で笑ったことがない。お玉はふとそう思った。「頼母しいことです」お登代がうちわをゆったりと使いながらいった。
「でも、おばあさま、初之助は礼儀を知らないのです。わたしの顔を、こうじっと見て、会釈もしないのですもの。平五郎が怒って、水の中に落したのも無理はないのです」「今に追々、美けられるでしょう。かんにんして上げることですよ、お玉」
やさしくお玉の頭を撫でるお登代の横顔を、光秀は感慨深くみつめた。幼い時から、亡き母に代って自分を育ててくれた義母である。その口から出る言葉は、いつも人を慰め励ます言葉のみであった。実の母が生きていても、この義母ほどに自分を支えてくれる存在になり得たかどうかと、いつも光秀は思う。
(老い給うた) いつしか肩のあたりの肉もうすくなり、体がひとまわり小さくなった。「母上」「何です? 光秀殿」「明日、鳥羽口に参ります」「それは御苦労さま。また、出陣なさるのですか」「一応、鳥羽口付近に待機しております」「光秀殿は、戦さの巧者故、母は安心しておりますが、この暑いさなかに鳥羽へ参られることは大変なこと」
既に信長は、一向一揆を伊勢長島に攻めている。荒木村重も摂津中島に一向一揆と戦っていた。「お父上さま。また、戦さにいらっしゃるのですか」「うむ、お玉はおばばさまと母上のいうことを、よく聞いているのだぞ」「はい。でも、つまらない。お正月にも、お父上さまは大和に参られました。どうしてそんなに、いくさばかりなさるのですか」
「お玉は戦さが嫌いか」
「お父上さまは好きなのですか」「いや、好き嫌いで戦さをしているわけではない。なさねばならぬ故にしているのじゃ」「父上の使命なのですよ、お玉」それまで黙っていた凞子がいった。「使命?」「おつとめなのです」「そうじゃ。そのつとめをするために、この城も与えられているのじゃ」天守閣を仰いで光秀がいった。
坂本城は、信長の安土城に次ぐ豪奢な城とうたわれた。が、安土城はその時まだ築かれておらず、この二年後に完成した。つまり、光秀は当時第一の城に住んでいたことになる。なお、坂本城は、その道に秀でた光秀が築城した。坂本城は、信長の最も手を焼いた比叡の寺僧たちへの威嚇と警視のために築かれたもので、 この城が光秀に与えられたということは、信長がいかに光秀を高く評価 したかを物語っている。
しかし、今、坂本城の天守閣を仰ぐ光秀の心は複雑だった。細川藤孝と共に、将軍義昭を信長に推戴させた功績は、確かに諸人の認めるところだった。が、その義昭も六年にして信長に追放され、足利将軍家は昨年亡びた。光秀の立場が、いささか複雑微妙なものとなったのは当然であった。
以前から一城の主であった細川藤孝とはちがって、光秀は浪人から引立てられた。軍略にも築城にも長け、更に当代随一の銃術者といわれる実力者であったからである。たとい将軍家が亡びても、織田の臣としてとどまるだけの力量を備えていたのだ。信長の光秀に対する心くばりも確かに並々ならぬものがあった。
光秀の長女を、信長の甥、 織田信澄に世話したことも、その現れの一つであった。恐らく、この時期が光秀の一生を通じて、最も信長に温かく遇せられた時であろう。だが光秀は、決して得意にもならなければ、 不遜にもならなかった。否、その心の底に、深い危惧をさえ持っていた。光秀は曾て、将軍義昭とひそかに主従の誓いをなしていた。
義昭が諸国を転々として、その居も定まらなかった不遇の時代であった。 その縁で、将軍足利義昭を信長にひき合わせる結果になった。いかに強くても、まだ信長一人では、天下へのおさえはきかない。衰微したとはいえ足利将軍を撃戴して京に入り、はじめて名実共に天下の織田信長になることができたのである。
義昭自身も、流浪の身が二条第に入り、将軍としての輝かしい生活に入り得て、当初は甚だ満足していた。が、年月が経つにつれ、自分が信長の傀儡に過ぎぬことを不満に思い、それが昂じて挙兵した。一度は天皇の仲介で和解したものの、再び兵を起し、そして昨年、足利幕府は逆に信長によって亡ぼされ、義昭は他に逃れた。
癇癖の強い信長の感情は、秋空のように変りやすい。いつ、義昭を引き合わせた光秀を憎悪するか、はかりがたいものがあった。その心変りの早さは、現に一昨日のことでもわかるのだ。この坂本城には、信長の命により、昨年来軟禁されていた三淵藤英がいた。藤英は細川藤孝の兄で、義昭の配下であった。配下であるが故に織田勢を敵として戦ったわけだが、それだけのことで、藤英自身、何ら信長に含むところはなかった。
信長自身もそれをよく承知していて、
「三淵は細川の兄だからな。命は助けてやるつもりだ。ほとぼりのさめるまで、預かり置け」 と、ひそかに光秀にいっていたのだ。それが、ふいに一昨日、三淵藤英には義昭と内通の疑いありとして、切腹を命じて来、この城の中で藤英はひっそりと死んで行ったのだ。(いやな役目・・・)
信長の命を三淵藤英に伝える時、つくづくと光秀はそう思った。藤英の正直温厚な人柄を知っているだけに、信長の処置は非道に思われた。(内通などするお人ではない)。はず誰もが、それを知っている筈であった。藤英は、光秀から切腹の沙汰を聞くと、かすかに苦笑さえして、淡々といった。
「長い間、思わぬ世話をかけましたな。藤孝だけは何とか、生きのびて行ってほしいものだが…」細川藤孝は三淵藤英の弟であり、将軍義輝の異母兄であった。光秀は使者を遣わし、藤英の首を、ひそかに信長のもとに届けさせた。妻子は無論のこと、家臣のほとんどが知らぬうちに行われたこの藤英の切腹は、光秀の心に言いようもないやりきれなさを抱かせた事件であった。それは、戦場での死とはまたちがった非情な、陰惨な死であった。
光秀にとって、藤英の切腹は決して他人ごとではなかった。信長には、いついかなる挙に出るか計り知れぬ冷酷さがある。坂本城を与えられたからといって、安心できないのも当然であった。「そう、おつとめなの。いくさがお父上さまのおつとめなのですか」お玉はつまらなそうにいい、「漁師や町家の者は、いくさに行かずに、うらやましいこと」と、やや大人びたまなざしで、堀の水に目をやった。
「うむ、お玉はもう子供ではないな」「子供です、お父上さま。お玉はまだ十二ですもの」「だが、小さい頃のそなたは、大きくなったら戦さに行くと、よくいっていたものじゃ」「ほんにそうでしたなあ、光秀殿」光秀の義母も、凞子も笑った。
「あら、そのようなことをいっていたのですか、わたしが」「いっておりましたとも。お嫁には行かぬ、戦さに行くと、織田殿の膝に抱かれた時も・・・」「まあ。でも、いまはいくさはきらい」「ほんに、戦さはいやなもの」凞子もつぶやくようにいった。「どうして、そんなに戦さが嫌いになったのじゃ、お玉」「人が殺されることがいやなのです。それに・・・」お玉は言いよどんだ。
「それに、何じゃ?」「人質のことが・・・」「人質?」「あのう・・・お父上さま、もし誰かを人質に出さねばならぬ時が参りましたなら、お父上さまは、一体誰を人質になさるのですか」「・・・」 一瞬言葉を失ったが、光秀は静かに、「そのようなことなど、考えたことはない」と答えた。が、実はこれこそ、光秀自身、常々考えていることの一つであった。
「人質のことは、考えたことがないのですか。お父上さまは、きっとお玉を人質に出すだろうと、考えておりました。おばばさまはお年を召されたし、お母上さまも大事なお方。お姉さま方はお嫁に行かれたし、十五郎は幼くその弟は去年生まれたばかり、これではお玉が行くより仕方がありませんもの。そうではありませぬか、お父上さま」
「お玉、つまらぬ心配をするものではない。父は軍略がうまい。決して人質などに頼りはせぬ」「ほんとう? お父上さま」「本当ですとも。お玉、光秀殿には知恵がある。万一、人質入要の節は、このおばばが喜んで参る故、お玉は心配することはありませぬぞ」「まあ、おばばさまは、よろこんで人質になられますの」
「なりますとも。光秀殿のお役に立つことなら、何なりとばばは喜んで致しますぞ」光秀はついと視線を外らした。義母の言葉が真実であることを、誰よりも光秀がよく知っていた。(この母者を、人質になぞ決して出さぬ) 光秀は堅く心に誓った。といって、お玉も無子も、同様に人質に出来はしない。無邪気に暮していると思っていたお玉が、いつのまにか人質のことなどに心痛めていたと知って、光秀は不憫さがつのった。(うかつな戦さは出来ぬ!)
「しかし、乱世の今の世では、いつ、いかなる戦さで人質を要する時が来ないとはいえないのだ。光秀は思わず深く嘆息した。雲から出た夕日が、今、比叡の峰に沈もうとして、庭に斜めにさしこんだ。熈子の片頬のあばたが、日にくっきり浮かんだ。そのあばたを玉子はじっとみつめた。
母のあばたは、小さい時から見馴れていて、格別奇異にも思わなかったのに、今日はなぜか妙に気になった。人質のことは、もはやお玉の念頭から失せた。入り日に照らされている母のあばたにだけ、興味が集中した。玉子は、そのあばたを指でなでてみたい衝動にかられた。お玉はすっと白い指を母の頬にのばした。
「お母上さまのお顔は、でこぼこしておかしいこと」今までは、子供心にもいってはならないと思っていた言葉を、玉子はつい口に出した。「そうですか? おかしいですか」凞子は微笑した。が、光秀の顔色がさっと変った。珍しいことであった。「お玉!」きびしい声に、玉子はぎくりとして父を見た。たった今まで柔和だった父の細い目が、激しい怒りを見せていた。自分の言葉が、ひどく悪い言葉だったと、玉子は気づいた。
玉子はうなだれた。今にも父のこぶしが飛んでくるか、罵声が飛んでくるかと、膝頭がふ父は一言も発しない。おそるおそる顔を上げると、父がまだじっと自分を睨みつけていた。玉子は肩をすぼめてうなだれた。「光秀殿。お玉はまだ子供です。ゆるしてお上げなさい」「お言葉ですが、母上。いってよいことと、悪いことがございます」
「しかし、明日は光秀殿も鳥羽に行かれること故・・・」「母上。いつ、戦さに果てるかも知れぬこの身・・・なればこそわたしは父としてお玉にいっておかねばなりませぬ。勝手ながら母上、暫時この場をお外しねがえませぬか」「手荒なことはなさるなよ、光秀殿」「いたしませぬ。母上、しばらくお凞と池の鯉でも見ていてくだされい」
二人が立ち去ると、光秀は再び無言となった。日は既に沈んで、静かな夕暮である。玉子は泣き出したい思いをこらえて、上目づかいにそっと父を見上げた。と、思いもかけず父の目にきらりと光る涙を見た。途端に、玉子は言いようもない不安に襲われた。父が涙を見せたことなど曾てなかった。
自分の上に今何が起るのか、玉子には予測できない。不安とも恐怖ともつかぬ思いに、「お父さま!」玉子はわっと声を上げて、涼み台の上に泣きふした。が、それでも光秀は一言も発しない。 玉子はますます声を上げて泣いた。泣くだけ泣かせておいてから、光秀ははじめていった。
「お玉!そなたは、自分のいったことが、よいことだったと思うか」「お玉、そなたは自分を産み育ててくれた母の顔を、不様だと笑ったのだぞ! 人間と生まれて、わが母を笑う子など、この父の子ではない!」「・・・」「そなたは、自分の顔が美しいと思って、傲慢にも思い上がっているのじゃ。だがお玉、母はそなたよりも、ずっとずっと美しかった。
その美しさも、気の毒に疱瘡で害われたのだ」「・・・」「よいか、お玉! 顔や形の美しさというものは、そのように害われやすいものじゃ。だが、父は母を美しいと思っているぞ。母は自分の顔がみにくくとも卑下はせぬ。卑下はせぬが、譲った思いで生きている。謙遜ほど人間を美しくするものはない。その反対に、いくら見目形がととのっていようと、お前のように思い上がったものほど、みにくいものはない!」「・・・」
「お前の顔形も、この父が刀で切りつけたなら、たちまちみにくく変るのだ。お玉、そなたの傲慢をうちくだくために、今、その鼻と頬に、父が傷をつけてくれようぞ!」光秀はぐいと、 お玉の顔を上に上げた。玉子の顔が恐怖にひきつった。「おゆるしを・・・」かすかに口が動いたが、声にならない。そのおびえた顔をややしばらくみつめていた光秀は、 「わかったな、お玉」いつものやさしい声に返って、玉子の顔から手を離した。
玉子はしゃくり上げた。「よいか。お玉は利口な子故、父の今の言葉を忘れまいの」「はい、お父上さま」 「今後、もし、母をのみならず、他の者のうわべを見て、先程のように笑うならば、父は決して容赦はせぬ。そなたをわが娘とは思わぬぞ!」静かだが、一語一語に真実が溢れていた。
「よいか。人間を見る時は、その心を見るのだ。決して、顔がみにくいとか、片足が短いとか、目が見えぬなどといって嘲ってはならぬ。また、身分が低いとか、貧しいなどといって、人を卑しめてはならぬぞ、お玉。人間の価は心にあるのじゃ」 玉子はこっくりとうなずいた。玉子は今、はじめて心から父の偉さに打たれたのだ。満十一歳にも満たぬ玉子にも、父の言葉が順直に透った。玉子は心の底から自分を恥じた。
「女の第一の宝は、やさしい心じゃ。やさしい心の人間は、人を思いやることも、尊敬することも知っている。お玉はもっと、やさしい謙遜な人間にならねばならぬ。わかったな」「はい、お父上さま、お玉が・・・お玉が・・・悪うございました」「もうよい。わかったら泣くではない」光秀はそっと玉子の背に手をかけた。やさしくいわれると、玉子は再び声を上げて、光秀の膝に泣きふした。
光秀は玉子の肩をおおう黒髪を撫でながら、つい数日前、信長の城中で会った小谷の方お市を思い出した。 伊勢の合戦に信長は出ている。その留守の城中を見舞に出向いて、光秀はお市に会ったのだ。絶世の美女とうたわれたお市は一年前、夫の浅井長政を、兄信長との合戦で失った。夫の小谷城は落城し、夫もその父も共に自害して果てた。が、信長の妹であるお市とその三人の娘は、夫と兄信長のはからいによって救い出された。
その時、夫浅井長政は、「強い者は攻め亡ぼされることもあるであろう。しかし、美しい者は、敵も味方も亡ぼすことはできぬ」と、お市を無理矢理説得して、信長の城に帰らせてしまった。信長もまた、「美しいものは、自分で自分を亡ぼすことも許されぬ」といったとか。その処置をほめたたえる人々の声を光秀は聞いている。そのお市の方が、 数日前光秀にただ一言いった。
「明智殿。生きるとは、死ぬよりむずかしゅうござります」その言葉を、光秀は身に沁みて聞いた。夫を殺した兄のもとに、おめおめと生きて帰ったお市に、何の楽しいことがあるであろう。恐らく、お市は幼い娘たちの命を惜しむが故に、 帰って来たにちがいないのだ。
お市の、愁いを含んだ目を思いながら、光秀は泣きふしている玉子を見た。玉子はお市にも劣らぬ美女に育つであろう。が、美しいが故に玉子もまたお市のように、深い嘆きを見るかも知れない。父の欲目か、玉子は美しい上に利発でもある。
その利発さが、美しさと相まって、ともすれば高慢に振舞わせる。幼い時から、美しい愛らしいと人々にもてはやされて育つうちに、美しさのみを最上とする人間になっては、かえって不幸を招く。その反省を光秀は玉子に叩きこんでおきたかった。
(己れのいかなるものをも恃んではならぬ)光秀自身、その軍略も銃術も常識も、当代随一とうたわれている。が、いつそれらが己れに災いするか計り知れない。光秀は、再び心中深く嘆息した。池のほうで鯉のはねる音がした。暮色がようやくあたりを包みはじめていた。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 鉦の音 04-1
光秀と、光秀の従弟弥平次(後の左馬助光春)は、くつわを並べて、秋の日に照り輝く紅葉の中を、ゆっくりと馬を歩ませて行く。光秀は末娘の玉子を横乗りに、自分の前に乗せていた。その光秀の馬のくつわをとっている若者は、二年前に光秀の郎党となった初之助であった。他に供もない。
紅葉の名所である日吉大社の参道を外れて、彼らは右に馬を進めた。なだらかな長い坂道である。右手に青く澄んだ琵琶湖がひろがっていた。「このあたりは、よくぞ焼け残りましたな」弥平次がいった。張りのある大きな声だ。「うむ。風の向きで焼け残ったのであろう」信長は、六年前の叡山焼き打ちの折、寺ばかりか山を焼いた。いや、山だけではない。坂本の街まで焼き払った。町民たちには何の罪もないはずだった。
「お父上さま」「うむ?」「なぜ、お殿さまは、お寺や神社を焼き払いなされましたの?」近頃、玉子の声に艶が出てきたと光秀は思った。艶が出たといっても十四歳である。「それは、お玉、殿に従わなかったからじゃ」「でも、仏罰や神罰が、お殿さまはこわくはないのでしょうか」「ははは・・・。お玉どの。安土の殿には、神も仏もござらぬて」笑ったのは弥平次である。
「まあ、神も仏も?」「安土の殿は、いつも御自身を神だと仰せられてござるわ」「ではなぜ、安土にお寺を建てられるのでしょう」今年二月、信長は豪壮な安土城を築いた。近く、寺をその傍に建立したいと、信長はいっている。その話を、玉子もいつか耳にしていた。
「いや、仏など祀りませぬ。殿は殿の御誕生の日を、参詣日と定めるといっておられる。御本尊は安土の殿御自身だそうな」「まあ。では人々は、殿を拝みに参りますの」「さよう。殿の申されるには、その寺に参詣する者は、みな八十まで長命し、裕福となり、望みは何なりと、すべて満たされる霊験あらたかなお寺をつくられるそうじゃ」
「それはまあ大そうな御利益のあるお寺ですこと。では、早く建ててくださればよろしいのに。そうなれば、さぞ健やかで、豊かな者ばかりが国に溢れましょうに」 皮肉な語調で玉子はいった。蹄の音が交々あたりにひびく。「これ、お玉。言葉をつつしむがよい」あわてて光秀がたしなめた。玉子は生来理に勝ったもののいい方をし、しかも驕慢である。
自分のように、絶えず人前を憚る人間に、よくぞこのような娘が生まれたものと、光秀は内心小気味よく思うことさえある。「だってお父上さま。お殿さまは、いくらお偉くても人間ではございませぬか。玉は、人間にお参りして、ご利益があるとはどうしても思われませぬ」「----」「お父上さまだって、今お参りする西教寺を復興なさったのは、御仏さまを信ずるからでしょう?」 「理屈の多い子じゃな、お玉は」光秀は苦笑した。
「でも、御仏と、人間とどちらが偉いかぐらい、お玉だってようくわかりますもの」率直なのは、心の清いしるしだと、光秀は満足でもある。だが、この事は信長の面前ではいえぬことなのだ。「その御仏も、日吉神社に守護されねばならぬとしたら、一番偉いのは大鳥居のある神さまの方でしょうか」玉子は少女らしく、次から次から質問を発して行く。
どこかで、けたたましくもずが啼いた。「惟任殿、安土から、京までの道は立派になりましたなあ」弥平次が話題を変えた。「うむ、見事なものじゃ。さすがは信長殿だ。なされることが早い」今まで、信長が岐阜から京に上るためには、ほとんど琵琶湖を使っていた。安土から坂本まで船路、坂本から陸路で京に向っていたのである。信長が、坂本城に立ち寄るたびに、城中は緊張と不安に包まれる。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 鉦の音 04-2
道路が立派にできた以上、今までのように度々立ち寄ることもあるまい。光秀にとって、気楽になった半面、物足りぬことでもあった。「安土は今、普請が盛んで、人家がとみに増えておりますな。さぞ、殷賑をきわめる街になりましょう」「京よりも? 弥平次さま」
「さて、それはわかりませぬ。しかし何分天下様のお城の街。しかも街のつくりも京都と同様にするとか。また来年は、楽市・楽座になるとかで、商人もさぞ多く集まってくることでしょうし」「楽市・楽座? 一体何のことですか、父上さま」「楽市・楽座か」
二頭の馬はゆっくりと西教寺に向って行く。路傍につづく野菊の紫に目をやっていた光秀は、ちょっと思案したが、「それはの、お玉。ほとんどの商売が、特定の大きな社寺の許可がなければ出来ぬことを知っておるであろう。例えば糀や、塩は奈良の興福寺に金を納めて許可を得なければ、商売はまかりならぬというようにの」
「ええ、存じております。大きなお寺やお社は、それでお金持なのだとか。何か商人があわれに思われます」「それにはそれの理由もあったであろうがの。楽市・楽座とは、その社寺の許可がなくとも、 自由に商売ができるようになることじゃ」「まあ!お殿さまは、何と情け深いお方!」今しがたの皮肉めいた自分の言葉など、忘れたかのように、玉子は声を上げた。
「うむ・・・」情け深いとは決して言い難い人柄だが、並優れた発想の持主とはいえる。それはしかし、 商人のためを思っての発想というより、社寺を富ませず、傲らせぬためとも思われた。が、いず何れにしても、今までの長年の慣例を一挙に打ち破ることのできる者は、信長をおいてはいない。その信長の果断はすぐれていると光秀は思っている。
弥平次が光秀に顔を向けていった。「しかしながら、これでまた、方々の社寺に悶着が起きねば結構でござりますが」「利得にからまる問題は、むずかしいからの」西教寺は、もう目の前にあった。三人は馬から降りた。しんと静まったあたりの空気に、 本堂のほうから鉦を叩く音が聞えてくる。その音が、一層静けさを深めている。
馬を木につなぎ、更に少し急な坂道を登って、本堂の前に立ちどまった四人は、再び鉦の音に耳を傾けた。チーン、チーンと、間をおいてひびいてくる。静かだ。いかにも静かである。秋の日ざしの中に、鉦はひときわ澄んだ音を立てているようであった。やがて、光秀がいった。「・・・ 人間、この音色のように澄みたいものじゃが・・・」「お父上さまは、澄んでおられます」玉子はまじめな顔でいった。
「ほう、お玉の目には、父が澄んでうつるか?」「澄んではおりませぬか」「さあて。人間はなかなか、濁りの消えぬものじゃ。のう、初之助」先程から黙々と従っている初之助を、光秀はかえりみた。無口だが、真実味のある初之助に光秀は目をかけていた。「は・・・」初之助はちょっと困ったように、短く答えた。
弥平次が磊落な語調で、「初之助は何歳に相成った?」「十九歳でござります」「ほう、十九歳か。では、そろそろ、もらうものをもらわねばならぬな」初之助は顔をさっとあからめ、「弥平次様がお一人のうちは、私奴も一人で暮しまする」「こ奴! いいおったわ」弥平次は豪快に笑い、「まことか! 今の言葉を忘れるな。俺は一生独りじゃ」
「されば、私奴も独り身にて終ります」と、ちらりと玉子の後ろ姿に目をやり、うつむいた。が、玉子は目の前を行く黒い蝶に心を奪われていた。その初之助を、光秀は見て見ぬふりをし、本堂の前で草履を脱いだ。
初之助を残し、三人は階段を登った。腰高障子を開けると、明るい外にいたせいか、一瞬中が洞穴のように暗かった。目が馴れるに従い、正面の仏像の右手前に、背を丸めた老僧が小さな置物のように坐って、撞木で鉦を叩いているのが見えた。チーンと一つ叩いては、一度畳の上に撞木を休め、すぐにまた鉦を叩く。鉦は六角の黒ぬりの台の上に置かれていた。
一同の声を聞いても、老僧はふり返りもしない。無心にただ鉦を鳴らしつづけている。 (なるほど、不断念仏じゃ) 光秀は、ここにくる度に、そう思う。この寺は、千年近くも前に、聖徳太子によって開かれたが、後に真盛上人が日課六万遍の称名念仏をひろめて、西教寺を復興した。以来九十年、 この念仏を称えつつ打つ鉦の音は、毎日毎時絶えたことがないという。
ここに来て、光秀はいつもふしぎな気持になる。自分たちが、血なまぐさい戦場を駆けめぐっている時も、広いこの本堂に黙念と坐って、この老僧は念仏をつづけていたのかと思う。 恐らく、この僧の一生は、南無阿弥陀仏の六字を称え、鉦を鳴らすことだけで終るのであろう。
その老僧の心の中はわからない。が、尊いことに光秀は思う。戦争、強奪、疫病、災害などの絶えぬ世に、こんな一生を終る僧がいることは、言いようもなく尊いことに思われるのだ。「あ! これは、これは、御領主さま」本堂の右手の障子が開いて、住職が平伏した。
「御来山を存じませず、まことに失礼いたしました」「いや、用があればわしが出向く。わしは、この不断の鉦の音が好きなのじゃ」「恐れ入ります。先ずはあちらで。お茶など一服差し上げたく存じますれば・・・」「茶か。それは馳走じゃ」三人は住職の案内に従った。坂本城に移ると同時に、光秀はこの西教寺の復興に力を貸した。
信長が比叡山を焼く時も、 光秀は全山のために慎重な配慮をした。後日、光秀の死後、天海僧正は光秀であるという説が出たのは、この光秀の配慮を憶えていた僧たちが、比叡山に光秀をかくしたという流説もあったためといわれている。つまり、 住職の光秀に対する丁重さは、単に領主に対する尊敬の故のみではなかった。
茶の木のある庭に面した十畳の座敷に通ると、若い僧が直ちに茶受けの干しなつめを運ん来た。つづいて薄茶が運ばれてくる。ここの茶室も、光秀から贈られたものだった。作法も正しく、光秀は茶を服した。何をしても、光秀の所作は水際立っている。弥平次も、玉子も光秀にならった。
「結構な服加減であった」と茶碗を返して、「御坊、人間には、さまざまな生きざまがござるな」「仰せの通りでござりますな。田づくりに一生終る者、商人で一生終る者、病いの中に一生を終る者など、さまざまござりますが、殿のように華々しゅう戦って・・・」言いかけるのを光秀は手で制し、「いや、御住職、華々しく戦っているというより、何か男の業に突き動かされて、戦さをしているような気がすることがあってのう」
「男の業? なるほど!」弥平次が膝を叩き、「しかし、その業があってこそ、真の男と思いまするが」「真の男か・・・」思案するように光秀はいい、「お玉、退屈であろう。庭など散歩してくるがよい」と、玉子に微笑を向けた。「いいえ。お玉には何やらおもしろう思われます」「おもしろい?」「はい。だって、天子さまも人間でしょう?」「うむ、やんごとなき貴き御方だ」
「同じ人間に生まれても、天子さまになったり、乞食になったり、そしてまた・・・」玉子はいいよどんだ。「そしてまた、何かな、お玉どの」明るい弥平次の語調に、「・・・あの、女は業が深いといいますのに、殿御にも業があって・・・。何やら、お玉にはおもしろうござります」「なるほど」住職が相づちを打った。
「なぜ、お玉は女に生まれたのでしょう」「前世の因縁じゃ。女がいやか、お玉は」「いやではござりませぬ。戦さに行かずにすみますもの。でも、口惜しくも存じます」「口惜しいとな?」「はい。女は男より弱い。それが口惜しい心地がいたします」「ははは・・・、お玉どの、その代り、女は男より美しゅうござる」
おめいせき光秀はちょっと眉をひそめた。嫁いだ姉たちとちがって、玉子は明晰率直にものをいう。 決して怖じない。玉子を見ていると、女人もこのように、ものごとを考えて生きているのかと、驚くことがある。男より弱いのが口惜しいなどという女を、今まで光秀は見たことがなかった。
(利発というのか?) 確かに利発ではある。字の憶えは姉たちも及ばず、読書も好んだ。そして、これは姉たちになかったことだが、絶えず質問して倦むことを知らない。今、女は男より弱いのが口惜しいといったのも、単に腕力武力のこととは思われなかった。 「お玉、父はこれから、少し重要な話がある。庭の花など眺めてくるがよい」光秀は促した。
「はい、では・・・」素直に一礼して廊下に立って行く玉子を、住職は目で追いながら、「この頃、また一段とお美しゅうなられた」といった。「いやいや、事々に理屈を申すので、閉口でな。知恵ばかりついては困りもの故、席を外させた」光秀は苦笑しながらいった。
「ところで、何か重大なお話でも?」住職は再び茶をたてながら尋ねた。「いや、重大というわけではござらぬ。お玉を中座させる口実で・・・」「それは、また・・・」「口実で思い出したが、御住職、仏法では、嘘も方便と申さるるが、われわれ武士も、嘘を武略などと申してな。言いのがれを持っておるわ」
「なるほど。近頃は私共僧籍にある者の中にも、堕落した者が目立ちますからな」「それに比べると、百姓共の生活はのがれ場がない。何か不憫な気もいたすのう」「そうかも知れませぬな」「それ一つ考えても、武士などは、百姓たちの上にいて、何か勝手なことをしているような、いやな心持じゃ」
「いやいや、殿、弥平次はそうは思いませぬ。百姓共の生活にも、嘘や方便はござりますぞ」「無論、それはあるであろう。しかし、それほどに罪深い嘘はいうまい。わしも時に、百姓共の生活が羨ましくなることがある」弥平次は、不満とも不審ともつかぬまなざしを光秀に向けた。
この年、正月に光秀は丹波の黒井城に赤井悪右衛門を攻めて敗れている。八上の波多野秀治に抜かれたためだ。波多野秀治は、赤井と同じ丹波だが、最初光秀に与して戦っていたのである。五月には、石山本願寺攻めの信長に従ったが、光秀は陣中で病み、しばらく京都で静養した。
こうした裏切りによる敗退や、陣中の病気が重なったことで、光秀の心に一つのかげりを落していた。だが、常に傍にいる従弟の弥平次にもわからぬほど、光秀の態度は変らなかった。が、今日、光秀が、「西教寺に参ろう」といった時は、弥平次も痛ましい表情をした。一昨夜の安土城での酒宴を思い浮かべたのである。
もともとあまり酒を飲めぬ光秀は、酒宴では、ともすれば座から浮き上がった存在となる。 端然とした姿勢で、最後まで乱れない。大声も発しなければ、饒舌にもならない。一方、信長に酒乱の気味があるのは、今に始まったことでなかった。誰もが多かれ少なかれ、被害をこうむっている。が、今まで、光秀に対しては、なぜかあまり絡むことをしなかった。
ところが、一昨夜は少し様子がちがった。信長は小袖を肩ぬぎにし、金蒔絵の脇息に寄って、大盃を傾けていた。飲むほどに、その癇癖な青筋がこめかみに走り、その目が蛇のように一座の者の上に注がれていた。そしてその視線は、端然と姿勢を崩さぬ光秀に、次第に集注して行った。
「惟任! これに参れ」信長が光秀をさし招いた。「はっ」すすっと、足さばきも静かに、光秀は信長の前に平伏した。「これを取らす」信長は大盃を光秀につきつけた。「は、ありがたき御意」盃は受けたが、光秀は困惑した。もう、自分の飲める限度を越えている。
この大盃を体は受けつけない。が、その光秀にはかまわず、侍女はなみなみと酒を注いだ。光秀は盃を捧げたまま、思わずほうっと吐息を洩らした。その吐息を信長は聞きとがめた。「おのれ! その吐息は何じゃ! この信長の盃を受けられぬというのか」
「いえ、さようではござりませぬが、もはや今宵は十分に頂戴づかまつり・・・」 みなまでいわせず、「よい、その盃を干せねば、これを干せ!」いきなり、信長は脇差しを引きぬき、光秀の鼻先につきつけた。一座にさっと緊張の気が流れた。「殿! 御勘弁を!」「刀がいやなら、盃を干せ!」いたし方なく、光秀は目をつむって大盃を飲み干した。
信長は、「やはり命が惜しいと見えるわ!」と、光秀を指さし、幾度も大笑した。光秀は満座の中でその嘲笑に耐えた。今までにも、 信長が酒席で他の者を面罵したり嘲笑したりするのを幾度も見てきた。が、自分がこうも真っ向から嘲笑されたのは、これがはじめてであった。
これはしかし、後に光秀が信長から受けた数々の仕打ちに比べれば、きわめて小さなことであった。後の事だが、稲葉一鉄の家来が主家を出て光秀の臣となった。一鉄はこの家来を自分のもとに取り戻そうとしたが、彼は帰ろうとしない。光秀もまた、既に自分の家臣となったものを帰す気はなかった。
元の主君に無理に返したところで、いかなる仕打ちに遭うか計り知れなかったからである。そこで一鉄は、信長を通じて、なおも返すことを迫った。 「一旦わが臣となりし者、かばうが当然」と、光秀は条理をつくして、信長に事情を説明したが、信長は立腹した。
理は光秀にある。が、その光秀の常に理にかなった姿勢が、信長の癇にさわった。「うぬ、このおれの命令にそむく者は、こうしてくれるわ」不意に立ち上がった信長は、光秀のもとどりをつかんで引きずりまわし、足蹴にした上、 脇差しをぬいた。光秀の女婿の織田信澄がその座にあって信長をとめ、光秀はようやく難を逃れた。
また、ある酒宴で、小用のために光秀が中座した時、二十名をこえる武将たちの面前で、 信長はやにわに長押の槍をとり、「中座とは無礼な奴め! このキンカ頭、酒宴の興を破る気か!」と、罵りざま光秀ののどもとに突きつけた。キンカ頭とは、禿げかけた光秀の頭を、信長が罵る時によくいったという言葉である。
このほか信長は、光秀の頭をひきすえて扇子で打擲したり、欄干に頭を打ちつづけたり、 幾度むごい仕打ちを与えたかわからない。これが信長の、五十余万石の大名である光秀に対する仕打ちとして、いまだに記録に残っているところである。 が、これらは後の話である。
一昨夜の信長の態度は、今後に起る予徴のように光秀には思われた。何も自分だけがはじめて受けた仕打ちではないと知りつつ、光秀は不安であった。正月の戦いの敗れや、本願寺攻めの陣中の病気が、特に信長の気を害ねたとも思われない。何かがある。それが何か、光秀には不明なのだ。
光秀の軍略も、武芸も、他をぬきんでていたし、信長自身もそれを充分に知って大禄を与えてくれている。昨年は惟任日向守に任じてくれてもいる。だが、どこか信長の光秀を見る目に冷たさが加わっている。その信長の心底がわからない。それが光秀には不安だった。「殿、百姓の生活を、羨まれますか」住職がたずねた。
「左様といっては、百姓の惨めさを知らぬと、叱られようのう」「殿」大きく腕組みをして、何か考えていた弥平次がいった。「うむ」「百姓は所詮弱い者。吾らの世界は強さがいわば肝腎要。『男道』こそ、吾らの生きる道と存じますが」男たる者、先ず何よりも強くあらねばならぬ。それが男の面目である「男道」であった。 強いことが、即ち善であった。豪放な弥平次には、光秀の今の言葉は、弱音としか思われない。
それは、一昨夜の信長の前に大盃を受けかねていた光秀の姿にも、通じていた。弥平次は、この自分の主君であり、従兄である光秀に心服している。信長がいかに秀れた武将であろうと、光秀の知略も、決してそれには劣らない。強い上に教養がある。総合点では光秀のほうが上だと思っている。弱気になるなと弥平次はいいたいのだ。
「なるほど男道か」光秀は微笑した。「さようでござります。強く生きる。これ以外に男の道はござりませぬ」「と、ばかりも思わぬが・・・。仏道にせよ、男道にせよ、選んだ道は極めねばなるまいのう、御住職」「いずれにしろ、極めることはむずかしいことでござります」「安土の殿は・・・」
弥平次はややぶっきら棒に、「王道を極めて頂きたいもの」めったなことをいってはならぬと、光秀は目顔でいい、「信長殿は、男道を極めておられる」と、きっぱりといった。いいながら、果してあれが真の男道かという思いがあった。
そして、弥平次のいった「王道」という言葉が、光秀の心にも、何かずしりと重いものに思われた。 既に「覇道」のみの時代は過ぎたのではないか。今は、「王道」を必要とする時代になりつつあるのではないか。光秀はそう思った。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 鉦の音 04-3
その頃、玉子は一人西教寺の庭に出て、小菊や南天を見たりして、飽きることがなかった。(人間の命と、鯉の命と、どちらが貴いのかしら) ふっと玉子はそう思った。足もとを、嬢が忙しく歩いている。知らずに踏んで歩いているこの蟻にも、命があるのだと玉子は思う。
馬のいななきが聞えた。玉子は馬が好きだ。馬の、あのやさしい澄んだ目が好きだ。じっとみつめていると、馬にも心があるような気がする。玉子は小走りに本堂のほうに走って行った。と、本堂の階段の一番下に屈みこんで、初之助が一人、地面に何か書いていた。
「初之助」玉子に呼ばれて、初之助はどぎまぎした。「何をしていたの?」「いえ、何でもありませぬ」初之助はあかくなった。初之助は、小枝で地面に字をならっていたのだ。「初之助。人間の命と、鯉の命と、どちらが貴いと思いますか」「無論、人間の命だと思います」初之助は無愛想に答えた。
「それは、人間がいうことでしょう。鯉に尋ねたら、鯉の命のほうが貴いといっていましたよ、初之助」 すまして玉子はいった。その玉子を初之助はまぶしそうに見た。「では初之助。馬の命と、人間の命とどちらが貴いでしょう」「馬にお聞きください」怒ったように初之助は答えた。
「初之助、馬を買うのは、高いそうな。人の子を捨てる話はたくさん聞きますけれど、馬を捨てた話は聞きません」玉子は大人びた表情を見せた。大名の家でさえ、弱い子は山に捨てかねなかった時代である。貧しさに耐えかねて、親は子を山に捨てていたのだ。
初之助は黙って、地面に「人の命、馬の命」と書いている。しっかりとした字である。玉子はすぐ傍に来てのぞきこみ、「おや、初之助は字が上手ですこと」あわてて、初之助は手で字を消した。「消さないでも、いいではありませぬか」「----」
初之助は立ち上がった。不断念仏の鉦の音が聞えるばかりの静かな境内に、玉子と二人っきりでいるのが息苦しい。といって、主君の姫を一人おいて立ち去るわけにもいかない。二年前、船の中で初めて玉子を見た日から、初之助にとって、玉子はこの世でもっともまぶしい存在なのだ。が、それは人にも我にもいうことのできぬ思いである。
「初之助。お玉の命と、初之助の命と、どちらが貴いと思います?」玉子はにっこり笑った。今度はお玉に聞けとはいわぬであろう。そう思って笑ったのだ。「同じでござりましょう」初之助はにこりともしない。「馬を見に参りましょう」くるりと背を向けて、玉子が先に立った。長い髪が豊かに背にゆれた。小砂利を敷いた広場を出ると、やや急な坂道が少しつづく。
両側に草の茂る小道を、いちょうや、けやきの大樹の枝がおおって、小暗い。虫が鳴いている。先に立って歩いていたお玉が、ふいに立ちすくんだ。と思うと、「蛇!」と叫んで、飛びすさり、すぐ後について来た初之助にしがみついた。はっと初之助は身を堅くしたが、視線は玉子の指さす道を見た。五尺ほどの青大将がゆっくりと身をくねらせて、よぎって行く。
「心配は要りませぬ。青大将でござります」青大将と聞いても、まだ玉子は、「大きな蛇!」と、初之助の胸にしがみついたままである。急に初之助の体がふるえた。十四歳とはいえ、 玉子のしなやかな体が、今自分にしっかりとしがみついているのだ。
初之助は両手をだらりと下げたまま、お玉を抱きしめるわけにもいかず、あえぎつつ突っ立っていた。かぐわしい女の匂いが、初之助をつつんでいる。「あの・・・もう、蛇は去りました」「本当?」玉子は初之助を見上げた。「本当でござります」初之助の声が、かすかにふるえた。
今、玉子が自分にしがみつき、顔も近々と自分をみつめているのだ。十九歳の初之助には夢みる思いであった。「ああ、こわかったこと」玉子の手が初之助から離れた。初之助の体はまだふるえが止まらない。初之助は、泣き出したいような、叫び出したいような思いで、木の間越しに見える紺青の琵琶湖を眺めていた。
細川ガラシャ夫人(上巻)1975三浦綾子
● 縁 05-1
十一月二日、坂本ではみぞれが降っていた。夜には雪に変るかも知れない。「母上、いかがでござろう。凞子の病いは」
光秀は義母のお登代の顔を見た。侍女のおつなが二人の前に茶を置いて立ち去った。「そうですのう・・・」
