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細川ガラシャ夫人(上巻)
● 覇道 09-1
(事の多い年であった) 天正七年も暮れようとしている十二月二十五日。昨日、丹波の亀山城から坂本城に帰った光秀は、書院に疲れを休めていた。鉛色の琵琶湖の上に、雪が小やみなく降っている。今日も光秀の傍らに、従弟の弥平次光春と、初之助が待っていた。初之助は弥平次と共に、光秀の傍を離れることがほとんどない。
かつては雑兵で、光秀のくつわをとっていた初之助も、度々の武功によって、今は立派な武士である。今年の七月、光秀が丹波嶺山城を攻めた時にも、立派に武勲をたてた。その時光秀は、細川藤孝、忠興と共に、小高い山の上から戦さを指揮していた。敵は波多野の一族である。光秀の部下民部少輔が先駆けとなったが、意気地なく切りまくられた。
誰かが、 「何事ぞ、あのさまは」とどなった。と、敏捷に走り出た若者がいた。走り出たと見る間に、若者は敵の首級を上げ、光秀のもとに来た。初之助であった。光秀は、思わず軍扇で膝を打って初之助をほめた。光秀は感状に、「その方のこと、今に始めざる働きなり」と書いて与えた。
が、初之助は心奢ることもなく、馬のくつわを取っていた時と変らぬ態度であった。今も、初之助はやや憂いを帯びたまなざしで、静かに控えていた。弥平次光春は、なぜか以前より生き生きとした表情を見せている。「のう弥平次」光秀は静かに弥平次を見た。
「何でござります」「わしは、この坂本城に帰るのが辛かったぞ」「お察しいたします」磊落な弥平次も目を伏せた。「倫はさぞ辛いであろう」弥平次は答えることができなかった。荒木村重が伊丹の城を守りきれなくなって、尼ヶ崎に逃れたのは、九月だった。光秀は最後まで、村重が信長と和睦するよう働きかけた。信長も、村重の反逆以来一年有余、信長には珍しく、気長に村重の出方を見守っていた。
しかし、村重は再び信長に仕える心はなかった。村重に信長への離反をすすめた重臣たちが、今になって信長の言葉を信じ、まだ伊丹に残っていた村重の妻子たち三十人余りを、人質として信長にさし出し城を明け渡した。光秀のはからいで尼ヶ崎花隅を渡せば、荒木一族の命は助けるということになった。そこで重臣たちは、この上は尼ヶ崎を明け渡してくれるようにと村重に説得をつづけた。が、村重は頑として応じなかった。
それまで、村重の降るのを待っていた信長が、突如として、狂ったように怒った。 この十二月十二日、信長は伊丹からの人質三十余人を、京都に送らせた。十六日には、それらを裸にし、車にしばりつけて都中をさらしものにして引き廻させ、その直後六条河原で一人残らず斬首した。女子供は泣き叫び、あるいは気を失ったが、情け容赦もなく殺した。しかも、そればかりではなかった。
その三日前の十三日には、村重の女房たち百二十二人を尼ヶ崎に近い七松ではりつけの刑にした。寒風の吹きすさぶ七松は女たちの血で赤く染められていたのだ。いや、更に酷い仕打ちがなされていた。まだ年若い下女や、頑是ない子供たち三百八十八人と、若党百二十四人を四軒の家に押しこめ焼き殺したのだ。
集まってきた見物の者たちが、いかになりゆくかと固唾を飲んで見守る中に、信長配下の者は家のまわりに干草を山と積んだ。「もしや、焼き殺すのでは」「よもや、あのような幼き童らもたくさんいるものを」「いやいや、上様は恐ろしいお方じゃ」歯の根も合わぬ思いで見ていた群衆はささやき合った。果してその干草に火は放たれたのだ。
白い煙の中に、赤い火炎がめらめらと上がる。その火が家を包み、ばりばりと音をたてはじめる頃、悲鳴とも獣のうなりとも分ちがたい声が四軒の家から湧き起った。こうして、五百十二名の命は灰と化したのである。この残虐な刑は、京大坂はおろか、たちまちにして日本中に知れ渡った。光秀もこのうわさを亀山城で聞いた。
その時光秀は、(あの鬼奴が!) と、思わず声を上げるところであった。光秀が間にたって、和平をはからっていただけに、怒りは激しかった。今もその時の怒りが光秀の胸にくすぶっていた。「お倫さまも・・・」いいかけて初之助は言葉を濁した。何といったらいいのか、光秀の苦衷に応える言葉がなかった。
「うむ、荒木殿が倫を返してくれなかったなら、あれも六条河原ではりつけにあったか、焼き殺されていたかじゃ」「まことに危ないところを・・・」弥平次も言葉少なにいった。「いや、助かった倫の辛さ、これも格別じゃ。めめしいことだが、わしは倫を見るに忍びぬ」 「殿、胸中いかばかりかと存じまする。・・・それにしても、荒木殿の心も解せませぬ。既に安芸に逃げられたげにござりまするが」
「うむ」弥平次の言葉に、光秀は深く腕を組んだ。「荒木殿さえ、尼ヶ崎を明け渡したならば、人質の女子供は、ああまでむごい目に遭わずとも、すんだのではござらぬか。のう、初之助」「まことに。荒木殿は豪雄と伺いましたが、豪雄も当てにはならぬものと思いまする」「なまじ、天下無双の力持などとうたわれたお方だけに、ひどく裏切られたような気がするというものじゃ。殿、殿はいかが思し召される?」
弥平次の問いに、光秀はじっと腕を組んだまま、「さあてのう」と吐息を洩らし、「人間というものは、そう簡単には評せぬものよ」と、つぶやくようにいった。「しかし、荒木殿は無責任に過ぎると思われませぬか」「されど、ものは考えようじゃ。のう、弥平次、初之助。もし、自分が荒木殿の場にあらば、そなたたちはいかがであった?」「・・・さて、それは・・・」
「わからぬであろう。とにかく、荒木殿は根が単純なお人じゃ。まさか、信長殿があれほどの大虐殺をするとは、夢にも思わなかったであろう。何しろ、罪のない女子供を、はりつけにしたり、焼き殺したりする惨酷さは、並の人間の持ち合わせぬところだからの」弥平次はちらりと光秀を見た。
「並の人間の持ち合わせぬところ」といった言葉に、日頃の光秀らしからぬ棘を感じたからである。弥平次は賢い男である。そして、従兄光秀の、武将としての知謀、教養、すべてに心服している。だから、弥平次は光秀の心の動きに敏感であった。 「全く、右府殿の惨さは、異常どころか、気狂いじみてござる」「弥平次、あまり大きな声では申せぬことよ」光秀がたしなめた。
「大きな声では申しませぬが、天下の誰もが怖気をふるったことは確かでござりまするて。いわれてみれば、荒木殿も安芸に逃げるより、致し方なかったかも知れませぬな」「荒木殿も気の毒な方じゃ。中川の郎党が本願寺に米など売ったばかりに、飛んだ渦中に巻きこまれてのう」「しかし、殿、それもこれも信長殿が、あまりに冷酷なるため、詫びることさえむずかしかったからではござりませぬか。信長殿は、配下の者にきびし過ぎまする。というより、あまりに粗末に扱いなさる」
「うむ」光秀は、弥平次も自分と同じ思いであると思った。「伯母上のことにしても・・・」「取り返しのつかぬこと、母上のことは、もういうまいぞ、弥平次」「なぜでござります。弥平次はあの件だけは、織田殿を恨みに思いまする」「いうても、せんかたないことじゃ。いうて母上が生き返るわけでもあるまい」
黙っていた初之助が、「おやさしいお方でござりましたのに」と、しみじみといった。(そうであった。あれほどにやさしい人はいなかった) めらめらと燃えるような信長への憤りを、光秀は心の底におさえながら、今は亡き義母の登代を思った。義母の登代が殺されて、まだ半年しか経っていない。
この年六月、光秀は信長に命ぜられていた丹波平定に心を砕いていた。波多野一族が手強く反抗していた。その一族と荒木村重が気脈を通じているという噂も流れた。氷上城の波多野宗長、宗貞父子については、秀吉の弟の羽柴秀長に助けられて、これを攻め落すことができた。 だが、光秀が全責任を持って当っている八上城はなかなか落城しない。光秀は内心焦慮していた。
八上城主波多野秀治は、四年前には光秀に加担して、丹波平定に共に働いてくれた男だった。が、もともと丹波の城主である波多野秀治は、その翌年、つまり、天正五年には突如として、光秀に対し反逆してきた。この反逆に遭って、光秀は苦戦した。人情の常で、丹波の人心もともすれば同国の波多野に傾きやすい。去就の定まらぬ者は、敵にまわしても戦いづらく、味方にしても、使いづらい。
そこで光秀は、この度意を決して兵糧攻めにしたが、兵糧攻めは月日を要する。戦いが長びけば、当然味方の士気も衰えてくる。梅雨の頃とて、陣中は一層陰鬱となり、且つ、だらけた。一様に顔色も悪くなり、誰もが戦さに飽きてきた。それは光秀の最も厭う兵の状態であった。それ故に、光秀は一層焦慮したのである。
もっとも、敵側の八上城内に於ては、それ以上に悲惨な状態になっていた。兵糧は疾うに尽き果て、草木の葉も食い尽くし、まさに餓死寸前の状態で、重臣たちも判断力、決断力を失い、中には発狂する者もあった。光秀はこの機に乗じ、波多野秀治ら三兄弟を降伏させようとした。しかし彼らは、降伏後の信長の処置を恐れて、城から出ようとはしない。
無理からぬことと光秀は思った。光秀としては、四年の長きにわたって、ここまで抵抗した波多野兄弟を、敵ながら天晴れと思う心がある。降伏するならば、力強い味方となるであろうし、丹波の人心を和らげるにも役立つにちがいない。再度使者を派遣すると、「人質を差し出すなら、信長と和睦してもよい」という返事がきた。
ここで、光秀ははじめて、自分の家族を人質に出すかどうかという問題に直面した。無論、 この段階では相手を攻め亡ぼすことができる。人質を出すのは大きな譲歩である。光秀はしかし、後々のためにもそれをよしと判断した。だが、さて人質に誰を出すかは、大きな問題であった。いつ、その命が奪われるか測り難いのだ。到底妻の黒子を人質に出す気にはなれない。
凞子を妻として愛し、誇りにも思ってはいるが、疱瘡のあとを敵方の目にさらすのは哀れだと思う。それに、村重の謀反で戻された倫に、凞子は心痛を重ねている。息子の十五郎は十歳だから、人質にやるには幼なすぎる。といって、戻ったばかりの倫を人質にやるわけにはいかない。義母の登代は、もう七十に近い。これまた、人質に出すには忍びない。
(誰にすべきか) 光秀は迷った。一旦は、長子の十五郎にしようと思い、また、妻の凞子にしようとも思った。迷いに迷っていた時、光秀はふっと、玉子がまだ十一、二歳の頃にいった言葉を思い出した。 「誰かを人質に出さねばならぬ時、誰を人質にするのですか」玉子は子供らしく、率直に尋ねた。一瞬ぎくりとしたことを、光秀は憶えている。玉子は、「お父さまは、きっと玉子を人質に出すでしょう」といった。
確かに、今、もし玉子がいれば、自分は玉子を人質に出すだろうと光秀は思った。それにしても、人質の選定の何と迷い多きことであろう。自分は情愛に弱すぎるのか。それとも決断が弱いのか。光秀は決しかねた。そうした迷いを重ねたあげく、遂に意を決して、十五郎を人質に出すことにし、坂本城に十五郎を迎えにやった。ところが、果然義母の登代の反対にあったのである。
「この母を大事と思し召し候はば、何卒母を八上城にお送り下されたく候。織田殿も、そなたの累年の功をよもやお忘れなされしとも存ぜられず候へば、そなたの母を危地におとし入るるが如きことあるまじく。母はそなたの御働きに役立ち候はば、これに過ぐる幸はこれなく候」との手紙に、光秀も、登代は年は老いても、この任に耐え得るであろうし、すぐにも波多野兄弟と信長との和睦は成立すると確信して、遂に義母を人質に送ることにした。
光秀は登代を八上城に送り、波多野三兄弟を丁重に迎えた。やつれ果てた彼らに食を与え、 衣服を整えさせて、安土の信長のもとに同行させた。光秀は信長に、「和睦を願い出ておりまする故、よろしくおとり計らい願いとう存じます」と申し出た。信長はにべもなくいった。
「光秀。四年前あの兄弟は、一旦味方についた者だ。しかるに何だ。すぐにまたそむいて、 そちを今日まで手こずらしたではないか。そのような変心者を許してみたとで、何になろうぞ」 「いえ、この度は彼らも・・・」「いうな。二言のある者など、わしには不要だ。「磔にしろ!」「殿----」光秀の顔から血が引いた。では、あの母もまた信長は殺せというのか。
光秀は平伏した。 平伏しなければ、まなじりまで裂けそうなほどに、信長の顔を睨みつけてしまったであろう。そんな光秀を信長は無視して、ぷいと立ち上がった。「殿、しばらく。しばらくお待ちくだされませ。今一度願い上げ奉ります。今後の丹波を治むるにも、かの三人は・・・」
「うるさい。そんなことは、この信長のほうが、よう考えておるわ。光秀! 彼奴らを生かしておいては禍根となるぞ。そちが、わしには相談もなく、そちの母を人質としたるも、わしには憎いわ。そちの母が人質になったる故、彼らを助けよと、このわしに命ずる気か」
「殿、決して、決してそのようなつもりは、毛頭ござりませぬ」「わしは、指図されるのは嫌いなのだ。憶えておけ!」「殿! 殿」信長は、蹴立てるように、さっと立ち去った。その額に癇癪筋が青く怒張しているのを光秀は見た。もはや取りつくすべはなかった。波多野秀治等は、信長の命令どおり、安土慈恩寺町に磔の死を遂げた。
当然、八上城に送られた母は殺された。しかも、光秀の兵達に見えるよう楼上で、無残な死を遂げた。「光秀どの!」その時、母が叫んだという。あろうことか、光秀は世人から「母殺し」として指弾された。こんなことになるなら、何も母を人質に出すことはなかったのだ。あのまま、あと幾日か放っておいても、彼らは餓死したのだ。
信長への煮えたぎるような憤りを、光秀は波多野一族にふり向けるように、波多野の残党を一人残らず殺した。このような辛酸をなめながら、光秀は遂に丹波を平定した。その平定を、安土城の信長に報告したのは、十月二十四日であった。この時光秀は、縮羅百端(反)を丹波のみやげとして携え、信長に献上した。
(主と従) 光秀は、その苦渋を信長の前に噛みしめていた。「大儀であった」信長は、光秀の義母のことなど、なかったように、上機嫌に光秀をねぎらった。が、だ盃を傾ける信長を見る光秀の目は冷たく醒めていた。ともあれ、五年にわたる丹波の戦いは終ったのだ。「光秀どの!」という母の最期の絶叫が尾を引いたまま、戦いは終ったのだ。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 覇道 09-2
いま、思うともなく、その義母の最期を思っている光秀に、弥平次はいった。「何にしても、織田殿は恐ろしいお方よ。われらの心を汲まぬお方よ」
「なるほどのう」「わたくしの口から申し上ぐるのは、憚り多きことながら、君たる者には、君たる者の道がござりましょう。王道がござりましょう。しかし、信長殿には覇道があっても、王道はござりませぬ。殿と織田殿とは、この点全くちがいまする」
「なるほど、王道と覇道のう」光秀は深くうなずいて、目を雪の庭に放った。王道、それはいつか弥平次もいっていて、以来、光秀も心にとめていたことであった。「覇道は所詮、覇道でござりまする。覇道は早晩亡ぶものと存じまする」光秀は一瞬ぎょっとした。
が、「そこまでいっては不穏であろう」と軽く初之助をたしなめた。しかし心の底に、「覇道は亡ぶ」という言葉が、抵抗なく胸にひろがって行った。(織田殿は覇道だ。覇道は亡ぶ。こう、この若者はいっている。つまりは織田殿は亡ぶといっているのだ。何と、大胆不敵な!)
「しかし、初之助の申すとおりと存じますな、殿。人心が屈伏するのは、王道に対してであって、覇道ではござりますまい。織田殿も、天下を平定するおつもりならば、遅まきながら、 王道にお励みなさらねばなりますまい」「結構、織田殿も、その道に励んでいられるではないか」
「楽市楽座でござるか」 「そうよの。今まで、諸寺諸社に多くの金を献じなければ、商業が営めなかった。が、信長公はそれらを廃し、安土の町民に商業の自由を認められたではないか」「しかし、殿、あれは安土の繁栄のためが先に立ってのことで、民のためというのは、二の次ではござらぬか」「だが、その上、押売、押買、盗賊、喧嘩、火事などの取りしまりも、きびしく行っておられる」
「その火事で思い出し申した。殿、安土の御弓の者の宿から火を発した時に、信長殿は何とせられました? 失火したるは、妻子が同居していなかったからであると仰せられて、尾州に妻子を置いて来た者百二十余名に、安土に妻を呼びよせるよう命ぜられた。それもよい。しかし、信長殿は、二度と妻たちが尾州に戻れぬよう、尾州の私宅百二十余軒を、ことごとく火を放って焼いたではござりませぬか」
「全くでございます。織田殿は叡山の焼打ち、浅井殿の火攻め、この度の尼ヶ崎の焼殺と、 焼き殺すことがお得意に思われます。焼いても焼けぬものが、人間の心の中にあることを、 ご存じないお方でござりまする」初之助は若者らしく率直である。
二人の言葉が今の光秀には快く耳に響いた。いわば二人は、主君信長の非をついているのだ。光秀の主君は、また二人の主君でもあるはずだ。が、二人は信長を己が主君とは思っていない。弥平次がいった。「あれから十日あまり経った今も、人焼く臭いが、そのあたりにこもっているそうでござるな。風が吹いても臭いは去らぬ。あのあたりの者たちは、死者の怨霊の故だと、いたく恐れているそうな」
弥平次にせよ、初之助にせよ、八上城に義母が非業の死を遂げた事の真相を知っている。 光秀思いの二人が、信長を恨むのは無理もないのだ。止めれば却って火に油を注ぐことになると、光秀は話を外らした。「弥平次」「何でござります」「その方、三十三歳であったな」「殿、もう年のことは忘れました」弥平次はとぼけた。
「初之助は二十二歳か」「はい」初之助は目を伏せた。「殿は五十四歳でござりましたな」弥平次はいい、「五十四、三十三、二十二。四、三、二と、これではまるで語呂合せでござりますな」「弥平次、倫もそなたを慕うていたのじゃな」「え?」弥平次の声が大きかった。
「荒木の家から、返されてきた時の倫を見て、わしにはそれがわかった。弥平次に顔を合わともせた瞬間、倫の体の中に一瞬火が点ったようにわしには見えた」「それは、真でござりまするか」「そちには、それがわからなかったか」「あるいはと思ったことが、幾度かはござりましたが、幼い時から親しく育ちました故・・・」 光秀は脇息によって、静かに目をつむった。一時の間沈黙が二人をつつんだ。が、それは心の通う沈黙であった。
「のう、弥平次。お玉がいつぞや申していた。お倫は、嫁ぐことは死にに行くことだと申していたとな」 「死にくと?」「うむ。そういってお倫は泣いていたそうじゃ。嫁ぐは武士が戦争に行くのと一つことだとも、お倫はいっていたそうじゃ。親の言葉に従って、お倫は黙って嫁いで行ったのじゃ。そなたへの思いも、胸のうち深く包んでな」「……」
「わしには、それがわからなかった。それはやはり、そちもいったように、二人が幼い時から親しく育っていたためであろう」「……」「弥平次。今になって、そなたにお倫を娶ってくれというのは、あまりにも身勝手なねがいであろうのう」「え? わたくし奴に・・・」弥平次の顔におどろきの影が走り、すぐに喜悦の色に変った。
その弥平次の顔を見ながら、「身勝手とは重々思うが、どうであろう。弥平次、この際お倫と添いとげてはもらえぬか」「殿!」弥平次は平伏した。その手がわなわなとふるえている。さすがに感動の高まりをおさえかねているようであった。やがて、平伏する弥平次が、畳にぽとりと大きな涙を落したのを、 光秀は見た。
「礼をいうぞ、弥平次」光秀の声もうるんだ。「かたじけのう存じまする」ようやく弥平次は顔を上げた。「今度こそ、わしもよいむこを得た。お倫もさぞ喜ぶことであろう」「はっ」いつもの弥平次に似合わず、堅くなっている。「弥平次。お玉を嫁がせる時も、わしは辛かったぞ」「と申しますると?」「初之助がお玉を思っていた」「初之助が? それは身のほどしらずというもの」
「とはいえまい。人間、人を恋うるに身分の上下はない。いや、人間には本当に上下があるのか、どうか。戦さに死んで行く者の姿を見ていると、下賤といえども天晴れに死ぬ者もあり、将といえど、見苦しく死ぬ者もある。とにかく、わしは初之助があわれでならなかった」「弥平次、そちも初之助を一層かわいがってやれ。あれは、玉子をめとることはおろか、顔を見ることもなく一生を終るかも知れぬからのう」「かしこまりました」
「まことにこの天正七年という年は、大変な年であったのう。母上のことといい、荒木のことといい、不幸な年であったが、そちのおかげで、先ずはめでたき年を迎えることができそうじゃ」二人は顔を見合わせて笑った。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● ジュスト高山右近 10-1
明けて天正八年正月九日、明智光秀は細川藤孝、忠興父子をはじめ、高山右近ら数人を坂本城に招いて茶会を催した。その帰途、細川父子は、右近を勝竜寺城に誘った。右近を招くことを思い立ったのは、藤孝である。
高山右近は、荒木村重方につかず、織田信長に高槻城を明け渡した。そのことが、信長の心証をよくした。村重一族が亡びた昨年の暮、信長はあらためて右近を高槻城の城主とし、 旧に倍する領地を与え、四万石の禄を取らせた。のみならず、もともとキリスト教に好意をよせていた信長は、キリスト教保護を天下に宣言し、朱印状を発布した。
この様子を見守っていた細川藤孝は、右近を招いて一席を設けることにしたのである。右近の武勇や、その品性に敬意をいだいていたことも無論であるが、信仰篤い右近に、信長のキリスト教援助の内容や、本願寺派制圧の見通しを尋ねたいという思いが強かった。より多くの情報を集めるというのが、細川藤孝の処世の重要な起点であり、更にそれは若い忠興にも引きつがれつつあった。
いま、細川家勝竜寺城の客殿に、二十八歳の高山右近を囲んで、藤孝、忠興、その弟の頓五郎興元、そして玉子とその侍女清原佳代が並んでいた。藤孝の室麝香の方は、昨年生まれた娘の千が風邪をひき、高熱を発していたので、この席には顔を出してはいない。
床の間には、藤孝がこの年の元旦に吟じた句、---- 春といへば雪さへ花のあしたかな ----の色紙が掛けられてある。「なるほど、正月なれば、降る雪さえも、花の如き心地であられたか」右近は句を賞してから、「今年の元日は、一日雪が降りつづきましたな」といった。藤孝が応じて、「全く、地上のすべてを清めるかのように、しんしんと降りつづきましたわい」
「父上、雪が降って何もかも清められるものなら、幸いなことでござりまするな」頓五郎興元が笑った。体は兄の忠興よりも大きいが、笑うとやはり十六歳の表情となる。「興元殿には、清めに関心がおありか」「いや、わたくしめの関心は、勝つことのみにしかござりませぬ」照れたように興元は玉子をちらりと見た。
興元の視線が、ともすれば玉子に行くのを、父の藤孝は先程から感じている。玉子は静かな微笑を興元に送った。玉子は玉子で、先刻より、右近と和気あいあいの中に語り合っている藤孝、忠興の様子を眺めながら、男の世界の不可思議さを感じていた。 たす一年余り前、藤孝父子は、右近の攻め手となっていた。
父明智光秀を援けて、高槻城に向ったのだ。いわば、右近と光秀、藤孝らは、互いに敵であった。それが、今は光秀が右近をも茶会に招き、その帰途、こうして藤孝父子が心をこめて歓待している。藤孝父子も、曾ては荒木村重とも、このような歓をつくしながら、のちには戦さを交わす立場にまわった。
一体この男たちの心の底には、いかなる思いがうごめいているのか、玉子はふしぎでならないのだ。玉子にとって、荒木一族は姉の倫の嫁ぎ先である。その荒木一族を高山右近は見捨てたのだ。止むを得ぬ事情を既に佳代から聞いてはいるものの、右近に対するわだかまりが、たやすく消える筈はなかった。
しかも、今宵はじめての面識である。 玉子はあらためて、右近に目を注いだ。体格のよい、何ごとにも動ぜぬような正しい姿勢は、噂にたがわぬ天晴れの武将に見える。 けんそんしかもその柔和な表情と、澄みきったまなざし、謙遜な態度は、聖僧のようにさえ思われて、 玉子を戸惑わせた。
「ところで右近殿、荒木村次殿は、安芸でいかなる正月を迎えられたことであろうのう」 忠興が盃をおいて、村次の身に触れた。信長の若い頃によく似た戦闘ぶりであるといわれる十八歳の忠興は、不躾なほどに遠慮がない。
藤孝が眉をひそめた。お互い、触れたくない話題である。が、右近は穏やかに、「痛ましきことながら・・・正月をお迎えなさるという心地ではござりますまい」 と、その切れ長な目をふせた。荒木一族六百六十余名が、信長によって、あるいは磔となり、あるいは焼き殺されて、まだ一カ月とは経たぬのだ。頓五郎興元が更に無遠慮にいってのけた。
「右府殿の、天下布武の旗じるしはどくろ故、右府殿に敵すれば致し方なきことよ」右近の目がかすかにくもった。「頓五郎、口をつつしむがよい」藤孝がたしなめた。(天下布武の旗じるしはどくろ・・・) 玉子は心の中でつぶやいた。
武将たちは、この、どくろの旗じるしに怯えて、戦いたくもない相手と戦っているのではないか。信長に敵する者は、死を選ぶしかない。それが恐ろしさに戦っているのではないか。(いや、もしかしたら・・・) どの男の胸の中にも、「天下布武」のどくろの旗じるしのついた旗が、ひそかにはためいているのではないか。
ふっと玉子はそう思い、忠興、藤孝、右近の顔を見た。そして、父明智光秀の静かな顔を思い浮かべた。「のう、右近殿、石山本願寺は一体どうなることであろうのう」藤孝がさり気なく話題を転じた。
大坂の石山本願寺城は、天下を制せんとする信長にとっては癌であった。足かけ十一年前の元亀元年以来、本願寺とは熾烈な戦いが繰返され、双方共に幾万もの人々が血を流してきた。にもかかわらず、本願寺は信長に降らない。
曾て信長と戦った朝倉も武田も浅井も、結局は本願寺と結びついていた。荒木村重も、その本願寺側に寝返った形になった。その上、信長の長年攻め悩んでいる毛利も本願寺を援助している。信長に敵する武将は、すべて本願寺を援けるのだ。
はじめは、(たかが、坊主が!)といった軽侮の念を持った信長も、今日までの十年間、どれほど本願寺の僧兵、及び門徒の、無気味なほどの底力に脅やかされたかわからない。従って年が明ける毎に、信長はじめ、信長配下の武将は、本願寺との戦いの結末が心にかかるのだ。「さて、吾々若輩には、確たる見通しもござりませぬが・・・」右近は腕を組んだ。
「わしは、信仰のことはよくわからぬが、この十年石山本願寺の門徒衆の働きを見て参るに、 武士よりも門徒衆の結束は実に堅うござるな」「かも知れませぬ」「何故でござろうの、右近殿」藤孝は、右近を見つめた。
「それは、清原マリヤ殿のほうが、よくわかってござる」 右近は、玉子の傍らに、ひっそりと侍っている佳代を見た。その視線の中に、いとも親しげな思いがこめられているのを玉子は感じた。それは、男と女のあの妖しい情ではない。言いがたい親しげなまなざしながら、決してねばつく視線ではない。これが、信を同じゅうする者の親しさかと玉子は思った。
「いえいえ、ジュスト様、わたくしなど、ただ天主にお仕えするはしため、とてもそのようなことなど・・・」「いや、マリヤ殿の信仰は、われらの光じゃ。マリヤ殿には、われわれ足もとにも及びませぬ」 お互いに譲り合う右近と佳代の姿を見ていた興元がいった。
「何を話しておられるのやら、われらにはさっぱりわかり申さぬわ」右近は苦笑して、「なぜ門徒衆の結束が、武士の結束よりも強いのかという、細川殿のお尋ねでありましたな」 「さようでござる」「それは、御仏を信ずる彼らには、この世に恐ろしいものがないからではござらぬか」
「この世に恐ろしいものがない?」「いかにも。彼らは権門を恐れませぬ。織田殿がいかに強くとも恐れませぬ。しかし、武士はともすれば自分より強いものを恐れまする。強き者になびき勝ちでござる」「なるほど、門徒衆は権力を恐れぬといわれるか」
「は、しかしながら、この世に恐れるものは持ちませねど、あの世に恐れを持っておりまする」「あの世に?」「は、地獄に堕ちることを恐れておりまする」「なるほどのう、地獄に堕つるを恐れて、顕如上人をよう裏切ることはせなんだと申さるるか」
「はい、上人を裏切って地獄に堕つるよりは、喜んで死ぬ者ばかりでござりましょう」「なるほど、されば織田殿の手を焼かるるも道理じゃ」「荒木殿の配下が、本願寺城に夜な夜な米を舟で送りましたるも、あれは、利に目がくらんでのことか、あるいは信者の一人としてなしたることか、真実のところはわかりませぬ」
「おお、さようであったか。米をひそかに敵に運ぶとは、単なる利欲にしては、命を張っての大胆な所業じゃ。恐らくは信徒であったにちがいあるまいて。それにしても、織田殿には武器を売らぬという門徒衆もいることじゃ。はてさて、信徒というものは扱いづらいものじゃのう」今更のように、藤孝は慨嘆した。
「しかし父上、今年こそ織田殿は、本願寺を降すのではないかという噂を聞いておりまするが」それまで黙って藤孝と右近の話を聞いていた忠興が口をはさんだ。「ほほう、それをそなたは誰に聞いた?」 「いや、昨日の茶会のあと、ちらりと惟任殿がいっておられた」
「なに? 光秀殿が? 右近殿も聞かれたか」「わたくしは伺いませぬ。が、わたくしは、今年は織田殿も本願寺と和議を結ぶのではないかと存じておりまする」「何? 和議とな」「はい。一昨年、 勅令にて織田殿は本願寺と和議を結ぶ筈でござりました」
細川ガラシャ夫人(上巻)
● ジュスト高山右近 10-2
その時点では、さすがの信長も、毛利氏との対決に追いこまれていた上、荒木の謀反にあって動揺していた。信徒や僧兵の底力にもいささか侮りがたい脅威を感じていた信長にとって、和議の勅令が降りたことは幸いであった。信長は早速、本願寺及び毛利氏とも和議を成立させるべく手配しようとした。
ところが、荒木村重配下の中川清秀が、信長のもとに帰った。この一事が信長を安心させる結果になった。信長は和議を撤回した。不利な和議を結ぶよりも、やはり戦うべき時と判断したのである。信長は、六隻の戦艦を造り、銃砲をこれに備えた。水路から本願寺を援助していた毛利軍を射つためである。
本願寺は既に、味方の朝倉、浅井をはじめ、比叡山の僧侶たち、松永弾正その他諸国の門徒衆を信長によって亡ぼされていた。更に今は荒木村重も毛利方に逃げた。(村重はその後靴髪し道薫と称して茶人となり、信長亡きのちは秀吉に招かれて茶の湯を以て仕え、利休七哲の一人と数えられるに至る。が、最後は自害して終る)その毛利氏も、この頃は織田勢の前に日々敗色が濃くなり、本願寺を援助した昔日の影はない。
従って、本願寺は今、孤立無援にひとしかった。一昨年とくらべて、信長ははるかに優位に立っていた。信長にとって、有利な和議を結ぶ好機ともいえる。この上は、窮鼠猫を噛むことになるやも知れぬ本願寺の門徒衆や僧侶と戦うよりも、そのほうが賢明というものでる。右近はこの間の事情を、一つ一つ思慮深く言葉をえらびながら、藤孝に語った。
「さような次第で、そのうち、必ず和議の勅令が、再び朝廷より降ることと、わたくしは存じておりまする」右近の言葉に耳を傾けていた忠興が、不審気にいった。「しかし高山殿。先程貴殿は、門徒衆は権力を恐れぬ、死をも恐れぬと申されたではござらぬか。権力をも死をも恐れぬ者が、何条やすやすと和議を結びましょうや」
「仰せの通り、彼らは何ものをも恐れませぬ。しかし、前の御門跡、顕如光佐様はおそらく和議を結びましょう」「なぜでござる」「すべての僧や門徒衆が失せ果てては、仏道も亡びまする。生きのびる者がなくては、仏の道もわが国から亡び去りましょう」「なるほどのう」
藤孝は脇息に身をよせて深くうなずき、「右近殿は、お若いが先を読んでおられる。やはり信仰の道は異なっても、右近殿も信者、さすがに吾々とはちがった何かをお持ちのようでござるな」「痛み入ります。何分若輩にて・・・」右近は目をふせた。(この右近の予測通り、この年三月信長は本願寺と和議を結んだのである)
右近は、荒木村重と袂をわかち、高槻城を信長に開城する時、大名生活を捨てようとした。 右近は決して、単に信長に従ったのではなかった。大忠を全うすべく開城したのである。 長がキリシタン保護の約束さえしてくれるならば、右近はそのままキリスト教伝道に専心しようと決意したのである。それが、結局は信長に乞われて、やむなく再び軍扇を持ったのであった。
そのことは、右近の深い痛みとなっていた。右近が高槻城を開城するべく信長を訪れた時、信長は小躍りせんばかりに喜び、着ていた小袖をその場で脱いで右近に与えた。そのなまあたたかな信長の体温のこもった小袖を、右近は複雑な思いで受けた。その折、信長は最も愛着を持っていた秘蔵の名馬早鹿毛を、吉則の名刀と共に与え、かつ領土を倍にさえしたのである。
(あの時… ) 右近は、あのなまあたたかい小袖にこもる信長のかなしさを感じとったのだ。信長がその場で、小袖を脱いだという率直な態度にも右近は打たれはした。分別も行儀作法もない粗野な喜びの表現だが、その喜びようには真実がこもっていて、心地よかった。が、それだけにまた、(これが信長殿の喜びか)と、何かむなしさを感じたのだ。
武人として、右近も勝つことの喜びは知っている。しかし、小袖と名馬と愛刀と、領地を与えるほどの喜びの内容は、武人の道を捨て、この世の一切の栄誉を捨てようとした右近には、ひどく貧しく思われたのである。(勝つことが、最高の喜びなのか) それでよいのかと、右近にささやく内なる声があった。
その内なる声を聞いて、信長をあわれに思ったといえば、人は傲慢に過ぎると笑うかも知れない。が、右近は、人間もっと深く聖なる喜びが、別にあることを知っているのだ。高槻城の城主でありながら、貧しい寡婦に慰めの言葉をかけ、病める者を見舞い、悩みある者の嘆きを聞くことを知った右近は、勝つことよりも、神に仕える喜びの大きいことを知っているのだ。
右近は信長の小袖を受け、この敵の多い主君に今迄通り仕えよう。恐れられても、愛されることのないこの信長に仕えようと思ったのである。そう決意したのだったが、やはりあの時、あのまま武将の生活を捨て、神父を助けて日々伝道に励んだほうがよかったと、今なお心の痛む右近であった。
その右近を細川藤孝は見守り、「いや、年はお若いが立派なものじゃ。織田殿が、何としても右近殿を敵に廻したくはなかったお気持も無理からぬて」「父上」頓五郎興元がいった。「何じゃ」「僧や門徒衆といい、右近殿といい、信仰者は皆強うござりますな」「うむ、それで?」
「わたくしめも戦さに強くなるために、キリシタンになろうかと思いまするが」藤孝は何もいわず微笑した。「順五郎、戦さに強くなるためにキリシタンになる者はないぞ。強い信仰を持ってこそ、神や仏の加護があろうというものよ」兄の忠興がたしなめ、声を上げて笑った。忠興の言葉に、佳代がかすかにうなずいた。
確かに、信長の右近に対する執着は大きかった。昨年信長は、安土に右近の邸をつくらせた。高槻に城を持つ右近の別邸である。殷賑の地に邸を与えられることは名誉なことであった。もっとも、それは安土に右近の親族を置くことであり、ていのよい人質であったかも知れない。とにかく、信長はそれほどに右近との絆を堅くしておきたかったのである。
その上、右近の望むままに、安土にキリシタンの教会建設を許した。信長は、安土の町に新しく寺を建てることは、許さなかった。以前からあった古い寺は、やむなく黙認という形をとっていた。だから、キリシタンの教会建設はなおのこと許可せぬものと思っていたオルガンチノ神父は、これを聞いて甚だしく喜んだ。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● ジュスト高山右近 10-3
教会建設には、信長は極めて積極的で、今年の春には、土地を与えることになっていた。 教会側も三階建の神学校を建てる計画を持った。無論この中に礼拝堂も設けられるのである。その計画は、新しがりやの信長を喜ばせた。天下の安土の街に、人目をひく大きな建物が建つことは、即ち信長の威を示すことになる。
とにかく、右近の望みがこのように易々として信長に受け入れられたことは、信長の右近に対する信頼の程が、いかに大きかったかを現すものである。それのみか、「わしは信者にはならぬが、長子の信忠は、キリシタンとなるであろう」 と公約さえしたのである。もともと、信長自身は神も仏も信じてはいなかった。
ルイズ・フロイス神父の書によれば (このフロイスは、信長に会見した回数が、記録に残っているだけでも、十七回に及ぶという)、「彼(信長)を支配していた傲慢さと尊大さは非常なもので、彼自身が礼拝されることを望み、彼、即ち信長以外に拝礼するに価する者は誰もいないというに至った。(中略)自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように、 万人から礼拝されることを希望した」と書かれている。
なお、フロイスの書によれば、信長は単に漠然とそう望んだのではなく、自分を礼拝する場として総見寺という寺院を建て、自分を拝む者にたまわるあらたかなご利益を並べたてた。 いわく、富裕となる。いわく、子孫と長寿を与えられる。病いはたちまちにして癒え、健康と平安を与えられる等々である。
しかも、信長の誕生日を聖日として参詣せよ。これを信ぜぬものは、現世は無論のこと、 未来永劫に至るまで亡びるというのである。このような信長が、右近の希望通り、安土に三階建の礼拝所及び神学校の建立を許可したのは、あるいは本願寺派の仏徒一門に対しての、一つの布石であったかも知れない。
また、昨年の、つまり天正七年八月に、信長は京都で大芝居を打っている。 それは、オルガンチノ神父と半盲のロレンソが、信長を宿である寺院に訪ねてきた時のことである。信長にとっては、寺院は宿としての利用価値以外には認めるに足らぬものであった。寺院は大勢の従者が泊り得るだけの広さがあるからである。
信長を訪ねたオルガンチノ神父たちは驚いた。広間には武士諸候がものものしく詰めかけている。何ごとであろうと戸惑う神父たちに、一段高い広間から、信長はそのかん高い声で、「おお、お見えになられたか。さ、さ、こちらへ」と、丁重に自分のすぐそばに通した。神父たちが、信長の目近にすわって挨拶する様子を武将たちは一段低い広間から、あたかも芝居を見るように、みつめていた。
信長は人々に聞えるように、つとめて大声で、「その後、お障りもござらぬか」「近頃は、どこかに旅をなさっておられたか」「お国から、ご消息がござったか」と、珍しくていねいなものの言いようである。信長は、外にいる武士や僧侶たちにも、話の内容が聞えるように、戸や窓をことごとく開け放たせていた。旧暦八月で、まだ残暑がきびしい。
庭に詰めている武士や僧のひたいから汗がふき出ていた。信長は小声で神父たちにいった。「今日は問答をする。時々、荒々しく怒っても見せるが、これは本心からではない。キリシタン布教のためじゃ。いかなる態度にも驚かず、落ちついて、人々によく聞えるように答えてほしい」
この日、こんな企てがあるとは知らなかった神父たちは、一旦は驚いたが、信長の言葉を諒承した。信長は脇息によりかかり、くつろいだ様子を見せ、「師たちも楽になされ」と親し気にふるまい、「どうだ、わしは遠からず仏教の寺院は一寺残らず取り上げて、キリシタンの教会に一変させてしまう所存だが」オルガンチノは、これを冗談として辞退した。が、信長は断乎として、「わしは思い立ったことは、やらねば気がすまぬのだ」と宣言した。
この言葉を聞いた僧の中には、即刻財産を処分して逃げたものもあったという。「西欧にも大名はいるのか」「天皇はいるのか」「本当に天国や地獄があるのか」あると答えると、信長はにわかにいきり立ち、「何? 天国、地獄があると申すか。では、それがあるという確かな証拠を余に見せい」と大声でどなった。
修道士のロレンソは、半盲のその澄んだ目をうつろに見開いて、信長の言葉に耳を傾けていたが、にっこり笑って、「かしこまりました。証拠をお見せ致しましょう」と頭を下げた。ロレンソとは霊名で、彼は肥前生まれの琵琶法師であったが、フランシスコ・ザビエルから受洗、外人宣教師、神父たちの日本語の教師となり、且つ通弁をしていた。
頭脳明晰、且つ甚だ雄弁家で、右近父子も彼とは親しい間柄であった。「いかにして天国、地獄の証拠を見せるぞ」「では、天国、地獄、いずれにてもご案内つかまつりましょう!」「おお! 案内してもらおうぞ」信長が立ち上がると、「殿、それではご案内申し上ぐる故、わたくしと共に、ここにて御腹を召されませ」「何!? 切腹せよとな」「はい、死ねば、天国、地獄に参れます故」
信長はとたんに大声を上げて、「参った! 参ったぞ。わしはキリシタンに負けた。右近、助けてくれ」と、広間にいる右近を見た。ロレンソはその半盲の目を閉じて、人間は皆罪深いものであること、神はその人間の罪を救うために、キリストを十字架にかけ、人間の罪を帳消しになされたことなどを、力強く語りはじめた。
何のことはない、伝道集会である。説教が終るや否や信長は、「皆のもの、キリシタンとなる心の準備をせよ」とすすめた。人々は、信長も信者になったのかと思う程であった。しかしこれは、信長が、 僧たちに対する一つの示威であり、いやがらせであった。
とはいえ、これほどにキリスト教に積極的な好意を見せたのは、右近に対して、「高槻城を開城するならば、一層のキリシタン護教につとめる」といった約束を、信長なりに守ろうとしたからでもあった。にわかに右近は、信長の寵を一身に集めるかに見えた。諸大名は右近に対して、丁重になった。
が、右近は黙々と、二倍になった領国の布政につとめて、決して心奢ることはなかった。かの、大芝居を、藤孝も忠興と共に見た一人だった。が、芝居であるとは思ってはいない。ただ、大名たるもの、宗教について無関心であっては、領民を治めることにも、敵国と戦うことにも、大きな支障があることだけは改めて知らされた思いだった。
今も、その時のことを話題にしたあと、「右近殿の領民は幸せでござるな」「幸せであってほしいとねがっておりまする。領民が不幸せでは、領主に幸せはござりませぬ」 思わず玉子は顔を上げた。(領民が不幸せでは、領主に幸せはない?) いまだ曾て、このような言葉を玉子は聞いたことがなかった。夫の忠興も、しゅうとの藤孝も、そして父の光秀も、このような言葉を語ったことはなかった。忠興が尋ねた。
「右近殿、では領民の幸せとは何でござろう」「それは、領主の存在を忘れて暮せることとでも、いうべきでござりましょうか」「領主の存在を忘れる? それはまたどういうことでござろう」「 つまり、権力に強いられることの何一つない生活でござりましょう」「しかし右近殿、領民などというものは、権力をもって脅さねば、貢も働きも、領主のままにはならぬもの」
「いや、領主も領民も同じ人間でござる。心と心で結ばれねばなりませぬ。わたくしは天主デウスの愛によって、人間の一人一人が等しく尊いものであることを知りました」「我々と領民が等しい人間だと、右近殿はいわれるのか」「さようでござる」忠興はむっとしたように、「では、右近殿、貴殿は権力をもって領民に信仰を強制したことはござらぬか」
「忠興殿、信仰は権力で強制できるものではござりませぬ。天主は〈肉体を亡ぼしても、魂を亡ぼし得ぬ者を恐るる切れ〉と申されておりまする。われわれ大名といえども、いわば魂までは亡ぼし得ぬものでござる。信仰の強制など、何の役に立ちましょうや」玉子には、右近の言葉の一つ一つがひどく新鮮に思われた。
海老沢有道氏もその著「高山右近」の中で、「彼(右近)は決して改宗を権力をもって強制することはなかった。領民にも大名とは到底思われぬほどの謙虚さと愛とをもって交わった。彼はみずからの言動をもって模範を示し、 キリシタン精神にもとづく政治を行って、領民にそれを示した。(中略)
そして、それに感化された人々は、すすんで説教を聞き信者になるのであった。もちろん彼は異教徒に説教を聞くよう奨励した。しかし常にキリシタンになるもならぬも全く自由であることを強調した」と書いている。
こうして、やがては二万五千人の領民のうち一万八千人がキリシタンになったわけであるから、その領内の結束は堅かったであろう。本願寺に手を焼いた信長が、右近を自分の陣営にひき入れたかったのも故なしとしないのである。
この右近にはじめて会った玉子は、その高潔な人格に強く惹かれた。忠興もまた、この日の右近との親しい語らいの中に、畏敬の情を持つに至った。これが縁で、その後右近は、幾度となく忠興を訪ね、忠興もまた高槻城に右近を訪れるようになっていった。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 匂い袋 11-1
忠興の体が、玉子の胸の上からはなれた。「お玉、よい子を産めよ」忠興は、玉子の腹部に手を当てた。「はい」二人の初めての子が、四月には生まれるはずであった。「あと、九十日あまりか」満足そうに忠興はつぶやいて、布団の上に腹這いになった。
枕もとの灯が、ゆらゆらと小さく揺れたかと思うと、ジジーッと鳴って消えた。油がきれたのであろう。玉子は闇を凝視するように、目を見開いていた。「男の子を産めよ」もう幾度も言ったことを、忠興は今もくり返した。「はい」「強い子を産むのだ。わしよりも強い子をな」「はい」「何だ、お玉。何を言っても、はいはいと一つ返事をしているではないか」闇の中で、忠興が玉子のほうに体を向けた気配がした。
「では、いいえとお答えいたしましょうか」玉子は低く笑った。「それでよい。それでこそ、お玉だ」けだるそうな忠興の声がした。と、間もなく忠興は寝息をたてはじめた。十八歳の忠興の健康そうな寝息である。玉子はじっと目を見開いたまま、かすかに吐息を洩らした。布団の中に真直に伸ばした自分の太ももが、暖かくふれ合っている。玉子はその自分のもものほてりをいとうように、足をかすかに開いた。
(昨夜も・・・わたしは・・・) 玉子は身じろぎをし、枕に頬をあてた。昨夜、忠興の胸の中に抱かれながら、玉子はふっと高山右近の顔を思い浮かべたのだ。途端に、玉子は自分の背に手を廻している忠興の荒々しいまでの抱擁が、右近の抱擁のように思われたのだ。はっと玉子は身をよじった。思いがけない感覚が玉子の体をつらぬいた。
そして、今夜もまた、忠興はいつの間にか右近に代っていたのだ。(なぜ、右近様が?) 右近にはまだ、一度しか会ってはいない。十日程前である。右近とは、直接に言葉らしい言葉を交わさなかった。その上、右近は、他の男たちが初対面の時に見せる玉子の美しさへの驚きも示さなかった。
はじめて会った玉子に、涼やかな視線を向けただけだし、帰りぎわには、玉子よりもむしろ清原佳代に幾度かそのやさしい視線を投げかけていた。右近のように、玉子の美しさに驚かぬ男性は、曾て一人もなかった。どんな男性でも、いや女性ですらも、玉子を見て讃歎の目を見張り、中には「ほう」と声に出す者さえいた。
玉子は右近の言った、「領民が不幸せでは、領主に幸せはござりませぬ」の言葉に感銘した。偉い人物だと思った。その高潔な人格に惹かれただけのつもりであった。それが、突如、昨夜の闇の戯れの中に現れたのである。そして、つづいて今夜。(なぜであろう) 玉子には不思議であり、また自分が厭わしくもあった。
今まで、玉子自身、忠興の妻として、人に指一本指されるようなことはしてこなかった。台所にも、機織にも染色にも、よく精を出して働いた。まだ結婚してそれほどの年月を経ていないとはいえ、忠興に対して全く貞潔であり、こんなみだらな思いをすることなど、無論なかった。
それが、ふいに昨夜以来、玉子は人に言えぬ思いで、右近の幻に二度も抱かれたのである。(しかし…)と、今、玉子は思った。自分が右近を思い出そうとしたのではない。ふいに右近の幻影が現れたのだと、玉子は目をとじた。とじた瞼のうらに、玉子は忠興と右近の二人の姿を浮かべた。物腰も、表情も、右近のほうが、忠興よりもまさって見える。
それは、忠興が右近の年齢になれば、そなわるというものではないような気がした。「領民が不幸では、領主に幸福はない」などという言葉は、忠興にはいくつになってもいえないような気がした。若者らしい荒々しさと、繊細な神経とを兼ね持った忠興を、玉子はいとしく思っていた。 時にはひどく無邪気で、純真でもあった。忠興は感情の起伏に富んでいた。
しかし、玉子は自ら忠興をえらんだのではない。信長の命令によって、二人は結婚したのだ。もし、忠興と右近と二人を並べて、どちらかを選べといわれたなら、自分はどちらを選ぶであろう。いま、玉子は瞼のうらに浮かんだ二人を並べて、大胆な想像をしてみた。
多分、忠興を選びはしなかったにちがいない。玉子はためらうことなくそう思った。思った途端に、いいようもない思いに胸がうずいた。もし、信長の命令で自分が右近と結婚したとして、のちに忠興に会った時、自分は同様の感慨を持つであろうか。ふっと溜息をついた時、忠興の寝息がすっと止んだ。
玉子ははっとした。忠興はよく、ひと寝入りしてから、再び玉子を求めることがあるからである。が、しばらく息をのんでいる玉子の耳に、再び忠興の寝息が聞えた。(キリシタンなど、好きにはなれない) 玉子は、自分にいい聞かせるように、そうつぶやいた。玉子は自分で自分の心の動きに気づかなかった。
右近が、玉子の美しさに何の驚きも、讃歎も示さなかったことに、玉子は逆に異性として惹きつけられていたのである。人を恐れることなく、驕慢に育った玉子の血は、嫁いで静まったかのように見えた。が、その血はやはり生来のものであった。自分の美しさに驚かぬ右近を、玉子はそのままにしてはおけなかったのだ。
それが、幻の右近に自分を抱かせたのかも知れない。が、それはあくまで無意識の世界でのできごとであった。玉子自身すら、説明のつかぬ唐突な形で右近は現れたのである。玉子はその夜明け、夢を見た。幾十頭もの黒い馬の群れが、音もなく走ってくる。
どの馬も玉子を目がけて走ってくるのだ。玉子は、馬の群れがぐんぐん目の前に走ってくるのを見つめたまま、逃げようにも足が動かない。叫ぼうにも声が出ない。先頭の馬が大きく迫った。 と、その時、すっくと大手をひろげて立ちはだかった男がいる。見ると、初之助だった。「あっ、初之助」
初之助はじっと玉子を見つめた。澄んだ淋しげな目であった。今までいた馬は影も形もない。「ありがとう、初之助」初之助は何も答えない。初之助はただじっと玉子を見つめているばかりである。そして、 その姿は、ふっとかき消すように見えなくなった。
はっと思った途端に、玉子は目がさめた。初之助の夢など見たのは、はじめてである。ふだんは思い出したこともない。が、いま夢の中で見た初之助の淋しげな目が、あまりにもありありとしていて、さすがに懐かしかった。誠実な若者だったと、かげ日向なく働いていた初之助を、玉子は思い出した。
それはしかし、初之助が懐かしいというより、父母のいる坂本城が懐かしいという感情であった。初之助は玉子にとって、坂本城の庭の梅や、松が懐かしいのと同様な存在に過ぎない。夢にでも見なければ、思い出すことのない人間であったかも知れない。
玉子は夢を見て、初之助が無事に過しているかどうかを思った。馬に追われた夢のためか、胸が少し動悸していた。初之助は、あの馬の群れの前に立ちはだかってくれたと、玉子は夢を反すうした。いかにも初之助らしいと玉子は思った。しかし、 なぜ初之助の夢など見たのであろう。
自分を危機から救うために、父の光秀も、夫の忠興も夢の中に現れてはくれなかったと玉子は思った。今日は久しぶりに、父母に便りを出そうと思いながら、玉子はそっと身を起した。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 匂い袋 11-2
弥平次と初之助は、並んで弓に矢をつがえていた。坂本城内の射場である。ビューンとつるが鳴り、弥平次の放った矢が、少し的を外れてつきささった。つづいて射た初之助の矢が的の真ん中をつらぬいた。「見事じゃな、初之助」弥平次は青空を見上げて笑った。二月に近い今日の日ざしは背にあたたかい。
「恐れ入ります」「百発百中だのう」「いえいえ、まだまだ未熟でござります。弥平次様は・・・」いいかけて、初之助は弥平次を見た。「何だ」「何でもござりませぬ」弥平次は初之助をかわいがっている。初之助も弥平次の磊落さを敬愛していて、弥平次には時に遠慮のない口を利く。「何だ? いいかけてやめるな」「お怒りになりませぬか」
「時と場合による」わざと真面目な顔をしてから、ニヤリとして、「何だ? いってみるがいい」「弥平次さまは、お倫さまとの御縁談が決まってから、的から矢が外れるようになられましたな」「なあんだ。それをいいたかったのか」弥平次は声を上げて笑い、「当り前じゃないか。何を見てもお倫どのに見える。的もお倫どのの黒い目に見える。とても当りようがないわ」けろりとしていった。
「なるほど、弥平次さまはお幸せですな」片肌ぬいだ初之助の盛り上った筋肉が、うっすらと汗ばんでいる。初之助は再び矢をつがえた。「お前には、あの的が何に見える?」初之助はちらりと弥平次を見、一瞬黙ったが、「的は的にしか見えませぬ」と目をつむった。そして、かっと目を開くと、静かに矢を放った。弓づるが鳴り、矢は再び的を射通した。
「見事!」率直に弥平次はほめた。「のう、初之助。お玉どのは四月にはご出産だそうな」「え?」初之助の声が高かった。「お玉どのは、お子をお産みになるそうじゃ。昨日、殿の所に便りがあった」「・・・」「初之助は元気かと、その手紙には書いてあったそうな」「弥平次どの!」きっとしたように初之助は弥平次を見た。
「何だ」「おからかいはご無用にねがいまする」「何を怒っている」「弥平次どの。あのお方が、わたくし奴の安否など問われるはずはござりませぬ」「だが、問うてきたのだ」初之助は黙って肩を入れ、一礼してさっさと立ち去ろうとした。「待て! 初之助」立ちどまって初之助は、自分の爪先に目を落した。草履を突っかけた素足の指があかい。
「からかってなどは居らぬ。何のためにわしがそなたをからかうのだ」「・・・」「まあ、ここにかけよ。ちょっと話がある」射場の片すみの大きな石に、弥平次は腰をおろした。初之助もいたし方なく弥平次の傍らに腰をおろした。「お玉どのは、そちの夢を見たそうじゃ」「夢を?」「うむ。何でも、馬の群れに追われているお玉どのを、そちが救ったのだそうだ」
「それを、手紙の末尾に記しての、お前の安否を尋ねてきたのだ」「・・・信じられませぬ・・・」玉子の美しい寝姿を、初之助は想像した。その夢の中で、あの玉子を自分が救ったなどとは、いくら夢であっても初之助には信じがたいのだ。「では、わしが嘘をいって、お前をからかってでもいると思うのか」「・・・」「もし、嘘と思うならば、殿にお尋ね申してみよ」「・・・」「のう、初之助。そちはお玉どのを・・・思っているのであろう」「いえ、そんな・・・滅相もござりませぬ」「よいわ。のう、初之助。わしはそちの気持がよくわかる。わしも、お倫どのが荒木どのに嫁いで以来、辛い思いであったからのう」初之助は弥平次を見た。
「それが、荒木殿の謀反で、不縁になって帰ってこられ、思わぬことに、わしが要ることになったのだが・・・。ついこの間までは、わしも、そなたと同じ思いじゃった」「・・・しかし、わたしめはお玉どのを思ってはおりませぬ」「思っておらぬなら、おらぬでよい。だが、想ってもおらぬ者が、今のように、すぐかっと怒るであろうかのう」「・・・それは・・・」
「よい機会だから、わしは申すのだ。お玉どのが、たとえ、何か不慮の出来ごとで、お倫どののように不縁になって・・・」いいかけた言葉を断ち切るように、初之助はきっぱりといった。「縁起でもござりませぬ。お玉どのは、生涯お幸せにお暮しなさりまする」初之助の顔を弥平次はじっと見て、「わかった。所詮かなわぬ恋とあきらめているのだな。いや、かなわぬ恋とは心得ていても、あきらめてはいまい。忘れてはいまい」「・・・」
「忘れられぬものよ。わしもそうであった。だから、いうのだ。初之助、そちはお妙をどう思う?」「お妙どの?」お妙は二年ほど前から光秀の妻熈子の侍女となっていた。ことし十七歳。色白の、頬のふっくらとした娘である。「そろそろ娶ってもよい年だ。そちはたしか今年は二十三歳になるはずじゃ」「弥平次様、初之助は生涯めとりませぬ。弥平次様も、この間までは、そう申しておられたではありませぬか」「生涯めとらぬと申すか」「はい、めとりませぬ」
主君の光秀にも、流浪の日があった。光秀の従弟の弥平次も、光秀と流浪したことがあっこせがれた。初之助自身、かつては一漁民の小枠にしか過ぎなかった。それが今は士分に取り立てられ、騎馬をゆるされている。今の時代は強い者、器量のある者が出世をする。反対に力のない者は、たとえ将軍の座にあっても、足利義昭のように追われてしまう。実力の時代なのだ。 よい時代だと初之助は思っている。
初之助は強くなりたいのだ。世に出たいのだ。玉子の夫の忠興よりも、上になりたいのだ。(まだ、俺は若い) いま、初之助の胸は常よりふくらんでいた。玉子が自分の夢を見てくれたことが、初之助を鼓舞したのだ。どんな美しい寝姿で自分の夢を見てくれたのかと初之助は思う。いつの日か、自分は玉子に、堂々と会う日が来るような気がする。
もしかしたら、玉子が夢を見てくれたように、玉子を救うために玉子の前に現れることがあるかも知れないのだ。だが、そんな胸のうちは、弥平次にも語れぬことであった。「初之助」伏目になってあれこれ考えている初之助を、弥平次は痛ましそうに見た。「はい」「お玉どのへの、そなたの思い、他言はせぬ」
「ありがとうござります。・・・ところで弥平次様。人妻を恋うることは、やはり道に外れたことでござりましょうか」「うむ。そうであろうの。しかし、わしはお倫どのを思うことを、道に外れているなどとは思わなかった。わしはお倫どのが嫁がれる前から思っていたのだ」
「弥平次様、実はわたくしめも同じでござります。自分が先に思っていたお方を、無法にも取り去られた、そんな思いがしてなりませぬ」「人間、自分の都合のよいように解釈するものだ。やはり人妻は人妻、思いをかけてはならぬことになっている」と知ってはいても、おさえがたい胸の炎を、どのようにして消すべきか、自分にはわからぬと初之助は思った。
先程も、玉子が忠興の子供を産むと聞いた瞬間、初之助はめまいがするほどの衝撃を受けた。結婚した以上は、やがては子を産むことと知っていながら、いいようのない嫉妬の感情が身を貫いたのだ。 玉子の嫁入りの日であった。輿より降り立って、身じろぎもせず野の彼方の夕日をみつめていた玉子の姿が、初之助の目にありありと焼きついている。
あの日以来、夕日の沈むのを見るごとに、初之助は花嫁姿の玉子の美しい立ち姿を思っては、胸をしめつけられてきたのである。(あの時は、まだ乙女だったのだ) 初之助はそう思い、忠興への敵意をひそかに燃やしつづけて来た。(強くならねばならぬ) すっくと初之助は立ち上がり、再び片肌をぬいだ。
「まだ射るのか」「はい、いま少し」日ざしは暖かいとはいえ、琵琶湖を吹きさらしてくる、陰暦一月下旬の風はまだ寒かった。 初之助は弓に矢をつがえた。祈る思いで放った矢は、的を二寸ほど外れて、左上に斜めに突きささった。初之助は唇をかんだ。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 匂い袋 11-3
天正八年四月二十七日夜、長岡のあたりに激しい雷雨があった。天を切りさくような稲妻が走り、たらいを返したような雨が降る中で、玉子は勝竜寺城内で第一子を産んだ。目の大きな、まるまるとした男子であった。忠興は男と聞いて喜び、「雷雨の中で生まれたから、雷之助と名づけようぞ」といった。
藤孝は、「雷は落ちるものじゃ。この子の運が落ちるようで、縁起の悪い名ぞ。熊千代はどうじゃ。 強そうだし、千代八千代の千代がつけば、縁起もよい」といった。 こうして、雷雨の夜に生まれた男子は、祖父の細川藤孝によって、幼名を熊千代と名づけられた。
---- ちよろずに強くぞあれな熊千代と
名づけて乞い禱む神々の前---- 藤孝は直系の孫の出生を祝って、短冊に歌をしるした。この熊千代が、のちに父と同じく与一郎と名乗り、成人して忠隆となったのである。熊千代が生まれて五十日程経った。六月も半ばのくもり日である。乳母のこうに熊千代を抱かせて、玉子は庭に出ていた。
長い間、信長に抵抗した大坂の本願寺光佐をはじめ、宗徒たちも和を結んで退き、藤孝は丹後を、光秀は丹波をあらかた平定して、このところ、のどかな日がつづいていた。
こうは、体格のよい女で、柔和だった。京都の商家の出で、ものごしもやわらかい。熊千代は、こうの腕の中で、玉子を見てにこっと笑った。玉子は両手をさしのべて熊千代を抱きとり、「おこうは、さがって少しおやすみなさい」「でも・・・」「よろしい、おさがりなさい」玉子は少しでも長い間、熊千代を抱いていたいのだ。
「はい、では・・・」むつきの洗濯を、おこうは気になっていた。小腰をかがめて会釈をすると、小走りに去って行った。時折涼しい風が吹き過ぎ、その度に城外の竹林のさやぐ音が聞える。勝竜寺城は、城と呼ぶよりも、寺と呼んだほうがよいほどの、小さな城である。
蝉の声がしきりにする。とけ入りそうにやわらかなわが子の感触を腕に感じつつ、玉子は、 右に左に静かに体を揺する。熊千代を産んで、玉子の肌はいよいよ白く、いよいよなめらかになった。熊千代をみつめて伏目になっているその長いまつ毛が、時折静かにまたたく。
(この子がおなかにいた時・・・) 玉子は幾度か右近の幻に抱かれた自分を思っていた。それは、誰にも知られてはならぬことであった。誰にも知られてはならぬかくしごとが胸の中にあることに、玉子の心は冴えない。
「熊千代どの」玉子はそっとわが子の名を呼んだ。熊千代は、玉子の声にまたしてもにこっと笑う。 「そなたの母は、いけない母じゃ」つぶやくように玉子はいう。熊千代はじっと玉子をみつめている。「そなたの母は、いけない母じゃ」再び玉子はいった。自分の心の中に、思いもかけない奔放な情があるのを玉子は知った。
それは、娘時代には、夢にも思わぬ思いであった。肉体の中に、自分でも制し得ぬ、もう一つの心があるのだ。あれ以来、自分は右近を求めてもいないのに、右近は現れるのだ。「そなたの母は、みにくい母じゃ」またしても、そうつぶやいた時である。「何のみにくいことがあろうか」
背後に声がした。忠興の弟の頓五郎興元である。「ま、頓五郎さま」思わず玉子は頬を染めた。自分の秘密を聞かれたような気がしたのだ。「熊千代」頓五郎は、両手をさし出した。玉子が熊千代を渡そうとした。その時、玉子の手と頓五郎の手が触れた。瞬間、頓五郎ははっと手を引いた。
「あっ!」思わず玉子は声を上げた。もし玉子が、全く手を引いていたならば、熊千代は土に落ちるところであった。「どうなさいました?」危うく熊千代を抱きしめて、玉子は少し咎めるようにいった。「いや、申し訳ない」頓五郎は顔をあからめた。「もう、熊千代を抱かせては、さしあげませぬ」玉子はやさしく興元をにらんだ。
興元は毎日のように、熊千代を抱きにくるのだ。いつもは乳母の手から渡されるが、今日は玉子の手からである。頓五郎は玉子の手にふれた途端、 反射的に自分の手を引いてしまったのだ。頓五郎興元にとって、玉子がどんな存在であるのか、玉子自身は気づいていない。
「いや、抱かせてくだされ」頓五郎にとって、熊千代は、まさしく玉子の分身なのだ。熊千代のやわらかな体は、頓五郎にとって、玉子自身なのだ。熊千代を抱く度に、頓五郎は、この赤子は玉子の胎内に十月十日いて、その美しい体の中を通って生まれたことを想像するのだ。
「興元さまは、本当に子供好きですこと。では、こんどは落してはなりませぬ」 玉子は慎重に熊千代を手渡した。「よう、熊千代、今日は危なかったなあ」興元は熊千代の白い頬に頬ずりをした。「姉上さま。この熊千代を興元奴に下さりませぬか」「ま、何を仰せられます」「いいではござらぬか。お子はまた生まれましょう」
「そんなに赤子がお好きなら、頓五郎さまこそ、早うご結婚なされませ」 「いや、娶って子をなすより、貰ったほうが手っとり早い。のう熊千代」 十六歳にしては興元は早熟である。体格も兄の忠興を凌ぎ、気持も、忠興のような直情径行型ではない。自分の気持を巧みにかくすことを知っている。
忠興のように、繊細で優しいかと思うと、かっとして激怒したり、非情になったりするのとはちがう。一見無邪気そうに見せながら、頓五郎興元は、心の底をあらわにしない。「まあ、興元さまは・・・」玉子は思わず笑った。
「おや? 熊千代、邪魔者が参ったぞ」池のほうを見て、興元は口をとがらせた。玉子がふり返ると、清原佳代が、そのすらりとした姿を、池の水に映して歩いてくるところである。「興元さま」玉子は声をひそめた。「何でござります」「佳代どのは美しい方。そう思いませぬか」「それで?」
「興元さまと、ようお似合と存じます」「ずるい、ずるい。ずるうござるぞ、姉上さまは」佳代はしとやかに近づいて、「まあ、賑やかですこと」と、二人の顔を等分に見た。「のう、佳代どの。わしが熊千代をほしいと申したところ、姉上さまは娶って子をもうけよといわれるのじゃ。わしは娶るよりも貰うほうが、手間がかからぬと申すと、佳代どのを見て---」
「ま、興元さま、いけませぬ」玉子があわてた。興元はわざと無邪気そうに、「のう、佳代どの。佳代どのとこのわしを、似合だと姉上は申されたのじゃ」「それが、なぜずるいことになりまする?」佳代は微笑した。「姉上さまは、熊千代が惜しくて、わしに娶れといわれるのじゃ。ずるいとは思われぬか」
佳代はおかしそうに、「ずるいのは、お玉さまではなくて興元さま。こともあろうに、ご長子をおのぞみなさりますとは・・・」「さようかのう。しかし、兄上とちがって、部屋住みのわしに、娶る力があるであろうか」「ござりますとも」「では、お佳代どのは来てくださるか」
俄かに興元は真顔になった。その興元の顔を佳代はじっと見、「参りましょう。わたくしでよければ」と、これもまた真面目にいった。途端に興元は声をあげて笑い、「佳代どの、佳代どのは人が悪い。な、熊千代、佳代どのはまじめな顔で、わしをからかっておられるぞ。いかが致す、熊千代どの」「熊千代さまは、わたくしに・・・」
佳代は上手に抱きとって、「忠興さまが、お目ざめでございます」と玉子にいった。忠興は少し腹をこわして昼寝をしていたのである。「あ、お目ざめでしたか」玉子は衿もとを正し、興元に一礼した。「では・・・」「姉上さま」立ち去ろうとする玉子を、頓五郎は用事ありげに呼んだ。
「まだ何か?・・・」「この熊千代は無理としても、次に生まれるお子は、この興元に下さりませぬか」「また、そんなことを・・・。はいはい、差し上げましょうほどに、今はこれにて・・・」 興元の思いの深さに、佳代は気づいていても、玉子は知らない。玉子の第二子の興秋は、遂に興元の養子となったが、これは後日譚である。
急いで立ち去る玉子の袂から、匂い袋が落ちた。興元はそれを拾い、玉子を呼ぼうとしてやめた。匂い袋の得もいわれぬ匂いに、興元は玉子の匂いを感じた。興元は匂い袋をすばやくふところに入れた。
それを、縁側に出てきた忠興が見ていたことに、興元は気づかなかった。忠興の濃い眉がピリリと上がった。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 匂い袋 11-4
「お目ざめでござりましたか」熊千代を抱いた清原佳代をうしろに従えた玉子が、縁側に立った忠興を見上げていった。忠興はけわしい顔を庭に向けたまま返事をしない。佳代は熊千代の顔をさしのぞいて、ちょっと小腰をかがめ、さり気なくその場を去った。
「御腹痛はまだ、お治りになりませぬか」玉子は縁側に上がって、静かにひざまずいた。それには答えずに忠興はいった。「何を奥元と話していたのっちであった。ひゃりとするような冷たい声であった。「頓五郎さまと?」玉子は不審気に夫を見上げ、「頓五郎さまは、熊千代が愛らしいとおおせられました」興元が熊千代をほしいといっていたとは、玉子はいわない。
忠興の機嫌のよい時ならば、笑ってすむことも、一旦不機嫌になると、順直には通らなくなることを、玉子は既に知っていた。「それだけではあるまい」「それだけでございます」「うそを言え! 熊千代が愛らしいと一言いっただけか」「ま、何をお怒りでございます。一言で申すならば、熊千代の話をしていたということでございます」
「・・・」「まだお腹がお痛みでござりますか。ではお腹をさすってさし上げますほどに・・・」「いらぬ! お玉、そちはわしのやった匂い袋を持っているか」「はい、ここに」と、玉子はその形のよい手を、左袖に入れたが、「おや? ござりませぬ」と右袖に手を入れた。
匂い袋は、忠興が京の都に出た時、みやげに買ってきた錦織りの立派な品で、玉子は大事に、いつも持ち歩いていたものだった。「見よ、ないではないか。どこに忘れた?」「・・・確かに先ほどまで・・・」「そなたはわしがやった匂い袋を、なぜ大事に扱わぬ?」
たった今、玉子が匂い袋を落したところを見ていながら、忠興は意地悪く詰った。「お玉!」「はい」「頓五郎を呼べ!」「頓五郎さまを?」「彼奴が、そなたの匂い袋を持っているであろう」「まさか・・・そのようなことは」「ないとはいわさぬ。頓五郎を呼べ!」玉子は一瞬目をふせたが、切り返すような視線をちらりと忠興に投げかけ、部屋に戻る忠興の後に従った。
使いの侍女と共に、頓五郎が現れるまで、二人は口を利かなかった。「お呼びか、兄上」のっそりと頓五郎興元は部屋に入ってきた。忠興はじろりと頓五郎を見た。玉子は、「お呼び立てして、相すみませぬ」と両手をついた。「何の何の」明るく笑って手を横にふり、「ご機嫌斜めじゃのう、兄上」と、頓五郎はあぐらをかいた。
「頓五郎!」「何をそんなに怒っているのやら」「そちは、お玉の匂い袋を持っているであろう」「匂い袋?」「とぼけるな。匂い袋じゃ」「匂い袋といえば、これのことか」「ま! 頓五郎さま、それは」頓五郎は内ぶところから、先程拾った錦の匂い袋を、あっさりと取り出して匂いをかいだ。玉子は驚いて声を上げた。「それ見い。お玉、頓五郎が持っていたではないか」
「でも・・・どうしてそれが」「そちが頓五郎に与えたのであろう」皮肉にいって忠興は二人を見くらべた。「何だ、兄上、見ていたな。さっき姉上が落した時、わしが拾ったのを」頓五郎はさらりといった。が、「おう、見ていたぞ、頓五郎!」と、忠興は鋭い語気を返した。その忠興を見る玉子の目が、かすかにかげった。「それで怒っているのか、兄上は」「なぜ、お玉に匂い袋を返さず、その方のふところに入れたのだ」
「なぜだと思う?」「頓五郎、お前はお玉を・・・」「姉上を?」たじろがぬ興元の不敵なまなざしに、忠興はきっとして、「どう思っているのじゃ」「姉上だと思っている」「それだけか」「それだけでなくて、何と思いようがある?」「では、何でその匂い袋を大事げにふところにした?」「ははあ、そうか」
頓五郎は白い歯を見せて、大声で笑い、「兄上は、わしが姉上を慕うて、それでこの匂い袋を大事にしまいこんだと思うてか。気か、これは愉快じゃ」玉子は、はっと頓五郎を見た。「では、何で返さなんだ?」「それはいえぬ」「なぜだ?」「恥ずかしいからな」あごひげをぐいと一本ぬいて、頓五郎はにやにやした。
「頓五郎、そちは、兄のわしを馬鹿にする気か」「馬鹿にする気はない」「では何でいえぬ」「そんなに居丈高になられては、言いたくてもいえぬわ」「なぜじゃ」「色気の話には気分というものが大切よ、兄上。もっとおだやかに尋ねられれば、答えられるかも知れぬが」「では、おだやかに聞く。何で、その匂い袋を大事にしまいこんだ?」
「そう改まって聞かれても困るが。のう兄上。兄上が、もし独り身であってじゃな、こんないい匂いのものを拾ったら、思わずうっとりするであろうが」「・・・」「返しとうはないわな。天女の衣も、さぞかしこんなよい匂いであろうのう」「その上、わしには好きなおなごがいる」
むっつりと聞いていた忠興の表情が大きく動いて、「誰じゃ、その女は」「秘密よ」「誰じゃ? 言え」「・・・不粋よのう、兄上は」「言わぬか」「言う、言うが・・・」ちらりと玉子を見、興元は頭をかきながら、「佳代どのじゃ」と言いすてて立ち上がった。
「ふむ、佳代どのか?ま、すわれ。しかし・・・」「ふっと、佳代どのにこの匂い袋をやりたいと思ったのだ」「まことか」「まことだ」怒ったように頓五郎は、玉子を見た。炎のような激しいその視線を、玉子は受けとめかねた。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 丹後の海 12-1
細川藤孝、惟任光秀、明智弥平次、そして玉子を乗せた小舟は、今、文珠寺の庭先から出たばかりだ。岸べ一帯は深い芦原である。その芦原をぬけ出た海が、真清水のように澄んでいる。
「まあ、きれい」玉子は舟べりから身を乗り出すように、水底を見た。水底は細かい砂地で、小さな貝が敷きつめられたように見え、その合間に砂がかすかにゆらぐ。
四月の日が射しこみ、光もまたゆらゆらとゆらいでいる。「お玉は舟がこわくはないと見えるの」舟は、天の橋立を右に見て、静かにすべって行く。天の橋立の松並木越しに見える余佐の海に目をやっていた藤孝が玉子に声をかけた。「はい、こわくはありませぬ」
