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毎日新聞 2023/8/3 東京朝刊 有料記事 1284文字
人類が持つ他の動物と大きく異なる能力は、「言葉を話す」「火を使う」「道具を作る」という3点とされてきた。とりわけ道具を作る能力は、科学技術の発展に伴い驚異的に伸びた。一方、不用になった道具、中でも「電子ごみ(E―waste、イー・ウェイスト)」と呼ばれる電気製品や電子機器の大量のごみが地球環境に負荷を与え、人類の存続を揺るがす事態になっている。
私が、その事実に直面したのは1995年の阪神大震災だった。倒壊した家屋のそばにさまざまな電気製品が積み上げられ、雨に打たれていた。当時の電気製品には、金属同士や電子回路を接合するために鉛を使ったはんだが使われており、そこから有害な鉛が溶け出して土壌を汚染する恐れがあった。家電メーカーで電気製品の製造に携わっていた私は、「鉛はんだを電気製品に使うべきでない」と痛切に感じたのである。
早速鉛を含まない「鉛フリーはんだ」の開発に取り組んだ。数年後には、MDプレーヤーに鉛フリーはんだが搭載されるようになり、世界初の量産実用化にこぎつけた。多くの技術者や研究者とともに他製品への展開も進め、2000年代前半には、鉛はんだが使われていた製品の8割が鉛フリーとなった。
しかし、車の部品など250度以上の高温環境で使われるはんだの鉛フリー化は難しく、世界的に開発が進まなかった。それでも鉛が水を汚染するという恐ろしい事実は私の頭から離れることはなく、地道に開発を続けた。
20年7月、驚くべきデータが明らかになった。国連児童基金(ユニセフ)が、世界の8億人の子どもが鉛中毒に直面しているとの報告書を公表したのだ。自然環境に放置された鉛が、世界中の子どもたちの健康をむしばんでいるという。鉛中毒は初期症状がほとんどないものの、脳や腎臓に重い障害を起こし、子どもたちを生涯にわたって苦しめることになる。
特に、途上国の被害が深刻であり、国連は、子どもたちを中毒から守る方策の一つとして、電子廃棄物や鉛蓄電池の製造・リサイクルなどに関する安全基準の制定や立法などを呼びかけている。
私は、子どもたちを鉛中毒から守る第一歩として、すべての電気製品に使われるはんだを、鉛フリーとすることが必要だと考える。研究開発もようやく実用化に近づいてきた。新型コロナウイルス感染症が拡大した21年12月、コロナ対策の空気清浄機に高温環境でも性能を発揮できる鉛フリーはんだを搭載することに成功した。
エレクトロニクスや電子機器に関する国内最大の業界団体である「電子情報技術産業協会」も、02年に「オール鉛フリーエレクトロニクス」を目標に掲げた。人類が作り出した電気製品、電子機器という道具を、地球環境に調和した安全で安心なものに転換し、最終的に「土に還(かえ)す」ことを目指すことこそが、私たちに求められているのではないか。
鉛フリーはんだは、人類が地球と共存し、さらなる進化と発展へとつなげるために欠かせない技術だと確信している。
■人物略歴
末次憲一郎(すえつぐ・けんいちろう)氏
1953年生まれ。松下電器産業主幹技師、広島大教授などを歴任。