+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第16水曜日です。
救い主・イエス・キリストと天主の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<実を結んで、あるものは百倍にもなった。>
13・1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13・1-9)
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毎日ミサ「 今日の黙想より」です。
今日の福音で、イエス様は、良い土地に落ちた種は豊かな実を結ぶとおっしゃっています。「良い土地」という言葉について考えながら、自分が神の御言葉を聞き、読み、黙想し、受け入れる姿勢について少し考えてみました。ふとある小説の印象的な一節を思い出し、少し長くなりますが引用させていただきます。
「老人はゆっくり、非常にゆっくりと本を読んでいた。彼の読書の仕方は簡単ではなかった。まず、一音節一音節を食べ物を味わうかのように味わい、その後自然な声で読んだ。そして、そのようにして単語ができると、それを繰り返し読んだ。やはりそのようにして文が作られると、その文を繰り返し繰り返し読んだ。このようにして、彼は繰り返しと反復を通して、その文章に形作られた考えや感情を自分のものにしていたのだ。
音節や単語や文を順々に繰り返す老人の読書法は、特に気に入った句や場面が出てきたときも同様であった。彼は人間の言葉がどうしてこれほど美しくなりうるのかを理解するまで、ついにその句の必要性が自ら尊重されるまで読んでいた。このため、彼が読書時に使用する虫めがねが入れ歯に次ぐ大事な物となるのは至極当然だった」(ルイス・セプルベダ『恋愛小説を読む老人』より)。
この小説の主人公は、アマゾンのジャングルで愛する妻を失い、危険な自然と自然を破壊するより危険な人々の間で奮闘する一人の老人でした。辛うじて文盲を脱出した彼は、「時折人間の野蛮さを忘れさせてくれる、世界の美しい言葉で愛を語る恋愛小説がある自分の小屋」で慰めと力を得ていました。
この箇所を再読しながら、本当に聖書の言葉から初めて本の世界を経験する時の驚きを感じるのか、唯一の力と慰めの源だと信じて必死で言葉に向かっているのか、自問することができました。
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良い土地の人になり、良い種を100倍にも結ぶことができる信仰と実践が伴われるように!聖霊、きてください。