+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第17主日です。
命のパン救い主・イエス・キリストと天主の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ヨハネによる福音
<人々を座らせ欲しいだけ分け与え人々が満腹した>
そのとき、6・1イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。(ヨハネ6・1-15)
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パク・ゼシク神父様の 黙想文「永遠の命であるイエス様」です。
(前略)
(イエス様の7つのしるしの中)今日の福音の第四のしるしにおいて、イエス様が私たちに語りたかったことは、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 」(ヨハネ6・55-56)という言葉だと思います。なぜなら、イエス様が五千人以上の人々を十分に食べさせたしるしを見た群衆は、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」(14節)と言い、彼らが体験した本当の預言者(申命記18・15-22)、すなわちモーセやダビデのような人だと考えたからです。そして、イエス様を無理やり王にしようとします。これは、彼らがイエス様を、ローマの植民地支配の下で政治的、経済的、社会的な不正と苦しみを経験している人々を解放してくれる預言者であると考えていたことをよく示しています。
しかし、イエス様はこのような現象的で現実的なメシアではなく、これらすべてを包含し超越する真の預言者であり、ご自身が永遠の命であることを宣言されます。また、イエス様はこの5千人を食べさせたしるしを通して、奇跡、神秘、不思議な現象、そして小さな祈りに対する大きな神の応答を期待する当時のユダヤ人たちの外見中心の信仰生活を批判し、真の命の糧はまさに「言葉が人となったご自身」であることを明らかにされます。
イエス様は、旧約で重要視される贖罪日(清めの儀式)、神殿、安息日規定など、外面的なものに基づく信仰生活から「神の御言葉」を中心に生きる信仰生活への転換を求められます。
フランシスコ教皇様も6月25日の説教で、真の預言者について、「御言葉を聞くことができ、自分の言葉ではなく、(神の)御言葉の力で行動する人が、真の預言者である」と宣言されました。
永遠の命であるイエス様の御体と御血は、神の御言葉であるからです。
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毎日の御言葉、福音を聞いて、また聖体拝領を通して永遠の命を体験する毎日でありますように!聖霊、きてください。