+聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ 聖人の記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ 聖人の記念日です。
主・イエス・キリストと聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マルタとマリアとラザロは兄弟であり、エルサレムに近いベタニアに住んでいました。彼らはベタニアの自分の家に来られたイエスを熱烈に歓迎し、マルタは心を込めてお世話をし、マリアはその言葉を敬虔に聞きました。彼らを特に愛されたイエスは、ラザロの死に涙を流し、彼を死から復活させました。
もともと7月29日は「聖マルタの記念日」でしたが、2021年から「聖マルタと聖マリアと聖ラザロの記念日」に変更されました(教皇庁典礼局、2021年1月26日の教令参照)。
<典礼文は司教協議会のウェブサイトを参考(みことばの広場、典礼文)から>
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ヨハネによる福音
<「世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」>
そのとき、11・19マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」(ヨハネ11・19-27)
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キム・ジェドク・ペトロ神父様の「今日の黙想」です。
死の前で私たちは何もできない存在であることを実感します。私たちが持っているものや、社会的地位や能力のいかなるものも、死者を蘇らせることはできません。死の前で私たちができる唯一のことは、死者のために祈り、神に彼らに慈しみを施してくださるよう願うことです。このように、私たちは弱い存在です。
しかし、驚くべき事実があります。このように何もできない私たちを、主は愛しておられるということです。第一朗読は、神の愛について次のように教えています。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」神のこの愛はイエス様を通して実現されました。福音で「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」(ヨハネ11・5参照)イエスは、ご自身の愛がどんな力を持っているかを語っています。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11・25-26)
本当に持つべきもの、すなわち「神は、私たちを愛している」という信仰を持ったキリスト者になりましょう。ラザロが死から蘇るように、この信仰は私たちに永遠の命を与える力を持っています。何よりも大切なイエス様を犠牲にしてまで、私たちを救おうとする神の愛の招きがこの信仰に込められています。
神に背きながらも何かを手に入れたくなる時、マルタに向けてイエスが語った言葉を深く噛みしめましょう。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」アーメン。
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永遠の命の主を信じ、私たちの霊魂は救われ、この世でもあの世でも永遠に生きることを喜びつづけることができますように!聖霊、きてください。