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細川ガラシャ夫人(上巻)
● 丹後の海 12-1
細川藤孝、惟任光秀、明智弥平次、そして玉子を乗せた小舟は、今、文珠寺の庭先から出たばかりだ。岸べ一帯は深い芦原である。その芦原をぬけ出た海が、真清水のように澄んでいる。「まあ、きれい」玉子は舟べりから身を乗り出すように、水底を見た。水底は細かい砂地で、小さな貝が敷きつめられたように見え、その合間に砂がかすかにゆらぐ。
四月の日が射しこみ、光もまたゆらゆらとゆらいでいる。「お玉は舟がこわくはないと見えるの」舟は、天の橋立を右に見て、静かにすべって行く。天の橋立の松並木越しに見える余佐の海に目をやっていた藤孝が玉子に声をかけた。「はい、こわくはありませぬ」はにかんで玉子が答えた。
「藤孝殿、お玉は坂本城にいた時に、よく舟あそびをした娘でしてな」光秀は愛しそうに、玉子に目を注いだ。玉子が嫁いで以来、光秀は幾度か勝竜寺城を訪ねてはいた。が、このようにゆっくりと玉子を目の前に見るゆとりはなかった。玉子が昨年長男の熊千代を産んで間もない月、細川家は信長から丹後の国を与えられ、宮に城が変った。
津いつしき丹後は、足利時代二百四十年間、一色氏が守護職に在った。三代目の足利義満から、一色氏は丹後の国を賜ったのである。が、信長は十五代義昭を追放して、足利時代は終った。信おの長は義昭を追放すると同時に、一色氏を己が威に服させようとした。三年前の天正六年、信長の命を受けた細川藤孝父子は、丹後平定に力を注いだ。
先ず、丹後の中心にある八幡山に砦を築いた藤孝は、一色氏の豪雄、小倉播磨守一族の守る小倉城を攻めにかかった。だが、なにしろ二百四十年続いた守護職の一色氏である。一色氏には八十五人衆と呼ばれる豪の者が、丹後の国の要所要所に、砦を築いている。その上、人心も一色氏に服していて、 信長の配下である細川家には、敵意をあらわにしていた。
小倉城攻めは細川家の惨敗だった。再度の攻めには光秀も援けたが、同じく敗けた。ようやく、藤孝は得意の情報を集めて、巧みに小倉城の水源をつきとめ、これを断って勝つことができた。その結果、昨年八月に、忠興ともども丹後に入国し、藤孝は八幡山の城に、忠興は大窪の城に入ることができた。とはいえ、丹後二百四十年の泰平の夢を破った細川家に、一色氏が心から服するわけはない。何かと小ぜり合いが絶えなかった。
今とて、必ずしも、のどかに舟遊びなどできる時ではなかった。が、それだけに、時にはこのようなひと時を、武将たちは楽しんだ。細川忠興が宮津に来て、はじめて茶会を開いたのが昨日で、光秀は引きつづき滞在していた。本来なら忠興が舅の光秀を、天の橋立に案内すべきであったが、忠興は昨日の茶会の亭主役の疲れを口実に、玉子を接待役に廻した。それは、久しぶりに親子をゆっくり遊ばせてやりたいとの、忠興のはからいであった。
玉子が坂本城にいた時、よく舟遊びをしたと聞いた藤孝は、扇子で軽く膝を打ち、 「おう、琵琶湖でのう。しかし、あの湖は、賊が出る名うての危険な湖じゃ」「それ故、城より遠くには、こぎ出させはしなかったようでの」「お舅上」玉子は藤孝を見、「あの琵琶湖は湖でも、この宮津の海より、ずっと広く荒うございました」「全くじゃ」 光秀と藤孝は異口同音にいい、思わず笑った。
鳥影が、ひっそりと池のような海に映って消えた。その水底にうすみどりのやわらかい藻が、たゆたっているのが見える。「あら!」玉子が小さく叫んだ。弥平次が、「何か見えましたかな」「ほら、白い星のような形の・・・」弥平次は水を透かして見、「ああ、あれはひとででござるよ。ひとでがああして貝の上にかぶさり、窒息させて殺し、肉を食うそうじゃ」と、こともなげにいった。
玉子は、ひとでが七つ八つ水底にはりついているのをみつめたまま、「まあ」と息をのんだ。子供が二人いるとも見えぬあどけなさが残っている。玉子はこの年長女お長を産んでいた。「藤孝殿、その後このあたりの歌を詠まれたか」それは、 光秀が尋ねた。昨年八月入国早々、藤孝は天の橋立を詠んだ歌を三首、光秀に送っていた。
--- 丹後入国の刻、橋立をみにまかりて
そのかみに契り初めつる神代まで
かけてぞ思ふ天の橋立----
---- いにしへに契りし神のふた柱くち
いまも朽せぬあまのはし立----
---- 余佐のうら(宮津湾)にて
余佐のうら松の中なる磯清水
みやこなりせば天も汲みみん----
である。天の橋立は、いざなぎ、いざなみの命が、天に上がる浮橋であった。ある時、二柱の神は天の橋立を通って天にのぼり、ちょうちょうなんなん時を忘れて過した。遊びにふけって、 はっと気づいた時は既に天の橋立は、海の上に横たわっていた。
いざなぎ、いざなみの命は、 遂に地上に帰ることができず、天に上がったままであるという。この伝説を、藤孝は歌に詠みこんだのである。「これは、いかがでござろうの」藤孝は腰の矢立を取り、紙にさらさらと一首記した。
---- ふた柱帰りきまさぬ橋立に
遊ばむ吾は丹後の長ぞおさ----
光秀は小さく口ずさんでいたが、「お見事!」といい、藤孝を見た。光秀と藤孝の視線がからみ合ったまま、うなずいた。この歌の「ふた柱」が一色氏を指していることを、光秀はいち早く悟ったのだ。だから必ずしも歌をほめたわけではない。歌としてはいつもの藤孝としては強すぎる所がある。
光秀は藤孝の心意気に感じたのである。一色氏に今なお手こずっている藤孝のために、実は光秀は、茶会をも兼ねて訪ねてきているのだ。一色の当主義有のもとへ、藤孝の娘伊也を来月嫁がせることに奔走したのは光秀であった。その話もまとまり、来月伊也は一色家に嫁入りすることになった。
その最後の打合せに、 光秀は明日一色家に行くはずであった。「これで、無事治まるとよいがのう」「それじゃて」藤孝は珍しく眉をひそめ、「佐久間殿が高野山に追われて、一年になろうか、惟任殿」「いや、八月が来て一年じゃ」光秀の顔もくもった。
「惟任殿。わしはな、佐久間殿が追われた時ほど、胸のさわいだ時はないがの」玉子と弥平次が、ひとでを眺めながら、何か話し合っている。弥平次は玉子の姉の倫をめとり、この宮津に近い福知山城の城主となっている。父たちの話が小声になったので、玉子は弥平次に倫の話を聞きはじめた。
「佐久間殿父子追放を聞いては、誰も同じ思いよ。何しろ、佐久間信盛殿は、大殿の時代からの重臣じゃ。藤孝殿やわしのような新参者ではない。その信盛殿を、格別追われる程の失策もないというに、高野山に着のみ着のままの追放じゃからのう」船頭は腹心の郎党だが、光秀は、一層声を低めた。
信長は昨年八月、本願寺を降伏させると、直ちに佐久間父子を追放した。信長配下の武将の第一位は徳川家康、つづいて父信秀の代からの家臣である柴田勝家、佐久間信盛、更にその下に、光秀、秀吉、丹羽長秀、滝川一益らがあった。この高位にある信盛が、昨日にかわって、たちまち尾羽うち枯らした流浪の身となったのである。
しかも、これといった失敗をしたわけでもなく、無論二心があったわけでもない。信長はその折檻状に、「本願寺を大坂に攻むるに当ってのこの五年、格別の働きがない。丹波国での光秀の働きは天下に信長の威を現して面目を施した。秀吉の働きも同様、数カ国をおさえて比肩する者がない。云々」と、先ず働きのないことを、追放の理由として述べている。
無論、本願寺は強敵であった。が、信盛は三河、尾張、近江、紀伊、河内、和泉、大和など、七ヵ国の武士を、自分の部下のほかに、信長から与えられていた。この二つの力を結集すれば、信盛はもっとめざましい働きができたといわれても、仕方がない。信盛は、ただ堅固な付城にいて、敵を見張っていただけであった。
その上、吝嗇で金に汚なく、信長に与えられた土地を金に替えた。部下に加増もせず、部下の数を増やしもしない。信長の代になって、既に三十年、ただ金をためるだけで、どんな働きもしていない。
信長はこう立腹したのである。また、信長は、三十年前、弟の信行を擁立しようとした家老の林通勝をも追放した。三十年前の林の仕打ちを、信長は今になって言い出したのである。 この二つの事件は、いかなる武将たちをも怖れさせた。信長はいつ、何を理由に、部下を放逐するかわからぬ人間なのだ。
---- ふた柱帰りきまさぬ橋立に
遊ばむ吾は丹後の長ぞ----
と歌いたい藤孝の心情は、光秀にはよくわかった。まだ一色氏は、完全に屈伏はしていない。藤孝はいつ、佐久間信盛のように追放されるかわからぬと、不安なのだ。が、その不安は光秀のほうが強かった。
確かに丹波の国の平定によって、信長から感状は与えられた。が、 られた。が、信長は、天下を平定した後に、曾て将軍足利義昭を推し立てた自分を、義昭同様追放するのではないかと、不安になってくる。将軍義昭を信長に引き合わせることが、当時は出世の道と考えられた。しかしそれが、今では自分の地位を剝奪されるかも知れぬ不安の種ともなった。
これは、佐久間や林の追放以来、ともすれば感ずる不安なのだ。これは光秀ばかりではない。諸将が、自分自身を省みて、あのこと、このことをうしろめたく思っては、怯えているのだ。佐久間信盛を追放することによって、部下たちが、こう怯えるであろうことを、信長ははじめから計算に入れていたのかも知れなかった。大名たちが、 あれ以来極度に緊張しているのは確かであった。
舟は橋立の岸のひと所に着いた。先ず弥平次が飛び降り、光秀が降りた。藤孝につづいて降りる玉子の手を、光秀がとった。玉子はそのあたたかい父の手に、肉親のあたたかさを感じた。 白い砂地の感触が足にやわらかい。岸を洗う波の音さえない静かな余佐の海を、四人は眺めた。
「あのあたりが大窪じゃの」「はい、そして、あちらが八幡」光秀と玉子は、肩を並べて立っていた。「お母上にも、この橋立をお見せしとうございます」「うむ。・・・凞は橋立よりも、そなたの顔が見たいであろう」玉子は深くうなずいた。あばたのある母の肌が、言いようもなくなつかしいのだ。
もし、このあばたがなければ、どれほど美しい人であったかと、少女の頃はよく思ったものであった。が、なぜか今は、あのあばたの故に、深味さえある美しい人に思われてくる。
「父上は、いつまでご滞在なされまする?」「うむ、まだ二、三日はいる。里村紹巴とも、またここで遊ぶことになっているのでな」「まあ、うれしゅうござりますこと」「お倫も幸せになった。みんないつまでも幸せであってほしいものよのう」無邪気に玉子は喜んだ。
お倫が荒木家に嫁いだと思ったのも束の間、何年も経たぬ間に、荒木村重の謀反で不縁となった。そのお倫がようやく弥平次と共に福知山城に住むことにはなったが、その幸せも果してあと幾年かと、光秀は心にかかるのだ。
今、父のわずか二、三日の滞在を子供のように喜んでいる玉子にしても、一色一族がこぞって反撃してくる日があれば、いつこの美しい宮津の海に命を果てるかもわからない。「ほんに、いつまでも幸せでいとうございます」玉子は祖母の非業の死を思った。祖母は、玉子が嫁いで一年と経たぬ間に死んだのだ。
もし、 自分の結婚が一年遅れていたら、祖母が人質にならずに、自分が人質になっていたであろう。とすると、自分は疾うに死んでいたことになる。玉子は改めてそう思い、祖母の死を痛ましく思った。
「そのためにも、丹後の平定は急ぎたいものじゃ」ふり返ると、藤孝と弥平次が、二本並んだ夫婦松を見上げて、何か話し合っている。光秀はそのまま歩を進めて、「お玉、一色氏との縁組みは聞いていようの」「はい、伺っております。まだ、十四で嫁ぐ伊也さまが痛わしゅうて・・・」「・・・ うむ」「父上」玉子は歩みをとめた。
「何じゃ」「伊也さまのお輿入れは、つまりは政略のためでござりましょう」「・・・お玉、そのようには言わぬものよ。一色義有の相手は、この丹後に細川の娘しかないのじゃ」「なぜでござります」「家柄がつり合っていよう」玉子はそれには答えず、「伊也さまも、結局は花嫁というより、人質と申したほうが・・・」
「お玉、口を控えよ。相変らずよのう、そなたは」叱りながらも光秀は、玉子のこの性格を愛しく思った。こう強いものの言い方は自分にはできぬ。歯に衣着せぬ言いようは清いと光秀は思った。「父上さま。玉はいま、おばばさまのことを思いました」「-----」「なぜ、女はかなしく生きねばならないのでござります? 伊也さまも姉上も、おばばさまも----」
「そちも悲しく生きているのか」光秀は話を外らせた。「いいえ、わたくしは今は幸せでございます」「そなたの母も、細川殿の奥方も幸せじゃ。女は不幸とばかりは言えまい」「父上さま」玉子は光秀を見上げ、「父上さまは変られました」と、その澄んだ目をまっすぐに注いだ。「わしは変らぬ」
「いいえ。どこかが変られました。父上さまは、いま、玉の問いを外らせなさいました。伊也さまと一色殿のお話をすすめていられるのは、父上さまとか」「うむ」「なぜでござります。伊也さまは・・・親のそばから離れとうはないものを・・・」「お玉、この父がよかれと思ってすることじゃ。父を信ずるがよい」「・・・」「それとも、そなたは父を信じられぬか」問われて玉子は視線を海に投げた。
「信じられぬか、お玉」「いえ、父上ほどに信じられる方は、他にございませぬ。わたくしは父上を、忠興殿よりも信じております」それは玉子の真実の気持であった。幼い時から、玉子は父と母を、こよなく慕い敬ってきた。忠興は感情の起伏が激しい。嫁いで三年近く経つのに、忠興のなすことに、無条件でつき従うまでには至っていない。時折、忠興の言動を批判する思いになることが玉子にはあった。
しかし、父の光秀はちがう。父という人間のなすことには、安心してついて行ける気がするのだ。「それは・・・いけぬな。忠興殿を第一に信じねば・・・。ま、とにかく、この父を信じてくれるというわけじゃな」「はい。・・・でも」「でも? 何じゃ」
「この度の伊也さまのご婚儀ばかりは、幸せに行くとは考えられませぬ」「そうか。ま、女のそなたには、そう考えられるのが当然かも知れぬ。が、お玉、今も申した通り、これも、誰もがよかれとねがっての縁談じゃ。父を信ずることじゃ」玉子は光秀を見た。この上なく思慮深げなまなざし、誠実そうなその唇、この父の心のどこにも嘘はないと玉子は思った。
うしろのほうで、何か弥平次と共に話し合っていた藤孝が近づいてきた。「惟任殿、弥平次殿は聞きしにまさるよい婿殿じゃのう」「これは痛みいる」「全く、この弥平次殿が福知山におられれば、吾らも安心と申すもの」「これ、弥平次、ご期待に添わねば相ならぬぞ」
光秀は言い、藤孝と並んで歩き出した。玉子はその二人の父の姿をじっと見つめた。父の光秀も、舅の藤孝も、立派な人間だと思う。が、伊也の結婚をこの二人の父が決めたと思うと、何か割り切れぬ思いがした。最も信じうる二人の父さえ何か信じがたく思われた。とにかく、この度の伊也の結婚だけは妙に不安なのだ。あの、まだ十四歳のあどけない伊也の上に、何か不吉なことが起りそうに思われるのである。
「いかがなされた」弥平次が聞いた。「別に・・・。あ、弥平次さま、舟が四、五そう出ております。何をする舟じゃやら」太い松の木立越しに、もやっている磯舟が見えた。「あ、あれは貝を取っているのであろう。・・・・・・貝といえば、坂本城の、あの初之助を憶えていられるか」「初之助? もとより存じております。いつぞやは初之助の夢を見て、なつかしゅう思いました」この言葉を初之助に聞かせたいものと思いながら、弥平次はいった。
「あの初之助は、しじみを取るのがなかなかの上手で・・・」「そういえば、母上が肝を患いました時、毎日しじみを取って届けてくれたのが、初之助でした。初之助はもう娶りましたか」「いやいや、一生娶らぬげに申しておりますわ」「それはまた、何故・・・」
その玉子の表情をみつめながら、弥平次は、「初之助は心に思う人がいて、それで、娶らぬとか」「ま、それでは曾ての弥平次さまと同じではござりませぬか」玉子は笑って、「姉上がお幸せになられて、うれしく思います。そのうち一度、この天の橋立に姉上をおつれ下さりませぬか」初之助の想いなど、玉子にとって夢にも知らぬことであった。「お倫もさぞかし喜ぶことであろう。おや、今のは・・・」
うぐいすが啼いた。「ほんに。何とよい声ですこと」二人がうぐいすに耳を傾けていると、風の向きが変ったのか、百間も向うでしじみを取っている人の声が、風に乗って意外にまぢかに聞えた。「細川なぞと、どこの馬の骨ともわからぬ奴に・・・・・・もともと一色様のお国じゃ、この丹後は」
「そうともよ。安のんに暮らしているものを、戦さなどしかけてきよって・・・」玉子は、はっと息をのんだ。憎々しげなその声を聞きながら、先程見た、貝の上にぴたりと吸いついたひとでが、ほかならぬ細川家のように玉子には思われた。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 丹後の海 12-2
六月の日が照りつけるひる下がりである。すやすやとねむっているお長を抱き玉子は大窪城の廻廊に立って、やや遠く左手に連なる天の橋立を眺めていた。父の光秀と、あの天の橋立に遊んだ日から、もうふた月になる。玉子の黒くつややかな垂髪に、海からの微風が吹き過ぎて行く。
先月、忠興の妹伊也は、一色義有に嫁いで行った。白むくの花嫁姿が、痛々しいほどに伊也を幼く見せていた。が、伊也は涙一つ見せずに、そのほっそりとした手を揃えて、玉子にも挨拶をした。義有と仲よく毎日を過しているとの便りが、ついこの間、伊也の父の藤孝のもとにきた。
「あの男は、豪放な、気性のよい男だからな。伊也をかわいがってくれるだろう」藤孝が、そう忠興にいって、ほめていたのを玉子も聞いた。が、忠興は口を一文字に結んだまま、何とも答えなかった。その時の忠興の表情を思いながら、玉子は海を眺めた。
入り海の余佐の海は青く静まりかえっている。白波ひとつ立てぬこの海を眺めながら、玉子は今、なぜか不安になった。本来、海はこのように静かである筈がない。静かに見せてはいても、いつ、その本来の姿をあらわにしてくるか、わからぬ気がする。伊也の幸せそうな手紙も、つまりはこの余佐の海に似た不安を与えるのだ。
「何をしている? お玉」ふいに忠興の声が後ろでした。「海を眺めておりました」玉子はふり返って微笑した。「海か」子供を産んでから、笑顔が一段とあでやかになったと思いながら、忠興は玉子と並んだ。 己が妻ながら、時折はっとするほどに美しい。忠興には、それが誇らしくも、また、気にかかる。
玉子が、自分の手の届かぬ遥かなる所にいるような気にもなるのだ。「日置の浜が、今日は近く見える」「ほんに」対岸の日置の浜は、天の橋立に地つづきである。「いま、殿が日置の浜といわれた時、わたくしには仕置きの浜と聞えました」「仕置きの浜と?」「信長さまの御領地になら、そんな浜も数々ありそうな・・・」
「これ! 口をつつしめよ」言いながら、しかし今日の忠興の機嫌は悪くはなかった。「でも・・・あの安土でのお仕置きは、あまりにむごうございます」「うむ。しかし天下をとるお方だ。何度も申したとおり、きびしさも人並ではあられまい」お長の愛らしい寝顔を眺めながらいう。
忠興は信長に目をかけられている。ここ丹後の国も、信長は、父の藤孝にではなく、「忠興にとらす」といった。つい、忠興は信長の肩を持つ。が、今日は上機嫌のせいか言葉がおだやかだ。
忠興も内心、近頃の信長は妙にいらいらとして、きびしさも度を越していると思う。特に、 今玉子が言った三月の事件は、四月に光秀が来た時も話し合ったことだが、それはまさしく、 きびしいというより異常といったほうがよかった。
この年天正九年三月十日のことであった。信長は安土の城を早朝に発ち、竹生島に遊びに出た。琵琶湖の竹生島は、安土から片道陸路十里、水路五里の所にあった。誰もが竹生島の近くの、秀吉の城、長浜城に一泊するものと思っていた。それで、安土城の侍女たちは、寺詣りや街見物に外出していた。
ところが、思いがけなく信長は、その日のうちに帰ってきたのである。侍女たちの勝手な振舞に怒った信長は、外出した侍女たちをみな殺しにした。とりなそうとした寺の僧まで殺してしまった。これを伝え聞いた大名たちは、わが身にも、いつ、いかなる信長の怒りをこうむることかと、恐れおののいた。
「なぜ、殺さねばならなかったのでしょう。厳しく叱っただけでも、事はすみましたでしょうに」思い出して、玉子は嘆息した。「右府どのは、表裏ある人間が、おきらいなのじゃ」「でも、殿のるすに、のんびりと外出をしてみたくなるのも、人情というものではござりませぬか」
「いや、信長殿は、いつも、誰が自分を裏切るかと、神経を尖らしていられる。表では忠勤を励んでも、いつ謀反するかわからぬ武将たちへの、あれは威嚇であろうよ。わしは、この頃特にそう思うのだ」「まあ!・・・でも、威嚇されて、かえって人の心は離れるかも知れますまいに」「人間など、どうせ情をかけてみても、情には応えぬものよ。恐怖心に訴えるのが近道かも知れぬのだ」
「殿! 殿は真にさように思われまするか。人間、情には応え得ぬものでござりましょうか」 海に投げていた視線を、玉子は夫忠興に移した。「もとより相手にもよろうが・・・。とにかく右府どのは、他出を禁じて出かけられたのじゃ。命にそむく者は、侍女といえども、ゆるしがたかったのだ」
「では、殿ならいかが遊ばします? 殿の留守に、侍女たちが寺詣りなどに行ったとしたら、 やはり一刀両断になさりますか」「時と場合によろう。武の道は、やはり武じゃからのう。いま、わしはそなたに、惟任殿の文を見せようと思っていたところだ」忠興は玉子を促して書院にもどった。「父の文でござりまするか」ぱっと玉子は顔を輝かせて、忠興に従った。
十五畳ほどの、開け放たれた書院を、白い蝶がひらひらとよぎって行った。「うむ、これを見い。これもつまりは武の道よ。そなたの父はすぐれた武将じゃ」忠興の機嫌がよいのは、光秀の手紙のせいであったかと思いながら、玉子は手紙を読んだ。 四月に天の橋立に遊んだ父の顔が目に浮かぶ。
手紙には、「そちたち夫妻の仲むつまじき様子や、熊千代お長の愛らしき姿を思い出しては、ことごとに噂をしておる。この度、おくればせながら軍規を定めた。忠興殿の今後の何かの参考までに書き送るから、読まれたい」 といって簡単な言葉が書かれてあった。
玉子は、もう少し何か母の様子でも書いてあるかと思っていたため、やや落胆したが、自分が次を読むのを楽し気に見守っている忠興を見て、 読みついだ。「明智家軍規 十八条 第一条 陣地に於ては、隊長、参謀、伝令以外の者の高声及び雑談を禁ず」とあり、第二条、第三条につづいて、第四条には、「行進は先ず兵を先に進ませ、つづいて騎乗の将これにつづけ。
万一、兵におくれし騎乗の将あらば、領地は没収し、時により死刑に処すべし。第五条戦闘中、命令に従順ならざる者は死罪となす。戦闘中、命令には返答すべし。もしこれに逆く者あらば、いかなる武勲ありとも処刑まのがれざるべし」 おきてなどと、きびしい掟が書かれてある。玉子は、その行間に父の激しい気魄を感じた。戦争は命をかけての場であるというきびしあらかじさを感じた。
そして、いかにきびしくはあっても、予めこのような掟を定める父光秀の心は、 信長の残虐、無慈悲とは全くちがうのだと玉子は思った。だが、かかる軍律、軍規をつくっている時の、武将としての父の顔を、自分はまだ知らないのかもしれないと玉子は思った。 自分のまだ知らぬ父の一面を知らされたような気がした。光秀の書状には、他に軍役も記されてあった。
最後に、 「功なき者は、無駄の最たる者である。かかる軍規を人はあるいは批難するかも知れぬ。しかし、自分は浪々の身から引き立てられて、かかる大名となり、信長公から多くの兵を預けられる身となった以上、一兵たりといえども、勇ましく戦ってもらわねばならぬと思っている。貴公も、取り立てられたること同様と存ずるがいかがか。せいぜい、この上とも武勲を立て、誉れをあげてくれるように」 という意味のことが書かれてあった。
それはいかにも、娘の婿である忠興に対して、真情あふれる手紙であった。「のう。何と一所けんめいのことじゃ、そなたの父は。わしも父上に負けてはおられぬ」 玉子の読み終えた手紙に、忠興は再び目を光らせた。「ふむ、軍役は・・・百石の者は兵を六名出だせか。五百石以上、六百石以内では、甲が二人、 ちよう馬が二頭、鉄砲が二艇、のぼりが一本・・・か。うむ、なるほど、命令をきかぬ者は死罪か、 さもあらん、さもあらん」
忠興は一人うなずき、莞爾として、「そなたの父上も、命にそむきたる者は死罪とある。信長殿の命にそむいた侍女が死罪となっても、いたし方あるまい」「いえ、父の軍規には、戦闘中、命にそむきし者とござります。右府さまのあの場合は、戦闘中ではござりませぬ。ご自分の城の中での・・・」「いやいや、お玉。信長公ほどのお方になると、戦闘中も、日常も、命令の重たさは同じなのだ。信長さまは、ご自身を神と仰せられるほどだからのう」
玉子はかすかに笑った。皮肉な微笑だった。神と自称する信長が、泣き叫ぶ侍女たちを次々に斬り捨てている姿を、玉子は胸に描いた。「人間が、神である筈はございますまい」「何事も可能な人間が神なのだ」「信長さまは、何事も可能でござりましょうか。空を飛ぶことはできますまい」
「・・・とにかく誰もが、殿を恐れている。それは、誰の運命も殿に握られているからじゃ。殿には、亡ぼすも責めるも可能といってよいであろう」「たとえ亡ぼすこと責めることは可能であっても、情をかけること、ゆるすことのできぬお方。おのが侍女さえ許せぬお方ではござりませぬか。決して何事も可能なお方ではござりませぬ」
「そなたは・・・」忠興は少し呆れたように玉子を見、「なぜに、そのようにわしにさからう?」「殿にさからっているつもりはございませぬ。信長様の在り方にさからっているのでござります」 「もうよいわ。そなたの口にはわしは勝てぬ。わしも掟を定めねばならぬ。妻は夫に口返しをしては相成らぬとな」
珍しく忠興は冗談をいった。これはよくよく機嫌がよいにちがいない。何があったのだろうと戸惑う玉子に、「実はのう。そちにもう一つ見せるものがあるのだ」と、忠興は楽しげに書院棚の文箱をあけた。それは九曜の紋のついた黒塗りの大きな文箱で 、決して手をふれてはならぬと言われていた文箱であった。「ま、何でござりましょう」玉子もやさしく首をかしげた。
「これじゃ」「まあ、きれいな・・・。これは歌留多ではござりませぬか」厚紙に金箔を貼った扇型のかるたが沢山、文箱から取り出された。「どうだ? お玉」得意気に忠興は玉子を見た。玉子はお長をそっと下に置き、「何とみやびやかな!」玉子は目を見張って、その一つを手のひらにおいた。
「これは、いったいどなたさまよりの賜り物・・・」「もらったものではないわ。実はな、そなたを娶った時から、ひまひまに、こっそりわしが作ったものだ」 照れたように笑う夫の顔を、玉子はまじまじと見て、「まあ、それでは・・・この金箔も殿が?」「おう、わしが貼った。貼り方は、以前に屏風師に習ってあった。そなたを喜ばせようと手がけたのが三年前。だが、戦さつづきで、なかなか時間もとれぬ。ようやく先程百枚つくりあげたわ」
「殿!」玉子の白い頬に、涙がつーっと走った。思いがけない夫の優しさだった。「もったいのう・・・ござります」「おう、喜んでくれるか。わしもうれしい。そんなに喜んでくれるとは思わなんだ」玉子は、一枚一枚をその形のよい指で、そっとつまむようにして持った。金箔の上に、忠興の見事な筆で百人一首が書かれている。
---- 君がため惜しからざりし命さへ - ながくもがなと思ひぬる哉 / 諸共に哀と思へ山桜 - 花より外に知る人もなし----
低く読みながら、玉子は幸せな思いに満たされて行った。結婚以来三年、忠興は優しいと思えばいら立ち、怒っていると思えば、俄かに激しく愛撫する夫で、どうにも気心が捉えられなかった。いつも、何か気まぐれに扱われているようで、 誇り高い玉子は、内心腹にすえかねることもあった。
何かしみじみと、二人の間に通うもののない淋しさがあった。その淋しさ、うつろさが、やがては忠興に抱かれながら、高山右近の幻影に抱かれるという不倫な思いに、玉子を誘ったのかも知れなかった。だが、いま、忠興手作りの優雅なかるたを手にして、玉子の心はやさしく解きほぐされていく思いだった。
妻の自分を喜ばせようとして、激しい戦さのひまひまに、ひそかに厚紙で型をとり、金箔を貼りつけ、細字を書きこんでいく忠興の姿が、ほうふつとして玉子の瞼に浮かんだ。「一生、わたくしの宝といたします。殿、ありがとうございます」ふかぶかと両手をついて礼をいう玉子を、忠興は満足そうにうなずいて眺めた。
「さぞかし根気のいるお仕事と存じまする」玉子は飽かずに一枚一枚かるたを眺めて行った。この百枚を、三年かかってつくってくれたと思えば、あだやおろそかには思われぬ。その様子を見て、忠興もまた玉子の真心がじかに伝わる思いだった。
類ない美貌の女性であるとの思いは、初めて玉子を見て以来、変りはしなかったが、しかし心根はいかにも冷たい女に思われた。女性に似合わず、もの事に批判的で、夫の忠興のなすこと言うことに、冷笑を浴びせているように思われることが間々あった。
それがいま、こうして、涙をもって深々と礼をいい、百枚のかるたの一枚をもおろそかにせず、次々と興深げに見つめてくれている。いま玉子は、自分の気持をあやまりなく受けとめてくれているのだ。忠興はしみじみうれしかった。玉子の美しさ、賢さに圧倒されて、忠興は最初から劣等感を抱いていたのだ。
が、この日以来、忠興と玉子の間にあった目に見えぬ垣は、取り払われたようであった。それは、熊千代お長という愛らしい二人の子が恵まれても、なお取り払い得ない垣であったのだ。なお、この忠興手づくりの百人一首は、現在も細川家に伝えられて数枚が残っている。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 暴君信長 13-1
天正十年元旦、光秀は他の武将たちと共に、信長に祝賀を述べるため、安土に登城した。 信長は光秀に盃を与えて言った。「早速だが、七日に折入ってそちに相談がある。朝早々に登城せよ」光秀は信長を見つめた。信長の目が、事の重大さを語るようにちかりと光った。(よいな) その目が念を押していた。
「かしこまってござりまする」盃を持ったまま平伏すると、酌の福富平左衛門が、にじりよって再び酌をした。 「よい年ぞ、今年は」ようやく信長が笑った。この年六月、まさか光秀にそむかれて死のうとは、信長は夢想だにしなかった。光秀もまた、自分が信長の天下を取り、その後二旬を経ずに討死しようとは、 思いもよらぬことであった。
年賀には、藤孝、忠興も来ていた。高山右近の凛々しく清い顔もあった。光秀はしかし、 早目に安土城を出た。従うは弥平次、初之助のほか、二名である。雲が低く垂れ、琵琶湖からの風が寒かった。安土城の近くの神学校から、西洋音楽が流れてきた。三階建の華麗な神学校は、安土城を除いては、安土第一の大建築物である。
仏教の嫌いな信長は、安土に新しい寺の建立は許さなかったが、この教会学校のためには、土地を提供して、その建築に力を貸した。キリシタン大名らは、金や人夫などを捧げたが、わけても右近は熱心で、千五百人の人夫と多大の金子を献げたと、光秀はきいていた。
光秀は馬をとめて、宏壮な三階建を見上げた。ここに来て、見上げる度に思い浮かぶのは、いつか信長が、 「どうじゃ、これが安土随一の飾りよ」と言った言葉である。ここでは、キリスト教教育は無論のこと、ラテン語、ポルトガル語、国語のほか、西洋音楽を教えているとかで、二十五人の生徒たちはオルガンを弾くともきいていた。
光秀は、この学校の前を通る毎に、新しい時代の流れを感ずる。武士の子が断髪し、異国の言葉で語ること自体、光秀にはついて行けぬことであった。高山右近の領する高槻の教会には、小型のパイプオルガンが設置され、グレゴリオ聖歌が町に流れひびくという噂も思い出す。(こうしてはおられぬ) 光秀は心の底に、今日もいら立ちを覚えながら、教会学校の前を離れた。
「殿」弥平次が声をかけた。「うむ」「急がねば、雪になるやも知れませぬぞ」「たしかに」垂れこめた雲から、今にも雪が降りそうな寒さだ。道には、前年に降った雪が少しつもっている。「弥平次」「は」弥平次は遠慮なく、くつわを並べた。「殿から、七日に登城せよとの沙汰があった。折入っての相談があるということじゃ」
「七日に? まだ松の内でござりますな」「うむ。いかなる御用だと思うぞ。弥平次は」伴の一騎が先導し、初之助は五間ほどあとに手綱をとっている。「さて?」「わしは、甲州征伐の相談であろうと思う」低い声で光秀はいう。あの信長のちかりと光った目は、尋常ではなかった。何か一大事を暗示していた。
「なるほど、武田退治でござりますか」「うむ。いま、殿の心にかかるは、毛利と武田じゃ。毛利は秀吉の仕事、わしに折入って相談はなさるまい。他に四国の平定もなおざりにはできぬが、しかし宿敵の武田との対決が先じゃ」「仰せの通りに相違ありませぬ」「と、すると、今年の仕事はじめは武田退治か。ようし、行くぞ!」
光秀は一むち当てた。早足だった馬が駆けはじめた。光秀の満足気な面持に、弥平次の心も明るんだ。その夜も、弥平次と光秀は坂本城に一泊した。光秀は既に、居城を丹波亀山に移していた。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 暴君信長 13-2
光秀は暗い道を歩いていた。どうしたわけか、伴の者が一人もいない。はて、どうしたことかと、光秀は幾度もふり返った。と、ぼんやり闇の中に人の影が見えた。伴の一人かと思い、「誰だ?」と誰何したが、答えない。(怪しき奴!?) 光秀は刀をぬこうとした。「わしを斬れるか、十兵衛」
人影が低く言った。思いがけず将軍義昭の声であった。「あ、あなたさまは・・・」はっとした途端、光秀は目が醒めた。 さ「義昭さまが・・・」低いが、ありありと義昭の声が耳に残っている。「わしを斬れるか、十兵衛」夢の中とも思えぬ声であった。光秀は床の上に起きた。
立ち上がって、ふすまを開いた。次の間には誰もいない。ひやりと冷たい板の間を踏んで、寒い板戸をあけると廻廊である。無論そこにも人影のある筈はなかった。「夢か」光秀は早暁の湖を見た。鉛色の海だ。雪が小やみなく降っている。
戸を閉ざして布団の中にもどると、妻の黒子が、「いかがなされました?」と静かに尋ねた。「うむ、夢を見た」「夢?」「義昭さまの夢じゃ」「ま、どのような」光秀はいま見た夢を語った。「妙な初夢でござりますこと」「おう、なるほど、初夢か」「将軍さまは、あれから何年になりますやら」「もう、十年になるのう」
十年前の天正元年、自分は主と仰いでいた将軍義昭の敵に廻り、遂に義昭を追放してしまったのだ。無論、それは主君信長の厳命であった。あの時、自分は信長の臣として、心ならずも義昭の敵に廻らざるを得なかった。が、それを知った義昭の心中はいかがであったろう。 光秀は今更のように胸が痛んだ。
「将軍さまは、どこでどのようなお正月を、お迎えなされたことでござりましょう」「・・・」光秀は黙って寝返りを打った。雪の降る中を、義昭がとぼとぼと歩いているような気がするのだ。自分があの時、将軍と運命を共にしていたなら、同様に落魄していたことであろう。
(しかし…)と、光秀は目を大きく見開いた。自分があの時信長の地位にあったら、決して義昭を追放などせず、将軍として仰いでいたと光秀は思う。(もし、わしが天下をとっていたら・・・) 今のように惨めな境遇に、義昭を置きはしなかった。そう思って、光秀は、はっとした。 (もし、わしが天下をとっていたら・・・)
何と大それたことを考えるものだ。天下は信長のものではないか。光秀は苦笑した。 (何しろ、妙な初夢だ)光秀は、七日に折入って相談があるといった信長の言葉を思った。この事のほうが、今は夢より大事なのだ。
武田信玄が逝き、その子勝頼の時代になって、今年で十年目だというのに、いまだに武田退治はなされていない。いよいよ、今年は決着をつける時がきたのだ。そう思いながら、しかし光秀は再び思った。(わしが天下を取っていたら・・・) 義昭を迎えて将軍の座につかせたかった。
考えてみると、自分は信長に劣るとは思われない。軍略に長け、武術も秀れている。今までの戦いにも、自分の知恵がどれほど信長を助けてきたことか。ということは、信長は自分がいなければ、天下を取ることはできなかったということではないか。
無論、柴田勝家や秀吉の働きも大きい。・・・秀吉の顔が目に浮かぶと、光秀は落ちつかない気分になった。これは何も今日に限ったことではない。光秀は、今まで常に秀吉を意識してきた。坂本城を築いた時の喜びの一つに、秀吉よりも先に城を持てたということがあった。その二年後に秀吉は長浜城主となったが、光秀は優越感を持って、その知らせを聞くことができた。
丹波攻略を命ぜられて勇躍したのも、秀吉に丹波攻めの大将が下命されずに、自分に下命されたからであった。が、考えてみると、今では秀吉も中国攻めの総大将となっている。自分は一足先に丹波を平定したが、いわば華々しい舞台には立ってはいない。秀吉の身辺がいかにも華やかで、信長は秀吉に絶大の信頼をよせているかに見える。
(わしも今年は五十七歳だ) 時には甚だしい疲労を覚えて体力も限界に来ているような気がする。それにひきくらべ、 四十七歳の秀吉は、まだまだ働き盛りである。十歳の年齢の差は、光秀にはひどく大きな差に思われた。自分がろくに働けなくなった時でも、秀吉はまだ働けるにちがいない。
とすると、今後の二人に対して信長がいかなる態度に出るか、目に見えるような気がする。年来の臣、佐久間信盛を、さしたる働きがないといって高野山に放逐したように、いつまた自分も、役に立たぬ老将として追い払われるかわからない。信長は、無用の者を大事にするほど、情のある人間ではない。非情が身上の信長である。
(五十七か) 光秀は吐息をついた。凞子がそっと身を起して立って行った。人生五十年の世にあって、自分は少なからず長生きしたと光秀は思う。(謙信は四十九で死んだ) (秀吉奴!) 信玄にしても五十三歳だった。今の地位のままに安穏に死ねたら上乗だ。しかし、信長は自分をいつまで重んずることであろう。
この度の七日の相談も、恐らく甲州征伐であろうが、万一失敗したら、どんな勘気をこうむるやら、測りがたい。特に近頃の信長はいら立っている。信長はまだ四十九歳だ。しかし、人生五十年といわれるその五十歳を目の前にして、信長も焦っているのかも知れぬと、光秀は思った。天下征覇の業は、そうやすやすとは成らぬのだ。
武将は戦場にあってこそ武将なのだ。毛利という手強い敵を相手に攻めあぐんでいる秀吉が、今の光秀には羨ましかった。そして、それよりも更に羨ましいのは、秀吉が自分より十歳も若いということだった。それにつけても、自分は浪々の時代が長過ぎたと思う。将軍義昭を信長に紹介し、信長に仕えたのは既に四十歳であった。
(十年あとに生まれておれば・・・) 思っても詮ないことを思う自分は、やはり年のせいかも知れぬと、光秀は苦笑した。卯の刻(午前六時)でもあろうか。廊下をしのびやかに行く足音の数が増した。(十年を経て、義昭将軍のお声を夢に聞こうとは) 過ぎ行けば、義昭もまた、懐かしい人の一人だった。
思うともなく、義昭との出会いの頃を思っていると、ふと信長の寵童森蘭丸の顔が目に浮かんだ。近頃、蘭丸は光秀を見ると、かすかに笑う。それは微笑とも見えるが、断じて微笑ちようしようではない。嘲笑である。光秀が正面からみつめると視線を外らす。森蘭丸については、この頃妙な風評が流れている。
信長が、「何にても望むことを言え」といった時、蘭丸は、「父のもとの領地、坂本を私めに賜りとう存じます」とねだったという。坂本は光秀の所領である。もとより確たる証拠のある話ではないが、ふいに光秀は不安になった。久しぶりに義昭の夢を見たため、神経がたかぶっているのかも知れぬと、光秀は床の上に身を起した。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 暴君信長 13-3
信長は武田勝頼に圧勝した。この日、三月十九日、信長の陣は信州の飯田から上諏訪の社に移った。三月の空が青くやわらかい。織田方にとって絶好の戦勝日和である。木立の多い社の陣には幔幕が張りめぐらされ、信長、信忠を中心に、光秀、森蘭丸らがうしろに控え、家臣が廻廊に居並んでいる。
そこに、武田勢を駿河口から攻めた徳川家康も、 先程その穏やかな微笑を見せて入って来た。更に、武田勝頼の姉婿で、 武田勝頼の姉婿で、信長に寝返った穴山梅雪がそのあとにつづいた。拝伏する梅雪に信長がゆっくり声をかける間もなく、木曾義昌が姿を見せた。
降将が姿を上見せる度に陣内がざわめいた。特に木曾義昌の姿を見ると、そのざわめきは大きくなった。 義昌は、木曾義仲以来の名門だが、武田信玄に攻められて降った。後に信玄の娘と結婚、室とした。いわば勝頼の妹婿である。この義昌が勝頼の圧政に抗して、反旗を挙げたのであった。そして直ちに信長に救援を訴え出たのである。
いわば、この度の武田攻めの口火を切ったのは、この義昌であった。きりりと結んだ唇が女のように赤い。次々に、信長の前に平伏する梅雪、義昌らを眺めつつ、満足気にうなずいていたのは、光秀であった。今年の正月七日、信長は折入って相談があるとして、光秀唯一人を招いた。それは、光秀の予想したとおり、武田攻めの合議であった。
細川護貞氏著「細川幽斎」にも、〈同七日、信長は惟任光秀と軍議数刻に及んだ後、その席に藤孝も招ばれ「来る二月下旬から甲州征伐する。その折、藤孝は安土の警護を勤めよ」とのことで云々〉 とある。 光秀はいま、その時のことを思い浮かべていたのである。信長はその日、甲州信濃の地図を大きく広げて、光秀を待っていた。
「おう、待っていたぞ」光秀を迎える信長の声は、気味の悪いほど上機嫌であった。が、この機嫌はいつどう変化するか、例の如く予断を許さなかった。「武田攻めでござりまするな」挨拶ののち、光秀は進みよって、地図に目をやった。「うむ。既に暮のうちに、三河の牧野の城に兵糧を半年分運び入れてある」信長は得意気であった。
「半年分・・・でござりまするか」かすかに光秀は笑った。信長の目が光った。「少ないと申すか」「いえ、さすがは殿。さりながら半年分はいささか多過ぎると光秀には思われまする」「多い?」「は、殿の御威光の前に、武田勢は二カ月と持ち応えることはできますまい」
「二カ月と持つまいとな?」ニヤリと信長は笑った。光秀の言葉が気に入ったようである。「はい、先ず一月半というところでござりましょう」確信あり気な光秀の語調である。「ところで、勝頼めは昨年勝長を送り返して来た。それをそちはどうとるか」「さればでござりまする」勝長は、信長の末子である。
武田勝頼の父信玄は、曾てその在世中、美濃の岩村城を攻めたことがあった。信長の末子勝長は、当時その城主の養子であったが、人質として武田方に渡された。そして、後に信玄の養子にされ、今日に及んでいた。即ち、信長の末子が信玄の養子になっていたわけである。
それが、十余年経て、突如その父信長のもとに帰されて来たのだ。「武田に戦意があらば、人質は貴重かと存じまする」「では、戦意がないと申すのか、武田には」
「いえ、戦う気はないと、見せかける謀略かとも・・・」「柴田は、これは絶縁状だと申して居る。信玄が勝長を養子としたるは、いわば政略縁組、その縁を勝頼めは切り捨てたとな」
「なるほど。しかし、たとえ勝頼はそのように高飛車に出たとしても、さて、武田の家臣たちに、それほどの意気がありますか、どうか」「うむ。わしもないと思う。信玄が死んで十年、もはや武田は虎ではない。猫に過ぎぬ。その猫が、勝長を突っ返して来た」
「勝頼は、未だにおのれを虎と過信しているやも知れませぬ。猫がおのれを虎だと思いこめば、これは滑稽というもの。しかし、家臣は、おのが主が猫か虎か、よう弁えておりましょう。弁えておれば・・・」「弁えておれば?」「いくら、猫が強がっても、人心は離れるばかり・・・」
光秀の言葉に、信長は心地よげに声を上げて笑ったが、「武田に総攻撃をかける! 時は二月末だ」と言い切った。「二月末でござりまするか」「遅いと申すか」「いえ、もしかしたら、殿、その前に日ならずして武田の中に謀反が起きるやも知れませぬ」 「何? 謀反が?」
「は、細川藤孝殿にお尋ね下されば、詳しい様子はおわかりと存じまする。藤孝殿は、長年来、諸国を流れ歩く座頭琵琶坊主などに目をかけておりますれば、諸国の様子も、掌をみるが如くとか」「うむ、藤孝が情報を多く集めているは、わしも知ってはいるが・・・。それでそちは、武田勢について聞いていることがあると申すのか」
「は、勝頼の代になって以来、貢にも、課役にも、苦しめられて、不満が多いとか・・・、特に信濃の木曾義昌の領地内では、勝頼は痛く不評と聞きまする」「何、木曽義昌が? しかし、彼奴は勝頼の妹婿じゃ」「得てして、姉婿、妹婿などが、真っ先に不満をとなえるもの・・・」「子供でも親にそむき、婿でも舅に弓を引くからの」信長はちょっと皮肉に笑った。
光秀はヒヤリとした。信長自身、妹婿の浅井長政を亡ぼしているからだ。「藤孝に詳しく尋ねよう。即刻使いを宮津につかわす」「は、実は、何かの御用もあろうかと、藤孝殿も、本日共に登城。ぱっってござります」「おう、ぬけ目のない奴じゃ、そちは。では後程召し出すであろう」幾度か信長は大きくうなずいて光秀を見た。
こうして、その日の光秀の進言は、この度の戦いに余りにも数多く的中したのである。それから二十日後の一月二十七日、果して木曾義昌が武田に反旗をひるがえし、且つ、織田方に救援を求めて来た。信長は、木曽義昌の弟上松蔵人を人質とした後、予定より一カ月早い武田攻めを開始した。木會口、駿河口、飛騨口、関東口から、織田勢は甲州、信濃に向けて、同時に兵馬を進めた。
光秀は信長に言った。「人間、誰しも自分の生きのびる道を考える者でござります。勝目のない戦さとわかれば、 主君を捨てて、織田方に寝返る者が多うござりましょう」そのとおりであった。駿河口の総大将、穴山信君(梅雪)をはじめ、朝比奈、大熊、依田らが、先ずおのが城を捨てて、投降した。遂には、勝頼に転進をすすめた小山田信茂は、その途上、笹子峠で突如勝頼に矢を向けた。
勝頼の兵はもろくも逃げ去り、勝頼は僅か四十一名の兵と、五十名の女中たちと共に、民家にかくれた。が、かくれ住むこと八日あまり、滝川一益らに攻められて、勝頼は妻子と共に自害して果てた。最後まで従った男女合わせて九十一名の者も共に果てた。実にこれがその名を天下にとどろかせた武田の惨めな最期であった。三月十一日のことである。
武田勝頼は、敵と戦って負けたのではなく、自らくずれ去ったといったほうがよかった。 光秀の予言どおり、勝頼は兵を起して、二カ月と保つことはできなかった。 (果して、半年の兵糧は不要であった) 光秀は心中、満足であった。こうして考えて見ると、自分の洞察力は信長に勝るとも劣らぬではないか。
家康や穴山梅雪と談笑している信長の姿を、うしろから眺めながら、光秀は曾てない満足感に浸っていた。 (しかし、武田もあえなく果てたものよ。落目の主君にこそ、忠を励むが臣たるものを) 僅か四十一名の兵と共に果てた勝頼を、光秀はあわれと思った。
(落目の主君を、人は容易に裏切ることができる。が、日の出の勢いの主君を裏切るは容易ではない。人間、ただ自分が大事なものよ) 思いつつ、光秀は内心ぎょっとした。日の出の勢いの主君とは、この信長のことである。この信長に自分は反旗をひるがえせるか。光秀は信長の幅広い背に視線を据えた。はね返すような力が、背にも肩にも漲っている。
(強い男だ。運も強い) 光秀は、信長の背に目を据えたまま、心の中でつぶやいた。信長の笑い声がかん高くひびいた。光秀は、はっと吾にかえった。信長がいった。「改めて、そちたちの旧領はそのまま、安堵してとらす」木曾義昌、穴山信君、小笠原信嶺らが両手をつき、地に頭をすりつけた。小笠原の肩がかすかにふるえている。
「なお、木曽義昌、特別の働きにより、信濃安曇、筑摩を領国としてとらす。大儀であった」木曾義昌はおのが耳を疑うように顔を上げ、信長を見上げたが、更に低く平伏した。(つまりは、主君を裏切ったが功になったか)
光秀は地にひれふしている木曾義昌を見守った。この男は、信長が落目になればまた裏切るのかも知れぬ。ようやく面をあげた義昌の赤い唇を光秀はみつめた。「めでたいことよのう」隣の滝川一益が光秀にささやいた。
「おう、そうじゃ。蘭丸」信長が、うしろをふり返って、森蘭丸を見た。蘭丸が、その白いうなじをかすかに傾けた。彫ったような張りのある目が、媚を帯びて信長に注がれる。「そちの兄の長可には、信濃川中島四郡の十八万石を与えてとらそうぞ」「え? 十八万石を!」驚く蘭丸をなめるように信長は眺めた。
驚いたのは蘭丸だけではない。居並ぶ者も光秀も驚愕した。(旧領二万石と併せて、一挙に二十万石!) 蘭丸の兄武蔵守長可は、未だ二十四歳である。いかに鬼武蔵と、その剛勇をうたわれているにせよ、弱冠二十四歳で、二万石から一挙に二十万石の領主になろうとは。
内心、光秀は穏やかではなかった。その動揺も静まらぬ光秀の耳に、信長のかん高い声がひびいた。「蘭丸、そちには、美濃岩村の五万石を与えよう」 (五万石!?) 蘭丸はまだ十七歳の小童ではないか。「そのうちに、加増もあろう。楽しみに待て」
ふっと、先に聞いた噂を、光秀はまたしても思い出した。蘭丸は、父の森可成の旧領、坂本を拝領したい旨願い出たという噂である。蘭丸は六歳の折、父可成を失っている。可成は信長に従って、浅井長政、朝倉義景を襲わんとして、討死した。もと、美濃国金山城主であった。
信長の森一統への傾きが、余りにもあからさまに思われた。森兄弟に対する扱いは破格である。もっとも、それがまた信長のやり方である。使えると思えば、家柄など顧慮することなく高禄を与える。まして森家は家柄である。(自分にしても、秀吉にしても、破格の扱いを受けたのだ)
(だが、このままでは、本当に坂本は蘭丸に奪われるかも知れぬ) 光秀は面を伏せた。頬が引きつるようであった。と、その時、信長の視線が光秀にとまった。たちまち、光秀の苦々しげな様子が、信長の獄にさわった。(めでたい戦勝の席で、この男は何を考えているのか)
信長の眉間に深いたて皺がきざまれた。(何もかも、光秀の言葉どおりであった) 総攻撃を加える前に、木曽義昌が反逆ののろしをあげたことも、勝頼を裏切る者が続出したことも。そして、一カ月半に満たぬうちに武田を滅亡せしめたことも。
(内心、この男、俺を嘲っているのかも知れぬ) 余りにも、光秀の進言は的中し過ぎた。的中する度、信長は光秀という男の読みの深さに内心舌を巻き、それがまた忌々しくもあった。(武田を亡ぼし得たのは、おのれだと、この光秀は思っているのではないか)
(信玄亡きあと十年、隠忍していたのは、この俺だ) が、考えてみると、光秀にその隠忍自重を幾度か説かれてきた。(奴はやっぱり、おのれの手柄を数えているのであろう) 折しも、光秀の傍らで誰かのささやく声がした。光秀が低く答えた。その途端信長はむらむらと怒りがこみ上げたのである。
「光秀!」眉を吊り上げた形相ももの凄く、信長は怒鳴った。「は?」何が何やら光秀にはわからない。「おのれ! 何を苦々しげに考えている!」「いえ、別に・・・めでたき戦勝をお慶び申し上げ・・・」「いうな! それが戦勝をよろこぶ顔か。そちが胸のうちくらい、わしに見えぬと申すか」 立ち上がるなり、つかつかと光秀の傍に来て、いきなり胸ぐらをつかんだ。
「殿!」「おのれは・・・おのれは、おのれ一人が苦労して、この戦勝を導いたというのか」「・・・殿、決して・・・」光秀は、まちがってもそんなことを口に出す人間ではない。それを誰よりも信長自身が知っている。知っていればこそ一層腹が立つ。諸事、光秀が自分を見透かしているようで、腹に据えかねるのだ。
「おのれ!」信長は光秀のもとどりを引きずって、社の欄干に光秀の頭を力一杯打ちつけた。光秀の頭はガツッと無気味な音を立てた。「苦労をしたは、この信長ぞ!」「御意、御意にござりまする」無抵抗な光秀の頭を、信長は再び三度欄干に打ちつけた。頭から頬に血がぬるぬると伝わった。 (武田攻めに加わったわしへの、これが恩賞か) 光秀は思わず信長を睨めつけた。
「こいつ!」狂ったように信長は、光秀のもとどりをぐいと引いた。「殿! 殿!お鎮まり下され」この時、ようやく滝川一益が、かけよって信長を後ろから抱きとめた。「離せ! 離せ!」なおも荒れ狂う信長の耳に一益がささやいた。「殿、徳川殿をはじめ武田方も詰めてござる。お鎮まりなされませ」
ようやく、信長の手が光秀のもとどりを離れた。光秀は懐紙で静かに血をぬぐい、身づくろいをして、徐かに退席した。誰にも、何が信長を怒らせたのか、わからなかった。信長の言葉から、多分光秀が、「吾らの多年の骨折りも、これで報われた」と述懐し、それが信長の耳に入ったと推量したようであった。
細川ガラシャ夫人(上巻)
● 暴君信長 13-4
甲州から帰って来た光秀は、ひとまず坂本城に入った。いつになく、疲れきって帰ってきた光秀の様子に、黒子は心を痛めた。「どこか、お怪我なされたのでございますか」勝ち戦さから帰った人間とは思われない。いかに疲れていても、勝ち戦さの場合は、目が輝いている。表情が生き生きしているのだ。が、今日の光秀はぼんやりとしていた。目のふちには黒く隈ができ、その表情がうつろだった。
その夜の祝宴は、光秀夫妻と、明智弥平次、斎藤利三によって開かれた。酌には初之助が侍った。利三は一昨年以来、光秀に仕えている。「遂に、武田も亡びましたなあ」弥平次が快活に言った。「次は毛利じゃのう」利三が相づちを打つ。
が、光秀は箸を持ったまま、膳の上にあらぬ視線を泳がせている。常の光秀らしからぬ様子である。弥平次と利三は顔を見合わせてうなずいた。一瞬、気まずい沈黙が流れた。「 ? 」いぶかし気に光秀をみつめていた凞子が、利三と弥平次の表情に目を移した。初之助の持つ銚子がかすかにふるえている。
「殿!」「うむ」自分に集まった視線に、ようやく光秀は気づいた。四月の風がなまあたたかく部屋に流れて、灯火がゆらいだ。「疲れたのう」光秀は苦笑し、「そちたちも大儀であった」と、ようやくいつもの光秀にかえった。初之助が酌をし、座が和らいだ。
「殿、お倫が、懐妊致しましたそうな」熈子の言葉に、「ほう、それはめでたい。弥平次、でかしたのう」「は、おかげさまで・・・」弥平次はあかくなって頭をかいた。利三も初之助も思わず微笑した。黒子がまたいった。
「殿、お玉もまた懐妊したとの便りにござります」「なに、お玉も三人の母となるか」「おめでとうござりまする」利三と弥平次が、異口同音に頭を下げた。が、初之助は顔をこわばらせた。
「ひとつ、陽気に参りましょうか」弥平次が一段と声を大きくした。「殿、信長殿は、家康殿の領地を通って御帰還とか、よく無事であの領地を帰ってこられたものですなあ」「うむ」この利三のために、自分は信長に刃をつきつけられたことがあったと、光秀は思い出した。
利三の母は光秀の妹である。利三はつまり光秀の甥なのだ。彼の妻は、稲葉一鉄の姪で、 一昨年まで利三は一鉄に仕えていた。が、一鉄に再三恨みをいだくことがあり、一時信長に仕えたあと、一昨年以来光秀に従った。
一鉄は斎藤利三を返してくれるよう、信長を通じて頼んで来た。一旦は断ったが、その後執念深く信長に催促した。利三が稲葉一鉄を離れた理由を信長も知っていたから、最初のうちは、光秀にはきつくは言わなかった。
だが、ある時、衆人の前で、「もう、いい加減返さぬか」これを静かに断った。 と催促された。しかし光秀は、今更稲葉一鉄に利三を返しては、彼の命が危ういと考え、理は光秀にある。が、その理のあることが信長を立腹させた。いきなり小刀を抜いて光秀に斬りかかったのである。
「余の命令に逆らうか」と信長は荒れ狂った。が、一命を賭しても光秀は利三を返すまいと思った。このことを聞いた利三は、子供のように号泣した。四十を越した男とは思えぬ泣き方だった。以来、利三はますます光秀を、またとなき主君と慕うようになった。が、信長を激しく憎むようにもなった。
「わしを一鉄に返せとは、即ち、わしの命はどうなってもよいということか。わしは光秀殿のためには死んでも、信長のためには死なぬぞ」彼は弥平次に度々こう言っている。利三は、のちにその名を天下に残した春日局の父親だけあって、頭も度胸もよいが、性格もまた激しかった。
複雑な気持で、光秀は利三の顔を見た。弥平次がいった。「信長殿は、こわいものなしじゃ。家康殿などこわくはないわな」「そうかのう。こわいものなしかのう。わしには迂潤に思われる。家康殿の領国を通ったは油断じゃ」「利三」たしなめる光秀に、
「しかし殿、そうではござらぬか。家康殿の御長子信康殿に、あらぬ疑いをかけて切腹せしめたのは、ほんの二、三年前のこと。未だ信康殿の怨霊が現れるという噂もあるに、その領地を、十日余りもよくまあ、通って来られたものよ」
家康の長子信康は、信長の愛娘徳姫を娶っていた。信康の生母築山御前は、夫家康との仲が冷たかった。その故か、築山御前は嫁の徳姫にも辛く当り、信康と徳姫の間を割くようなことばかりしている。信康が徳姫を愛しているのが憎いのだ。信康に妾を無理矢理囲わせ、二人の仲を割き、更に信長への謀反さえ企んだ。
このことを徳姫がかぎつけ、父信長に急報した。信長は家康を通じ、信康に切腹を要求した。家康は要請を受けて一カ月ばかり、わが子信康を殺し得ず、悶々とした。が、止むなく、遂に信康に切腹させたのである。三年前のことであった。家康は信長の家臣ではない。
忠実な同盟者である。が、信長は家康を臣下の如く扱った。 家康にはまだ、信長に抗する力はなかった。信長は、何もわが子の婿信康を殺すまでのことはなかった。築山御前の言動はともかく、 信康が潔白であることは、衆人も認めるところであった。しかし信長は、信康が母の築山御前の企みに巻きこまれたとして、敢て切腹せしめたのである。
光秀はその後、「信康殿は秀れた御方だからのう。信長殿の御長子信忠殿は遥かに及ばぬ。信忠殿の時代になれば、信康殿が織田家を圧することを見ぬいていられたのだろう」と弥平次に洩らしたことがある。特に信康の知謀は、父の家康さえ及ばぬ程であった。
こんないきさつのある家康の領地を、悠々と凱旋してきた信長を、人々は豪胆といった。 が、他に通る道もあろうにと、眉をひそめる者も少なくはなかった。「それにしても、家康殿は、よく無事に通したものよ」
利三は再びいった。目がらんらんと光っている。弥平次は光秀の従弟であり、利三は光秀の甥である。初之助一人を除いて、この場には血縁ばかりである。つい、信長を悪しざまにも言ってみたくなる。
特にこの度の武田攻めには、正月七日の光秀の数々の進言があった。その言葉が、すべて当を得たものであったことは、誰よりも信長が知っている。が、信長は一言のねぎらいの言葉も与えず、まして賞詞もなく、理不尽にも、衆目の前で打擲したのである。
光秀の胸中を思えば、光秀をこの上なき主君と仰いでいる利三、弥平次の腹もまた、煮えかえる思いになるのは無理もない。その思いは、初之助とても同様である。「のう利三どの。三河殿は、信長殿のお通りに大汗かいたばかりか、この度の駿河一国を頂戴した御礼に、安土に参られるそうじゃ」
「それはまた、えらい気のつかいようじゃ。徳川殿が多年武田を牽制していた功だけでも、駿河一国の価はある。御礼参上は、むしろ信長殿がすべきところよ」 「全く全く。謀反気もない信康殿が、詰腹を切らせられたことを思えば、駿河の一国や二国、ありがたくもないわい」
ある程度は、鬱憤も晴らさせねばならぬと思いながら、光秀は利三と弥平次のやりとりを聞いていた。聞きながら、思わず光秀も相づちを打ちそうになる。「もうよい」光秀の言葉に、利三は何か言おうと口を開きかけたが、弥平次にひじでつかれて口をつぐんだ。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し・・・か。快川和尚の最期は立派であったのう」 光秀の頬の静かな微笑が消えた。「ああ、あれは立派でござった。のう、弥平次殿」「おう、わしも、あの焼けただれる山門の炎の中で、合掌する和尚の姿には、身がふるえたわ」
この度信長は、武田信玄の菩提寺である恵林寺の和尚快川を、寺内の僧らと共に山門に閉じこめ、百五十余名を焼き殺したのである。快川和尚は、勝頼の供養をした。それが大いなる罪の一つとして数えられた。菩提寺の僧が、主君勝頼を供養するのは当然である。しかし、信長はそれを決して容赦はしなかった。
が、快川はこの炎の中で、「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と、莞爾として死んで行ったのである。 「 快川和尚に比べると、武士の死は何か侘びしい気がするのう」「全く。あれこそが、人間のまことの死の姿かと、肝銘仕りました」「うむ。されどあの和尚は死んだと言えるかのう、弥平次」光秀は箸を置いて弥平次を見た。
「死んで生きた、とでも申しましょうか」「なるほど、死んで生きたか。そうも言える。利三はどう思うたか」「は、それがしも弥平次殿と同様でござるな。さすがの信長殿も、あの快川和尚は殺し得なかったと存じました」「信長殿も殺し得なかったと?」
「はい、信長殿は焼き殺したつもりにござりましょう。しかし、快川和尚は決して殺されてはおりませぬ」 「なるほど。わしも、あの和尚の声をはっきりとこの耳で聞いた。静かに合掌する姿をこの目で見た。人間の心というものは、人間の手で焼き殺し得ぬものと、わしも思った」熈子が大きくうなずいた。かしこまって聞いている初之助に光秀はいった。
「のう、初之助。そなたも、あの声を聞いたであろう」「はい、尊いことと、わたくしも思わず合掌いたしました。殿、人間はいかにすれば、あの境地に達し得るものでござりまするか」「それよ、それをわしも思ったわ」
いつかまた、自分が信長に厳しく殴られる時に、「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と、笑ってその鉄拳を受け得るや否や。心の中にたぎるこの憎しみは、快川の前に余りにも恥ずかしいと光秀は思った。(とまれ、人間の心は、鉄拳や刃では従い得ぬもの・・・)「殿、とにかくかの勝負、快川の勝ちと、弥平次めは思いました」
「うむ」「とすれば、信長殿は、武田方に完勝したと思っていられても、快川には勝ち得ませんでしたのう」「なるほど、なるほど。弥平次殿はうまいことをいう。戦さは人を殺せば勝ちとは限りませぬの。殿がいつも言われる通り、戦わずに勝つが、本当の勝利かも知れぬの」 利三はひざを叩いた。
光秀はふと、夜の琵琶湖に目を転じた。この湖の彼方の安土城に、自分を血の出るほどに打ち据えた信長がいる。と思っただけで、激しく心がたぎった。
(下巻につづく)
