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細川ガラシャ夫人(下巻)
目次
14. 闇からの声 05
15. 悲運の命運. 25
16. 幽閉. 67
17. 山鳴り 88
18. 味土野の春. 109
19. 帰館. 130
20. 人の心と天の心と 147
21. こんてむつすむん地. 171
22. 狭き門. 192
23. 玉子受洗. 212
24. 迫害. 238
25. 秀吉の死. 243
26. 恩寵の炎 273
27. 終わりに. 312~315
28. 解説 水谷昭夫 317~325
● 終りに
この「細川ガラシャ夫人」は、昭和四十八年一月から昭和五十年五月まで、二年五カ月に官って「主婦の友」に連載されたものであり、わたしとしては、初めての歴史小説である。当初一人では取材も資料調べも、全く見当がつかなかった。が、いろいろな人から、資料が送られたり、編集の藤田敬治氏や、渡辺節氏、カメラの武井武彦氏に助けられて資料も整い、 取材も出来た。また、ガラシャゆかりの寺院や教会、郷土史家や学者の方々の大きなご協力もありがたかった。
連載中毎月、中村貞以先生の素晴らしいさし絵にはげまされ、ひきだされたことも感謝であった。また単行本として刊行されるに際しては堀文子先生の情感豊かな装丁をいただいたことも心から嬉しく思う。書き終えて、わたしは改めて今、ガラシャ夫人の死を、生を、実に重たく感じている。いや、ガラシャ夫人のみならず、どの人の生も死も、それは誰かが言ったように、 「この地球よりも重い」ものなのだ。どの時代にあっても、人間が人間として生きることはむずかしい。
人形のように生きるのではなく、猫か犬のように生きるのでもなく、真に人間として生きるということは、実に大変なことなのだ。恵泉女学院の創始者河井道先生は、人は一人で食事をする時も、決して、つくだにや漬物だけでそそくさと食べてはならないと、戒められたという。夫や家族のいる人と同様に、ちゃんと心をこめて料理をつくり、食卓にきちんと並べて食事をするようにと、教えられたという。これは、人間が人間らしく生きるために、決しておろそかにはできない大事な点なのだ。
人間らしさは、いろいろな所から崩れ去る。一人の生活の中で、だらしなく生きると、たちまち人間性が崩れて行く。一人でいても、きちんとした生活を保つ人は、それは真に人間として生きる人と言えるだろう。今の時代のように、女性にも選挙権が与えられ、権利もほとんど男性と同じように認められる時代になっても、少し油断をすると、人間らしさは崩れていく。まして、四百年前、女性は男性の所有物であり、政略の具であった時代に、女性が人間らしく生きるということは、極めてむずかしいことであったと、想像される。
そうした時代に、 霊性に目ざめ、信仰に生きたガラシャの生き方は、わたしの心を深く打つ。この小説を書きながら、わたしは自分が人間として生きることの大変さを改めて考えさせられたことであった。 余談だが、隣家に逃げた千世は、玉子を捨てて逃げたという魔で、忠興の怒りにふれ、離縁となった。夫の忠隆は、一足先に行くようにと玉子に言われた千世を、後から玉子も来ると思って逃げたのだとかばい、これまた忠興の激怒を買った。そして忠隆は、廃嫡にさえなってしまった。また、忠興の弟興元は、玉子を横恋慕したということで、
養子にした興秋を取り戻されている。かと思うと、葬儀の際、忠興は教会に金子二百両を捧げ、その夜は盛大な追悼の宴をひらいている。 更に、このキリスト教の葬儀を、領地小倉においても行っている。忠興の生来の激しい性格は、玉子の死後にも、このような様々な形で現れたのであろう。そしてそれらはすべて、玉子への愛惜の念から、あるいは自責の念から出ているようにわたしには思われる。
忠興は玉子の死後、四十五年生きて八十三で死んだ。三代の将軍に仕え、将軍を叱りつけるほどの重臣にもなった。このように細川家を不動の地位にしたのは、むろん忠興の器量にもよるであろうが、玉子の死に大きくあずかっていたことは否めないと思う。 恐らく忠興は、八十三で死ぬその日まで、ありし日の玉子の姿を思い、その最期を思っていたことであろう。玉子の死後、妻は迎えてはいない。
逆臣光秀の娘という恥を見事に雪ぎ、立派な最期を遂げた玉子のことを思うと、わたしはふっと、あのホーソンの「緋文字」の女主人公が浮かぶ。罪ある女としての印の緋文字を、 終生胸につけなければならなかったその女主人公は、信仰と善行とによって、その緋文字を罪のしるしから尊敬の印に変えてしまったことを思う。 顧みて、自分の信仰の貧しさを思いつつペンを擱く。
●参考文献
「日本の歴史」戦国大名. 杉山博. 中央公論社
「日本の歴史」天下一統. 林屋辰三郎. 中央公論社
「日本の歴史」江戸開府. 辻達也 中央公論社
「日本の歴史」年表地図. 児玉幸男編. 中央公論社
細川幽斎. 細川護貞. 求龍堂
明智光秀. 高柳光寿. 吉川弘文館.
日本武将列伝. 桑田忠親. 秋田書店
高山右近. 海老沢有道. 吉川弘文館
伽羅奢細川玉子夫人. 宮島真一. 中央出版社
丹後の宮津. 岩崎英精編.
細川忠興夫人. 大井蒼悟. 武宮出版部
禅仏教(稲葉裏編「禅と学生」より)
朱なる十字架. 永井路子. 文藝春秋
細川ガラシャ. 小山寛二. 新風社
細川幽斎. 川田順 甲文社
.細川ガラシャ夫人. H・ホイウェルス. カトリック. 中央書院
細川ガラシャ夫人. 満江巌. 刀江書院
細川家家系図. 大徳寺高桐院蔵
公教要理
「日本古典全書」吉利支丹文学集. 朝日新聞
「歴史読本」昭和四十一年十一月特別号
「歴史読本」昭和四十七年十二月号
「歴史読本」昭和四十八年二月号
新名将言行録. 松本清張ほか. 河出書房新社
日本食生活史. 渡辺実. 吉川弘文館
日本女性史. 山本藤枝・和歌森太郎. 集英社
「富山昌徳遺稿集」日本史のなかの佛教と景教. 東大出版会
日本城廓事典. 大類伸. 秋田書店
● 解説. 水谷昭夫 1968
「細川ガラシャ夫人』は昭和四十八年一月号から同五十年五月号まで、雑誌「主婦の友」に連載された。二十九回九百枚におよぶ長篇である。『氷点』からほぼ十年の歳月が流れている。 この十年の間に、三浦綾子氏は『ひつじが丘』『道ありき』『続氷点』をはじめとする十五篇の長篇小説を書く。他に二冊の中短篇小説集、それにエッセイ集を出版上梓するが、いずれも初期三浦文芸を代表する作品であり、伝説的な『氷点』ブームをしのぐ読者の支持を獲得していた。
まるで奔流のようにほとばしり出た十年であった。このあとに『天北原野』にはじまる新しい時代が続く。『細川ガラシャ夫人』はちょうどこの十年のかなめのところに位置していた。主題や構想や作品の形式において、いつも新しい可能性を追いつづけて来た著者が、ここでまた、全く新しい領域をうち立てようとしていた。「終りに」で言う。
わたしとしては、初めての歴史小説である。おそらく著者には、十年の集約というより、『天北原野』にはじまる新しい時代を切りひ 10らこうという意識の方が強かったであろう。詳細に資料を調べる。現地へ足をはこぶ。いままでの作品にも、基本的にはこころみられて来たものだが、『細川ガラシャ夫人』で、はっきりと確立する。以来、この態度は、三浦文芸に一貫するものとなるのである。ただ三浦綾子氏の「調べる」は、一風かわったところがあった。『泥流地帯』の取材の時、 幾度も涙を流したというが、彼女の「調べる」には、そのような対象への熱い思いがあった。 それは、彼女の苦悩に充ちた生涯に根ざしている。
彼女の苛酷な闘病生活については、ここで繰り返すまでもないであろう。十年に及ぶ重症の詳椎カリエスを病んで、迫り来る死とむきあいながら身動きもならなかった。自分でトイレの用を足したいという望みを抱きつつ、出来ることは、耐えがたい寂寥感をただ一つのくらやみ灯りにして魂の深い暗闇のなかへ自らを沈めてゆくことだけであった。
ただわずかに手が動かせたので、仰臥したまま窓外の景色を、手鏡にうつして見られた。 つまり、深い精神の静謐へ思いを沈めてゆくことと、憧れと驚きの交錯する外界へうぶな好奇心をはばたかせる。この二つの矛盾した心の、悲哀に充ちた均衡の上に、三浦綾子氏の文芸はきずかれる。ひきさかれつつ魂を飛翔させる。読者がしばしば、作中生彩ある光景のなかに、ふと寡黙な魂の告白を見出すのはこのためである。
ところでこの『細川ガラシャ夫人』を語る上で、どうしても触れておかねばならぬのが 『塩狩峠』である。いろいろな意味で『細川ガラシャ夫人』の先駆をなすこの作品では、主人公永野信夫、そのモデルとなった長野政雄は自分の生涯を語る伝記的資料、たとえば日記、 書簡等一切を、この地上にとどめることを拒絶して、凄絶な死を遂げる。同じように、明治期はじめて「小公子」「小公女』などを翻訳した若松賤子も、「キリストの賤しき下僕」のほか、 一切無用だと言い遺しているが、永野信夫はさらに痛切であった。
乗客の生命を救うため、 自分の身命を暴走する列車へ投じて果てた。彼の生涯に残されている確かなことはそれだけしかなかった。解釈は出来る。しかし三浦綾子氏は解釈ではなく、彼の存在そのものを追っヒロインほのおた。そしていま、この『細川ガラシャ夫人』の女主人公も、燃えしきる熔のなかでその生涯を終える。資料や手がかりが山積するかに見えるガラシャであるが、その生涯の肝心は、 『塩狩峠』の主人公とかわらない。著者はそれを追う。人はおのれの自己実現のために動く。もっとわかりやすく言えば、利害損得で動く。フロイトの「快不快原則」をつきつめると、こういうことになるだろう。歴史も同じである。
しかし細川ガラシャ夫人の生涯の肝心は、これでは説明がつきかねる。おそらく史家の合理的有効性の原理から見れば、おかしな生涯ということになるだろう。聖書はこのような人間を「狂えるものの如く」という。利害損得によらぬ、人間のもっとも人間らしい情熱が、 しばしば歴史にあらわれる姿形だと言える。著者はいつもそれを追いもとめる。『細川ガラシャ夫人」はこのとき、「総て功利の念を以て物を視候はば世の中に尊き物は」なくなると言った、鷗外歴史小説の正統な継承者となっている。
三浦綾子氏はつまり、父明智光秀の最後もガラシャの最後も、同じ、この人間の不条理な情熱の成り行きだと言うのである。この情熱にみちびかれて、「歴史」の利害を越えた、より大いなる幻を見たものの姿を描く。作品はまずガラシャの父光秀が、当時築城砲術の第一人者にして、茶道、和歌、俳諧から花にも長じた、第一級の教養人であることから語りはじめる。戦乱相つぐ時代のなかで、人間が人間らしく生きられるか。また生きたらどうなるか。それをこの光秀の生涯を通して、 はっきりと示すのである。
光秀婚姻の次第は、彼の人間らしい情熱を語るのにふさわしい。輿入直前になって、突然疱瘡をわずらう妻木範窯の娘熈子。美貌は一瞬にしてうしなわれる。範煕は、明智家との良縁がこわれるのをおそれ、醜くなった娘凞子の身代りに妹娘をすりかえようとする。しかし、事情を知った光秀は、むしろ進んで、醜女となった熈子をむかえいれる。人間の美醜は外見によらぬという、著者のゆるぎない思いが語られる箇所である。 光秀は言う。「お前は私の分身」である。
そなたが病んだことは、即ちわたしが病んだことなのだ。そなたに疱瘡のあとができたことは、即ちわたしの体にできたも同然のこと。決して恥ずることはないぞ。 ちよくせつな 「愛」の光輝を、著者はこのように直截に語る。人を語るときも、歴史を語るときもかわることはない。近代以来の白けたシニシズムに馴らされた目には、いささか眩しい光景であろう。しかしそれだからこそ、苦しみに耐えながら、せい一ぱいに生きようと努めている人々の心に、一そう素直にうけとめられてゆくこととなるのである。
ガラシャが光秀叛乱のあおりをくって、味土野の深山に幽閉される。著者はここでも、直截に空しい虚無観を語る。絶望した彼女のうちに、H・ホイウェルスは、感傷的無常感とは異なった、わが国最初の 「ストア哲学」のニヒリズムを指摘する。三浦綾子氏はこの徹底した虚無観を見事に描く。「死の床」にあった経験があって、はじめて可能となったものであろう。厳寒峻烈な静寂のなかでみつめつづけていた寂寥を、著者はガラシャ夫人の味土野の静寂に見出す。三浦綾子氏は闘病生活の中で『伝道の書』を知った。
すさまじいことばと出会って愕然となった。おなじように、三浦綾子氏の描くガラシャ夫人も、味土野幽閉の静寂のなかで不思議なことばを知る。彼女に従っていた佳代が語る。 「・・・もろもろのご苦難が、お方さまにとって、大きなご恩寵とお思い遊ばすことができますように・・・」この苦難を去らせ給えというのではない。この苦難をよろこび、感謝します、という祈りである。三浦綾子氏は、あの激しい「死の床」に耐えていたときも、神よ、病を癒したまえとは祈らなかったと言う。彼女が信仰告白をしたとき、彼女のそばにいた西村久蔵が「神よ、この下僕をあなたのご用に役立たせたまえ」と祈った。
彼女が心から敬愛する西村久蔵のこの祈りは、以来彼女の心の深奥にひびいていった。後年窟を病んだ彼女が『北国日記』のなかで、神が与え給うものに悪いものがあろうか。私は癌をあたえられ、その恵みに感謝すると静かに言う。この驚くべき祈りは、あの「死の床」で祈った祈りから、一すじに流れてくるものである。それが『細川ガラシャ夫人』の主題となって、鮮明に示されているのである。
さてはじめ夫人は、佳代の祈りを聞いて、デウスの神もみ仏も私は信じないと冷然と告げる。しかし、心は、深くゆり動かされている。やがてそう言った彼女が「天主よ。ねがわくは、殉教者の栄冠と幸を吾らに与え給え」と祈る人びとの群れのなかへ身を投じて行くこととなる。人間の命運を開き歴史を変える。この不条理な劇がこのようにして繰りひろげられる。三浦綾子氏の「歴史小説」はそう告げようとする。
このようなガラシャ夫人の生涯が、天下人となって、この地上の栄耀栄華をきわめた太閤秀吉の、「露とおち露と消へにしわが身かな 浪華の事もゆめのまた夢」と詠んだ名高い辞世の歌と、あざやかに対峙している。ガラシャ夫人はうたう。ㅡ 散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ ㅡ いかなる戦国武将英雄の栄光より、光輝ある豊かさである。いうまでもなく、ここでいう 「ときを知る」は、三浦綾子氏を信仰にみちびいた「伝道の書」の季節である。「天が下のすべての事には季節が」あるという。それがこのガラシャ夫人の生涯に重ねられていることに気附かれるべきであろう。
ㅡ 生るるに時があり、死ぬるに時があり、(中略) 愛するに時があり、憎むに時があり、ㅡ と、この美しいことばは続いてゆく。その時を知ることが、一輪の花ですら、栄華をきわめたソロモンよりも美しいように、人もまた人間らしいのだと細川ガラシャ夫人に告げさせるのである。
森田草平が、浮き名を流した恋愛事件の相手・平塚雷鳥を「新しい女」として描いた『煤烟」は、その雷鳥をひそかに細川ガラシャ夫人に擬した作品であろう。また芥川龍之介は、岩壁麗美な美術品のような細川ガラシャを『糸女覚え書』で書いた。C・S・ルイスは、第一次世界大戦後のすべての思想・運動に共通するのは、人間らしい、ある永遠なるものへの憧憬の感情を否定することであったと言う。
三浦綾子氏が描いたガラシャは、ただ「新しい女性」にとどまらぬ、永遠なるものへの憧憬の感情を豊かに生きた、人間らしい女性である。 読者はだから、焰の中にきえた彼女の生涯を、美術品のように鑑賞賞美するにとどまらず、 尽きせぬ愛情の思いと、「今の時代を生きる自分の問題」を痛切に思いながら、この作品を読みおえることとなるであろう。 なおこの作品の資料収集のうら話は、同じ著者のエッセイ『初めての歴史小説あれこれ』 (作品集十八に所収)に詳しい。
(昭和六十一年二月、関西学院大学教授)
● 맺으며
이 『호소카와 가라샤 부인』은 1973년 1월부터 1975년 5월까지 2년 5개월 동안 『주부의 벗(主婦の友)』에 연재되었던 작품으로, 나에게는 첫 역사소설이다. 처음에는 혼자서 취재나 자료 조사를 어떻게 해야 할지 전혀 감을 잡지 못했다. 그러나 여러 분들이 자료를 보내주셨고, 편집자 후지타 케이지 씨, 와타나베 세츠 씨, 사진작가 타케이 타케히코 씨의 도움 덕분에 자료도 갖추고 취재도 할 수 있었다. 또한, 가라샤와 인연이 깊은 사찰과 교회, 향토사학자와 학자분들의 큰 협조에도 진심으로 감사드린다.
연재 내내 매월 나카무라 테이이 선생님의 훌륭한 삽화에 격려받고 끌어 올려진 것 역시 감사한 일이었다. 또한 단행본으로 간행될 때 호리 후미코 선생님의 정감 어린 장정을 받게 된 것도 마음 깊이 기쁘게 생각한다. 집필을 마친 지금, 나는 새삼 가라샤 부인의 죽음과 삶을 참으로 무겁게 느끼고 있다. 아니, 가라샤 부인뿐만 아니라 누구의 삶과 죽음이든 그것은 누군가가 말했듯 “이 지구보다 무거운” 것이다. 어느 시대에나 인간이 인간으로서 살아간다는 것은 어려운 일이다.
인형처럼 사는 것도 아니고, 개나 고양이처럼 사는 것도 아닌, 진정 인간으로서 살아간다는 것은 참으로 힘든 일이다. 케이센 여학원의 창립자인 카와이 미치 선생님은 사람이 혼자 식사를 할 때도 결코 츠쿠다니(조림 반찬)나 장아찌만으로 서둘러 먹어서는 안 된다고 경계하셨다고 한다. 남편이나 가족이 있는 사람과 마찬가지로, 정성을 다해 요리를 만들고 식탁에 정갈하게 차려놓고 식사를 하라고 가르치셨다고 한다.
이는 인간이 인간답게 살아가기 위해 결코 소홀히 할 수 없는 중요한 점이다. 인간다움은 다양한 곳에서부터 무너져 내린다. 혼자 사는 생활 속에서 나태하게 살아가면 이내 인간성이 무너지기 시작한다. 혼자 있더라도 정돈된 생활을 유지하는 사람이야말로 진정 인간으로서 살아가는 사람이라 할 수 있을 것이다.
요즘 시대처럼 여성에게도 투표권이 주어지고 권리도 대부분 남성과 마찬가지로 인정받는 시대가 되었음에도, 조금만 방심하면 인간다움은 무너지고 만다. 하물며 400년 전, 여성이 남성의 소유물이자 정략의 도구였던 시대에 여성이 인간답게 살아간다는 것은 극도로 어려운 일이었으리라 상상된다.그러한 시대에 영성에 눈을 뜨고 신앙 속에 살았던 가라샤의 삶 방식은 내 마음에 깊은 울림을 준다.
이 소설을 쓰면서 나는 내가 인간으로서 살아간다는 것의 어려움을 새삼 다시 생각해보게 되었다. 여담이지만, 이웃집으로 도망친 치요는 타마코(가라샤)를 버리고 도망쳤다는 소문으로 타다오키의 노여움을 사 분가(이혼)당했다. 남편인 타다타카는 "한 발 먼저 가라"는 타마코의 말을 들은 치요가 뒤이어 타마코도 올 줄 알고 도망친 것이라며 감싸 안았으나, 이 역시 타다오키의 격노를 샀다. 그리하여 타다타카는 적장자 자리에서 쫓겨나기까지(폐적) 했다. 또한 타다오키의 동생 오키모토는 타마코를 짝사랑했다는 이유로 양자로 삼았던 오키아키를 되돌려보내야 했다.
그런가 하면 장례식 때 타다오키는 교회에 금 200량을 바치고 그날 밤 성대한 추모 연회를 열기도 했다. 나아가 이 기독교식 장례를 영지인 코쿠라에서도 거행했다. 타다오키의 타고난 격렬한 성품은 타마코가 죽은 후에도 이처럼 다양한 형태로 나타났던 것이다. 그리고 이 모든 것은 타마코에 대한 애통함과 애석함, 혹은 자책감에서 비롯된 것으로 나에게는 느껴진다.
타다오키는 타마코 사후 45년을 더 살아 83세에 세상을 떠났다. 3대의 쇼군을 섬겼으며, 쇼군을 호통칠 정도의 중신이 되었다. 이처럼 호소카와 가문을 부동의 지위에 올린 것은 물론 타다오키의 기량 덕분이기도 하겠지만, 타마코의 죽음이 크게 기여했음은 부정할 수 없을 것이다. 아마도 타다오키는 83세로 죽는 그날까지 지난날의 타마코의 모습과 그 최후를 떠올렸을 것이다. 타마코가 죽은 후 그는 다시 아내를 맞이하지 않았다.
역적 미츠히데의 딸이라는 수치를 멋지게 씻어내고 훌륭한 최후를 맞이한 타마코를 생각하면, 나는 문득 호손의 『주홍글씨』 속 여주인공이 떠오른다. 죄지은 여자라는 증표인 주홍글씨를 평생 가슴에 달아야 했던 그 여주인공은 신앙과 선행을 통해 그 주홍글씨를 죄의 표식에서 존경의 표식으로 바꿔놓았다. 되돌아보며 나의 빈곤한 신앙을 생각하며 펜을 놓는다.
● 참고문헌
• 『일본의 역사』 전국대명(戰國大名). 스기야마 히로시. 중앙공론사
• 『일본의 역사』 천하일통. 하야시야 타츠사부로. 중앙공론사
• 『일본의 역사』 에도개부(江戶開府). 츠지 타츠야. 중앙공론사
• 『일본의 역사』 연표지도. 코다마幸男 편. 중앙공론사
• 호소카와 유사이. 호소카와 모리사다. 구룡당
• 아케치 미츠히데. 타카야나기 미츠토시. 요시카와홍문관
• 일본무장열전. 쿠와타 타다치카. 아키타서점
• 타카야마 우콘. 에비사와 아리미치. 요시카와홍문관
• 가라샤 호소카와 타마코 부인. 미야지마 신이치. 중앙출판사
• 탄고의 미야즈. 이와사키 히데세이 편.
• 호소카와 타다오키 부인. 오오이 소고. 타케미야출판부
• 선불교 (이나바 우라 편 『선과 학생』에서)
• 붉은 십자가. 나가이 미치코. 문예춘추
• 호소카와 가라샤. 코야마 칸지. 신풍사
• 호소카와 유사이. 카와다 준. 갑문사
• 호소카와 가라샤 부인. H. 호이베르스. 카톨릭. 중앙서원
• 호소카와 가라샤 부인. 미츠에 이와오. 도강서원
• 호소카와가 가계도. 대덕사 고동원 소장
• 공교요리(가톨릭 교리서)
• 『일본고전전서』 키리시탄 문학집. 아사히신문
• 『역사독본』 1966년 11월 특별호
• 『역사독본』 1972년 12월호
• 『역사독본』 1973년 2월호
• 신명장언행록. 마츠모토 세이초 외. 카와데쇼보신샤
• 일본식생활사. 와타나베 미노루. 요시카와홍문관
• 일본여성사. 야마모토 후지에·와카모리 타로.集英社
• 『토야마 마사노리 유고집』 일본사 속의 불교와 경교. 동대출판회
• 일본성곽사전. 오오루이 노보루. 아키타서점
● 해설 - 미즈타니 아키오 (1986)
『호소카와 가라샤 부인』은 1973년 1월호부터 1975년 5월호까지 잡지 『주부의 벗』에 연재되었다. 29회, 원고지 900매에 달하는 장편이다. 『빙점』으로부터 대략 10년의 세월이 흐른 시점이다. 이 10년 동안 미우라 아야코 씨는 『양의 언덕』, 『길은 여기에』, 『속 빙점』을 비롯해 15편의 장편소설을 쓴다. 그 외에 2권의 중단편 소설집과 에세이집을 출간하는데, 모두 초기 미우라 문학을 대표하는 작품들이며 전설적인 『빙점』 열풍을 뛰어넘는 독자들의 지지를 얻고 있었다.
마치 분류처럼 뿜어져 나온 10년이었다. 이 뒤를 이어 『천북원야』로 시작되는 새로운 시대가 이어진다. 『호소카와 가라샤 부인』은 바로 이 10년의 중심 마디에 위치하고 있었다. 주제나 구상, 작품의 형식 면에서 언제나 새로운 가능성을 계속 추구해 온 저자가 여기서 또다시 완전히 새로운 영역을 구축하려 하고 있었다. 저자는 「맺으며」에서 이렇게 말한다. “나로서는 첫 역사소설이다.”
아마 저자에게는 10년간의 집약이라기보다는 『천북원야』로 시작될 새로운 시대를 열어가겠다는 의식이 더 강했을 것이다. 상세히 자료를 조사한다. 현장으로 발걸음을 옮긴다. 지금까지의 작품에서도 기본적으로 시도되어 온 것이지만, 『호소카와 가라샤 부인』에서 명확히 확립된다. 이후 이 태도는 미우라 문학에 일관되게 흐르는 특징이 된다.
다만 미우라 아야코 씨의 ‘조사함(調べる)’에는 유별난 구석이 있었다. 『뇌류지대』를 취재할 때 몇 번이고 눈물을 흘렸다고 하는데, 그녀의 ‘조사함(調べる)’에는 그러한 대상에 대한 뜨거운 애정이 담겨 있었다. 그것은 그녀의 고뇌로 가득 찬 생애에 뿌리를 두고 있다.
그녀의 가혹한 투병 생활에 대해서는 여기서 새삼 되풀이할 필요도 없을 것이다. 10년에 걸친 중증 척추 카리에스를 앓으며 다가오는 죽음과 대면한 채 몸도 움직일 수 없었다. 스스로 화장실을 가고 싶다는 소망을 품으면서도 할 수 있는 것이라고는, 견디기 힘든 적막감을 유일한 등불 삼아 영혼의 깊은 어둠 속으로 스스로를 침전시키는 것뿐이었다. 다만 겨우 손을 움직일 수 있었기에 눕혀진 채 창밖의 풍경을 손거울에 비추어 보았다.
즉, 깊은 정신의 정적 속으로 생각을 침전시키는 것과, 그리움과 놀라움이 교차하는 외계를 향해 순진한 호기심의 날개를 펼치는 것. 이 두 가지모순(矛盾)된 마음의, 비애로 가득 찬 균형 위에 미우라 아야코 씨의 문학은 구축된다. 찢겨 나가면서도 영혼을 날아오르게 한다. 독자가 자주 작품 속 생생한 풍경 속에서 문득 침묵하는 영혼의 고백을 발견하는 것은 바로 이 때문이다.
한편 이 『호소카와 가라샤 부인』을 논함에 있어 꼭 짚고 넘어가야 할 것이 바로 『시오카리 고개』이다. 여러 의미에서 『호소카와 가라샤 부인』의 선구가 되는 이 작품에서 주인공 나가노 노부오, 그리고 그 모델이 된 나가노 마사오는 자신의 생애를 말해주는 전기적 자료(예컨대 일기, 서간 등) 일체를 이 지상에 남기는 것을 거부하고 장렬한 죽음을 맞이한다.
마찬가지로 메이지 시대 최초로 『소공자』, 『소공녀』 등을 번역한 와카마츠 시즈코 역시 “크리스도의 천한 하인”이라는 말 외에는 일체 무용하다고 유언을 남겼는데, 나가노 노부오는 더욱 절통했다. 승객의 생명을 구하기 위해 자신의 몸을 폭주하는 열차 던져 바쳤다. 그의 생애에 남아있는 확실한 사실은 그것뿐이었다. 해석은 가능하다. 그러나 미우라 아야코 씨는 해석이 아니라 그의 존재 그 자체를 추적했다.
그리고 지금, 이 『호소카와 가라샤 부인』의 여주인공 역시 불타오르는 저택 속에서 그 생애를 마감한다. 자료나 단서가 수북이 쌓여 있는 것처럼 보이는 가라샤이지만, 그 생애의 핵심은 『시오카리 고개』의 주인공과 다를 바 없다. 저자는 그것을 추적한다. 사람은 자신의 자기실현을 위해 움직인다. 더욱 알기 쉽게 말하자면 이해타산(이익과 손해)으로 움직인다. 프로이트의 ‘쾌락·불쾌 원칙’을 파고들면 이렇게 될 것이다. 역사도 마찬가지다.
하지만 호소카와 가라샤 부인의 생애의 핵심은 이것만으로는 설명하기 어렵다. 아마 사학자의 합리적 유효성의 원리로 보면 이상한 생애라고 여겨질 것이다. 성경은 이러한 인간을 “미친 자와 같다”고 표현한다. 이해타산에 따르지 않는, 인간의 가장 인간다운 열정이 자주 역사에 나타나는 모습이라고 할 수 있다. 저자는 언제나 그것을 추구한다.
『호소카와 가라샤 부인』은 이 시점에서 “모든 것을 공리의 관점으로 바라본다면 세상에 존귀한 것은 없다”고 말했던 모리 오가이 역사소설의 정통한 계승자가 되어 있다. 미우라 아야코 씨는 말하자면 아버지 아케치 미츠히데의 최후도, 가라샤의 최후도 똑같이 인간의 이 불조리한 열정이 빚어낸 결과라고 말하는 것이다. 이 열정에 이끌려 ‘역사’의 이해관계를 넘어선, 더 위대한 환영을 본 자의 모습을 그린다.
작품은 먼저 가라샤의 아버지 미츠히데가 당대 축성 및 포술의 일인자이자 차도, 와카, 하이카이(俳諧)부터 화도(꽃꽂이)에까지 능했던 최고급 교양인이라는 점에서부터 이야기를 시작한다. 전란이 끊이지 않던 시대 속에서 인간이 인간답게 살아갈 수 있는가. 또 살아간다면 어떻게 되는가. 그것을 이 미츠히데의 생애를 통해 명확히 보여주는 것이다.
미츠히데의 혼인 과정은 그의 인간다운 열정을 말해주기에 적합하다. 가마를 타고 시집가기 직전, 갑자기 천연두를 앓게 된 츠마키 노리히로의 딸 히로코. 미모는 한순간에 사라진다. 노리히로는 아케치가와의 좋은 인연이 깨질 것을 두려워해 추해진 딸 히로코 대신 여동생을 바꿔치기하려 한다. 그러나 사정을 알게 된 미츠히데는 오히려 기꺼이 추녀가 된 히로코를 맞아들인다.
인간의 아름다움과 추함은 외모에 달린 것이 아니라는 저자의 흔들림 없는 생각이 전해지는 대목이다. 미츠히데는 말한다. “당신은 나의 분신이오.” 그리고 "그대가 병든 것은 곧 내가 병든 것이오. 그대에게 천연두 흉터가 생긴 것은 곧 내 몸에 생긴 것과 다름없소. 결코 부끄러워하지 마시오.” 저자는 직설적으로 ‘사랑’의 빛남을 이처럼 풀어낸다.
사람을 이야기할 때도, 역사를 이야기할 때도 변함이 없다. 근대 이후의 냉소적인 시니컬함에 익숙해진 눈에는 다소 눈부신 광경일 것이다. 그러나 그렇기 때문에 고통을 견디며 최선을 다해 살아가고자 노력하는 사람들의 마음에 한층 더 솔직하게 받아들여지게 되는 것이다.
가라샤가 미츠히데 모반의 여파를 맞아 미토노의 깊은 산속에 유배된다. 저자는 여기서도 직설적으로 허무한 허무관을 말한다. 절망한 그녀의 내면에서 H. 호이베르스는 감상적 무상감과는 다른, 우리나라(일본) 최초의 ‘스토아 철학’적 니힐리즘을 지적한다. 미우라 아야코 씨는 이 철저한 허무관을 멋지게 그려낸다. ‘임종의 자리’에 있던 경험이 있었기에 비로소 가능했을 것이다. 엄한 정적 속에서 바라보던 적막을, 저자는 가라샤 부인의 미토노의 정적 속에서 발견한다.
미우라 아야코 씨는 투병 생활 속에서 『전도서』를 알게 되었다. 무시무시한 말씀과 만나 억장이 무너졌다. 마찬가지로 미우라 아야코 씨가 그리는 가라샤 부인 역시 미토노 유배의 정적 속에서 신비로운 말씀을 알게 된다. 그녀를 시중들던 카요가 말한다. “...여러 고난이 마님께 큰 은총으로 여겨지실 수 있기를...”
이 고난을 떠나가게 해달라는 것이 아니다. 이 고난을 기뻐하고 감사한다는 기도이다. 미우라 아야코 씨는 그 치열했던 ‘임종의 침상’을 견딜 때도 ‘하느님이여, 병을 낫게 하소서’라고 기도하지 않았다고 한다. 그녀가 신앙 고백을 했을 때 옆에 있던 니시무라 히사조가 “하느님이여, 이 하인을 당신의 일에 쓰이게 하소서”라고 기도했다.
그녀가 마음 깊이 경애하는 니시무라 히사조의 이 기도는 이후 그녀의 마음 깊은 곳에 울려 퍼졌다. 후년 암을 앓았던 그녀가 『북국일기』 속에서 “하느님이 주시는 것에 나쁜 것이 있겠는가. 나는 암을 받았고, 그 은혜에 감사한다”고 정결하게 말한다. 이 놀라운 기도는 그 ‘임종의 침상’에서 올렸던 기도에서 한 줄기로 흘러내려 오는 것이다. 그것이 『호소카와 가라샤 부인』의 주제가 되어 선명하게 제시되어 있는 것이다.
처음에 부인은 카요의 기도를 듣고 “데우스(하느님)의 신도 부처도 나는 믿지 않는다”며 냉정하게 말한다. 그러나 마음은 깊이 흔들리고 있다. 훗날 그렇게 말했던 그녀가 “주여. 바라건대 순교자의 영관(栄冠)과 행복을 우리에게 주소서”라고 기도하는 사람들의 무리 속으로 몸을 던지게 된다. 인간의 운명을 열고 역사를 바꾼다. 이 부조리한 드라마가 이처럼 펼쳐진다. 미우라 아야코 씨의 ‘역사소설’은 그것을 전하고자 한다.
이러한 가라샤 부인의 생애는, 천하인이 되어 이 지상의 부귀영화와 화려함을 극에 달했던 타이코 히데요시가 다음과 같이 읊은 유명한 세상을 떠나는 시(辭世の歌)와 선명하게 대치된다.
"이슬처럼 떨어져 이슬처럼 사라지는 내 몸이여, 나니화(浪華-오사카)의 일도 꿈속의 또 꿈이로다."
가라샤 부인은 노래한다.
"지고 떨어져야 할 때를 알기에 비로소 세상의 꽃도 꽃이요, 사람도 사람이라네."
어떠한 전국시대 무장이나 영웅의 영광보다도 빛나고 풍요롭다. 말할 것도 없이 여기서 말하는 ‘때를 안다’는 미우라 아야코 씨를 신앙으로 이끈 『전도서』의 계절이다. “천하 만사에 다 때가 있다”고 한다. 그것이 이 가라샤 부인의 생애에 겹쳐져 있음을 깨달아야 할 것이다.
"날 때가 있고 죽을 때가 있으며 (중략) 사랑할 때가 있고 미워할 때가 있나니..."
라는 아름다운 말씀이 이어진다. 그 때를 아는 것이 한 송이 꽃조차 영화를 누린 솔로몬보다 아름답듯, 사람 역시 인간다운 것이라고 호소카와 가라샤 부인에게 고하게 하는 것이다.
모리타 소헤이가 염문을 뿌렸던 연애 사건의 상대 히라츠카 라이초를 ‘새로운 여성’으로 그린 『매연』은, 그 라이초를 은밀히 호소카와 가라샤 부인에 비유한 작품일 것이다. 또한 아쿠타가와 류노스케는 암벽처럼 아름다운 미술품 같은 호소카와 가라샤를 『이토죠 오보에가키(糸女覚え書)』에서 썼다. C. S. 루이스는 1차 세계대전 이후의 모든 사상과 운동에 공통된 점은 인간다운, 어떤 영원한 것에 대한 동경(憧憬-향수)의 감정을 부정하는 것이었다고 말한다.
미우라 아야코 씨가 그린 가라샤는 그저 ‘새로운 여성’에 머무르지 않고, 영원한 것에 대한 그리움의 감정을 풍부하게 살아낸 인간다운 여성이다. 독자는 그렇기에 화염 속으로 사라진 그녀의 생애를 미술품처럼 감상하고 찬미하는 데 그치지 않고, 다함 없는 애정의 마음과 ‘지금 시대를 살아가는 나의 문제’를 통절히 생각하며 이 작품을 읽어 마치게 될 것이다.
덧붙여 이 작품의 자료 수집 비화는 같은 저자의 에세이 『첫 역사소설 이런저런 이야기』(작품집 18권 수록)에 자세히 나와 있다.
(1986년 2월, 관서학원대학 교수)
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 闇からの声 14-1
聖母マリヤがイエズスをそのふっくらとした腕に抱いた絵を見上げながら、徳川家康が言った。「いや、この学校は大したものでござるのう、惟任殿」安土キリスト神学校の三階の一室である。神学校に案内した光秀と、客の家康、穴山梅雪の三人が、椅子に腰をおろして休憩していた。
開け放たれた窓から、琵琶湖の水を渡ってくる五月の風が涼しい。青い湖の一ところに、 雲の影が大きく映っている。その雲をみながら、光秀は森蘭丸の顔を思い浮かべた。家康は昨、五月十二日、穴山梅雪と共に安土に来た。武田征討の恩賞として、駿河一国をきようおうやく賜った返礼のためである。その饗応役に光秀が任ぜられた。
「家康を、おれと思って馳走せよ」信長が命じた。光秀は家康のために、堺や京から、器や食物をとりよせた。その豪華な器を見て、森蘭丸が、「惟任殿。これでは、上なき方への御饗応同然ではござりませぬか。徳川殿は帝ではござりますまい」ㅈと賢し気に詰った。
信長はそれを聞き咎め、「わしと思って馳走せよと命じたのじゃ。これでよい。光秀、御苦労」と、珍しく蘭丸をたしなめ、光秀をねぎらった。蘭丸は片頬に冷たい微笑を浮かべて、光秀をみつめた。信長の寵に思い上がった蘭丸を、思うともなく思いながら、光秀は家康に丁重に答えた。
「安土城といい、この神学校といい、殿もお気に召しておられる」「安土城はもとよりのことでござるが、この神学校のオルガンやヴィオール(ヴァイオリンの前身)には驚き入り申した」階下からは、今もオルガンに合わせて歌う生徒達の清澄な歌声がひびいている。
「おほめにあずかってありがたい。三河殿、右府殿も御地で富士の山を生まれて初めて見物なされ、甚だお気に召された様子」「ああ、あれは日本一の山じゃが、しかし、人のつくったものではござらぬ。それに引きかえ、この安土城も神学校も人のつくったもの、さすがは織田殿と感服仕った」
従者たちは一階の会堂で待っている。洋服を着たザンギリ頭の少年が菓子を運んできた。 「ほう、これは何という菓子でござるか」梅雪が声を上げた。「カステーラと申す菓子でござる」「これがカステーラのう」家康が言った。「は、ポルトガル語とか聞いて居ります。何でも西洋の国の名とか」「国の名と?」
「は、イースパニヤという国を、ポルトガル語でカステーラと呼ぶそうにござりまする」「ほほう、イースパニヤがカステーラ。しかし国の名が菓子になって食われてしまうとは…これまた驚き入った話でござるのう」また少年が入ってきた。お茶を運んできたのである。少年が去ると、家康がいった。
信長殿ほどのお方に仕えるのは、まことに幸せなこと、しかしご苦労も多くあられようのう」「いや、仕える者共より、殿にご苦労が多かろうかと存ずる」光秀は慎重に答えた。家康は信長の盟友だが、家臣の如く信長に忠実である。が、一方の雄なのだ。しかも、腹の底のわからぬ傑物でもある。
つやつやと血色のよい家康をみつめながら、(たしか、この男は四十一歳のはずだ) と光秀は思った。この間の戦いで、武田勝頼の首が届けられた時、信長はその首を足蹴にし、「ふん、この若造奴! これが多年の悪業の報いよ!」と罵った。
しかし家康の所にその首が届けられた時のことを、光秀は聞いている。家康は、勝頼の首を台の上にうやうやしく置き、その場に平伏して、「お若いのに・・・さぞご苦労の多いことでござりましたろう」と、霊を慰めたという。この様子を見て、もと武田の家臣であったものたちは、涙をこらえ得ずに泣きふし、家康に深い敬意を持ったとも聞いた。
四十一歳の若さと、この深慮では、どれほど伸びる人間かわからぬと光秀は思った。信長の第一の味方であると同時に、最大の敵でもある。うかつな答えはできない。 「のう惟任殿、信長殿は実に英雄というにふさわしいお方じゃ。ところで信長殿のご趣味の第一は、無論茶でござったな」
「は、ご存じのとおり、特に茶道具へのご造詣は深うござる」光秀の言葉に、家康はかすかに笑った。それは、あまりにもかすかな笑いであった。家康は、信長の名器への傾倒を、内心感心してはいない。松永久秀が信長にそむいたそもそもの発端は、久秀秘蔵の茶入れを強要したからだという風評さえあった。
だから久秀は、信長の最も欲していた平蜘蛛の釜を城の上から落して打ち砕き、最期を遂げたとも聞いている。が、信長はいよいよ茶の名器に執心しいとその富と権力によって茶道具を狩り集めていた。 茶入九十九髪、松島の茶壺、天下一の初花肩衝など、家康にもすぐに思い浮かぶほどの
名器を、数え切れぬほど信長は持っている。
無論、それらの名器は、茶の湯の席にも披露し、武功のある将への恩賞にも与えていて、もらった者はそれを無上の名誉とした。つまり信長は、茶の湯を政治の道具としたのである。それ故に、家康は今、光秀の、「特に茶道具への造詣も深い」といった言葉に微妙な響きを感じもしたのである。
「茶の湯に次いでは、鷹狩りでござるか」梅雪が尋ねた。「さよう。しかし近頃は鷹狩りよりも、名馬、名剣に心を寄せておられる」「おう、名馬と申せば、昨年の京の御馬揃えの見事さは、今もなお日本中の語り草になってござる。たしか、あの時奉行なされたは、惟任殿。惟任殿のなさることは、万事そつがない。惟任殿がおられて、右府殿はどれほど助かっておられることか」
家康の言葉には、真実がこもっていた。武田征討のあと、故もなく信長に打擲された光秀を家康も見ている。しかも、正月光秀のみが軍議にあずかったことも、多年のその働きも家康は知っている。その光秀が武田征討で何の恩賞にもあずからず、こうして自分への接待に心をつかっている。その懸命な光秀の姿は痛々しいほどだ。
自分より十六も年長の、五十余万石の大身とは思われぬ心のくだきようを、家康は身に沁みている。のちに、光秀の死後、家康は光秀の槍を家臣水野勝成に与えて、「よいか。これは惟任殿の用いし槍ぞ。生涯大事にして、惟任殿にあやかれよ」と言ったという。光秀にあやかれとは、無論「主の自分を殺せ」ということではない。家康は光秀の人物を大きく評価し、その人物に「あやかれ」と言ったのである。
それほどであったから、この時光秀に言った家康の言葉には真実がこもっていた。家康にしてみれば、自分は信長に、長子信康を殺されており、同様光秀もその義母を殺されているという、親近感があった。自分も光秀も、共にその事実に耐えてきた。そして、この光秀は、自分より更に多くを耐えて行かねばならぬ。家康には光秀の大変さを思いやる器量があった。
「織田殿は、この神学校の建立なども許可されて、キリシタンを厚く庇護されていられるが、 御自身は信者にはなられぬのかのう」カステーラを食べ終った梅雪が、椅子より立って窓辺に立ちながら、誰へともなくいった。「右府殿は、ご自分の目で確かめられぬものを信じることは、決してなさらぬのでは・・・」
「なるほど。自分の目で確かめられぬものはのう。神も仏も信じなさらぬとは強いお方じゃ。のう、三河殿」「全くじゃ。わしなど、神でも仏でも絶縋りたくなることが間々ある。惟任殿はいかがじゃ」 「わたしも、殿のようにはなれませぬて。殿はご自身を神となさっておられまするが・・・」 「何と、よい景色じゃのう」穴山梅雪は、その小肥りの体を、窓辺から椅子に返した。
梅雪は、ついこの間まで、長年の敵であった織田の領地にきて、落ちつかないのだ。家康にも、真実心を許しているわけではない。働か何百かの供を連れて、無事に帰国できるかどうか、妙に胸さわぎがする。昨日から梅雪は、脈絡もなく話題を呈し、また、話の腰を折ってしまう。(不幸にして、梅雪のこの予感は当り、この日より二十日を経ずして、帰国の途中一揆のために殺されている)
その梅雪とは対照的に、家康はわが家に在るように終始おだやかに落ちついていた。「楠正成の旗には・・・」梅雪が言いかけて口を閉じた。光秀は梅雪が何を言わんとしたかを察したが、「あの向うに見ゆるが、比叡でござる」といった。楠正成の旗には、「非理法権天」と書かれてあったと聞いている。
非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ意であるという。梅雪は、信長がおのれを神としていると聞き、「権は天に勝たず」の言葉を思い浮かべたのであろう。家康もそれと察したが、さりげなく、「備中の羽柴殿はご活躍よのう、惟任殿」といった。「は、苦労しておられる」答えたが、光秀は愉快ではなかった。
光秀は秀吉より早く城主となり、万事重んじられていたが、最近の信長の様子は明らかに変っている。この月のはじめ、四国の長宗我部氏征討が決まった。長宗我部氏は光秀の縁者である。光秀の甥斎藤利三の娘を娶っている。その縁によって、七年前の天正三年、長宗我部元親は自分の長子に、信長から誰をもらっている。
信長は、自分の信の字を一字与えて、信親と命名した。そしてその折、信長は長宗我部氏に、「四国はまかせる。手柄次第切り取るがよい」と手紙をやっている。また、長宗我部氏は一昨年の六月二十四日には、光秀を通して、十六連の鷹と三千斤の砂糖を信長に贈った。砂糖は疲労回復剤として使われている貴重な薬である。
こうして信長に随順していた長宗我部氏に対して、信長は「切り取り次第」という約束を忘れたかのように、土佐、阿波以外は、やることはできぬと、光秀にいわせた。仲介者の光秀は甚だしく困惑した。既に讃岐、伊予を攻略し終っていた長宗我部氏は、 「約束がちがう!」と烈火の如く激怒した。
四国は長宗我部氏と三好氏の対立が激しかった。三好氏も信長に自国の阿波を回復したい旨訴えていた。次第に勢力の強くなった長宗我部氏を嫌った信長は、三好氏を援け、遂に長宗我部氏を征討することに決めた。この三好氏は、秀吉の縁者で、秀吉が支援していた。
この事にも、信長の気持が明らかに、自分より秀吉に傾いていることを、光秀は思い知らされた。秀吉という名を聞くだけで、光秀は自分の足をすくわれているような不安と、不快を覚えるのだ。その光秀の心情を知悉した上で、家康は言った。
「羽柴殿は、たとえ戦さに勝っても、備中は要らぬ、朝鮮を賜りたいと申されたとか・・・」「その話は、わたしも聞いた。羽柴殿は羨ましいお方じゃ」梅雪が身を乗り出すようにして、円テーブルにひじをついた。茶碗がかたりと揺らいだ。光秀は黙したまま微笑し、手を叩いて次室に控えている少年を呼んだ。少女のように豊かな頬の少年が入ってきた。
「ご用でござりまするか」「牛の乳を」「かしこまりましてござりまする」少年は静かに頭を下げて出て行った。「羽柴殿で思い出したが、四国の長宗我部氏も、この度は・・・」またしても言いかけて穴山梅雪は口をつぐんだ。光秀との関わりを梅雪も知っている。家康がしみじみと言った。
「おお、長宗我部殿は、強いばかりではない。賢い男じゃ。わたしとも親しい男でのう」光秀は答えようがない。今、信長が征討しようとする相手を、客人の家康はほめてよいのであろうか。光秀の縁者としての儀礼で、ほめているのであろうか。光秀は家康の真意を計りかねた。
つづいて家康が言った。「織田殿も、三好氏を援けようか、長宗我部氏を助けようか、辛いところであられたのう。味方としたい相手と戦うのは辛いことじゃ。辛いと言えば、惟任殿の母上の時も、愚息信康の切腹の時も、織田殿はどれほど辛い思いをなされたことか」
光秀は内心驚いて家康を見た。人質であった光秀の母が死んだのは、いわば信長に殺されたも同然であった。家康の長子信康に詰腹切らせたのは、無論信長である。家康の言葉を裏返せば、 (お互い、信長には辛い目に遭わされているものだな。四国の長宗我部征討も、さぞ口惜しいことであろう)と言っているのだ。
何のために、この男は自分の腹の中を見せるのか。いや、見せているようで、その真意はわからない。(わしからどんな答えを引き出そうとしているのか)まさか寝返りの誘いではあるまい。何かの布石ではあるにしても・・・。そう思いながら光秀は、「戦国の世のならいなれば」と笑った。
家康はおだやかに、 「その戦国の世も、備中の戦さで終ることでござろう。織田殿の天下統一は成ったも同然、 めでたいことじゃ」と答えた。家康は今夜はまた、信長との宴がある。城に近い神学校に家康を案内したひる下がりのこの一とき、光秀は思いがけなく深い疲れを感じた。
この翌日、備中の羽柴秀吉より、信長直々援軍をと懇請があり、光秀もまた出陣を命じられた。俄かに家康接待の役を免ぜられ、出陣することになった光秀が、家康と梅雪に挨拶に行った。「惟任殿、名残り惜しゅうござるのう。今しばらく毎日惟任殿と語らうことのできるを、楽しみにしておったが」
饗応役を俄かに変更する信長の非礼を、家康は口には出さなかった。が、京や堺からの珍味の数々にこめられた光秀の心に、家康は並々ならぬものを感じていた。それだけに、客人の自分を他にまかせて、出陣しなければならぬ光秀に同情もしているようであった。家康は別れぎわに一言いった。
「惟任殿、毛利方には義昭将軍が居られるのう」光秀は、はっと家康を見たが、その目は静かに笑っていて、何を語っているか、探りがたかった。馬を駆って安土から坂本城に帰った光秀は、居室に入って、ごろりと横になった。じっとりと暑い夕暮である。妻の熈子が静かに傍らに坐った。
「殿、徳川様は、もうお帰りになられましたか」「いや、まだ安土におられる」「では、どうして・・・」「饗応役は御免になった」「ま、御免に!!なぜ、なぜでござります。ご接待のために、殿は京に堺にと、高価な買物をたくさんなされ心をつくして、ご準備遊ばしましたのに」
「出陣じゃ」「ま、では、やっぱり四国に」「四国ならば、文句はない。が、備中じゃ」「え、備中に? では、では、羽柴様の・・・」「うむ、羽柴殿の手伝いじゃ。殿のお供でな」光秀は自嘲した。「ま、それなら何も、わざわざ殿がご出陣遊ばすことはござりますまいに」
信長に従っての出陣だから、秀吉の配下になるわけではない。が、総大将の秀吉とは同格にならない。それが光秀には耐えがたい。「四国ならば、ともかく・・・」「さようでござります。もともと殿は、右府様と長宗我部様との仲に立っておられました故、四国征討の総大将は殿に決まっておりますものを・・・」
「うむ、それが今までの慣わしであったが・・・殿はその慣わしを破られて、信孝殿を総大将となされたわ」「・・・」「ならば、せめて副大将として、わしをつかわして下さるがよい。それも丹羽長秀殿を一躍用いられた」「なぜでござりましょう」当時は、仲介者が戦場にもさし向けられ、最後までとりしきるのが通例であった。信長はそれを無視した。
ということは光秀を無視したことであった。いわば、光秀の面目はまるつぶれとなったのである。「わしにもわからぬ。殿には、わしをもはや総大将の器とは思われなんだか・・・・・・。羽柴殿の風下に立つが似つかわしいと思われてか」と、そこに初之助が次の間からあわただしく声をかけた。
「そのようなことはござりませぬ。右府様は何か、別にお考えあってのことと存じまする」「殿! 安土より御使者が参られました」「なに! 安土より?」きがあわてて光秀は起き上がった。急ぎ着更えて客殿に向うと、客殿に上使が立っていた。光秀は次の間にひれふして、信長よりの伝言を聞いた。「出雲、石見の二国を与えてとらす」上使は低い声であった。
「はっ?」出雲、石見はだだ敵の毛利の所領ではないか。光秀はけげんな面持で上使を見た。上使は落ち着きなく視線を泳がせ、「因幡、伯耆、出雲を平定せよ。然るのち… 出雲、石見の二国を与える」「ははっ、ありがとう存じまする」答えながら、光秀はすばやく、平定に要する年月は一年半、いや二年かも知れぬとふんだ。
二年あとのことでも、加増の約束は流石に心が躍った。近江、丹波を合わせて五十余万石の光秀は、八十万石の大身となる。喜色を浮かべた光秀に、上使は口ごもるように、「その代り、近江と丹波は・・・召し上げる」「な、何?何と? 近江と丹波を」光秀の顔色がさっと変った。
信長の命を伝えると、上使はそそくさと帰って行った。(近江と丹波を召し上げる?) 光秀は呆然とした。(何のために?) 森蘭丸が、坂本をほしいと信長に訴えたという噂を、光秀は思い出した。 (あの小童にやるためにか!) 福祉行政の元祖は光秀といわれるほど、光秀は領民に心をかけていた。
福知山の四百年にわたる御霊祭は、光秀の死後、その二年の善政を記念して始まった祭だという。丹波、近江の領民にかける光秀の愛は、今、信長の手でぷつりと断ち切られたのだ。 (それほどまでに、殿はわしを憎いのか) しばし凝然と正座していた光秀は、やがて、蹌跟として、三階に上がって行った。
人気のない、うす暗い三階の廻廊に立って、光秀は坂本城下を見おろした。この城を自分が築城し、焼けあとのこの街を自分が広げて行ったのだ。築城した頃の、あの張りのある喜びの日々が思い出される。城の庭に遊んだ自分たち一家の姿が目に浮かぶ。 やさしい母、かしこい妻、愛らしかった倫、そして玉子、十五郎など・・・。
が、それも遠い過去のこととなった。やがてこの城に、まだ十七歳の森蘭丸が、わがもの顔に振舞う日がくるのかと思うと、呆然としていた光秀の心は、ふいにたぎった。 (うぬ!) それは、蘭丸にとも信長にとも知り得ぬ怒りであった。右をみると、琵琶湖に夕あかねが濃く映っている。血を流したような無気味な赤だ。
この近江、丹波を取り上げられては、たった今、出雲、石見など与えられたとて、何の嬉しいことがあろう。光秀は、亀山城か坂本城で静かに一生を終えたかった。(あの秀吉奴には、どんなに輝かしい恩賞が待っていることか) へたへたと廻廊にすわりこみたいような、深い絶望とむなしさであった。と、光秀は誰かの声を背後に聞いたような気がした。
再び声がした。「信長を倒すがよい」今度は、はっきりと聞えた。驚いて光秀はふり返った。誰もいない。うす暗い部屋がそこにあるばかりだ。気のせいかと思った時、三度部屋の中で声がした。「信長を倒すがよい」どこかで聞いた声である。光秀はぞっとして、夕やみの部屋を透かしてみた。誰もいない。
「誰だ。出てこい」返事はない。部屋の中に一歩踏みこんで、光秀は、はっとした。「三淵殿だ!」そうだ、今の声はまぎれもなく亡き三淵藤英の声だ。光秀は恐れよりも懐かしさを感じた。三淵藤英は、細川藤孝の兄で、将軍義昭の臣であった。義昭追放後、信長は藤英をしばらく坂本城に軟禁させておいた。
細川藤孝の兄でもあるし、一命は助けるといっていたのだが、信長はある日、突如藤英に切腹を命じてきた。将軍義昭と内通の疑いありという罪状である。藤英に、その切腹の沙汰を伝えた時の苦渋を、光秀は八年後の今も、ありありと思い浮かべることができる。「弟藤孝だけは、何とか生きのびてほしい。
長い間お世話になった」藤英は、切腹の命を聞いて、淡々と挨拶した。おだやかな表情であった。その藤英の声が、「信長を倒すがよい」といったのだ。気がつくと、その座敷は、曾て藤英の切腹した部屋であった。「三淵殿」今の声が藤英とわかって、光秀の恐れは全く去った。
「信長を倒せといわれるのか、藤英殿」部屋の真ん中にどっかと坐って、光秀はつぶやいた。何の応えもない。庭の木で鳥が短く一声啼いただけである。(近江、丹波を召し上げられるのは、ていのよい追放じゃ) 追放ならば一層のこと、佐久間父子のように、高野山にでも追いやられたほうがよい。
それとも、近江、丹波を召し上げれば、必死に働くとでも思うての処置であろうか。(この光秀、領地を召し上げられねば、必死に働かぬ男と殿は思うてか) 今まで、一度たりとも真剣に戦わぬことがあったであろうか。たとえ、家康の接待にしても、わしは真実こめて事に当った。わしは手ぬきのできぬ気性なのだ。
(出雲、石見は切りとり次第といっても、切りとった暁には、また召し上げられぬとも限らぬ) この丹波にしても、平定二年にして召し上げられた。四国の長宗我部も、「切りとり次第に与える」との約束を反古にされ、今征討されようとしているのではないか。
(出雲、石見を平定しても・・・あの秀吉奴が、わしを討ちにやってくるかも知れぬ) 信長は、わしが邪魔になってきたのだ。信長は邪魔な者、用のない者を冷酷に捨てる男だ。いや、おのれに随順する者の肉親すら、平気で殺す男だ。家康の長子信康も、細川藤孝の兄藤英も、わしの母も、みんな信長に殺された。
みんな心の奥に、信長への恨みを持って生きている。ただ、誰も信長に逆らえぬだけだ。なぜだ。それは信長が恐ろしいからだ。信長に敵対した本願寺の信徒たちも、一向の一揆も、将軍義昭も、そして松永久秀、荒木村重、すべてが亡びた。
ふっと、今日聞いた徳川家康の言葉がよみがえった。「毛利方には、将軍義昭様がおられるのう」なぜ、家康はあんなことを言ったのか。備中の秀吉を援けることは、即ち将軍を亡ぼすことだと言ったのか。お前はやはり、もとの主の将軍に敵対するのかと言ったのか。(あの男、一体何が言いたくて、あのようなことを言ったのだ)
家康という男、腹の底がわからぬ。誠実で柔和で謙遜で、忍耐強い。が、不透明だ。(義昭将軍といえば・・・ことしの正月に妙な夢を見た) 光秀は思い出した。暗闇の中で、ぼんやりと見える人影に刀を抜こうとした時、人影が言った。「わしを斬れるか、十兵衛」その人影が義昭将軍だった。
その夢が醒めた時、(もし、わしが天下をとっていたら、将軍を今のみじめな境遇にはおかぬ)と思ったことだった。脈絡もなく、グレゴリオ聖歌が耳の底にひびいた。昨日神学校で聞いた歌だ。そのグレゴリオ聖歌の荘重なひびきの中に、「お父上様、一体誰を人質になさるのですか」玉子の声がした。
光秀は疲れていた。頭をふり払うようにして、光秀は立ち上がった。「とにかく、もはや無禄なのだ。無禄の者が、一体どうして食べ、どうして戦えるというのだ!」再び光秀は、へたへたとその場にすわりこんだ。(無禄の者に戦えと、殿はいうのか。何を食って戦えというのか) 結局はやはり追放ということではないか。
グレゴリオ聖歌は疾うに消えていた。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」燃えさかる炎・・・。その炎の中から、朗々とした快川和尚の声が聞える。「和尚は腹が減っても戦さはできると申すのか」 光秀は、快川和尚に抗うようにつぶやいた。
(追放!) 故もなく、幾度も自分を打ち据えた時の、信長の憤怒の形相が大きく目に浮かぶ。その時、四度うしろで声がした。「信長を倒すがよい」光秀は目を宙に据えたまま、振り返りもせずに独白した。「むなしい」信長を倒したとて、結局はいつかは自分も死ぬのだ。
光秀は今の今まで懸命に生きてきた。 しかしその人生が、いいようもなくむなしく思われた。懸命に生きてきた自分の人生を、信長に一蹴されたのだ。(何のために命をかけてきたのか) 低く笑って光秀はうなだれた。長い初夏の日も、もうとっぷりと暮れている。
働きに働いた末に得たものが、領国召し上げという結果とは・・・。「これが、わしの長年の働きへの恩賞ぞ」つぶやいた光秀は、再び低く笑った。その笑いが、次第に大きくなり、そしてふいに絶えた。あとには夜のしじまだけがあった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-1
外は梅雨の名残りの雨が降っている。蛙の声の賑やかな夜である。忠興は、玉子の膝を枕として、静かに目をつむっていた。濃い眉である。若さの漲った額が広い。玉子はやさしく忠興の顔を眺めながら、ふと、一色義有に嫁いだ忠興の妹の伊也を思った。忠興の形のよい口もとが伊也に似ていた。
忠興がすっと目を開けた。大きな目だ。平生は精悍な、激しい目だが、玉子の膝にあっては、おだやかなまなざしである。「何を考えている?」玉子の白いあごに、忠興は手をのばした。「伊也さまのこと」「・・・伊也か」忠興はやさしくいって腕を組んだ。「一色さまとは、お仲がよろしいとか」「うむ、・・・が、わしとそなたほどではあるまい」「ま、それは」
笑って玉子は、「殿はいま、何をお考え遊ばしていられました?」と忠興の頬を両手にはさんだ。「わしか。わしはあの朱い無気味な星のことを考えていた」「ああ、この春にあらわれた、尾の長い朱い星のことでござりましたか」「うむ、天地に異変が起きる凶兆だそうな」
「殿、星とは何でござりましょう」「ある異国では、死んだ者の魂だといっているそうな。高山右近殿が申していた」右近の名を聞いて、玉子ははっと頬のほてる思いがした。が、さり気なく、「あの青い光は、ほんにそのようにも思われます。お祖母さまも星になられましたやら」
忠興の祖母が五月十九日に死んで、半月もたたない。「うむ、星になられたかのう、祖母さまも」「幼な子は小さな星、大人は大きな星になるのかも知れませぬ」「いや、強い武将は大きな星に、弱い奴は小さな星くずになるのじゃ」「では、殿は、大きな大きな星になりましょうほどに・・・」
「愛らしいことをいうぞ、お玉は」その気性の激しさ、果敢な戦闘ぶりは、信長の若い頃と酷似していて、信長の落胤だという噂さえある忠興である。「殿は、右府殿より強くなられると、玉はいつも思っております」「右府殿より?」「はい、殿は今、二十でござりましょう? まだまだ強くなられます」「うむ」満足そうにうなずく忠興のたくましい腕が、灯に光っている。
「だがのう、あの朱い星は何の前兆であったのか、今宵は妙に気にかかる」「本当に星が何かのしらせを致しますのやら・・・」「玉! まさか、右府殿に何か起きるわけでもあるまいの」「ご出陣を前に、不吉なことを仰せられますな。右府様の上に、異変が起きる筈はござりませぬ。殿、もしやあの星は、毛利家滅亡のしるしかも知れませぬ」
忠興は明日、二千の兵をひきいて、但馬街道を中国高松に向うのだ。部屋の中に、香の匂いがふくいくと漂っていた。出陣毎に、玉子は忠興のよろい、かぶとに香をたきしめる。「なるほど、毛利滅亡のしるしか。そうか、よいことを言ってくれたぞ、お玉」
忠興と同年の玉子は、ともすれば忠興よりも落ちついて、遥かに年上のような表情を見せる。「ご無事でお帰りなさりませ」「帰らいでか。お玉を置いては、わしは決して死なぬぞ。わしが死んで、お玉が他に嫁ぐことなどあっては、わしは死んでも死にきれぬ」忠興は起き上がって、ひたと玉子を見た。
「殿はお強い。わたくしより、ずっと長生きなされます」あまりに真剣な忠興のまなざしに、玉子は幼な子をあやすようにやさしく言った。「いや、わからぬ。お玉、それはわからぬぞ。もし万一、わしが討死した時に、そなたはどうするつもりじゃ。他の男に嫁ぐのか」「嫁ぎませぬ」
「と、今はいっても、それはわからぬ。そなたの姉上お倫殿は、荒木殿より帰って来て、弥平次殿に嫁いだではないか」「でも、玉は嫁ぎませぬ」「しかとさようか。もし明智殿が嫁げといわれれば、親の命じゃ。親の命は拒めまい。やはり嫁ぐことになるであろう」
「いいえ、嫁ぎませぬ。忠興様とのお約束故嫁がぬと申します」「そうはいくまい、お玉。この乱世では、誰と縁組みさせられるやら、わからぬのだ。そなたが他の男に抱かれるなど、思っただけでも胸がたぎるわ」忠興はぐいと玉子を胸に抱きよせた。「よいか、どこにも嫁いではならぬぞ」「嫁ぎませぬとも」
今まで二人の間に、幾度か交わされた言葉だった。玉子は誓いながら微笑した。「お玉、そなたは、なぜこのように美しく生まれたのじゃ」「・・・」「そなたを見て、心のうずかぬ男はあるまい」いらだたし気に忠興はいい、玉子の白い首筋に唇を当てた。快い戦慄に、玉子の肩がひくっと動いた。
「強い殿御は、そのようなことを、おっしゃるものではござりませぬ」「わしに、このようなことを言わせるそなたが憎いわ」玉子の顔をさしのぞき、忠興は満足そうに笑って、「よい子を産めよ」と、玉子の腹部にそっと手をやった。並外れて嫉妬ぶかく、立腹すると、異常なまでにいきり立つが、根はやさしい忠興の気性を、今はもう玉子はよくのみこんでいた。やさしい時はいいようもなくやさしいのだ。
「はい、殿に似た強くてやさしいお子を」「うむ、体をいたわるがよいぞ」「はい」「わしは死なね。手柄を立てて帰ってくるぞ。右近殿にもわしは負けを取らぬ」備中の秀吉を助ける明智光秀の組下には、高槻の高山右近をはじめ、摂州茨木の中川清秀、和州郡山の筒井順慶、兵庫の池田恒興、そして丹後の細川忠興があった。
「おや!」「何だ」「蛙の声がピタリと止みました」さわがしい蛙の声が不意に途切れた。深いしじまである。玉子はふと怯えた顔を見せた。 が、すぐにどこかで一匹が鳴きはじめた。つづいて、三つ、四つ声が起った。と思う間に再びさわがしい蛙の声になった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-2
どれほど眠ったことだろう。玉子は、廊下を走るあわただしい足音に、はっと目をさました。「何事だ!」傍らの忠興は、既に床から身を起していた。「殿、殿!」ふすまの開く音が聞え、次の間に河喜多石見の声がした。「何だ」「大殿が火急のお召しにござります」「何? 父上が?」「は、表書院にお待ちになって居られます」
平生は八幡城にいる藤孝が、忠興出陣と聞いて、昨日からこの大窪城に泊っている。「すぐ伺うと言え」「かしこまりました」再び廊下を走る足音を聞きながら、忠興は玉子の灯した灯りをじっとみつめた。「何事でござりましょう」玉子がさし出した着更えに、忠興は吾に返って、きびきびと無言で身につけた。
「何事でござりましょう」再びいう玉子に、「うむ・・・何事であろう。ま、何事であろうとも、お玉は案ぜぬがよい」忠興の、その寝足らぬ血走った眼が、静かに笑った。うす暗い廊下を急ぎながら、忠興は奥歯をぎりぎりと噛みしめていた。
(この未明に、何事ぞ!!) 書院に入ると、腕組みをした藤孝の苦渋に満ちた顔が正面にあった。差し向っての男は、 早足で知られる早田道鬼斎である。道鬼斎は、藤孝の家臣米田求政の家人である。米田は藤孝の使いで、京の信長のもとに行っている筈で、道鬼斎も同道した。
「道鬼斎! 京から何か変事の知らせでも持って参ったか」忠興は父への挨拶も忘れて、道鬼斎に声をかけた。「はっ」道鬼斎は一礼して、じっと忠興を見上げ、その視線を藤孝にうつした。「父上」「うむ」藤孝の唇がひくひくと動き、何かいいかけた時、あわただしく入って来たのは、忠興の弟傾五郎興元であった。
「父上、これは、一大事と見えまするな」興元は忠興より少し下がって坐った。一見、兄の忠興より年長に見える。「うむ、忠興、頓五郎、落ちついてよく聞くのだ。驚くではないぞ」藤孝はあえぐように、一息ついて、「信長殿が、二日未明、本能寺でお果てなされた」語尾がかすれた。
「えっ!? 信長殿がお果てなされた? そ、それはまことでござるか」 忠興の顔色がさっと変った。興元も驚愕して、「それはまた、どうして」「急病ではありませぬな、父上」「とすると、誰かの手に・・・」「それが・・・」苦しげに目をつむり、藤孝は首を横に振った。「それが? 誰の手に?」異口同音に忠興と興元は詰めよる。
藤孝は目を開き、ふところから、よれよれの紙を数枚とり出した。一目して、小よりによって持ち来った密書と知れた。米田求政からの密書であった。忠興は奪うようにその紙を受けとり、灯に近づけて読みはじめた。その上からかぶさるように興元が共に読む。
「げっ!? 惟任殿が・・・ こ、これはまことか」忠興の手がうちふるえた。「まことにござりまする」見守る道鬼斎の目が鋭かった。「・・・なに、本能寺は火炎に包まれ・・・とな」「二万の明智軍に囲まれては、流石の殿も・・・」「京は上を下への騒ぎにて・・・」ところどころを口に出しつつ、二人は密書を読み終えた。
「あ、あの殿が、あの殿が、事もあろうに、わが舅御惟任殿の手にお果てになったとは・・・」がっくりと忠興は肩を落した。真の父子かと噂されたほどに、信長に目をかけられた忠興である。
「思いもよらぬ一大事じゃ。だが、落胆狼狽している時ではない。しかと肚を据えてかからねばならぬぞ。よいか、忠興、頓五郎」藤孝の声に、興元は落ちつき、「道鬼斎、詳細はこの道鬼斎に尋ねよとの米田の手紙。道鬼斎、そちの見たること、聞きたること、詳細に話してくれぬか」
「は、順を追うて申し上げまする。・・・実は、それがし、いつもの如く米田様のお供をして京に上りましたるは、六月一日のこと」「何のために京に行った」興元の言葉に、藤孝がいった。
「米田を京に遣わしたは、わしじゃ。米田は次男坊が十如院に入堂とのことで、京に出る用があった。わしは、信長殿ご入京に、佐久間甚九郎が勘気御免となって供をしていると聞いた故、慶賀の使者に、これ幸いと米田を遣わしたのじゃ」
「そして、相国寺門前の米田様の邸にて、本能寺の変を伺いました」光秀の軍が本能寺をかこんだ様子を道鬼斎は述べた。「ふむ、で、京の様子は」「は、・・・上を下への騒ぎながら、惟任様の天下様を早くも喜ぶ者もあり・・・」「惟任様の天下様か・・・」藤孝はつぶやいた。
「しかし、信じられぬ。あの殿が死なれたとは・・・」忠興は頭を横に振った。興元はその忠興にはかまわず、「道鬼斎、して、惟任殿は」「はい、二日は坂本城に、三日は安土に赴かれるとか伺いましたが」藤孝はうなずいて、「そうか、安土に向われたか。道鬼斎、ご苦労であった。下がって休むがよい。
京よりここまでの韋駄天走り、さぞ疲れたことであろう」道鬼斎が去ると、三人は黙然と顔を見合わせた。しばらくの後、太い吐息を洩らして口をきったのは忠興である。「舅御は、大それたことを仕出かしてくれたものよ」
「いかにも。我らが信長公に受けた深いご恩、忠興、興元、決して忘るるではないぞ」「は、もとより。この丹後を、若輩忠興奴に賜りたるご恩のほどを思えば・・・」「姉上を賜ったるも、信長公よ」興元は皮肉なまなざしで兄を見ながら、聞きとれぬほどに、低くつぶやいた。
「それにしても、あの惟任殿が、思い切ったる挙に出たものじゃ」「父上、何故舅御は上様を倒されたのか、わしにはわかりませぬ」「兄上、わしにはわかる。男は一度は天下をこの手に握ってみたいもの。しかも、惟任殿は上様より度々酷い仕打ちを受けたとか」
「それじゃて。人質の母上を殺されたるは、母思いの光秀殿には、決して忘られはしまい。その上、度々の故なき打擲。特に武田征討の折、敵味方の前での辱め・・・。いや、それよりも何よりも、領国召し上げの事態では、光秀殿も進退きわまったに相違ない。さぞや、苦悩の果てのことであろう」
「しかし、上様が、人もあろうに舅御の手にかかられるとは・・・」忠興は、ふいにはらはらと落涙した。その涙に誘われて藤孝も目をしばたたき、しばし暗然とした。一人興元が、天井の一角を睨みつけるようにしていたが、「とにかく、父上。かくなる上は、惟任殿の天下となられた。父上は惟任殿年来の親友でもあり、親戚でもあれば、これより急ぎ駈けつけるが当然…」
「いや、待て、興元。細川家は室町時代よりの家柄なれば、軽挙はならぬ。光秀殿が、このまま天下をひきいて行けるか、どうか、ここが思案のしどころじゃ」「では父上は、天下を治められればお味方申すが、治められねば見捨てると仰せられるか」 詰めよる興元を、藤孝は両手で押しとどめ、
「まあ、まあ、そのようにいきり立つではない。よいか、興元。われらにとって、何が一番大事であろうか。それはこの細川家じゃ。僅か十余万石の小名が、この乱世に生きのびるには、知力しかない。もとより、たった今この細川家が亡びてもかまわぬと申すなら、わしも長年の心の友である光秀殿に加担したい。その情はわしにもないではない。まして、忠興とは婿舅の間柄である。さぞや光秀殿も、わしらの駈けつくるのを待っていられるであろう」
「父上、確かに惟任殿は吾が舅御。なれど、信長公に賜ったご恩は忘じ難い」悲痛な忠興の表情を、興元は冷たく見て、「とにかく父上も兄上も、天下が惟任殿になびけば共になびく、なびかねばなびかぬというご所存か」
「当然のことであろうぞ、興元。武人にとっては、家名を守るが第一のつとめじゃ。ご先祖に申し訳の立たぬことになっては相すまぬ。忠興、そちもそう思うであろう」「は、細川家の名を挙ぐるがわれらのつとめと思いますれば・・・。されど父上、惟任殿はいかが相成られると思われまするか」
「うむ、それじゃ。先ず、今は羽柴殿は遠く備中にあり、仕 今は羽柴殿は遠く備中にあり、徳川殿は小数の供をつれての京、 堺の見物、滝川一益殿は上州の新領国にあり・・・」 「そして、柴田勝家殿は魚津に上杉景勝を囲み、織田信孝殿は丹羽殿と共に、海の向うの四国に居られる。とすれば・・・」
「とすれば、今しばらくは光秀殿の天下よ。しかし、高山右近殿は謀反には決して与せぬ。 先ず高山殿が、光秀殿打倒ののろしを上げよう」「しかし、筒井順慶殿は明智方につかれよう」「さての、あれも賢い男じゃ。天下の形勢をじっくりと見てから腰を上げようぞ」「細川家の動きを、細川家同様じっと見ているにちがいないわ」興元は皮肉な微笑を見せた。
「いうな興元、今しばらくして、羽柴秀吉、徳川家康、織田信孝、これら面々がいかなる動きに出るか・・・」「父上、舅御が天下を取り切る公算は・・・」「残念ながら・・・ないかも知れぬ」「では、わしは一体、どう動けばよいのじゃ」藤孝は目をつむった。蒼く、ややむくんだ顔が、四十九の年をいくつも上に見せていた。
「そうじゃ!」かっと目を見開き、藤孝は膝を打った。「今日明日中にも、光秀殿から加担を誘う便りが来るに相違ない。わしは信長様の多年のご恩を思えば、剃髪して弔意を表するが第一。そうじゃ、わしは髪を剃って、今の今から、藤孝改め、…うむ、そうじゃ、幽斎玄旨と号しよう」「え? 父上はご剃髪」
「うむ、隠居する。が、忠興は、立場がまた別じゃ。舅御にくみして働くもよし、そちの心のままにするがよい」「父上が髪を剃らるるならば、わしも共に・・・」「ほう、兄上も坊主になるのか」「忠興まで剃るに及ぶまい。父のわしが剃髪すれば、人々に細川家の心の在りどころを示されよう。そちが、その気なら、もとどりを断つがよい」
「は、では、わしはもとどりを断ちまする」「なるほど、父上も兄上もかしこいことじゃ。惟任殿の使いが来ても、頭を見れば一目瞭然、諦めて帰るであろうよ。だが、わしは髪の毛一本落さぬぞ。わしはわしの心のままにする」
「はやるな興元。そちはまだ若い。血気にはやっては相成らぬ。忠興、松井、有吉らを呼べ」幽斎は凛と言い放った。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-3
玉子は忠興を待っていた。未明に呼ばれて表書院に行ったまま、辰の刻(午前八時)になろうとするのにまだ戻らない。領内の一色家に、また不穏な動きでもあったのかと、 玉子は思っていた。
青いみすの向うに、今日は久しぶりに晴れた余佐の海が見える。長い梅雨は遂に終ったのだ。昨日までは、小雨の中に影のようにぼんやりと見えた天の橋立が、くっきりと黒く左手に伸びていた。共に天の橋立に遊んだ日の父の静かな姿が、ふいに鮮やかに浮かんだ。
(去年の春であった) あの時、父の光秀は言った。「お倫も幸せになった。お玉にも二人の子供ができた。いつまでも幸せであってほしい」「いつまでも幸せでいとうございます」玉子はそう答えたことを憶えている。そうだ、あの時、父は伊也と一色家の縁談を進めていたのだったと玉子は思い出した。そして、その父がどこか変ったと感じたことも思い起された。
「父上を、忠興様よりも信じております」そう、自分は言った。そして、その思いは今も変らぬ。娘にとって、父とは何と大きな存在であろうと玉子は思った。重い足音が廊下に聞えた。松井康之、有吉立言ら、重臣との評定を終えた忠興の足音である。「お帰りなさいませ」みすを上げて入って来た忠興は、そのまま突っ立っている。見上げて玉子は驚いた。
「まあ、そのおつむりは。いかが遊ばされました」「うむ、早田道鬼斎が京から戻ったわ」忠興は返事にならぬ返事をした。既に辰の刻を過ぎている。幾夜も眠らぬような深い疲れがありながら、頭は妙に冴えている。忠興は妊娠中の玉子をおどろかすまいとして、そう答えた。
「あの、早足の道鬼斎が? 夜半にまた何の知らせを・・・」「お玉、あの朱い無気味な星は、やはり不吉の前兆であった」と、忠興はがっくりと膝をついた。「不吉な? では、どなたさまかご他界?」「うむ、・・・お玉、驚くなよ。腹の子にさわる故、決して驚いてはならぬぞ」忠興はつと、玉子の手を取り、しっかと握って、「お玉、殿が・・・殿がのう・・・」と、声をつまらせた。
「え!? なんと仰せられます。あの、上様が? それはいつ? いかがなされて?」せきこむ玉子に、「お玉、それが・・・それがのう。人手にかかって、本能寺にお果てなされたのじゃ」「誰の手に?」「誰だと思う?」「さ・・・ 上様のお命を頂戴するほどのお方は・・・徳川様?」
「ちがう。お玉、それがのう・・・それが、そなたの父じゃ」「えっ!? 父上? 父上が・・・上様を?」玉子の顔色がさっと青ざめた。(あの父が、上様のお命を・・・) 天の橋立に遊んだ日の光秀の笑顔が、大きく迫った。「そうだ。そなたの父は昨日から天下様になられたのじゃ」忠興は事の次第を、手短かに語った。「・・・」忠興にとられている玉子の手が、わなわなとふるえた。
「惟任殿にとっては、めでたいことだ」いたわるように忠興は玉子の顔をさしのぞいた。深い沈黙の時が流れた。「?----」大きく見開いた玉子の目が、もとどりを切った忠興の頭をみつめた。「いかが致した? お玉」玉子は海に目をやった。天の橋立のひとところが、六月の朝の日にきらりと光った。
玉子の手が、するりと忠興の手からぬけた。「お玉!」再び玉子の視線が、忠興のもとどりに注がれた。玉子はいち早く、もとどりを切った意味を悟った。信長の死を悼むために、夫はもとどりを切ったのだ。信長の死を悼むその行為は、単なる儀礼とは思えなかった。その命を奪った父光秀に背を向けていることでもあった。
「お玉」「・・・」再び手を取ろうとする忠興の手を避けて、玉子は口を開いた。「殿、そのおつむりは、上様のおんため・・・」「うむ、父も剃髪したぞお玉」「そちも知ってのとおり、われら父子が殿よりこうむったご恩は深い。殿はこのわしにこの国を賜った。この城も殿から頂戴した。殿は・・・わしに特に目をかけて下された。お玉、殿は・・・わしにとって・・・親も同然のお方じゃ」
忠興の声がうるんだ。折角賜ったこの領地も、信長が死んではどうなるかわからない。「その・・・親も同然の上様を、あの父が・・・」「うむ、しかし、そなたの父にはそなたの父の立場もある。この度は領国召上げの処置もあった。さぞ、考えに考えた上でのことであられたろう」「・・・」
玉子は三度天の橋立に目をやった。風にみすがゆらぎ、一瞬、天の橋立もゆらいだかに見えた。驚愕が去り、玉子の心は孤独に静まり返っていた。いや、それは形を変えた驚愕であったかも知れない。 故もなく信長に打擲されている父の姿が目に浮かんだ。祖母の登代が、信長の無情によって、ハ上城に殺されたことが思い出された。
(父は、上様の数々の仕打ちに、今日までじっと耐えてこられたのだ。その耐えて来た日々が、どんなにお辛かったことか) 父をここまで追いつめた信長への憤りが、心の底から湧き上がるのを玉子は否み得なかった。(あの暴君の信長様を倒せる者は、今の世に父しかいなかったのだ)
(もし、この自分が男の子なら、あの冷酷な仕打ちに、決して耐えはしまい。とうにお命を頂戴したかも知れぬ) 血の気のない玉子の唇に、かすかに笑みがのぼった。ぎょっとした忠興に、「殿」玉子の声は静かだった。「何だ」「父に、天下を鎮める力はござりましょうか」
「それよ。父も、わしもそれを考えた。羽柴殿にしろ徳川殿にしろ、上様を倒す勇気はなかったであろう。が、惟任殿を倒す勇気はあるであろう。何しろ、惟任殿を倒せば、倒した者が天下を握ることになる」「----」
「のう、そうであろう。男と生まれて天下がほしいのは、誰も同じじゃ。今までは、天下を望むなど、思いもしなかった奴らにも、今は天下が手の届くところにある。とすれば、誰しも勇躍して惟任殿に挑むは必定。しかも上様の仇を討つという、天下晴れての名分がある
「----」「これを思い、あれを考えると、たかが十余万石のわれらがお味方しても、残念ながら惟任殿の立場が危ない」「それで、もとどりを、切られたわけでござりますか」信長の喪に服すると言えば、名分が立つ。光秀を支援せぬ忠興父子の肚が、玉子にもよくわかった。
「わかってくれるか、わしの立場を」静かにうなずきながら、父光秀が四方から追いつめられて行く姿を、玉子は目に浮かべた。(父上さま!) 婿の忠興にさえ、早くも見限られた父へのいたわしさに、胸のつぶれる思いがする。(わたしが男の子ならば、かなわぬまでもお味方をするものを) 所詮は、夫にとって父は他人に過ぎぬと、玉子の心の中に冷たい風が流れた。
「殿」溢れる涙をこらえつつ、玉子は、「もし、・・・上様のお命を頂戴したのが、徳川様か羽柴様だとしましたら・・・殿はそのもとどりを切られましたか」ふいを突かれて、忠興は玉子をまじまじと見たが、ぷいと不機嫌に顔をそむけた。
(父の挙に味方なさらぬのは、父が悪いからではなく、力がないからなのだ。もし、父の天下が定まるとの見通しが立てば、誰もが父に馳せ参ずるにちがいない。・・・つまりは、父をあながち悪いと見ているのではない。結局は強ければよいのだ)
乱世にあっては、強い者が弱い者を倒す。これが唯一の法則なのだ。玉子は心の底にぽっかりと穴があいたようなむなしさを覚えた。むっつりと黙りこんでいた忠興が、荒々しく立ち上がった。「殿!… それで、このわたしをいかが遊ばされます?」「そちを?」
「父に味方なさらぬとは、つまり父の敵となられましたも同然。敵方の娘は返されるが慣わし---」「返す? そちを? お玉、そちは帰る気か」忠興は玉子の肩をぐいとゆさぶった。「それが慣わしとあれば、致し方もござりませぬ」「何と気丈な・・・冷たい奴じゃ。お玉、昨夜もいうた。わしは返さぬ。返すぐらいなら、わしが殺す」忠興の唇がふるえた。
「殿!」「お玉、よいか。わしはそちがいとしいのだ。命にかけても返しはせぬ。殺しもせぬ、そちの命はわしのものじゃ。そちが死んでは、わしも生きては居れぬのだ」 忠興はひしと玉子を胸にかきいだいた。
幽斎、忠興の早くから諸方に放っていた業者の情報が、細川家に刻々と入ってきていた。「惟任殿の軍二万と見たるはあやまりにて、一万三千の由、右府殿の手勢僅かに七十余名なり。御長子信忠様も果てられ、六月四日、惟任殿安土城に入られたり」
との、米田求政の使いをはじめ、琵琶法師に身を変えた諜者の口から、光秀が京の貧民に金品を与えたこと、貧民は喜びのあまり、光秀の本拠をとり囲んでいること、朝廷にも財宝の献上、征夷大将軍の宣下をいただいたことなどが次々に伝えられた。
つづいて、信長の客人となり、堺に遊んでいた徳川家康は二日の朝、変を知り、直ちに伊賀越えをして領国に逃げ帰ったこと、しかし、家康に同行していた穴山梅雪は、家康のすすめをいれず、一足遅れて帰る途中、一揆に殺されて果てたことが、もたらされた。
「そうか、梅雪は殺され徳川殿は無事岡崎に帰られたか」幽斎は複雑な表情をした。幽斎は、秀吉よりも家康の動きに重きを置いていた。秀吉は、中国の雄毛利輝元と対峙して久しい。信長に援軍を頼んだ程だから、早急に秀吉は動き得ない筈である。
「父上、徳川殿は早速兵を挙げて、惟任殿を倒すかも知れぬ」忠興が幽斎にそういった時、幽斎はまるめた頭をつるりとなでながら、「それよのう」と暫し黙考したが、「しかし徳川殿は、はやらぬ男だ」「だが、天下を取る気は充分と見えますが」忠興のその言葉も終らぬうちに、乞食に身をやつした諜者が、中国より馳せ帰った。
「なに?! 羽柴殿が、八日姫路にもどったと? それは確かか。誤りではないか。毛利との戦きはいかが相成った?」 さすがの幽斎も仰天し、たたみかけて聞く。秀吉が中国にあるうちは、諸将もお互いにおの動きに注目して、当分大きな動きはないと睨んでいた。
秀吉は、信長をはじめ、光秀及びその組下の細川、高山、筒井らに応援を頼んだばかりである。現に信長は、その出陣の途次、光秀に襲われて果てたばかりではないか。いわば、援軍を待ち兼ねている秀吉のはずであった。それが、今、姫路に戻ったとの報である。幽斎は俄かには信じがたかった。
「はい、それが、五月八日以来、水攻めをしておりました高松城が落ちまして」「高松城が落ちた?」「は、羽柴筑前守は、次第に水を増量し、為に遂に城下の家々も水に浸り、従って城中の兵棚も尽きはてたげにござりまする。そこで、やむなく、守将の清水宗治殿、兵の救命をねがって自刃を申し出られました」
「ふむ、それで・・・」「筑前守は毛利方の智僧恵瓊を仲立ちとして、清水殿は切腹、備中、伯耆、 みまさか一、伯耆、美作は織田方に・・・ という誓紙を入れましたとか」安国寺の僧恵瓊の名は、世にあまねく知られている。
十年前恵瓊は、信長に会った印象を、 「信長の代、五年三年は持たるべく候。明年あたりは公家になどなるべく候かと見及び申候。さ候て後、高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申候、藤吉郎さりとてはの者に候」 と予言していた。
その予言の適中を今更のように幽斎は感嘆して思いながら、「それで、清水宗治は」「は、四日に水の上にこぎ出て、敵味方の見守る中に、見事な御生害でありました」「そうか。それは恐らく、本能寺の異変は毛利方に伏せての大芝居であったろう。さすがは黒田官兵衛孝高を謀将に持つだけのことはある」
秀吉の実力をまざまざと知らされたようで、思わず幽斎は身ぶるいした。諜者が退るや、早速幽斎は視を引きよせて、秀吉に手紙をしたため、幾度か書いては破り、 破ってはまた書いた。達文の幽斎には珍しいことであった。
先に、光秀から、援軍を待つとの使者が来たが、幽斎は頭をまるめ、忠興はもとどりを断った姿を見せ、「吾らは右府さまに、御高恩をいただく身なれば、しばし喪に服したい」といって返した。 今朝は再び、沼田権之助が光秀の親書を持って誘って来たが、これもまた断って帰した。 光秀の書面は、文箱に納めたばかりだ。
「御父子もとゆひ御払之由、尤余儀なく候。一旦我等も腹立候へども、思案の程かやうにあるべきと存候」「 我等不慮の儀存じ立候こと、忠興など取立申すべきとての儀に候」などの言葉が、まだ目に焼きついている。光秀が、細川家の援軍を待ちわびている様子がありありと目に浮かぶ。が、幽斎としては、細川家の浮沈のほうが一大事である。
光秀との信義、友情は捨てても、家は守らねばならぬ。光秀とても、長年の信長の恩を裏切ったのだ。 この細川家の生き方を、察し得ぬはずはない。頭をまるめた幽斎にならって、家臣の米田求政も有吉立言も剃髪した。これが小大名の生き方なのだと思いながら、幽斎は秀吉への筆を走らせた。
細川家は上下あげて信長の死を悲しみ、いかに喪に服しているか。長年の友人光秀の誘いを断乎として断った細川家は、秀吉と同じ道を行くものであることを、幽斎は言葉を選んで慎重に述べた。
これに対し、のちに七月十一日、秀吉は、「今度、信長殿御不慮については比類なき御覚悟、特にたのもしく存じ候。(中略)表裏なく公事に拠り、御身上見放し申すまじく候こと、云々」 と誓紙を幽斎父子に送っている。
秀吉京へ進撃せり、との報に狼狽したのは、ひとり細川家のみではなかった。光秀に恩義のある筒井順慶も、最初の二、三日は光秀に従っていたが、天下の形勢を見て動きが慎重になった。秀吉の動きを知ると、遂に中立の腹を決め、米塩を城に運び入れた。
「やはりのう」順慶が米塩を集め、籠城を覚悟したと聞き、幽斎は忠興にうなずいてみせた。順慶にせよ、 細川家にせよ、家の浮沈にかかわるこの大事に当って、慎重にならざるを得ぬのは、致し方のないことではあった。(生きのびるということは、みにくいことよ) 幽斎はふっとそう思うことがある。が、武将にとって、生きのびることは、即ち勝利なのだ。
こうした数々の情報の中で、忠興は終始いらだっていた。光秀の形勢は、即ち玉子の運命にかかわるからであった。玉子の心のうちを思えば、迂闊に情勢を知らせるわけにもいかない。玉子と口をきくことを恐れて、忠興はこの頃、ひどく寡黙になった。 この間、一人頓五郎興元は、父や兄を冷視しつづけていた。
そして、その日、玉子が廊に立って、見るともなく庭を眺めていた時だった。庭を渡って大股に頼五郎が近づいてきた。曇り勝ちのむし暑い日である。時折、その雲の裂け目から、 かっと陰暦六月の日が地を照らす。肌がじっとりと汗ばむ。空気もまた重くしめっていた。
「姉上」頓五郎は迫るような激しい目の色を見せて呼びかけた。「何かご用でござりましたか」「・・・」黙って突っ立つ頓五郎興元のたくましい肩に、蜂が低くうなってまつわっている。「何か?」やさしく促すと、頓五郎はきっと見すえるように玉子を見、「姉上、何を考えておられました」「別に・・・。庭を見ておりました」
「何も考えぬといわれるのですか」「はい」「嘘をいってはなりませぬ。姉上は・・・、この庭など眺めてはいられぬ。もし眺めていられたとすれば・・・」踏石に上がって、興元は縁に腰をおろし、「・・・もし眺めていられたとすれば、この庭を眺めるのも、あと幾日と思うていられたのでは・・・」「・・・」「姉上、姉上は、細川の奴らの腰ぬけよ、卑怯者よと、思うていられたのではござりませぬか」
玉子は少し離れて坐り、そのまろやかな自分の膝頭のあたりを見つめながら、「頓五郎さま、玉は、父の軽挙を恥じております。とんだご心労をおかけしたこと、只々、 申し訳なく思っております」「なぜです? 何が恥ずかしいと申されるのですか? できることなら、誰しも惟任殿の真似をしたかったのだ。が、誰も右府殿を倒すことなど思いもよらなかった。誰もなし得ぬことを姉上の父御はなされたのだ」
「ごらんの通り、誰も彼も、腰ぬけだ。家が大事! それもわからぬわけではない。しかし、姉上」興元はうつむいている玉子を見守り、「わしには家よりも大事なものがある」「家よりも大事なもの?」顔を上げた玉子に、興元の視線がからんだ。「それは・・・それは、姉上だ」
「そんなことを・・・」「申してはならぬと仰せられるか。姉上、これが、頓五郎最後の言葉と思し召せ。わしには、わしには、姉上が何ものよりも大事なのだ。大切なのだ」あっという間もなかった。立ち上がるや否や、興元は庭をかけて風のように過ぎ去った。 そして、そのまま、興元は細川家より姿を消した。
やがて、興元が兵をつれて京に向ったという報に、細川家は上を下への騒ぎになった。忠興が顔色を変えて馳せ来たり、「お玉、頓五郎奴が、無断で京に向ったわ」と告げた時、玉子は、「まあ、それは」と驚いて見せ、「父のために、申し訳もござりませぬ」と詫びたが、しかし、頓五郎の言葉は告げなかった。告げ得るものでもなかったし、告げたくもなかった。
今のこの大変事に、興元だけが、純粋に自分を思ってくれているのだ。城主である忠興と、部屋住の興元では立場がちがう。それはわかっていても、忠興が興元のように動いてくれぬことが、玉子には淋しくもあった。が、玉子の身をのみ案じていたのは、ひとり興元だけではなかったことを、まだ玉子は知らなかった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-4
その夕べ、不機嫌に黙りこくったまま、忠興は夕食を取っていた。「殿…」おずおずと玉子は呼びかけた。そ忠興はちらりと玉子を見たが、すぐにぷいと視線を外らした。事変以来、ともすれば黙り勝ちな忠興だが、その視線の外らし方が、ひどく冷淡に思われた。
「姉上が大事なのだ」言い放った頓五郎の言葉を玉子は思った。(夫は自分をうとみはじめている!) 玉子は、ふいに突き放されたような淋しさを感じた。忠興ががらりと箸を置いた。「殿」忠興は玉子の顔を見ずに、部屋を出て行った。また諜者が新しい知らせでももたらし、重臣会議があるのかも知れぬと察しながらも、玉子は淋しかった。夫にとって、家は大事であっても、もはや妻の自分は眼中にないのかも知れぬ。
父が天下をとって、幾日かは忠興も時折消息を洩らしてはくれた。「男、御は、安土城に入られてな。右府殿の長年かかって集められた茶器名器を、わずか数刻の間に、ことごとく人に与えられたそうじゃ」後に、利休門下七哲の一人とうたわれた忠興は、複雑な表情でこう告げたりした。
また、「そなたの父上は、京の税を免じたとな。人心も次第に落ちつくであろう」などと、玉子を慰めた。が、次第に、何の消息をも玉子の耳には入れなくなった。夜半、憑かれたように激しくかき抱くことはあった。が、以前のように睦言もない。
今夜の冷たい忠興のそぶりを見ると、玉子はいまだ曾てなかったほどに、父が慕わしく思いとわれた。いや、愛しいといったほうがよいかも知れぬ。(いま、父上は、力の限り戦っておられるのだ) その孤独な姿が痛わしくてならぬ。
(父上様!) 玉子は胸もはりさける思いで、心の中に父を呼んだ。女の身の非力が口惜しかった。信長は、父に数々の冷酷な仕打ちを加え、挙句の果てに領国まで取り上げた。追いつめられた父は、信長を討つよりいたし方がなかったのだ。その父に味方する武将のないのが、玉子には納得できなかった。
いく度か思ったことを、繰り返し玉子は思う。思う度に、舅の幽斎と夫の忠興への不満が、 心の底に澱のようにたまっていく。特に今宵は、夫に対しての憎しみにも似た感情さえ湧くのを、どうすることもできなかった。
玉子は深い吐息を洩らして、かすかに首をふった。ふくよかなその頬も、この数日で肉が落ち、それがまた玉子を、かえって凄艶に見せていた。次の間のふすまが開いたようだった。「奥方様」清原佳代のひそやかな声がした。
「ああ、お入りなさい」「はい、ごめんくださりませ」一瞬灯がゆらいだ。「熊千代と、お長はやすみましたか」「はい、すやすやと・・・」部屋に入った佳代は、いいさしてふっと涙ぐんだ。何も知らずに無心に寝入った二人の幼な子を不憫に思っての涙と、いち早く玉子は察したが、「すやすやと眠りましたか」と静かに微笑した。
佳代はその玉子をじっとみつめ、「御方様も、ぐっすりおやすみになられまするよう… 佳代は毎夜お祈りいたしております」と、いたわしげに言った。「お祈り? それはありがたいこと。佳代どの、祈りほど真実なものはないように思われます」
「え? 祈りほど真実なものがないと仰せられますか」「ええ、いま、はじめてそう気づきました。いつも佳代どのは祈っていてくださる。祈りは、人の知らぬところで、真心から神仏におねがいすることでしょう?」「はい、佳代は真心からお祈りいたしまする。汗の出るほどに」「汗の出るほどに?」
「はい、御方様、この祈りを何としても、神にお聞きとどけいただかねばと、切に切に思いまするとき、おのずと、汗も涙も出るものでござります」「まあ、汗も涙も出るほどに。それほどに真実こめて・・・」
「はい、人様に少しむずかしいことをお頼みするさえ、わたくしどもは必死でござります。 まして、聖なる御神におすがりいたしまするには、心をこめて、切に切にお祈りいたさねばなりませぬ」 玉子に似て、妹かと噂されるほどの美しい目鼻立ちの佳代は、その白い頬をうっすらとあかくした。
「いつに変らぬ佳代どのの真心、ほんにうれしゅう存じます。しかし、それほど祈ってくれても・・・佳代どの、それほどの切なる祈りも、神は果してお聞きとどけくださるやら・・・」
「お聞きとどけくださりますとも。神父さまは、神さまは祈りをきき給うお方だと仰せられました。ただ、その祈りのきかれる日が、遅いこともあり、また、きかれぬように見えても、 それが神の応えであることもありますとか・・・」
「このような時には、堅い信仰の佳代どのがほんに羨ましい。わたくしもみ仏を信じているつもりですのに、この騒ぎの中にあっては、ただ、あれを思い、これを思って心が乱れるばかり・・・」「それは、佳代とて同じこと。今も佳代は熊千代さまのあどけない寝顔に・・・涙がこみ上げて・・・」
「なぜ、涙が?」「・・・」「もしやそれでは・・・やはり父上の形勢が・・・。佳代どの、父上は、いま、どのように・・・」「ごめんくださりませ。お心をお痛めまつるようなことを申し・・・ただ」「ただ?」「・・・いいえ、やはり申しあげられませぬ」「父上は敗れましたか」「いいえ、いいえ、惟任様は洞ヶ峠に、筒井順慶様の出をお待ちなされておられます由」
「洞ヶ峠に・・・」洞ヶ峠といえば、嫁入りした勝竜寺城のやぐらから見えたと思いながら、「あの洞ヶ峠に、父上はいられるのですか」「はい。それでは、あの・・・佳代はこれにて・・・」のがれるように一礼し、佳代は部屋を出たが、ふすまをしめようとして、何か言いたげに玉子をみつめた。と、その目から、涙がこぼれ落ち、ふすまはしめられた。(何かある!)
玉子はふいに胸さわぎがした。自分の知らぬところで、何かが始まっている。佳代にはわかっていて、自分にはわからぬことがある。部屋の中に引きこもっている自分には、目にも耳にも入らない。ふと玉子は、先刻おし黙ったまま、不機嫌に食事をしていた忠興の姿を思った。(何かが起きた)
玉子は小袖の衿をかき合わせて、そっと部屋を出た。廻廊に出ると、俄かに雨の音が聞えた。「弁当を忘れても蓑笠忘れるな」という諺を生んだ丹後の国は、雨が多い。
雨の中の、暗い夜の庭を玉子は見つめた。暗い庭を見つめると、不安は更につのった。が、玉子は背すじを伸ばし、静かに表書院のほうに向った。表書院に近づくと、人声がした。抑えるような声だが、戦場できたえた男たちの声は透る。部屋は閉ざされていても、ふすまごしに声は聞えるのだ。
「それはならぬ」忠興の声が少しかん高かった。曾て立ち聞きなどしたことのない玉子だが、今夜はそれが立ち聞きであることを忘れて立ちどまった。「殿! これほど、理を尽くして申し上げても、お聞きとどけくださりませぬか」おしかぶせるような声がした。
つづいて、「まことに」「この非常の時に」幾人かの、詰めよる語調が鋭かった。「殿、お心を静めて、今一度、お聞きくだされ」哀願する語調になったのは、重臣の松井康之の声である。「くどいわ!」「いかにくどいと仰せられても、申しあげねばなりませぬ。幾度も申しあげましたように、無論、奥方さまには何の咎もござりませぬ」 奥方という言葉が、玉子の耳を刺した。
はっと体を固くして、玉子は思わず一歩近よった。自分のことが、いま問題になっているのだ。「奥方さまに咎はなけれど、天下の形勢がわるい。惟任殿の御息女というだけで、細川家全休が・・・ 」ふいに声が低くなり、再び、「・・・そのように、細川家が巻きこまれてはなりませぬ。今からでも遅くはない、亀山城に送り返し・・・」
「ならぬといったら、ならぬ」「しかし、殿、かかる場合は送り返すが世のならい、この松井、決して無理難題を申しあげているわけではありませぬ」「世のならわしが何であれ、わしは返さぬぞ」「なぜでござります。なぜ、この理をおききわけなされませぬ?」「・・・」「いたし方もござりますまい」ふいに誰かが冷たくいった。
「殿は、われわれ家中の者よりも、奥方の情にひかれておられる。かかる女々しき殿の言葉に…」 「黙れ! 有吉! 女々しいとは口が過ぎるぞ。男が女をかばう、夫が妻をかばう、それが何で女々しいのだ? わしがお玉をかばわずに、一体誰がお玉をかばってやるというのだ」お玉の体が、わなわなとふるえ、垂髪が揺れた。
「殿、細川家の浮沈にかかわることですぞ。これほど申し上げてもお聞き入れなくば、奥方の御命は、われらが頂戴いたしまする」「何!? 有吉! そちはお玉を殺すと申すのか」
「殿、お静まりくだされ。惟任殿の御息女の運命は、どのみち決まっております。明日にもたかつき天王山は天下分け目の決戦となりましょう。惟任殿一万余の軍をもって迎えるといえども、 四万の兵をひきいて、奔馬の如く駈けのぼってくる筑前守の敵とはなり得ますまい。
まして、 天王山とは目と鼻の先の高槻から、高山右近殿が、羽柴殿の先頭を切って攻むる公算が大、 となれば、ただでさえ勇名高き右近殿、しかも何の疲れも知らぬとなれば・・・これは殿、明日、明後日で、天下はまた大きく変りましょうぞ」
「・・・」「織田方は、惟任殿血縁の者は、親の仇、主の仇、草の根分けても残らず断ってしまいましょう」「・・・」「それはかの荒木村重殿が謀反の時、一族郎党女子供に至るまで、はりつけ、焚総と、みなごろしにあわれましたがよき先例」「・・・」
「あれが織田家のやり方でござりまする。どうせ敵方の手にかかるならば、ここが思案のしどころ。いっそ、われらの手で・・・・・いや、御自らの手で御生害あそばされるが、奥方のお幸せと申すもの」「有吉! わかった!」忠興の悲痛な声がした。
「おお、お聞き届けくださりましたか。では、一刻も早く奥方を亀山城にお返しいたしまするか、それとも御生害いただきまするか」「亀山には返さぬ」「では、直ちにお命を!?」「いや、殺しはせぬ」「殿、お返しもせぬ、お命もそのまま、さればわれらの言葉を何とお聞きなされてか」
「松井、頼む、この通りだ。この忠興が頼む。玉子の命を・・・奪ってはならぬ」忠興の声がうるんだ。玉子は思わずふすまに手をかけようとして、辛うじて耐えた。「ええい、女々しい殿だ。殿がこんなにも女々しいとは、この有吉、今日の今日まで思いもしなんだ。おのおの方、お家が大事じゃ、これより直ちに奥方に・・・」
「ならぬ。お玉を斬ると申さば、わしがそちを斬る!」「何と! この有吉を斬ると仰せられてか」「玉の命を奪う者は、誰でも斬り捨てる。羽柴筑前であろうと、高山右近であろうと」
決然と忠興が言った。忠興の見幕に、一座が急に静まった。と、松井康之の感に迫った声が聞えた。 「殿! それほどまでのお覚悟とは…。松井康之、命に代えても奥方をお守り致しますぞ」「おお、松井、助けてくれるか。頼む、何とか玉を返したことにできはしまいか」
「返したことに?」「うむ。亀山城に返したと、世間をあざむき、その実、この城のどこかにかくまうということはできぬか」「さあ、それは」「無理かそれは。とあらば、どこか山の中にでもかくし置き、亀山に返したと言い張ることはできぬか」「・・・」深い沈黙がつづいた。
釘づけにされたように、微動だにできぬ玉子の胸を、激しく突き上げてくるものがあった。 夫の苦悩と心やりが、全身をつらぬいていくのを玉子は感じた。つい先ほど、夫に憎しみをさえ抱いた自分を、玉子は恥じずにはいられなかった。
「殿、それは、領地の山地にかくす手だてもござりましょう。この松井とても、考えぬことではござりませぬ。しかし、どこに諜者が入りこんでいるやも知れませぬ。あの光り輝くようなお美しさでは、いかに事を密かに運んでも、他に洩れぬとは限りませぬ。万一、亀山にお返ししたとの虚言が発覚したる場合、殿、何と申し開きをいたしましょうや」
「うむ」「まことに、われらはさよう危ぶみます。・・・が、待てよ、おのおの方、殿の御策も御名案かも知れぬぞ。確かに、今は羽柴秀吉が破竹の勢いであろうとも、中国の毛利軍が、果してこのまま指をくわえて、筑前守を見のがすか、どうか」
「それじゃ!」「惟任殿がいち早く毛利に密書を送り、ひそかに手をつないでいるとするならば、思わぬ道を通って、毛利は筑前守をはさみ打ちに出ぬでもない」「それは、我等も幾度か考えたことじゃ、が・・・」
「ま、聞かれい、四国の長宗我部殿も、惟任殿の誘いに応じて、京に馳せ参ぜぬとも限るまい。とすれば、惟任殿が、易々と天下を奪われるとは限らぬ。早まって奥方をお返し申したり、お命を頂戴しては、それこそ一大事と申すもの。惟任殿ほどの智謀の将が、ただ手をこまぬいて、この十日間を徒らに送ったとは思えぬ。何れにせよ、殿の申されるが如く、奥方は山奥にでもおかくまい申すが賢策かも知れぬ」
毛利方に送った光秀の密書が、秀吉の手にうばわれていたことを、まだ誰も知らない。「うむ・・・」不承不承、松井の言葉に応ずる気配がした。「と決まれば、急いで場所を探さねばならぬ」「人目につかぬ山中のう」「おお、そうじゃ。殿、味土野はいかがでござりましょう」松井康之がいった。
「みとの? とな」「は、丹後半島の中ほどにある山の中、あの金剛寺亀山のすぐ傍にござる」「では、険しい山中だな。女の足では大変なところだが・・・」「男の足でも、容易ではありませぬ故、めったに人のよりつくところではござりませぬ」「道のりは?」「は、宮津より、船にて余佐の海を横切り、日置の浜に渡り、そこより味土野までは三里でござります」
「おお、それは近い!」ようやく忠興の声が弾んだ。「戸数はどれほどじゃ」「せいぜい、二十戸もござりましょうか。山伏寺などもござります」「では、ひどく、楽しいというほどでもないな」
「は、山の中とはいえ、人里でござりますれば ・・・」「なるほど?ではそれに決める。松井! 明朝早々にも人をつかわし、住居を用意させよ」俄かに部屋の空気が和らいだ。玉子はふらふらとその場を離れた。どこをどうして部屋まで帰ったか、玉子にはわからなかった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-1
「さ、熊千代さま、お母上さまにおやすみなさいを申し上げましょう」促す乳母のこうの声がうるんだ。熊千代やお長と別れて、玉子が味土野に出立する時刻が迫っていた。既に五つ (午後八時)を過ぎている。
「いや」いつもは疾うに眠っている熊千代が、今夜はふしぎに眠ろうとはしない。まだ二歳と二カ月の熊千代は、母の膝から離れがたい。お長は疾うにねむっている。そのお長との別れも先程終った。「でも、熊千代さま、おやすみなさらねば・・・」 「いや、いや」幼い首を懸命に横に振る。こうは目頭をそっとおさえた。
「いや、いや」玉子の肩にしっかりとしがみつく熊千代に、玉子は小袖のたもとから、懐紙にひねった包みを出して見せ、「熊千代はよい子。ほら、そなたの好きな有平糖を上げますほどに、早うおやすみなさい」有平糖と聞いて、熊千代はこくりとうなずき、「アルへ、アルへ」と喜んで包みをあけた。その幼い横顔を、玉子は胸の張りさける思いで見つめた。
(生きて再び、会う日が来るとは思えぬ) やわらかく、しかし、ずしりと重い熊千代の感触を、玉子は改めて確かめるように抱きしめた。泣いてはならぬと、気丈に耐えてはいても、玉子もまた、まだ二十歳のうら若い母である。
熊千代が、有平糖をつまんで先ず自分の口に入れ、つづいて、「おたたうえも」と、そのふっくらと小さな指につまんだ有平糖を、玉子の口もとに差し出した時、玉子はこらえかねて、ひしと熊千代をかきいだいた。「熊千代!」あまりに強く抱きしめられて、熊千代は苦しげに体を左右にゆすり、「いや、いや」と、玉子の胸を叩いた。思わずゆるめた玉子の手からのがれて、熊千代は玉子の膝を降りた。
「では熊千代さま、おやすみなさいを申し上げましょう」と再び促した。熊千代はうなずいて、いつものように両手をつき、「おたたうえ、おやすみなちゃいまち」と、愛らしく頭を下げた。が、玉子の目に溢れる涙におどろき、「おたたうえ、いたい?」と、いま、自分が叩いた玉子の胸に、その小さな手を当てて、心配そうに玉子を見た。
「いえ、いえ、痛うはありませぬ」玉子はそっと懐紙で涙をふき、にっこり笑って見せた。熊千代も、安心したように、にこっと笑った。あどけない口もとであった。熊千代は再び両手をつき、たどたどと挨拶をいうと、こうに手をひかれて部屋を出た。
(熊千代!)「ううっ」 呼びかけて玉子は声をのんだ。こうはわざとふすまを閉めずに、ゆっくりと次の間に熊千代をつれ去り、そして廊を去って行った。玉子の唇から悲痛な声が洩れると同時に、玉子はその場に泣き伏した。
もう、あのやわらかい頬に頬ずりすることはできないのだ。もうこの手に、あの幼い体を抱きしめることはできないのだ。もはや、あの黒く大きな目を見つめることはできないのだ。 もう、決して、あの愛らしい声を聞くことはできないのだ。「熊千代!」ひれ伏した玉子の肩が、灯の下にいつまでも打ちふるえた。
(母と子が、なぜ、生きながら今生の別れを強いられねばならぬのか) 玉子の胸中に、ふと一つの疑問が湧いた。それは、今の今まで思ってもみなかったことであった。玉子は既に、自分が最愛の夫や子と別れて、味土野に去らねばならぬことを、光秀を父に持った自分の、当然の運命とあきらめていた。
(しかし・・・) 果して自分には、味土野に去る以外に生きる道がないのであろうか。誰であっても、自分の立場に立てば、去るか、死ぬか以外に、道はないのであろうか。今、自分を無理無体にこの城から追い出そうとしている者は誰か。無論、夫の忠興ではない。といって、家中の者ともいえないような気がした。
自分をこの城にとどめておけぬ者、それは織田か、秀吉か。もし、秀吉の場に徳川が立っていれば、徳川がまたこの自分を追い立てるのであろうか。一体、誰が、何が、かよわい一人の女を山中に追いやるのか。玉子は、目に見えぬ者に追い立てられて行く自分を思った。
自分を追い立てる者が、さだかにわからぬことに、玉子はもどかしさと、いいようのない怒りを覚えた。が、時は迫っていた。その正体を見極め得ないままに、玉子は城を出て行かねばならなかった。今日の夕刻、玉子は光秀の敗北と死を聞いた。忠興が青ざめた顔で部屋に戻るなり、「お玉!」といったまま、絶句した。
はっと忠興を見上げると、やや、しばらくして、「お玉、惟任殿の天下は終ったぞ」と玉子の肩を抱きよせた。それから今まで、僅か三刻(一時間半)しか過ぎてはいない。かねて覚悟のこととはいえ、 父の死は胸をえぐられる悲しみであった。しかも、その悲しみをさえ追い立てるように、夫と子と別れ、見も知らぬ山中に入って行かねばならないのだ。
熊千代との別れのひととき、忠興も佳代も、他の侍女も、その場に姿を見せなかった。存分に名残りを惜しませようとの心づかいである。ようやく玉子が涙を拭い終った時、痛ましげに忠興が入って来た。
食い入るように見つめる忠興の視線と、涙にうるんだ玉子の視線が、しっかと絡んだ。 「お玉!」「・・・」「むごい奴と恨んでくれるな」「・・・」玉子は静かに頭を横にふった。「わしとて、そなたを片時も放しとうはない」「・・・」「そなたのいないこの城は、荒野も同然じゃ」「・・・」ものを言えば涙になりそうで、玉子は黙って忠興を見つめた。
「そのうち、必ず迎えに行く。決して早まったことはするでないぞ」「はい・・・」「味土野は近い。便りもしよう。訪ねても行こう。素直でよい子を産むことだ。山家で生まれる子を思えば、不憫だが・・」「殿・・・」「お玉、他の男に、決して決して心をゆるしてはならぬぞ!」「・・・」
「お玉、有吉はわしを女々しいといったが、全くだ。わしはそなたと別れとうないのだ」忠興は玉子を強く抱きよせた。「死んではならぬ。必ずもどってくるのだ」廊下に足音がした。「奥方さま、お伴させて頂きます」襖の外で、松井康之の声がした。「行くか、お玉!」忠興は双手に玉子の頬をはさみ、再び食い入るように玉子をみつめた。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-2
(あれから、はやひと月・・・) 部屋数が僅か四つほどの山家、これが味土野における玉子のかくれ家であった。かくれ家は、山の斜面に、自ら出来た三百坪ほどのせまい台地の上にあった。下手の谷に向って見透しはきいたが、まわりは衿をかき合わせるように険阻な山が入りくみ、遠くまでつらなっている。
(まことに、これが山の中・・・) 庭の太い桜の木の傍に立ち、玉子はあたりの部落を見おろした。よくも、この山の中に作ったと思われる小さな段畠が、幾つも不規則な形で山の斜面を占め、その所々に、十五、六戸余りの家がまばらに立っている。まひるだというのに、しんと静まり返って人影も見えない。
開えるのは、鳥の声と蜩の声と、谷川のかそかな響き、そして折々ののどかな牛の声だけである。かくれ家の左下手に、一色宗右衛門、池田六兵衛など、警護の者の住むかやぶきの館が見える。こんな山中に玉子がいようとは、確かに織田も羽柴も気づくまいと思われた。この地なら、無事に何年でも隠れおおせると思えるほどの、深い山の中だ。
(今頃、熊千代は・・・お長は・・・) 玉子はうす青い空を見上げた。もう母の自分のいない生活にも馴れて、思い出すこともないかも知れぬ。僅か二歳の熊千代と、一歳のお長が、いつまでも母を忘れ得ぬということはない。(忠興さまにしても・・・同じことかも知れぬ) 便りをくれるといった忠興からは、まだ一度も便りがこない。
このかくれ家は、家中の者にも秘している。「敵をあざむくためには、味方からあざむかねばならぬ」という幽斎のすすめもあって、玉子が城を出る姿を、家中で見た者はない。夜陰に乗じて宮津の浜から船に乗り、伴の者数人と、警護の者二十名程に守られて日置の浜に渡った。
曾て、玉子は忠興と城から日置の浜をのぞみ、「仕置きの浜」と戯れて言ったことがあった。その時は、信長の苛酷さを思って言ったことだったが、まさか、この自分が城を追われて、その日置の浜に仮寝をする身となろうとは、夢にも思わぬことであった。
日置の浜で、ほんの二ときばかり舟の中にまどろみ、夜の明け切らぬうちに一行は味土野に向ったのだ。途中の山道のけわしさも、並大抵ではなかった。男でもたやすく登れるところではない。
このような山中に、便りをくれることは、夫といえども容易ではあるまい。しかも、自分は人目を避ける身である。そうは思っても、外部から何の便りもないこのひと月の隠れ家暮しば、一年とも思えるほどに長く、且つ侘びしかった。(忠興さまは・・・まだ二十歳)
次第に曇ってくる空に目をやりながら、玉子はふっと肩を落した。二十歳の忠興が、いつまでも一人で暮して行けるとは思われぬ。必ず迎えに行くと言ってくれはしたものの、天下の情勢が許さねば、このまま一生、味土野の地から、帰って行くことはできないのではないか。
とすれば、忠興は新たに妻を迎えぬとはいえない。(忠興さま!) 忠興に妻がくるかも知れぬと思っただけで、玉子はつき放されたような淋しさを感じた。 果して何年も、忠興は独り身で待ってくれるであろうか。俄かに、それは全く不可能なことに思われた。
いや、こうして、ひと月離れている間にも、忠興の身に、不測の事件が起きているかも知れないのだ。信長を倒した光秀の娘は、もはや忠興の妻にもどれる道は絶たれたかも知れぬ。 今日までのひと月、来る日も来る日も忠興の便りを待っていた自分が、ひどく愚かに思われた。
(天下はどなたのものとなったのやら・・・) 信長の息子、信孝のものかも知れぬ。あるいは秀吉のものかも知れぬ。父が果てたと聞かされたのみで、その後の天下の状勢は何も知らない。何も知らぬことは不安であった。(それにしても、父の最期はいかなる様子であったのか)
坂本城の母や弟も、多分死んだであろうが、その様子も聞きたい。が、この山中まで、わざわざ知らせに来る者もあるまい。玉子は、話に聞いた「うばすて山」を思った。自分は、あるいはこのまま、この山中に果てねばならぬかも知れぬ。若いままで、自分は体よく山に捨てられたのではないか。無論、 忠興自身、決して捨てる気がないことは、あの夜部屋の外で聞いた玉子にはよくわかる。
しかし、家中の者がどう思ってここに自分を送り届けたか、わからぬような気もした。「奥方さま」呼ばれてふり返ると、清原佳代が、ほほえんで立っていた。「ああ、お佳代どの」「はい、何をごらんになっておられましたか」何を考えていたかとは、佳代は聞かない。それは尋ねるまでもないことなのだ。
「空を見ておりました。この空は宮津の空にもつづいておりますほどに」「・・・ほんに、さようでござります」「あのお天道様を、殿も、熊千代もお長も見ておりましょう」「はい・・・。御すこやかにいられましょう」 「お佳代どの。ここに参りましてから、歌の心が、ようわかります。仲麻呂が、三笠の山に出でし月かも、と歌った望郷の思いが、身にしみて・・・」
「遠い唐の国での歌でござります故」「左京大夫の・・・」言いかけて、玉子はやめた。玉子は、左京大夫の、---- 今はただ思ひ絶えなむとばかりを - 人づてならでいふよしもがな ---- の歌を思い出したのだった。しかし、それは、佳代にいうべき言葉ではない。玉子は話題を外らし、「お佳代どの。そなたはふしぎな人ですこと・・・」
「ふしぎ? と申されますか」「そう、ふしぎです。そなたはまだ十九のうら若い娘御。美しい衣裳を着たい、おもしろいものを見たい、おいしいものを食べたいという年頃ではありませぬか。でも、この味土野に来ても、宮津を恋しがることもせず、いつも幸せそうに頬笑んでいられる。それが、ふしぎに思われてなりませぬ」
「ま、お恥ずかしゅうござります」「その上、この山奥への難儀な山道をも、何の苦もなく登ってこられました。殿御の足でさえ辛いところを・・・」「奥方様、それは、以前、毎日山を歩きました故」「毎日?」「はい、捨て子を探しに」「ああ、いつぞや聞きました。捨て子を探して、山の中を歩いたということでしたが・・・」
「はい。もう、あの頃は夢中でござりました。一歩でも半歩でも多く歩いて、捨て子を見つけ出さねばと・・・」「お佳代どの。以前には、その話を、ただ奇特なことよと、人ごとのように聞いておりましたが・・・」玉子は、何かを考えるように向いの山に目を放ったが、「その捨て子は、親も捨てたくなるほどに、体の弱い子でありましょう?」
「はい、親も育てかねる弱い子が多うござりました」「つまりは役立たずの子・・・」「でも、御方さま。西洋の国々では、日本のように、弱いからといって、わが子を捨てる風習はありませぬような。いいえ、弱ければこそ、かえって、皆で大切に大切に育てますそうな」
「大切に?」「はい、パアデレさまは、日本の捨て子の多いことに、ひどくおどろき、お心を痛めて、そように大切に扱うのれで、信者たちに捨て子を養育することを、お教えなされました」「では、キリシタンでは、身動きの出来ぬ不具者でも、老人でも、同じですか」
大名の子でも、弱ければ捨てる、または毒殺するということの、 時にはあった時代である。 玉子の言葉は当然であった。「はい、御方さま。キリシタンでは、人の命はみなひとしく、この全世界より尊いと申しておりまする」
「人の命はみなひとしい? では、殿の命も、位の低き者の命も?」「はい。キリシタンでは、人に貴賤はござりませぬ。いかなる命も捨てたり奪ったりは、なりませぬ」「ふしぎな教え・・・。しかし、尊い教えに思われます」
先程玉子は、自分がうばすて山に捨てられる老婆のように、侘びしく思われた。自分は捨てられても仕方がないように思われた。そう思っただけに、捨て子を拾って育てるキリシタンの教えは、切実に身近な、ありがたい教えに思われた。
蝉の声がはたとやんだ。静かにものうい七月の午下りである。「お方さま、何と静かなことでござりましょう」「ほんに、気の遠くなるような、深い静けさ・・・。こんな淋しい山の奥にまで、お佳代どのは進んで共に来てくだされた。ありがたいと思っております」今まで、幾度かくり返した言葉である。
「ま、いつもいつももったいないお言葉、痛み入ります。佳代はただ・・・、お方さまと共におりたいだけでござります」「お佳代どの、お礼を申します」そう言った時である。突如、静けさを破って、裏山のほうでほら貝が響いた。外部の者の侵入を知らせるほら貝である。
男城と呼ばれる館から、警護の者が十数名、鉄砲や槍を手に、バラバラと飛び出す姿が見えた。「お方さま、早々お部屋におもどり下されませ」佳代があわてたが、玉子は足どりも静かに部屋に戻った。つづいて、警護の沢村才八が小者を従えて庭先に駆けてきた。
「奥方さま、怪しき者が入り来たったげにござります」縁先にひざまずいた沢村才八の顔が緊張している。「怪しき者?」「はっ、見張りの者が、山道に数名の見なれぬ人影を認めたと申しまする」沢村は、ちょっと言葉を途切らしたが、地に両手をつき、「奥方様!」と、ただならぬ面持を見せた。
「何です!」「実は先日、部落の者が日置の浜に降りた際、筑前殿は、惟任殿の血筋の者、残党の者を根うわさだやしにせんと、見つけ出しては打ち首、はりつけの刑に処しいる噂を聞いて参りました」「・・・それで」玉子は眉一つ動かさなかった。
「もし、今の人影が筑前殿の手の者とあれば・・・もとより吾ら根限り戦い、身をもってお守りいたしますれど、奥方様、敵の手におちいるが如きことにならば、潔くご生害なされませ」「生害? 沢村、それは、殿のお指図か」「いえ、殿のご命令にはござりませねど・・・」
「ならば死にませぬ。殿はいかなることがあっても、死んではならぬと仰せられました故」「と申しましても、貴きお体、万一奥方様がはずかしめを受けましては・・・」谷のほうで、俄かに怒声とも罵声ともつかぬ声がこだました。
「奥方様! 猶予はなりませぬ。何はともあれ、かねて用意の場に、急ぎ身をおかくしなされませ」急きたてる沢村才八の言葉に、玉子が静かに立ち、佳代がつき添った。と、大声で呼ばわりながら、池田六兵衛が庭に駈けこみ、「沢村殿! ご安心召されい」と一息つき、「奥方様、珍しい客人でござります」と告げた。
いぶかる間もなく、玉子の前に姿を現したのは、思いがけなく頓五郎興元であった。数人の従者をあとに従えた興元は、玉子を見るなり、「姉上! ここに・・・生きておられたのか」と、ふりしぼるように言い、がくりと地に膝をついた。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-3
興元を部屋に招じ入れた玉子は、早速膳の用意を命じた。もとより山家、部屋の中も、並べられた膳も粗末であったが、興元は玉子に会えた喜びに心をはずませ、盃を傾けては、忠興はじめ、熊千代、お長、幽斎夫妻の無事や、家中のことなど話しはじめた。
「・・・しかし、姉上、探しましたぞ」興元は持ちかけた箸を置いていった。「探されたとは?」「父も母も、家中の者誰一人として、姉上の行方を知らせてはくれませなんだ」「ま、興元さまにも」 「いや、わしのような者故、知らせなかったのかも知れぬ。何しろ、父や兄にも謀らず、惟任殿のもとに走った無鉄砲者故」
「・・・ 興元さまが、父光秀のために、ひとり京に向わせられましたお心、玉はどれほどありがたく存じておりましたことか」 「そのお言葉だけで、頓五郎は満足至極。・・・ま、それはともかく、父も兄も姉上の行方を聞かせてくれぬは、これはもはや、姉上は既にこの世に在さぬかと、一時は・・・」
いいかけて、傍らの河喜多石見、池田六兵衛、佳代らを見、口をつぐんだ。「それは、いかいご心痛を・・・」「だが、姉上は生きておられた。このような山奥の、このような宅住居は、いたわしき限りなれど・・・」ひとしきり味土野の話に及んだ後、玉子は言った。
「ところで興元さま、父や一族の最期の様子、いかがお聞き及びか、詳しく承りとう存じます」「おう、惟任殿のご最期か」苦しげに玉子の顔を見守って、興元は盃をおいた。一度は知らせねばならぬことである。 が、それはあまりにも痛ましい事実なのだ。
しかも、この山家に心淋しく過している玉子に、 その肉親の最期の様子をつぶさに伝えるのは、あまりにも苛酷に思われた。その興元の胸中を玉子は察して、「かまいませぬ、興元さま。伺えば、わたくしの心も定まります故」興元はおし黙った。男城で遅い昼飯を済ませた興元の従者たちが、いつの間にか庭先にもどって、控えている。
「かまいませぬ」再び玉子がうながした。興元はふいに立ち上がって縁に行き、従者の一人を手招いた。従者は縁近くに来て、ひざまずいた。「姉上、この者にお憶えがござろうか」問われて玉子は、面を伏せている若い武士に目をやった。
「面を上げよ」興元がいった。その武士は静かに顔を上げ、玉子を見た。玉子の顔に、驚愕の色が浮かんだ。「そ、そなたは、初之助ではありませぬか」頬がこけ、やつれているとはいえ、それはまさしく、初之助であった。濃い眉の下に、少年のように澄んだ目が、憂いを帯びて見開かれていた。
「お久しゅうござりまする。・・・初之助のみ生きながらえて・・・只々面目次第もござりませぬ」「初之助はどうしてここに?」「は、殿のご命令にて、この初之助は死ぬことを許されず・・・」初之助は最初より順を追って語りはじめた。
「殿が信長殿に代って、天下を取られると心に決められましたは、五月二十八日、愛宕山での参籠の夜とか」ここで光秀は三度くじをひき、はじめの二度は凶と出たが、二十九日には愛宕の西の坊で、里村紹巴などと連歌の席を持った。
「この折、殿は、時は今あめが下しる五月哉と詠まれましたげにござります」「・・・」「こうしてついに、天下は殿のものとなりましたが、第一に恃みにしておりました・・・ご当家のご支援なく、また殿に大恩ある筒井順慶殿もまた確たるご返事なく・・・」
初之助は時々顔を伏せては、語りついだ。「十三日は、雨でござりました。その日は申の刻(午後四時)になって、ようやく戦さが始まり、敵の加藤光泰の働きがめざましく、つづいて、高山右近、堀秀政らの働きに、ついに明智の奮戦もむなしく、殿は辛くもその場をのがれ、わたくし奴もお伴つかまつりました」
その折、光秀は初之助を招き、「初之助、そちの働き、身にしみてありがたく思うぞ。が、いまひとつ、折入ってねがいがある。聞いてくれるか」「何なりと、殿のご命令とあらば・・・」
「万一、わしがこの戦さに果てし後は、急ぎ坂本に帰り、その死の様をお熈に申し伝えよ。 そして、この辞世を渡すのじゃ」それは、<順逆二門なし、大道心源に徹す、五十七年の夢、覚め来りて一元に帰す>という辞世であった。
「凞子は、見苦しき最期を見せぬ女だ。そちは、わが一族の死を見とどけたあとは、丹後のお玉のもとに参れ。細川家は、まさかお玉の命までは奪うまい。しかし、お玉が苦境に立たされるは必定じゃ。そちはお玉に仕えてやってくれ。そして、形見にこの懐剣を渡してくれ。 これは、八上城に死んだお玉の祖母の形見なのだ」
「殿! それでは、この初之助、ひとりおめおめと生きのびて・・・」「初之助、生きることは、死ぬより辛いことがある。そちは、人にそしられ、笑われるかも知れぬ。しかし、お玉と共に生死を共にしてほしいとわしはねがう。これがわしの親心だ。 そちは武に秀れてはいても、まだ若い。あまり名のないのが幸いなのだ。これは名のある武士には頼めぬことなのだ」
初之助は、こうして死をねがうことを許されなかった。その光秀の言葉を初之助はかいつまんで伝えた。「その変でござります。折よく雨は晴れましたれど、月もなき暗夜にて、溝尾庄兵衛どのら数名と共に、殿に従って坂本城へのがれる途中、小栗栖というところにさしかかりました」竹林の中の小道をひそかに馬を進めていた時、前から三番目にいた光秀が、「うっ」と呻いた。
後につづいた庄兵衛がすぐに駈けより、「殿! 殿!」と叫んだ。初之助は列の最後にいたが、ただならぬ気配に駆けつけた時は、光秀は苦しい息の下から、「初之助、頼んだことを忘れるな」といい、「名もなき者の槍に・・・。不覚であった。庄兵衛、介錯を!」と、従容と自ら切腹して果てた。
「さすがは殿のご最期、沈着でござりました」暗い竹林の中に、僅か数人の者に見守られて、父はその一生を終えたのかと思うと、さすがに玉子は涙をとどめることができなかった。
「坂本城に吾らが戻りましたる時、既に奥方様もお覚悟遊ばされておりました。興元様はじめ坂本城にこもらんとした方々に、一族ここに火を放って果てまする故、何卒皆様方は城外におのがれ下されませ。他の方々を巻き添えに亡びたとあっては、明智一門の恥でござります、と申されました。
弥平次殿は、吉光の脇差、虚堂の墨蹟など、天下の名品をまとめ、その目録と共に、城を取り囲んでいた堀直政どのに贈られました。名品は天下のものという殿のご意志に従ったのでござります。弥平次どのは城に火を放ち、お倫さま、奥方さま、十五郎さまがたと共に、見事に、実に見事に果てられました」
粛として、一同声もなかった。山を渡る風さえ、はたと止んだようであった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 山鳴り 17-1
それは、坂本城のようでもあり、勝竜寺城のようでもある。玉子は、一人布団の中でうつらうつらしていた。人の気配に目をあけると、枕もとに忠興が突っ立っていた。
おどろいて顔を上げると、忠興はだまってひざまずき、玉子を胸にかき抱いた。
忠興は白いりんずの衣を着ている。そのりんずの、ひやりとした感触が、玉子の頬に快かった。「忠興様、お会いしとうござりました」「お玉、迎えに参った」玉子がいうと、えもいわれぬふくいくとした香の匂いが、忠興の衣からただよった。「え?お迎えに?」
