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細川ガラシャ夫人(下巻)
目次
14. 闇からの声 05
15. 悲運の命運. 25
16. 幽閉. 67
17. 山鳴り 88
18. 味土野の春. 109
19. 帰館. 130
20. 人の心と天の心と 147
21. こんてむつすむん地. 171
22. 狭き門. 192
23. 玉子受洗. 212
24. 迫害. 238
25. 秀吉の死. 243
26. 恩寵の炎 273
27. 終わりに. 312~315
28. 解説 水谷昭夫 317~325
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 闇からの声 14-1
聖母マリヤがイエズスをそのふっくらとした腕に抱いた絵を見上げながら、徳川家康が言った。「いや、この学校は大したものでござるのう、惟任殿」安土キリスト神学校の三階の一室である。神学校に案内した光秀と、客の家康、穴山梅雪の三人が、椅子に腰をおろして休憩していた。
開け放たれた窓から、琵琶湖の水を渡ってくる五月の風が涼しい。青い湖の一ところに、 雲の影が大きく映っている。その雲をみながら、光秀は森蘭丸の顔を思い浮かべた。家康は昨、五月十二日、穴山梅雪と共に安土に来た。武田征討の恩賞として、駿河一国をきようおうやく賜った返礼のためである。その饗応役に光秀が任ぜられた。
「家康を、おれと思って馳走せよ」信長が命じた。光秀は家康のために、堺や京から、器や食物をとりよせた。その豪華な器を見て、森蘭丸が、「惟任殿。これでは、上なき方への御饗応同然ではござりませぬか。徳川殿は帝ではござりますまい」ㅈと賢し気に詰った。
信長はそれを聞き咎め、「わしと思って馳走せよと命じたのじゃ。これでよい。光秀、御苦労」と、珍しく蘭丸をたしなめ、光秀をねぎらった。蘭丸は片頬に冷たい微笑を浮かべて、光秀をみつめた。信長の寵に思い上がった蘭丸を、思うともなく思いながら、光秀は家康に丁重に答えた。
「安土城といい、この神学校といい、殿もお気に召しておられる」「安土城はもとよりのことでござるが、この神学校のオルガンやヴィオール(ヴァイオリンの前身)には驚き入り申した」階下からは、今もオルガンに合わせて歌う生徒達の清澄な歌声がひびいている。
「おほめにあずかってありがたい。三河殿、右府殿も御地で富士の山を生まれて初めて見物なされ、甚だお気に召された様子」「ああ、あれは日本一の山じゃが、しかし、人のつくったものではござらぬ。それに引きかえ、この安土城も神学校も人のつくったもの、さすがは織田殿と感服仕った」
従者たちは一階の会堂で待っている。洋服を着たザンギリ頭の少年が菓子を運んできた。 「ほう、これは何という菓子でござるか」梅雪が声を上げた。「カステーラと申す菓子でござる」「これがカステーラのう」家康が言った。「は、ポルトガル語とか聞いて居ります。何でも西洋の国の名とか」「国の名と?」
「は、イースパニヤという国を、ポルトガル語でカステーラと呼ぶそうにござりまする」「ほほう、イースパニヤがカステーラ。しかし国の名が菓子になって食われてしまうとは…これまた驚き入った話でござるのう」また少年が入ってきた。お茶を運んできたのである。少年が去ると、家康がいった。
信長殿ほどのお方に仕えるのは、まことに幸せなこと、しかしご苦労も多くあられようのう」「いや、仕える者共より、殿にご苦労が多かろうかと存ずる」光秀は慎重に答えた。家康は信長の盟友だが、家臣の如く信長に忠実である。が、一方の雄なのだ。しかも、腹の底のわからぬ傑物でもある。
つやつやと血色のよい家康をみつめながら、(たしか、この男は四十一歳のはずだ) と光秀は思った。この間の戦いで、武田勝頼の首が届けられた時、信長はその首を足蹴にし、「ふん、この若造奴! これが多年の悪業の報いよ!」と罵った。
しかし家康の所にその首が届けられた時のことを、光秀は聞いている。家康は、勝頼の首を台の上にうやうやしく置き、その場に平伏して、「お若いのに・・・さぞご苦労の多いことでござりましたろう」と、霊を慰めたという。この様子を見て、もと武田の家臣であったものたちは、涙をこらえ得ずに泣きふし、家康に深い敬意を持ったとも聞いた。
四十一歳の若さと、この深慮では、どれほど伸びる人間かわからぬと光秀は思った。信長の第一の味方であると同時に、最大の敵でもある。うかつな答えはできない。 「のう惟任殿、信長殿は実に英雄というにふさわしいお方じゃ。ところで信長殿のご趣味の第一は、無論茶でござったな」
「は、ご存じのとおり、特に茶道具へのご造詣は深うござる」光秀の言葉に、家康はかすかに笑った。それは、あまりにもかすかな笑いであった。家康は、信長の名器への傾倒を、内心感心してはいない。松永久秀が信長にそむいたそもそもの発端は、久秀秘蔵の茶入れを強要したからだという風評さえあった。
だから久秀は、信長の最も欲していた平蜘蛛の釜を城の上から落して打ち砕き、最期を遂げたとも聞いている。が、信長はいよいよ茶の名器に執心しいとその富と権力によって茶道具を狩り集めていた。 茶入九十九髪、松島の茶壺、天下一の初花肩衝など、家康にもすぐに思い浮かぶほどの
名器を、数え切れぬほど信長は持っている。
無論、それらの名器は、茶の湯の席にも披露し、武功のある将への恩賞にも与えていて、もらった者はそれを無上の名誉とした。つまり信長は、茶の湯を政治の道具としたのである。それ故に、家康は今、光秀の、「特に茶道具への造詣も深い」といった言葉に微妙な響きを感じもしたのである。
「茶の湯に次いでは、鷹狩りでござるか」梅雪が尋ねた。「さよう。しかし近頃は鷹狩りよりも、名馬、名剣に心を寄せておられる」「おう、名馬と申せば、昨年の京の御馬揃えの見事さは、今もなお日本中の語り草になってござる。たしか、あの時奉行なされたは、惟任殿。惟任殿のなさることは、万事そつがない。惟任殿がおられて、右府殿はどれほど助かっておられることか」
家康の言葉には、真実がこもっていた。武田征討のあと、故もなく信長に打擲された光秀を家康も見ている。しかも、正月光秀のみが軍議にあずかったことも、多年のその働きも家康は知っている。その光秀が武田征討で何の恩賞にもあずからず、こうして自分への接待に心をつかっている。その懸命な光秀の姿は痛々しいほどだ。
自分より十六も年長の、五十余万石の大身とは思われぬ心のくだきようを、家康は身に沁みている。のちに、光秀の死後、家康は光秀の槍を家臣水野勝成に与えて、「よいか。これは惟任殿の用いし槍ぞ。生涯大事にして、惟任殿にあやかれよ」と言ったという。光秀にあやかれとは、無論「主の自分を殺せ」ということではない。家康は光秀の人物を大きく評価し、その人物に「あやかれ」と言ったのである。
それほどであったから、この時光秀に言った家康の言葉には真実がこもっていた。家康にしてみれば、自分は信長に、長子信康を殺されており、同様光秀もその義母を殺されているという、親近感があった。自分も光秀も、共にその事実に耐えてきた。そして、この光秀は、自分より更に多くを耐えて行かねばならぬ。家康には光秀の大変さを思いやる器量があった。
「織田殿は、この神学校の建立なども許可されて、キリシタンを厚く庇護されていられるが、 御自身は信者にはなられぬのかのう」カステーラを食べ終った梅雪が、椅子より立って窓辺に立ちながら、誰へともなくいった。「右府殿は、ご自分の目で確かめられぬものを信じることは、決してなさらぬのでは・・・」
「なるほど。自分の目で確かめられぬものはのう。神も仏も信じなさらぬとは強いお方じゃ。のう、三河殿」「全くじゃ。わしなど、神でも仏でも絶縋りたくなることが間々ある。惟任殿はいかがじゃ」 「わたしも、殿のようにはなれませぬて。殿はご自身を神となさっておられまするが・・・」 「何と、よい景色じゃのう」穴山梅雪は、その小肥りの体を、窓辺から椅子に返した。
梅雪は、ついこの間まで、長年の敵であった織田の領地にきて、落ちつかないのだ。家康にも、真実心を許しているわけではない。働か何百かの供を連れて、無事に帰国できるかどうか、妙に胸さわぎがする。昨日から梅雪は、脈絡もなく話題を呈し、また、話の腰を折ってしまう。(不幸にして、梅雪のこの予感は当り、この日より二十日を経ずして、帰国の途中一揆のために殺されている)
その梅雪とは対照的に、家康はわが家に在るように終始おだやかに落ちついていた。「楠正成の旗には・・・」梅雪が言いかけて口を閉じた。光秀は梅雪が何を言わんとしたかを察したが、「あの向うに見ゆるが、比叡でござる」といった。楠正成の旗には、「非理法権天」と書かれてあったと聞いている。
非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ意であるという。梅雪は、信長がおのれを神としていると聞き、「権は天に勝たず」の言葉を思い浮かべたのであろう。家康もそれと察したが、さりげなく、「備中の羽柴殿はご活躍よのう、惟任殿」といった。「は、苦労しておられる」答えたが、光秀は愉快ではなかった。
光秀は秀吉より早く城主となり、万事重んじられていたが、最近の信長の様子は明らかに変っている。この月のはじめ、四国の長宗我部氏征討が決まった。長宗我部氏は光秀の縁者である。光秀の甥斎藤利三の娘を娶っている。その縁によって、七年前の天正三年、長宗我部元親は自分の長子に、信長から誰をもらっている。
信長は、自分の信の字を一字与えて、信親と命名した。そしてその折、信長は長宗我部氏に、「四国はまかせる。手柄次第切り取るがよい」と手紙をやっている。また、長宗我部氏は一昨年の六月二十四日には、光秀を通して、十六連の鷹と三千斤の砂糖を信長に贈った。砂糖は疲労回復剤として使われている貴重な薬である。
こうして信長に随順していた長宗我部氏に対して、信長は「切り取り次第」という約束を忘れたかのように、土佐、阿波以外は、やることはできぬと、光秀にいわせた。仲介者の光秀は甚だしく困惑した。既に讃岐、伊予を攻略し終っていた長宗我部氏は、 「約束がちがう!」と烈火の如く激怒した。
四国は長宗我部氏と三好氏の対立が激しかった。三好氏も信長に自国の阿波を回復したい旨訴えていた。次第に勢力の強くなった長宗我部氏を嫌った信長は、三好氏を援け、遂に長宗我部氏を征討することに決めた。この三好氏は、秀吉の縁者で、秀吉が支援していた。
この事にも、信長の気持が明らかに、自分より秀吉に傾いていることを、光秀は思い知らされた。秀吉という名を聞くだけで、光秀は自分の足をすくわれているような不安と、不快を覚えるのだ。その光秀の心情を知悉した上で、家康は言った。
「羽柴殿は、たとえ戦さに勝っても、備中は要らぬ、朝鮮を賜りたいと申されたとか・・・」「その話は、わたしも聞いた。羽柴殿は羨ましいお方じゃ」梅雪が身を乗り出すようにして、円テーブルにひじをついた。茶碗がかたりと揺らいだ。光秀は黙したまま微笑し、手を叩いて次室に控えている少年を呼んだ。少女のように豊かな頬の少年が入ってきた。
「ご用でござりまするか」「牛の乳を」「かしこまりましてござりまする」少年は静かに頭を下げて出て行った。「羽柴殿で思い出したが、四国の長宗我部氏も、この度は・・・」またしても言いかけて穴山梅雪は口をつぐんだ。光秀との関わりを梅雪も知っている。家康がしみじみと言った。
「おお、長宗我部殿は、強いばかりではない。賢い男じゃ。わたしとも親しい男でのう」光秀は答えようがない。今、信長が征討しようとする相手を、客人の家康はほめてよいのであろうか。光秀の縁者としての儀礼で、ほめているのであろうか。光秀は家康の真意を計りかねた。
つづいて家康が言った。「織田殿も、三好氏を援けようか、長宗我部氏を助けようか、辛いところであられたのう。味方としたい相手と戦うのは辛いことじゃ。辛いと言えば、惟任殿の母上の時も、愚息信康の切腹の時も、織田殿はどれほど辛い思いをなされたことか」
光秀は内心驚いて家康を見た。人質であった光秀の母が死んだのは、いわば信長に殺されたも同然であった。家康の長子信康に詰腹切らせたのは、無論信長である。家康の言葉を裏返せば、 (お互い、信長には辛い目に遭わされているものだな。四国の長宗我部征討も、さぞ口惜しいことであろう)と言っているのだ。
何のために、この男は自分の腹の中を見せるのか。いや、見せているようで、その真意はわからない。(わしからどんな答えを引き出そうとしているのか)まさか寝返りの誘いではあるまい。何かの布石ではあるにしても・・・。そう思いながら光秀は、「戦国の世のならいなれば」と笑った。
家康はおだやかに、 「その戦国の世も、備中の戦さで終ることでござろう。織田殿の天下統一は成ったも同然、 めでたいことじゃ」と答えた。家康は今夜はまた、信長との宴がある。城に近い神学校に家康を案内したひる下がりのこの一とき、光秀は思いがけなく深い疲れを感じた。
この翌日、備中の羽柴秀吉より、信長直々援軍をと懇請があり、光秀もまた出陣を命じられた。俄かに家康接待の役を免ぜられ、出陣することになった光秀が、家康と梅雪に挨拶に行った。「惟任殿、名残り惜しゅうござるのう。今しばらく毎日惟任殿と語らうことのできるを、楽しみにしておったが」
饗応役を俄かに変更する信長の非礼を、家康は口には出さなかった。が、京や堺からの珍味の数々にこめられた光秀の心に、家康は並々ならぬものを感じていた。それだけに、客人の自分を他にまかせて、出陣しなければならぬ光秀に同情もしているようであった。家康は別れぎわに一言いった。
「惟任殿、毛利方には義昭将軍が居られるのう」光秀は、はっと家康を見たが、その目は静かに笑っていて、何を語っているか、探りがたかった。馬を駆って安土から坂本城に帰った光秀は、居室に入って、ごろりと横になった。じっとりと暑い夕暮である。妻の熈子が静かに傍らに坐った。
「殿、徳川様は、もうお帰りになられましたか」「いや、まだ安土におられる」「では、どうして・・・」「饗応役は御免になった」「ま、御免に!!なぜ、なぜでござります。ご接待のために、殿は京に堺にと、高価な買物をたくさんなされ心をつくして、ご準備遊ばしましたのに」
「出陣じゃ」「ま、では、やっぱり四国に」「四国ならば、文句はない。が、備中じゃ」「え、備中に? では、では、羽柴様の・・・」「うむ、羽柴殿の手伝いじゃ。殿のお供でな」光秀は自嘲した。「ま、それなら何も、わざわざ殿がご出陣遊ばすことはござりますまいに」
信長に従っての出陣だから、秀吉の配下になるわけではない。が、総大将の秀吉とは同格にならない。それが光秀には耐えがたい。「四国ならば、ともかく・・・」「さようでござります。もともと殿は、右府様と長宗我部様との仲に立っておられました故、四国征討の総大将は殿に決まっておりますものを・・・」
「うむ、それが今までの慣わしであったが・・・殿はその慣わしを破られて、信孝殿を総大将となされたわ」「・・・」「ならば、せめて副大将として、わしをつかわして下さるがよい。それも丹羽長秀殿を一躍用いられた」「なぜでござりましょう」当時は、仲介者が戦場にもさし向けられ、最後までとりしきるのが通例であった。信長はそれを無視した。
ということは光秀を無視したことであった。いわば、光秀の面目はまるつぶれとなったのである。「わしにもわからぬ。殿には、わしをもはや総大将の器とは思われなんだか・・・・・・。羽柴殿の風下に立つが似つかわしいと思われてか」と、そこに初之助が次の間からあわただしく声をかけた。
「そのようなことはござりませぬ。右府様は何か、別にお考えあってのことと存じまする」「殿! 安土より御使者が参られました」「なに! 安土より?」きがあわてて光秀は起き上がった。急ぎ着更えて客殿に向うと、客殿に上使が立っていた。光秀は次の間にひれふして、信長よりの伝言を聞いた。「出雲、石見の二国を与えてとらす」上使は低い声であった。
「はっ?」出雲、石見はだだ敵の毛利の所領ではないか。光秀はけげんな面持で上使を見た。上使は落ち着きなく視線を泳がせ、「因幡、伯耆、出雲を平定せよ。然るのち… 出雲、石見の二国を与える」「ははっ、ありがとう存じまする」答えながら、光秀はすばやく、平定に要する年月は一年半、いや二年かも知れぬとふんだ。
二年あとのことでも、加増の約束は流石に心が躍った。近江、丹波を合わせて五十余万石の光秀は、八十万石の大身となる。喜色を浮かべた光秀に、上使は口ごもるように、「その代り、近江と丹波は・・・召し上げる」「な、何?何と? 近江と丹波を」光秀の顔色がさっと変った。
信長の命を伝えると、上使はそそくさと帰って行った。(近江と丹波を召し上げる?) 光秀は呆然とした。(何のために?) 森蘭丸が、坂本をほしいと信長に訴えたという噂を、光秀は思い出した。 (あの小童にやるためにか!) 福祉行政の元祖は光秀といわれるほど、光秀は領民に心をかけていた。
福知山の四百年にわたる御霊祭は、光秀の死後、その二年の善政を記念して始まった祭だという。丹波、近江の領民にかける光秀の愛は、今、信長の手でぷつりと断ち切られたのだ。 (それほどまでに、殿はわしを憎いのか) しばし凝然と正座していた光秀は、やがて、蹌跟として、三階に上がって行った。
人気のない、うす暗い三階の廻廊に立って、光秀は坂本城下を見おろした。この城を自分が築城し、焼けあとのこの街を自分が広げて行ったのだ。築城した頃の、あの張りのある喜びの日々が思い出される。城の庭に遊んだ自分たち一家の姿が目に浮かぶ。 やさしい母、かしこい妻、愛らしかった倫、そして玉子、十五郎など・・・。
が、それも遠い過去のこととなった。やがてこの城に、まだ十七歳の森蘭丸が、わがもの顔に振舞う日がくるのかと思うと、呆然としていた光秀の心は、ふいにたぎった。 (うぬ!) それは、蘭丸にとも信長にとも知り得ぬ怒りであった。右をみると、琵琶湖に夕あかねが濃く映っている。血を流したような無気味な赤だ。
この近江、丹波を取り上げられては、たった今、出雲、石見など与えられたとて、何の嬉しいことがあろう。光秀は、亀山城か坂本城で静かに一生を終えたかった。(あの秀吉奴には、どんなに輝かしい恩賞が待っていることか) へたへたと廻廊にすわりこみたいような、深い絶望とむなしさであった。と、光秀は誰かの声を背後に聞いたような気がした。
再び声がした。「信長を倒すがよい」今度は、はっきりと聞えた。驚いて光秀はふり返った。誰もいない。うす暗い部屋がそこにあるばかりだ。気のせいかと思った時、三度部屋の中で声がした。「信長を倒すがよい」どこかで聞いた声である。光秀はぞっとして、夕やみの部屋を透かしてみた。誰もいない。
「誰だ。出てこい」返事はない。部屋の中に一歩踏みこんで、光秀は、はっとした。「三淵殿だ!」そうだ、今の声はまぎれもなく亡き三淵藤英の声だ。光秀は恐れよりも懐かしさを感じた。三淵藤英は、細川藤孝の兄で、将軍義昭の臣であった。義昭追放後、信長は藤英をしばらく坂本城に軟禁させておいた。
細川藤孝の兄でもあるし、一命は助けるといっていたのだが、信長はある日、突如藤英に切腹を命じてきた。将軍義昭と内通の疑いありという罪状である。藤英に、その切腹の沙汰を伝えた時の苦渋を、光秀は八年後の今も、ありありと思い浮かべることができる。「弟藤孝だけは、何とか生きのびてほしい。
長い間お世話になった」藤英は、切腹の命を聞いて、淡々と挨拶した。おだやかな表情であった。その藤英の声が、「信長を倒すがよい」といったのだ。気がつくと、その座敷は、曾て藤英の切腹した部屋であった。「三淵殿」今の声が藤英とわかって、光秀の恐れは全く去った。
「信長を倒せといわれるのか、藤英殿」部屋の真ん中にどっかと坐って、光秀はつぶやいた。何の応えもない。庭の木で鳥が短く一声啼いただけである。(近江、丹波を召し上げられるのは、ていのよい追放じゃ) 追放ならば一層のこと、佐久間父子のように、高野山にでも追いやられたほうがよい。
それとも、近江、丹波を召し上げれば、必死に働くとでも思うての処置であろうか。(この光秀、領地を召し上げられねば、必死に働かぬ男と殿は思うてか) 今まで、一度たりとも真剣に戦わぬことがあったであろうか。たとえ、家康の接待にしても、わしは真実こめて事に当った。わしは手ぬきのできぬ気性なのだ。
(出雲、石見は切りとり次第といっても、切りとった暁には、また召し上げられぬとも限らぬ) この丹波にしても、平定二年にして召し上げられた。四国の長宗我部も、「切りとり次第に与える」との約束を反古にされ、今征討されようとしているのではないか。
(出雲、石見を平定しても・・・あの秀吉奴が、わしを討ちにやってくるかも知れぬ) 信長は、わしが邪魔になってきたのだ。信長は邪魔な者、用のない者を冷酷に捨てる男だ。いや、おのれに随順する者の肉親すら、平気で殺す男だ。家康の長子信康も、細川藤孝の兄藤英も、わしの母も、みんな信長に殺された。
みんな心の奥に、信長への恨みを持って生きている。ただ、誰も信長に逆らえぬだけだ。なぜだ。それは信長が恐ろしいからだ。信長に敵対した本願寺の信徒たちも、一向の一揆も、将軍義昭も、そして松永久秀、荒木村重、すべてが亡びた。
ふっと、今日聞いた徳川家康の言葉がよみがえった。「毛利方には、将軍義昭様がおられるのう」なぜ、家康はあんなことを言ったのか。備中の秀吉を援けることは、即ち将軍を亡ぼすことだと言ったのか。お前はやはり、もとの主の将軍に敵対するのかと言ったのか。(あの男、一体何が言いたくて、あのようなことを言ったのだ)
家康という男、腹の底がわからぬ。誠実で柔和で謙遜で、忍耐強い。が、不透明だ。(義昭将軍といえば・・・ことしの正月に妙な夢を見た) 光秀は思い出した。暗闇の中で、ぼんやりと見える人影に刀を抜こうとした時、人影が言った。「わしを斬れるか、十兵衛」その人影が義昭将軍だった。
その夢が醒めた時、(もし、わしが天下をとっていたら、将軍を今のみじめな境遇にはおかぬ)と思ったことだった。脈絡もなく、グレゴリオ聖歌が耳の底にひびいた。昨日神学校で聞いた歌だ。そのグレゴリオ聖歌の荘重なひびきの中に、「お父上様、一体誰を人質になさるのですか」玉子の声がした。
光秀は疲れていた。頭をふり払うようにして、光秀は立ち上がった。「とにかく、もはや無禄なのだ。無禄の者が、一体どうして食べ、どうして戦えるというのだ!」再び光秀は、へたへたとその場にすわりこんだ。(無禄の者に戦えと、殿はいうのか。何を食って戦えというのか) 結局はやはり追放ということではないか。
グレゴリオ聖歌は疾うに消えていた。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」燃えさかる炎・・・。その炎の中から、朗々とした快川和尚の声が聞える。「和尚は腹が減っても戦さはできると申すのか」 光秀は、快川和尚に抗うようにつぶやいた。
(追放!) 故もなく、幾度も自分を打ち据えた時の、信長の憤怒の形相が大きく目に浮かぶ。その時、四度うしろで声がした。「信長を倒すがよい」光秀は目を宙に据えたまま、振り返りもせずに独白した。「むなしい」信長を倒したとて、結局はいつかは自分も死ぬのだ。
光秀は今の今まで懸命に生きてきた。 しかしその人生が、いいようもなくむなしく思われた。懸命に生きてきた自分の人生を、信長に一蹴されたのだ。(何のために命をかけてきたのか) 低く笑って光秀はうなだれた。長い初夏の日も、もうとっぷりと暮れている。
働きに働いた末に得たものが、領国召し上げという結果とは・・・。「これが、わしの長年の働きへの恩賞ぞ」つぶやいた光秀は、再び低く笑った。その笑いが、次第に大きくなり、そしてふいに絶えた。あとには夜のしじまだけがあった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-1
外は梅雨の名残りの雨が降っている。蛙の声の賑やかな夜である。忠興は、玉子の膝を枕として、静かに目をつむっていた。濃い眉である。若さの漲った額が広い。玉子はやさしく忠興の顔を眺めながら、ふと、一色義有に嫁いだ忠興の妹の伊也を思った。忠興の形のよい口もとが伊也に似ていた。
忠興がすっと目を開けた。大きな目だ。平生は精悍な、激しい目だが、玉子の膝にあっては、おだやかなまなざしである。「何を考えている?」玉子の白いあごに、忠興は手をのばした。「伊也さまのこと」「・・・伊也か」忠興はやさしくいって腕を組んだ。「一色さまとは、お仲がよろしいとか」「うむ、・・・が、わしとそなたほどではあるまい」「ま、それは」
笑って玉子は、「殿はいま、何をお考え遊ばしていられました?」と忠興の頬を両手にはさんだ。「わしか。わしはあの朱い無気味な星のことを考えていた」「ああ、この春にあらわれた、尾の長い朱い星のことでござりましたか」「うむ、天地に異変が起きる凶兆だそうな」
「殿、星とは何でござりましょう」「ある異国では、死んだ者の魂だといっているそうな。高山右近殿が申していた」右近の名を聞いて、玉子ははっと頬のほてる思いがした。が、さり気なく、「あの青い光は、ほんにそのようにも思われます。お祖母さまも星になられましたやら」
忠興の祖母が五月十九日に死んで、半月もたたない。「うむ、星になられたかのう、祖母さまも」「幼な子は小さな星、大人は大きな星になるのかも知れませぬ」「いや、強い武将は大きな星に、弱い奴は小さな星くずになるのじゃ」「では、殿は、大きな大きな星になりましょうほどに・・・」
「愛らしいことをいうぞ、お玉は」その気性の激しさ、果敢な戦闘ぶりは、信長の若い頃と酷似していて、信長の落胤だという噂さえある忠興である。「殿は、右府殿より強くなられると、玉はいつも思っております」「右府殿より?」「はい、殿は今、二十でござりましょう? まだまだ強くなられます」「うむ」満足そうにうなずく忠興のたくましい腕が、灯に光っている。
「だがのう、あの朱い星は何の前兆であったのか、今宵は妙に気にかかる」「本当に星が何かのしらせを致しますのやら・・・」「玉! まさか、右府殿に何か起きるわけでもあるまいの」「ご出陣を前に、不吉なことを仰せられますな。右府様の上に、異変が起きる筈はござりませぬ。殿、もしやあの星は、毛利家滅亡のしるしかも知れませぬ」
忠興は明日、二千の兵をひきいて、但馬街道を中国高松に向うのだ。部屋の中に、香の匂いがふくいくと漂っていた。出陣毎に、玉子は忠興のよろい、かぶとに香をたきしめる。「なるほど、毛利滅亡のしるしか。そうか、よいことを言ってくれたぞ、お玉」
忠興と同年の玉子は、ともすれば忠興よりも落ちついて、遥かに年上のような表情を見せる。「ご無事でお帰りなさりませ」「帰らいでか。お玉を置いては、わしは決して死なぬぞ。わしが死んで、お玉が他に嫁ぐことなどあっては、わしは死んでも死にきれぬ」忠興は起き上がって、ひたと玉子を見た。
「殿はお強い。わたくしより、ずっと長生きなされます」あまりに真剣な忠興のまなざしに、玉子は幼な子をあやすようにやさしく言った。「いや、わからぬ。お玉、それはわからぬぞ。もし万一、わしが討死した時に、そなたはどうするつもりじゃ。他の男に嫁ぐのか」「嫁ぎませぬ」
「と、今はいっても、それはわからぬ。そなたの姉上お倫殿は、荒木殿より帰って来て、弥平次殿に嫁いだではないか」「でも、玉は嫁ぎませぬ」「しかとさようか。もし明智殿が嫁げといわれれば、親の命じゃ。親の命は拒めまい。やはり嫁ぐことになるであろう」
「いいえ、嫁ぎませぬ。忠興様とのお約束故嫁がぬと申します」「そうはいくまい、お玉。この乱世では、誰と縁組みさせられるやら、わからぬのだ。そなたが他の男に抱かれるなど、思っただけでも胸がたぎるわ」忠興はぐいと玉子を胸に抱きよせた。「よいか、どこにも嫁いではならぬぞ」「嫁ぎませぬとも」
今まで二人の間に、幾度か交わされた言葉だった。玉子は誓いながら微笑した。「お玉、そなたは、なぜこのように美しく生まれたのじゃ」「・・・」「そなたを見て、心のうずかぬ男はあるまい」いらだたし気に忠興はいい、玉子の白い首筋に唇を当てた。快い戦慄に、玉子の肩がひくっと動いた。
「強い殿御は、そのようなことを、おっしゃるものではござりませぬ」「わしに、このようなことを言わせるそなたが憎いわ」玉子の顔をさしのぞき、忠興は満足そうに笑って、「よい子を産めよ」と、玉子の腹部にそっと手をやった。並外れて嫉妬ぶかく、立腹すると、異常なまでにいきり立つが、根はやさしい忠興の気性を、今はもう玉子はよくのみこんでいた。やさしい時はいいようもなくやさしいのだ。
「はい、殿に似た強くてやさしいお子を」「うむ、体をいたわるがよいぞ」「はい」「わしは死なね。手柄を立てて帰ってくるぞ。右近殿にもわしは負けを取らぬ」備中の秀吉を助ける明智光秀の組下には、高槻の高山右近をはじめ、摂州茨木の中川清秀、和州郡山の筒井順慶、兵庫の池田恒興、そして丹後の細川忠興があった。
「おや!」「何だ」「蛙の声がピタリと止みました」さわがしい蛙の声が不意に途切れた。深いしじまである。玉子はふと怯えた顔を見せた。 が、すぐにどこかで一匹が鳴きはじめた。つづいて、三つ、四つ声が起った。と思う間に再びさわがしい蛙の声になった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-2
どれほど眠ったことだろう。玉子は、廊下を走るあわただしい足音に、はっと目をさました。「何事だ!」傍らの忠興は、既に床から身を起していた。「殿、殿!」ふすまの開く音が聞え、次の間に河喜多石見の声がした。「何だ」「大殿が火急のお召しにござります」「何? 父上が?」「は、表書院にお待ちになって居られます」
平生は八幡城にいる藤孝が、忠興出陣と聞いて、昨日からこの大窪城に泊っている。「すぐ伺うと言え」「かしこまりました」再び廊下を走る足音を聞きながら、忠興は玉子の灯した灯りをじっとみつめた。「何事でござりましょう」玉子がさし出した着更えに、忠興は吾に返って、きびきびと無言で身につけた。
「何事でござりましょう」再びいう玉子に、「うむ・・・何事であろう。ま、何事であろうとも、お玉は案ぜぬがよい」忠興の、その寝足らぬ血走った眼が、静かに笑った。うす暗い廊下を急ぎながら、忠興は奥歯をぎりぎりと噛みしめていた。
(この未明に、何事ぞ!!) 書院に入ると、腕組みをした藤孝の苦渋に満ちた顔が正面にあった。差し向っての男は、 早足で知られる早田道鬼斎である。道鬼斎は、藤孝の家臣米田求政の家人である。米田は藤孝の使いで、京の信長のもとに行っている筈で、道鬼斎も同道した。
「道鬼斎! 京から何か変事の知らせでも持って参ったか」忠興は父への挨拶も忘れて、道鬼斎に声をかけた。「はっ」道鬼斎は一礼して、じっと忠興を見上げ、その視線を藤孝にうつした。「父上」「うむ」藤孝の唇がひくひくと動き、何かいいかけた時、あわただしく入って来たのは、忠興の弟傾五郎興元であった。
「父上、これは、一大事と見えまするな」興元は忠興より少し下がって坐った。一見、兄の忠興より年長に見える。「うむ、忠興、頓五郎、落ちついてよく聞くのだ。驚くではないぞ」藤孝はあえぐように、一息ついて、「信長殿が、二日未明、本能寺でお果てなされた」語尾がかすれた。
「えっ!? 信長殿がお果てなされた? そ、それはまことでござるか」 忠興の顔色がさっと変った。興元も驚愕して、「それはまた、どうして」「急病ではありませぬな、父上」「とすると、誰かの手に・・・」「それが・・・」苦しげに目をつむり、藤孝は首を横に振った。「それが? 誰の手に?」異口同音に忠興と興元は詰めよる。
藤孝は目を開き、ふところから、よれよれの紙を数枚とり出した。一目して、小よりによって持ち来った密書と知れた。米田求政からの密書であった。忠興は奪うようにその紙を受けとり、灯に近づけて読みはじめた。その上からかぶさるように興元が共に読む。
「げっ!? 惟任殿が・・・ こ、これはまことか」忠興の手がうちふるえた。「まことにござりまする」見守る道鬼斎の目が鋭かった。「・・・なに、本能寺は火炎に包まれ・・・とな」「二万の明智軍に囲まれては、流石の殿も・・・」「京は上を下への騒ぎにて・・・」ところどころを口に出しつつ、二人は密書を読み終えた。
「あ、あの殿が、あの殿が、事もあろうに、わが舅御惟任殿の手にお果てになったとは・・・」がっくりと忠興は肩を落した。真の父子かと噂されたほどに、信長に目をかけられた忠興である。
「思いもよらぬ一大事じゃ。だが、落胆狼狽している時ではない。しかと肚を据えてかからねばならぬぞ。よいか、忠興、頓五郎」藤孝の声に、興元は落ちつき、「道鬼斎、詳細はこの道鬼斎に尋ねよとの米田の手紙。道鬼斎、そちの見たること、聞きたること、詳細に話してくれぬか」
「は、順を追うて申し上げまする。・・・実は、それがし、いつもの如く米田様のお供をして京に上りましたるは、六月一日のこと」「何のために京に行った」興元の言葉に、藤孝がいった。
「米田を京に遣わしたは、わしじゃ。米田は次男坊が十如院に入堂とのことで、京に出る用があった。わしは、信長殿ご入京に、佐久間甚九郎が勘気御免となって供をしていると聞いた故、慶賀の使者に、これ幸いと米田を遣わしたのじゃ」
「そして、相国寺門前の米田様の邸にて、本能寺の変を伺いました」光秀の軍が本能寺をかこんだ様子を道鬼斎は述べた。「ふむ、で、京の様子は」「は、・・・上を下への騒ぎながら、惟任様の天下様を早くも喜ぶ者もあり・・・」「惟任様の天下様か・・・」藤孝はつぶやいた。
「しかし、信じられぬ。あの殿が死なれたとは・・・」忠興は頭を横に振った。興元はその忠興にはかまわず、「道鬼斎、して、惟任殿は」「はい、二日は坂本城に、三日は安土に赴かれるとか伺いましたが」藤孝はうなずいて、「そうか、安土に向われたか。道鬼斎、ご苦労であった。下がって休むがよい。
京よりここまでの韋駄天走り、さぞ疲れたことであろう」道鬼斎が去ると、三人は黙然と顔を見合わせた。しばらくの後、太い吐息を洩らして口をきったのは忠興である。「舅御は、大それたことを仕出かしてくれたものよ」
「いかにも。我らが信長公に受けた深いご恩、忠興、興元、決して忘るるではないぞ」「は、もとより。この丹後を、若輩忠興奴に賜りたるご恩のほどを思えば・・・」「姉上を賜ったるも、信長公よ」興元は皮肉なまなざしで兄を見ながら、聞きとれぬほどに、低くつぶやいた。
「それにしても、あの惟任殿が、思い切ったる挙に出たものじゃ」「父上、何故舅御は上様を倒されたのか、わしにはわかりませぬ」「兄上、わしにはわかる。男は一度は天下をこの手に握ってみたいもの。しかも、惟任殿は上様より度々酷い仕打ちを受けたとか」
「それじゃて。人質の母上を殺されたるは、母思いの光秀殿には、決して忘られはしまい。その上、度々の故なき打擲。特に武田征討の折、敵味方の前での辱め・・・。いや、それよりも何よりも、領国召し上げの事態では、光秀殿も進退きわまったに相違ない。さぞや、苦悩の果てのことであろう」
「しかし、上様が、人もあろうに舅御の手にかかられるとは・・・」忠興は、ふいにはらはらと落涙した。その涙に誘われて藤孝も目をしばたたき、しばし暗然とした。一人興元が、天井の一角を睨みつけるようにしていたが、「とにかく、父上。かくなる上は、惟任殿の天下となられた。父上は惟任殿年来の親友でもあり、親戚でもあれば、これより急ぎ駈けつけるが当然…」
「いや、待て、興元。細川家は室町時代よりの家柄なれば、軽挙はならぬ。光秀殿が、このまま天下をひきいて行けるか、どうか、ここが思案のしどころじゃ」「では父上は、天下を治められればお味方申すが、治められねば見捨てると仰せられるか」 詰めよる興元を、藤孝は両手で押しとどめ、
「まあ、まあ、そのようにいきり立つではない。よいか、興元。われらにとって、何が一番大事であろうか。それはこの細川家じゃ。僅か十余万石の小名が、この乱世に生きのびるには、知力しかない。もとより、たった今この細川家が亡びてもかまわぬと申すなら、わしも長年の心の友である光秀殿に加担したい。その情はわしにもないではない。まして、忠興とは婿舅の間柄である。さぞや光秀殿も、わしらの駈けつくるのを待っていられるであろう」
「父上、確かに惟任殿は吾が舅御。なれど、信長公に賜ったご恩は忘じ難い」悲痛な忠興の表情を、興元は冷たく見て、「とにかく父上も兄上も、天下が惟任殿になびけば共になびく、なびかねばなびかぬというご所存か」
「当然のことであろうぞ、興元。武人にとっては、家名を守るが第一のつとめじゃ。ご先祖に申し訳の立たぬことになっては相すまぬ。忠興、そちもそう思うであろう」「は、細川家の名を挙ぐるがわれらのつとめと思いますれば・・・。されど父上、惟任殿はいかが相成られると思われまするか」
「うむ、それじゃ。先ず、今は羽柴殿は遠く備中にあり、仕 今は羽柴殿は遠く備中にあり、徳川殿は小数の供をつれての京、 堺の見物、滝川一益殿は上州の新領国にあり・・・」 「そして、柴田勝家殿は魚津に上杉景勝を囲み、織田信孝殿は丹羽殿と共に、海の向うの四国に居られる。とすれば・・・」
「とすれば、今しばらくは光秀殿の天下よ。しかし、高山右近殿は謀反には決して与せぬ。 先ず高山殿が、光秀殿打倒ののろしを上げよう」「しかし、筒井順慶殿は明智方につかれよう」「さての、あれも賢い男じゃ。天下の形勢をじっくりと見てから腰を上げようぞ」「細川家の動きを、細川家同様じっと見ているにちがいないわ」興元は皮肉な微笑を見せた。
「いうな興元、今しばらくして、羽柴秀吉、徳川家康、織田信孝、これら面々がいかなる動きに出るか・・・」「父上、舅御が天下を取り切る公算は・・・」「残念ながら・・・ないかも知れぬ」「では、わしは一体、どう動けばよいのじゃ」藤孝は目をつむった。蒼く、ややむくんだ顔が、四十九の年をいくつも上に見せていた。
「そうじゃ!」かっと目を見開き、藤孝は膝を打った。「今日明日中にも、光秀殿から加担を誘う便りが来るに相違ない。わしは信長様の多年のご恩を思えば、剃髪して弔意を表するが第一。そうじゃ、わしは髪を剃って、今の今から、藤孝改め、…うむ、そうじゃ、幽斎玄旨と号しよう」「え? 父上はご剃髪」
「うむ、隠居する。が、忠興は、立場がまた別じゃ。舅御にくみして働くもよし、そちの心のままにするがよい」「父上が髪を剃らるるならば、わしも共に・・・」「ほう、兄上も坊主になるのか」「忠興まで剃るに及ぶまい。父のわしが剃髪すれば、人々に細川家の心の在りどころを示されよう。そちが、その気なら、もとどりを断つがよい」
「は、では、わしはもとどりを断ちまする」「なるほど、父上も兄上もかしこいことじゃ。惟任殿の使いが来ても、頭を見れば一目瞭然、諦めて帰るであろうよ。だが、わしは髪の毛一本落さぬぞ。わしはわしの心のままにする」
「はやるな興元。そちはまだ若い。血気にはやっては相成らぬ。忠興、松井、有吉らを呼べ」幽斎は凛と言い放った。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-3
玉子は忠興を待っていた。未明に呼ばれて表書院に行ったまま、辰の刻(午前八時)になろうとするのにまだ戻らない。領内の一色家に、また不穏な動きでもあったのかと、 玉子は思っていた。
青いみすの向うに、今日は久しぶりに晴れた余佐の海が見える。長い梅雨は遂に終ったのだ。昨日までは、小雨の中に影のようにぼんやりと見えた天の橋立が、くっきりと黒く左手に伸びていた。共に天の橋立に遊んだ日の父の静かな姿が、ふいに鮮やかに浮かんだ。
(去年の春であった) あの時、父の光秀は言った。「お倫も幸せになった。お玉にも二人の子供ができた。いつまでも幸せであってほしい」「いつまでも幸せでいとうございます」玉子はそう答えたことを憶えている。そうだ、あの時、父は伊也と一色家の縁談を進めていたのだったと玉子は思い出した。そして、その父がどこか変ったと感じたことも思い起された。
「父上を、忠興様よりも信じております」そう、自分は言った。そして、その思いは今も変らぬ。娘にとって、父とは何と大きな存在であろうと玉子は思った。重い足音が廊下に聞えた。松井康之、有吉立言ら、重臣との評定を終えた忠興の足音である。「お帰りなさいませ」みすを上げて入って来た忠興は、そのまま突っ立っている。見上げて玉子は驚いた。
「まあ、そのおつむりは。いかが遊ばされました」「うむ、早田道鬼斎が京から戻ったわ」忠興は返事にならぬ返事をした。既に辰の刻を過ぎている。幾夜も眠らぬような深い疲れがありながら、頭は妙に冴えている。忠興は妊娠中の玉子をおどろかすまいとして、そう答えた。
「あの、早足の道鬼斎が? 夜半にまた何の知らせを・・・」「お玉、あの朱い無気味な星は、やはり不吉の前兆であった」と、忠興はがっくりと膝をついた。「不吉な? では、どなたさまかご他界?」「うむ、・・・お玉、驚くなよ。腹の子にさわる故、決して驚いてはならぬぞ」忠興はつと、玉子の手を取り、しっかと握って、「お玉、殿が・・・殿がのう・・・」と、声をつまらせた。
「え!? なんと仰せられます。あの、上様が? それはいつ? いかがなされて?」せきこむ玉子に、「お玉、それが・・・それがのう。人手にかかって、本能寺にお果てなされたのじゃ」「誰の手に?」「誰だと思う?」「さ・・・ 上様のお命を頂戴するほどのお方は・・・徳川様?」
「ちがう。お玉、それがのう・・・それが、そなたの父じゃ」「えっ!? 父上? 父上が・・・上様を?」玉子の顔色がさっと青ざめた。(あの父が、上様のお命を・・・) 天の橋立に遊んだ日の光秀の笑顔が、大きく迫った。「そうだ。そなたの父は昨日から天下様になられたのじゃ」忠興は事の次第を、手短かに語った。「・・・」忠興にとられている玉子の手が、わなわなとふるえた。
「惟任殿にとっては、めでたいことだ」いたわるように忠興は玉子の顔をさしのぞいた。深い沈黙の時が流れた。「?----」大きく見開いた玉子の目が、もとどりを切った忠興の頭をみつめた。「いかが致した? お玉」玉子は海に目をやった。天の橋立のひとところが、六月の朝の日にきらりと光った。
玉子の手が、するりと忠興の手からぬけた。「お玉!」再び玉子の視線が、忠興のもとどりに注がれた。玉子はいち早く、もとどりを切った意味を悟った。信長の死を悼むために、夫はもとどりを切ったのだ。信長の死を悼むその行為は、単なる儀礼とは思えなかった。その命を奪った父光秀に背を向けていることでもあった。
「お玉」「・・・」再び手を取ろうとする忠興の手を避けて、玉子は口を開いた。「殿、そのおつむりは、上様のおんため・・・」「うむ、父も剃髪したぞお玉」「そちも知ってのとおり、われら父子が殿よりこうむったご恩は深い。殿はこのわしにこの国を賜った。この城も殿から頂戴した。殿は・・・わしに特に目をかけて下された。お玉、殿は・・・わしにとって・・・親も同然のお方じゃ」
忠興の声がうるんだ。折角賜ったこの領地も、信長が死んではどうなるかわからない。「その・・・親も同然の上様を、あの父が・・・」「うむ、しかし、そなたの父にはそなたの父の立場もある。この度は領国召上げの処置もあった。さぞ、考えに考えた上でのことであられたろう」「・・・」
玉子は三度天の橋立に目をやった。風にみすがゆらぎ、一瞬、天の橋立もゆらいだかに見えた。驚愕が去り、玉子の心は孤独に静まり返っていた。いや、それは形を変えた驚愕であったかも知れない。 故もなく信長に打擲されている父の姿が目に浮かんだ。祖母の登代が、信長の無情によって、ハ上城に殺されたことが思い出された。
(父は、上様の数々の仕打ちに、今日までじっと耐えてこられたのだ。その耐えて来た日々が、どんなにお辛かったことか) 父をここまで追いつめた信長への憤りが、心の底から湧き上がるのを玉子は否み得なかった。(あの暴君の信長様を倒せる者は、今の世に父しかいなかったのだ)
(もし、この自分が男の子なら、あの冷酷な仕打ちに、決して耐えはしまい。とうにお命を頂戴したかも知れぬ) 血の気のない玉子の唇に、かすかに笑みがのぼった。ぎょっとした忠興に、「殿」玉子の声は静かだった。「何だ」「父に、天下を鎮める力はござりましょうか」
「それよ。父も、わしもそれを考えた。羽柴殿にしろ徳川殿にしろ、上様を倒す勇気はなかったであろう。が、惟任殿を倒す勇気はあるであろう。何しろ、惟任殿を倒せば、倒した者が天下を握ることになる」「----」
「のう、そうであろう。男と生まれて天下がほしいのは、誰も同じじゃ。今までは、天下を望むなど、思いもしなかった奴らにも、今は天下が手の届くところにある。とすれば、誰しも勇躍して惟任殿に挑むは必定。しかも上様の仇を討つという、天下晴れての名分がある
「----」「これを思い、あれを考えると、たかが十余万石のわれらがお味方しても、残念ながら惟任殿の立場が危ない」「それで、もとどりを、切られたわけでござりますか」信長の喪に服すると言えば、名分が立つ。光秀を支援せぬ忠興父子の肚が、玉子にもよくわかった。
「わかってくれるか、わしの立場を」静かにうなずきながら、父光秀が四方から追いつめられて行く姿を、玉子は目に浮かべた。(父上さま!) 婿の忠興にさえ、早くも見限られた父へのいたわしさに、胸のつぶれる思いがする。(わたしが男の子ならば、かなわぬまでもお味方をするものを) 所詮は、夫にとって父は他人に過ぎぬと、玉子の心の中に冷たい風が流れた。
「殿」溢れる涙をこらえつつ、玉子は、「もし、・・・上様のお命を頂戴したのが、徳川様か羽柴様だとしましたら・・・殿はそのもとどりを切られましたか」ふいを突かれて、忠興は玉子をまじまじと見たが、ぷいと不機嫌に顔をそむけた。
(父の挙に味方なさらぬのは、父が悪いからではなく、力がないからなのだ。もし、父の天下が定まるとの見通しが立てば、誰もが父に馳せ参ずるにちがいない。・・・つまりは、父をあながち悪いと見ているのではない。結局は強ければよいのだ)
乱世にあっては、強い者が弱い者を倒す。これが唯一の法則なのだ。玉子は心の底にぽっかりと穴があいたようなむなしさを覚えた。むっつりと黙りこんでいた忠興が、荒々しく立ち上がった。「殿!… それで、このわたしをいかが遊ばされます?」「そちを?」
「父に味方なさらぬとは、つまり父の敵となられましたも同然。敵方の娘は返されるが慣わし---」「返す? そちを? お玉、そちは帰る気か」忠興は玉子の肩をぐいとゆさぶった。「それが慣わしとあれば、致し方もござりませぬ」「何と気丈な・・・冷たい奴じゃ。お玉、昨夜もいうた。わしは返さぬ。返すぐらいなら、わしが殺す」忠興の唇がふるえた。
「殿!」「お玉、よいか。わしはそちがいとしいのだ。命にかけても返しはせぬ。殺しもせぬ、そちの命はわしのものじゃ。そちが死んでは、わしも生きては居れぬのだ」 忠興はひしと玉子を胸にかきいだいた。
幽斎、忠興の早くから諸方に放っていた業者の情報が、細川家に刻々と入ってきていた。「惟任殿の軍二万と見たるはあやまりにて、一万三千の由、右府殿の手勢僅かに七十余名なり。御長子信忠様も果てられ、六月四日、惟任殿安土城に入られたり」
との、米田求政の使いをはじめ、琵琶法師に身を変えた諜者の口から、光秀が京の貧民に金品を与えたこと、貧民は喜びのあまり、光秀の本拠をとり囲んでいること、朝廷にも財宝の献上、征夷大将軍の宣下をいただいたことなどが次々に伝えられた。
つづいて、信長の客人となり、堺に遊んでいた徳川家康は二日の朝、変を知り、直ちに伊賀越えをして領国に逃げ帰ったこと、しかし、家康に同行していた穴山梅雪は、家康のすすめをいれず、一足遅れて帰る途中、一揆に殺されて果てたことが、もたらされた。
「そうか、梅雪は殺され徳川殿は無事岡崎に帰られたか」幽斎は複雑な表情をした。幽斎は、秀吉よりも家康の動きに重きを置いていた。秀吉は、中国の雄毛利輝元と対峙して久しい。信長に援軍を頼んだ程だから、早急に秀吉は動き得ない筈である。
「父上、徳川殿は早速兵を挙げて、惟任殿を倒すかも知れぬ」忠興が幽斎にそういった時、幽斎はまるめた頭をつるりとなでながら、「それよのう」と暫し黙考したが、「しかし徳川殿は、はやらぬ男だ」「だが、天下を取る気は充分と見えますが」忠興のその言葉も終らぬうちに、乞食に身をやつした諜者が、中国より馳せ帰った。
「なに?! 羽柴殿が、八日姫路にもどったと? それは確かか。誤りではないか。毛利との戦きはいかが相成った?」 さすがの幽斎も仰天し、たたみかけて聞く。秀吉が中国にあるうちは、諸将もお互いにおの動きに注目して、当分大きな動きはないと睨んでいた。
秀吉は、信長をはじめ、光秀及びその組下の細川、高山、筒井らに応援を頼んだばかりである。現に信長は、その出陣の途次、光秀に襲われて果てたばかりではないか。いわば、援軍を待ち兼ねている秀吉のはずであった。それが、今、姫路に戻ったとの報である。幽斎は俄かには信じがたかった。
「はい、それが、五月八日以来、水攻めをしておりました高松城が落ちまして」「高松城が落ちた?」「は、羽柴筑前守は、次第に水を増量し、為に遂に城下の家々も水に浸り、従って城中の兵棚も尽きはてたげにござりまする。そこで、やむなく、守将の清水宗治殿、兵の救命をねがって自刃を申し出られました」
「ふむ、それで・・・」「筑前守は毛利方の智僧恵瓊を仲立ちとして、清水殿は切腹、備中、伯耆、 みまさか一、伯耆、美作は織田方に・・・ という誓紙を入れましたとか」安国寺の僧恵瓊の名は、世にあまねく知られている。
十年前恵瓊は、信長に会った印象を、 「信長の代、五年三年は持たるべく候。明年あたりは公家になどなるべく候かと見及び申候。さ候て後、高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申候、藤吉郎さりとてはの者に候」 と予言していた。
その予言の適中を今更のように幽斎は感嘆して思いながら、「それで、清水宗治は」「は、四日に水の上にこぎ出て、敵味方の見守る中に、見事な御生害でありました」「そうか。それは恐らく、本能寺の異変は毛利方に伏せての大芝居であったろう。さすがは黒田官兵衛孝高を謀将に持つだけのことはある」
秀吉の実力をまざまざと知らされたようで、思わず幽斎は身ぶるいした。諜者が退るや、早速幽斎は視を引きよせて、秀吉に手紙をしたため、幾度か書いては破り、 破ってはまた書いた。達文の幽斎には珍しいことであった。
先に、光秀から、援軍を待つとの使者が来たが、幽斎は頭をまるめ、忠興はもとどりを断った姿を見せ、「吾らは右府さまに、御高恩をいただく身なれば、しばし喪に服したい」といって返した。 今朝は再び、沼田権之助が光秀の親書を持って誘って来たが、これもまた断って帰した。 光秀の書面は、文箱に納めたばかりだ。
「御父子もとゆひ御払之由、尤余儀なく候。一旦我等も腹立候へども、思案の程かやうにあるべきと存候」「 我等不慮の儀存じ立候こと、忠興など取立申すべきとての儀に候」などの言葉が、まだ目に焼きついている。光秀が、細川家の援軍を待ちわびている様子がありありと目に浮かぶ。が、幽斎としては、細川家の浮沈のほうが一大事である。
光秀との信義、友情は捨てても、家は守らねばならぬ。光秀とても、長年の信長の恩を裏切ったのだ。 この細川家の生き方を、察し得ぬはずはない。頭をまるめた幽斎にならって、家臣の米田求政も有吉立言も剃髪した。これが小大名の生き方なのだと思いながら、幽斎は秀吉への筆を走らせた。
細川家は上下あげて信長の死を悲しみ、いかに喪に服しているか。長年の友人光秀の誘いを断乎として断った細川家は、秀吉と同じ道を行くものであることを、幽斎は言葉を選んで慎重に述べた。
これに対し、のちに七月十一日、秀吉は、「今度、信長殿御不慮については比類なき御覚悟、特にたのもしく存じ候。(中略)表裏なく公事に拠り、御身上見放し申すまじく候こと、云々」 と誓紙を幽斎父子に送っている。
秀吉京へ進撃せり、との報に狼狽したのは、ひとり細川家のみではなかった。光秀に恩義のある筒井順慶も、最初の二、三日は光秀に従っていたが、天下の形勢を見て動きが慎重になった。秀吉の動きを知ると、遂に中立の腹を決め、米塩を城に運び入れた。
「やはりのう」順慶が米塩を集め、籠城を覚悟したと聞き、幽斎は忠興にうなずいてみせた。順慶にせよ、 細川家にせよ、家の浮沈にかかわるこの大事に当って、慎重にならざるを得ぬのは、致し方のないことではあった。(生きのびるということは、みにくいことよ) 幽斎はふっとそう思うことがある。が、武将にとって、生きのびることは、即ち勝利なのだ。
こうした数々の情報の中で、忠興は終始いらだっていた。光秀の形勢は、即ち玉子の運命にかかわるからであった。玉子の心のうちを思えば、迂闊に情勢を知らせるわけにもいかない。玉子と口をきくことを恐れて、忠興はこの頃、ひどく寡黙になった。 この間、一人頓五郎興元は、父や兄を冷視しつづけていた。
そして、その日、玉子が廊に立って、見るともなく庭を眺めていた時だった。庭を渡って大股に頼五郎が近づいてきた。曇り勝ちのむし暑い日である。時折、その雲の裂け目から、 かっと陰暦六月の日が地を照らす。肌がじっとりと汗ばむ。空気もまた重くしめっていた。
「姉上」頓五郎は迫るような激しい目の色を見せて呼びかけた。「何かご用でござりましたか」「・・・」黙って突っ立つ頓五郎興元のたくましい肩に、蜂が低くうなってまつわっている。「何か?」やさしく促すと、頓五郎はきっと見すえるように玉子を見、「姉上、何を考えておられました」「別に・・・。庭を見ておりました」
「何も考えぬといわれるのですか」「はい」「嘘をいってはなりませぬ。姉上は・・・、この庭など眺めてはいられぬ。もし眺めていられたとすれば・・・」踏石に上がって、興元は縁に腰をおろし、「・・・もし眺めていられたとすれば、この庭を眺めるのも、あと幾日と思うていられたのでは・・・」「・・・」「姉上、姉上は、細川の奴らの腰ぬけよ、卑怯者よと、思うていられたのではござりませぬか」
玉子は少し離れて坐り、そのまろやかな自分の膝頭のあたりを見つめながら、「頓五郎さま、玉は、父の軽挙を恥じております。とんだご心労をおかけしたこと、只々、 申し訳なく思っております」「なぜです? 何が恥ずかしいと申されるのですか? できることなら、誰しも惟任殿の真似をしたかったのだ。が、誰も右府殿を倒すことなど思いもよらなかった。誰もなし得ぬことを姉上の父御はなされたのだ」
「ごらんの通り、誰も彼も、腰ぬけだ。家が大事! それもわからぬわけではない。しかし、姉上」興元はうつむいている玉子を見守り、「わしには家よりも大事なものがある」「家よりも大事なもの?」顔を上げた玉子に、興元の視線がからんだ。「それは・・・それは、姉上だ」
「そんなことを・・・」「申してはならぬと仰せられるか。姉上、これが、頓五郎最後の言葉と思し召せ。わしには、わしには、姉上が何ものよりも大事なのだ。大切なのだ」あっという間もなかった。立ち上がるや否や、興元は庭をかけて風のように過ぎ去った。 そして、そのまま、興元は細川家より姿を消した。
やがて、興元が兵をつれて京に向ったという報に、細川家は上を下への騒ぎになった。忠興が顔色を変えて馳せ来たり、「お玉、頓五郎奴が、無断で京に向ったわ」と告げた時、玉子は、「まあ、それは」と驚いて見せ、「父のために、申し訳もござりませぬ」と詫びたが、しかし、頓五郎の言葉は告げなかった。告げ得るものでもなかったし、告げたくもなかった。
今のこの大変事に、興元だけが、純粋に自分を思ってくれているのだ。城主である忠興と、部屋住の興元では立場がちがう。それはわかっていても、忠興が興元のように動いてくれぬことが、玉子には淋しくもあった。が、玉子の身をのみ案じていたのは、ひとり興元だけではなかったことを、まだ玉子は知らなかった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 悲運命運 15-4
その夕べ、不機嫌に黙りこくったまま、忠興は夕食を取っていた。「殿…」おずおずと玉子は呼びかけた。そ忠興はちらりと玉子を見たが、すぐにぷいと視線を外らした。事変以来、ともすれば黙り勝ちな忠興だが、その視線の外らし方が、ひどく冷淡に思われた。
「姉上が大事なのだ」言い放った頓五郎の言葉を玉子は思った。(夫は自分をうとみはじめている!) 玉子は、ふいに突き放されたような淋しさを感じた。忠興ががらりと箸を置いた。「殿」忠興は玉子の顔を見ずに、部屋を出て行った。また諜者が新しい知らせでももたらし、重臣会議があるのかも知れぬと察しながらも、玉子は淋しかった。夫にとって、家は大事であっても、もはや妻の自分は眼中にないのかも知れぬ。
父が天下をとって、幾日かは忠興も時折消息を洩らしてはくれた。「男、御は、安土城に入られてな。右府殿の長年かかって集められた茶器名器を、わずか数刻の間に、ことごとく人に与えられたそうじゃ」後に、利休門下七哲の一人とうたわれた忠興は、複雑な表情でこう告げたりした。
また、「そなたの父上は、京の税を免じたとな。人心も次第に落ちつくであろう」などと、玉子を慰めた。が、次第に、何の消息をも玉子の耳には入れなくなった。夜半、憑かれたように激しくかき抱くことはあった。が、以前のように睦言もない。
今夜の冷たい忠興のそぶりを見ると、玉子はいまだ曾てなかったほどに、父が慕わしく思いとわれた。いや、愛しいといったほうがよいかも知れぬ。(いま、父上は、力の限り戦っておられるのだ) その孤独な姿が痛わしくてならぬ。
(父上様!) 玉子は胸もはりさける思いで、心の中に父を呼んだ。女の身の非力が口惜しかった。信長は、父に数々の冷酷な仕打ちを加え、挙句の果てに領国まで取り上げた。追いつめられた父は、信長を討つよりいたし方がなかったのだ。その父に味方する武将のないのが、玉子には納得できなかった。
いく度か思ったことを、繰り返し玉子は思う。思う度に、舅の幽斎と夫の忠興への不満が、 心の底に澱のようにたまっていく。特に今宵は、夫に対しての憎しみにも似た感情さえ湧くのを、どうすることもできなかった。
玉子は深い吐息を洩らして、かすかに首をふった。ふくよかなその頬も、この数日で肉が落ち、それがまた玉子を、かえって凄艶に見せていた。次の間のふすまが開いたようだった。「奥方様」清原佳代のひそやかな声がした。
「ああ、お入りなさい」「はい、ごめんくださりませ」一瞬灯がゆらいだ。「熊千代と、お長はやすみましたか」「はい、すやすやと・・・」部屋に入った佳代は、いいさしてふっと涙ぐんだ。何も知らずに無心に寝入った二人の幼な子を不憫に思っての涙と、いち早く玉子は察したが、「すやすやと眠りましたか」と静かに微笑した。
佳代はその玉子をじっとみつめ、「御方様も、ぐっすりおやすみになられまするよう… 佳代は毎夜お祈りいたしております」と、いたわしげに言った。「お祈り? それはありがたいこと。佳代どの、祈りほど真実なものはないように思われます」
「え? 祈りほど真実なものがないと仰せられますか」「ええ、いま、はじめてそう気づきました。いつも佳代どのは祈っていてくださる。祈りは、人の知らぬところで、真心から神仏におねがいすることでしょう?」「はい、佳代は真心からお祈りいたしまする。汗の出るほどに」「汗の出るほどに?」
「はい、御方様、この祈りを何としても、神にお聞きとどけいただかねばと、切に切に思いまするとき、おのずと、汗も涙も出るものでござります」「まあ、汗も涙も出るほどに。それほどに真実こめて・・・」
「はい、人様に少しむずかしいことをお頼みするさえ、わたくしどもは必死でござります。 まして、聖なる御神におすがりいたしまするには、心をこめて、切に切にお祈りいたさねばなりませぬ」 玉子に似て、妹かと噂されるほどの美しい目鼻立ちの佳代は、その白い頬をうっすらとあかくした。
「いつに変らぬ佳代どのの真心、ほんにうれしゅう存じます。しかし、それほど祈ってくれても・・・佳代どの、それほどの切なる祈りも、神は果してお聞きとどけくださるやら・・・」
「お聞きとどけくださりますとも。神父さまは、神さまは祈りをきき給うお方だと仰せられました。ただ、その祈りのきかれる日が、遅いこともあり、また、きかれぬように見えても、 それが神の応えであることもありますとか・・・」
「このような時には、堅い信仰の佳代どのがほんに羨ましい。わたくしもみ仏を信じているつもりですのに、この騒ぎの中にあっては、ただ、あれを思い、これを思って心が乱れるばかり・・・」「それは、佳代とて同じこと。今も佳代は熊千代さまのあどけない寝顔に・・・涙がこみ上げて・・・」
「なぜ、涙が?」「・・・」「もしやそれでは・・・やはり父上の形勢が・・・。佳代どの、父上は、いま、どのように・・・」「ごめんくださりませ。お心をお痛めまつるようなことを申し・・・ただ」「ただ?」「・・・いいえ、やはり申しあげられませぬ」「父上は敗れましたか」「いいえ、いいえ、惟任様は洞ヶ峠に、筒井順慶様の出をお待ちなされておられます由」
「洞ヶ峠に・・・」洞ヶ峠といえば、嫁入りした勝竜寺城のやぐらから見えたと思いながら、「あの洞ヶ峠に、父上はいられるのですか」「はい。それでは、あの・・・佳代はこれにて・・・」のがれるように一礼し、佳代は部屋を出たが、ふすまをしめようとして、何か言いたげに玉子をみつめた。と、その目から、涙がこぼれ落ち、ふすまはしめられた。(何かある!)
玉子はふいに胸さわぎがした。自分の知らぬところで、何かが始まっている。佳代にはわかっていて、自分にはわからぬことがある。部屋の中に引きこもっている自分には、目にも耳にも入らない。ふと玉子は、先刻おし黙ったまま、不機嫌に食事をしていた忠興の姿を思った。(何かが起きた)
玉子は小袖の衿をかき合わせて、そっと部屋を出た。廻廊に出ると、俄かに雨の音が聞えた。「弁当を忘れても蓑笠忘れるな」という諺を生んだ丹後の国は、雨が多い。
雨の中の、暗い夜の庭を玉子は見つめた。暗い庭を見つめると、不安は更につのった。が、玉子は背すじを伸ばし、静かに表書院のほうに向った。表書院に近づくと、人声がした。抑えるような声だが、戦場できたえた男たちの声は透る。部屋は閉ざされていても、ふすまごしに声は聞えるのだ。
「それはならぬ」忠興の声が少しかん高かった。曾て立ち聞きなどしたことのない玉子だが、今夜はそれが立ち聞きであることを忘れて立ちどまった。「殿! これほど、理を尽くして申し上げても、お聞きとどけくださりませぬか」おしかぶせるような声がした。
つづいて、「まことに」「この非常の時に」幾人かの、詰めよる語調が鋭かった。「殿、お心を静めて、今一度、お聞きくだされ」哀願する語調になったのは、重臣の松井康之の声である。「くどいわ!」「いかにくどいと仰せられても、申しあげねばなりませぬ。幾度も申しあげましたように、無論、奥方さまには何の咎もござりませぬ」 奥方という言葉が、玉子の耳を刺した。
はっと体を固くして、玉子は思わず一歩近よった。自分のことが、いま問題になっているのだ。「奥方さまに咎はなけれど、天下の形勢がわるい。惟任殿の御息女というだけで、細川家全休が・・・ 」ふいに声が低くなり、再び、「・・・そのように、細川家が巻きこまれてはなりませぬ。今からでも遅くはない、亀山城に送り返し・・・」
「ならぬといったら、ならぬ」「しかし、殿、かかる場合は送り返すが世のならい、この松井、決して無理難題を申しあげているわけではありませぬ」「世のならわしが何であれ、わしは返さぬぞ」「なぜでござります。なぜ、この理をおききわけなされませぬ?」「・・・」「いたし方もござりますまい」ふいに誰かが冷たくいった。
「殿は、われわれ家中の者よりも、奥方の情にひかれておられる。かかる女々しき殿の言葉に…」 「黙れ! 有吉! 女々しいとは口が過ぎるぞ。男が女をかばう、夫が妻をかばう、それが何で女々しいのだ? わしがお玉をかばわずに、一体誰がお玉をかばってやるというのだ」お玉の体が、わなわなとふるえ、垂髪が揺れた。
「殿、細川家の浮沈にかかわることですぞ。これほど申し上げてもお聞き入れなくば、奥方の御命は、われらが頂戴いたしまする」「何!? 有吉! そちはお玉を殺すと申すのか」
「殿、お静まりくだされ。惟任殿の御息女の運命は、どのみち決まっております。明日にもたかつき天王山は天下分け目の決戦となりましょう。惟任殿一万余の軍をもって迎えるといえども、 四万の兵をひきいて、奔馬の如く駈けのぼってくる筑前守の敵とはなり得ますまい。
まして、 天王山とは目と鼻の先の高槻から、高山右近殿が、羽柴殿の先頭を切って攻むる公算が大、 となれば、ただでさえ勇名高き右近殿、しかも何の疲れも知らぬとなれば・・・これは殿、明日、明後日で、天下はまた大きく変りましょうぞ」
「・・・」「織田方は、惟任殿血縁の者は、親の仇、主の仇、草の根分けても残らず断ってしまいましょう」「・・・」「それはかの荒木村重殿が謀反の時、一族郎党女子供に至るまで、はりつけ、焚総と、みなごろしにあわれましたがよき先例」「・・・」
「あれが織田家のやり方でござりまする。どうせ敵方の手にかかるならば、ここが思案のしどころ。いっそ、われらの手で・・・・・いや、御自らの手で御生害あそばされるが、奥方のお幸せと申すもの」「有吉! わかった!」忠興の悲痛な声がした。
「おお、お聞き届けくださりましたか。では、一刻も早く奥方を亀山城にお返しいたしまするか、それとも御生害いただきまするか」「亀山には返さぬ」「では、直ちにお命を!?」「いや、殺しはせぬ」「殿、お返しもせぬ、お命もそのまま、さればわれらの言葉を何とお聞きなされてか」
「松井、頼む、この通りだ。この忠興が頼む。玉子の命を・・・奪ってはならぬ」忠興の声がうるんだ。玉子は思わずふすまに手をかけようとして、辛うじて耐えた。「ええい、女々しい殿だ。殿がこんなにも女々しいとは、この有吉、今日の今日まで思いもしなんだ。おのおの方、お家が大事じゃ、これより直ちに奥方に・・・」
「ならぬ。お玉を斬ると申さば、わしがそちを斬る!」「何と! この有吉を斬ると仰せられてか」「玉の命を奪う者は、誰でも斬り捨てる。羽柴筑前であろうと、高山右近であろうと」
決然と忠興が言った。忠興の見幕に、一座が急に静まった。と、松井康之の感に迫った声が聞えた。 「殿! それほどまでのお覚悟とは…。松井康之、命に代えても奥方をお守り致しますぞ」「おお、松井、助けてくれるか。頼む、何とか玉を返したことにできはしまいか」
「返したことに?」「うむ。亀山城に返したと、世間をあざむき、その実、この城のどこかにかくまうということはできぬか」「さあ、それは」「無理かそれは。とあらば、どこか山の中にでもかくし置き、亀山に返したと言い張ることはできぬか」「・・・」深い沈黙がつづいた。
釘づけにされたように、微動だにできぬ玉子の胸を、激しく突き上げてくるものがあった。 夫の苦悩と心やりが、全身をつらぬいていくのを玉子は感じた。つい先ほど、夫に憎しみをさえ抱いた自分を、玉子は恥じずにはいられなかった。
「殿、それは、領地の山地にかくす手だてもござりましょう。この松井とても、考えぬことではござりませぬ。しかし、どこに諜者が入りこんでいるやも知れませぬ。あの光り輝くようなお美しさでは、いかに事を密かに運んでも、他に洩れぬとは限りませぬ。万一、亀山にお返ししたとの虚言が発覚したる場合、殿、何と申し開きをいたしましょうや」
「うむ」「まことに、われらはさよう危ぶみます。・・・が、待てよ、おのおの方、殿の御策も御名案かも知れぬぞ。確かに、今は羽柴秀吉が破竹の勢いであろうとも、中国の毛利軍が、果してこのまま指をくわえて、筑前守を見のがすか、どうか」
「それじゃ!」「惟任殿がいち早く毛利に密書を送り、ひそかに手をつないでいるとするならば、思わぬ道を通って、毛利は筑前守をはさみ打ちに出ぬでもない」「それは、我等も幾度か考えたことじゃ、が・・・」
「ま、聞かれい、四国の長宗我部殿も、惟任殿の誘いに応じて、京に馳せ参ぜぬとも限るまい。とすれば、惟任殿が、易々と天下を奪われるとは限らぬ。早まって奥方をお返し申したり、お命を頂戴しては、それこそ一大事と申すもの。惟任殿ほどの智謀の将が、ただ手をこまぬいて、この十日間を徒らに送ったとは思えぬ。何れにせよ、殿の申されるが如く、奥方は山奥にでもおかくまい申すが賢策かも知れぬ」
毛利方に送った光秀の密書が、秀吉の手にうばわれていたことを、まだ誰も知らない。「うむ・・・」不承不承、松井の言葉に応ずる気配がした。「と決まれば、急いで場所を探さねばならぬ」「人目につかぬ山中のう」「おお、そうじゃ。殿、味土野はいかがでござりましょう」松井康之がいった。
「みとの? とな」「は、丹後半島の中ほどにある山の中、あの金剛寺亀山のすぐ傍にござる」「では、険しい山中だな。女の足では大変なところだが・・・」「男の足でも、容易ではありませぬ故、めったに人のよりつくところではござりませぬ」「道のりは?」「は、宮津より、船にて余佐の海を横切り、日置の浜に渡り、そこより味土野までは三里でござります」
「おお、それは近い!」ようやく忠興の声が弾んだ。「戸数はどれほどじゃ」「せいぜい、二十戸もござりましょうか。山伏寺などもござります」「では、ひどく、楽しいというほどでもないな」
「は、山の中とはいえ、人里でござりますれば ・・・」「なるほど?ではそれに決める。松井! 明朝早々にも人をつかわし、住居を用意させよ」俄かに部屋の空気が和らいだ。玉子はふらふらとその場を離れた。どこをどうして部屋まで帰ったか、玉子にはわからなかった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-1
「さ、熊千代さま、お母上さまにおやすみなさいを申し上げましょう」促す乳母のこうの声がうるんだ。熊千代やお長と別れて、玉子が味土野に出立する時刻が迫っていた。既に五つ (午後八時)を過ぎている。
「いや」いつもは疾うに眠っている熊千代が、今夜はふしぎに眠ろうとはしない。まだ二歳と二カ月の熊千代は、母の膝から離れがたい。お長は疾うにねむっている。そのお長との別れも先程終った。「でも、熊千代さま、おやすみなさらねば・・・」 「いや、いや」幼い首を懸命に横に振る。こうは目頭をそっとおさえた。
「いや、いや」玉子の肩にしっかりとしがみつく熊千代に、玉子は小袖のたもとから、懐紙にひねった包みを出して見せ、「熊千代はよい子。ほら、そなたの好きな有平糖を上げますほどに、早うおやすみなさい」有平糖と聞いて、熊千代はこくりとうなずき、「アルへ、アルへ」と喜んで包みをあけた。その幼い横顔を、玉子は胸の張りさける思いで見つめた。
(生きて再び、会う日が来るとは思えぬ) やわらかく、しかし、ずしりと重い熊千代の感触を、玉子は改めて確かめるように抱きしめた。泣いてはならぬと、気丈に耐えてはいても、玉子もまた、まだ二十歳のうら若い母である。
熊千代が、有平糖をつまんで先ず自分の口に入れ、つづいて、「おたたうえも」と、そのふっくらと小さな指につまんだ有平糖を、玉子の口もとに差し出した時、玉子はこらえかねて、ひしと熊千代をかきいだいた。「熊千代!」あまりに強く抱きしめられて、熊千代は苦しげに体を左右にゆすり、「いや、いや」と、玉子の胸を叩いた。思わずゆるめた玉子の手からのがれて、熊千代は玉子の膝を降りた。
「では熊千代さま、おやすみなさいを申し上げましょう」と再び促した。熊千代はうなずいて、いつものように両手をつき、「おたたうえ、おやすみなちゃいまち」と、愛らしく頭を下げた。が、玉子の目に溢れる涙におどろき、「おたたうえ、いたい?」と、いま、自分が叩いた玉子の胸に、その小さな手を当てて、心配そうに玉子を見た。
「いえ、いえ、痛うはありませぬ」玉子はそっと懐紙で涙をふき、にっこり笑って見せた。熊千代も、安心したように、にこっと笑った。あどけない口もとであった。熊千代は再び両手をつき、たどたどと挨拶をいうと、こうに手をひかれて部屋を出た。
(熊千代!)「ううっ」 呼びかけて玉子は声をのんだ。こうはわざとふすまを閉めずに、ゆっくりと次の間に熊千代をつれ去り、そして廊を去って行った。玉子の唇から悲痛な声が洩れると同時に、玉子はその場に泣き伏した。
もう、あのやわらかい頬に頬ずりすることはできないのだ。もうこの手に、あの幼い体を抱きしめることはできないのだ。もはや、あの黒く大きな目を見つめることはできないのだ。 もう、決して、あの愛らしい声を聞くことはできないのだ。「熊千代!」ひれ伏した玉子の肩が、灯の下にいつまでも打ちふるえた。
(母と子が、なぜ、生きながら今生の別れを強いられねばならぬのか) 玉子の胸中に、ふと一つの疑問が湧いた。それは、今の今まで思ってもみなかったことであった。玉子は既に、自分が最愛の夫や子と別れて、味土野に去らねばならぬことを、光秀を父に持った自分の、当然の運命とあきらめていた。
(しかし・・・) 果して自分には、味土野に去る以外に生きる道がないのであろうか。誰であっても、自分の立場に立てば、去るか、死ぬか以外に、道はないのであろうか。今、自分を無理無体にこの城から追い出そうとしている者は誰か。無論、夫の忠興ではない。といって、家中の者ともいえないような気がした。
自分をこの城にとどめておけぬ者、それは織田か、秀吉か。もし、秀吉の場に徳川が立っていれば、徳川がまたこの自分を追い立てるのであろうか。一体、誰が、何が、かよわい一人の女を山中に追いやるのか。玉子は、目に見えぬ者に追い立てられて行く自分を思った。
自分を追い立てる者が、さだかにわからぬことに、玉子はもどかしさと、いいようのない怒りを覚えた。が、時は迫っていた。その正体を見極め得ないままに、玉子は城を出て行かねばならなかった。今日の夕刻、玉子は光秀の敗北と死を聞いた。忠興が青ざめた顔で部屋に戻るなり、「お玉!」といったまま、絶句した。
はっと忠興を見上げると、やや、しばらくして、「お玉、惟任殿の天下は終ったぞ」と玉子の肩を抱きよせた。それから今まで、僅か三刻(一時間半)しか過ぎてはいない。かねて覚悟のこととはいえ、 父の死は胸をえぐられる悲しみであった。しかも、その悲しみをさえ追い立てるように、夫と子と別れ、見も知らぬ山中に入って行かねばならないのだ。
熊千代との別れのひととき、忠興も佳代も、他の侍女も、その場に姿を見せなかった。存分に名残りを惜しませようとの心づかいである。ようやく玉子が涙を拭い終った時、痛ましげに忠興が入って来た。
食い入るように見つめる忠興の視線と、涙にうるんだ玉子の視線が、しっかと絡んだ。 「お玉!」「・・・」「むごい奴と恨んでくれるな」「・・・」玉子は静かに頭を横にふった。「わしとて、そなたを片時も放しとうはない」「・・・」「そなたのいないこの城は、荒野も同然じゃ」「・・・」ものを言えば涙になりそうで、玉子は黙って忠興を見つめた。
「そのうち、必ず迎えに行く。決して早まったことはするでないぞ」「はい・・・」「味土野は近い。便りもしよう。訪ねても行こう。素直でよい子を産むことだ。山家で生まれる子を思えば、不憫だが・・」「殿・・・」「お玉、他の男に、決して決して心をゆるしてはならぬぞ!」「・・・」
「お玉、有吉はわしを女々しいといったが、全くだ。わしはそなたと別れとうないのだ」忠興は玉子を強く抱きよせた。「死んではならぬ。必ずもどってくるのだ」廊下に足音がした。「奥方さま、お伴させて頂きます」襖の外で、松井康之の声がした。「行くか、お玉!」忠興は双手に玉子の頬をはさみ、再び食い入るように玉子をみつめた。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-2
(あれから、はやひと月・・・) 部屋数が僅か四つほどの山家、これが味土野における玉子のかくれ家であった。かくれ家は、山の斜面に、自ら出来た三百坪ほどのせまい台地の上にあった。下手の谷に向って見透しはきいたが、まわりは衿をかき合わせるように険阻な山が入りくみ、遠くまでつらなっている。
(まことに、これが山の中・・・) 庭の太い桜の木の傍に立ち、玉子はあたりの部落を見おろした。よくも、この山の中に作ったと思われる小さな段畠が、幾つも不規則な形で山の斜面を占め、その所々に、十五、六戸余りの家がまばらに立っている。まひるだというのに、しんと静まり返って人影も見えない。
開えるのは、鳥の声と蜩の声と、谷川のかそかな響き、そして折々ののどかな牛の声だけである。かくれ家の左下手に、一色宗右衛門、池田六兵衛など、警護の者の住むかやぶきの館が見える。こんな山中に玉子がいようとは、確かに織田も羽柴も気づくまいと思われた。この地なら、無事に何年でも隠れおおせると思えるほどの、深い山の中だ。
(今頃、熊千代は・・・お長は・・・) 玉子はうす青い空を見上げた。もう母の自分のいない生活にも馴れて、思い出すこともないかも知れぬ。僅か二歳の熊千代と、一歳のお長が、いつまでも母を忘れ得ぬということはない。(忠興さまにしても・・・同じことかも知れぬ) 便りをくれるといった忠興からは、まだ一度も便りがこない。
このかくれ家は、家中の者にも秘している。「敵をあざむくためには、味方からあざむかねばならぬ」という幽斎のすすめもあって、玉子が城を出る姿を、家中で見た者はない。夜陰に乗じて宮津の浜から船に乗り、伴の者数人と、警護の者二十名程に守られて日置の浜に渡った。
曾て、玉子は忠興と城から日置の浜をのぞみ、「仕置きの浜」と戯れて言ったことがあった。その時は、信長の苛酷さを思って言ったことだったが、まさか、この自分が城を追われて、その日置の浜に仮寝をする身となろうとは、夢にも思わぬことであった。
日置の浜で、ほんの二ときばかり舟の中にまどろみ、夜の明け切らぬうちに一行は味土野に向ったのだ。途中の山道のけわしさも、並大抵ではなかった。男でもたやすく登れるところではない。
このような山中に、便りをくれることは、夫といえども容易ではあるまい。しかも、自分は人目を避ける身である。そうは思っても、外部から何の便りもないこのひと月の隠れ家暮しば、一年とも思えるほどに長く、且つ侘びしかった。(忠興さまは・・・まだ二十歳)
次第に曇ってくる空に目をやりながら、玉子はふっと肩を落した。二十歳の忠興が、いつまでも一人で暮して行けるとは思われぬ。必ず迎えに行くと言ってくれはしたものの、天下の情勢が許さねば、このまま一生、味土野の地から、帰って行くことはできないのではないか。
とすれば、忠興は新たに妻を迎えぬとはいえない。(忠興さま!) 忠興に妻がくるかも知れぬと思っただけで、玉子はつき放されたような淋しさを感じた。 果して何年も、忠興は独り身で待ってくれるであろうか。俄かに、それは全く不可能なことに思われた。
いや、こうして、ひと月離れている間にも、忠興の身に、不測の事件が起きているかも知れないのだ。信長を倒した光秀の娘は、もはや忠興の妻にもどれる道は絶たれたかも知れぬ。 今日までのひと月、来る日も来る日も忠興の便りを待っていた自分が、ひどく愚かに思われた。
(天下はどなたのものとなったのやら・・・) 信長の息子、信孝のものかも知れぬ。あるいは秀吉のものかも知れぬ。父が果てたと聞かされたのみで、その後の天下の状勢は何も知らない。何も知らぬことは不安であった。(それにしても、父の最期はいかなる様子であったのか)
坂本城の母や弟も、多分死んだであろうが、その様子も聞きたい。が、この山中まで、わざわざ知らせに来る者もあるまい。玉子は、話に聞いた「うばすて山」を思った。自分は、あるいはこのまま、この山中に果てねばならぬかも知れぬ。若いままで、自分は体よく山に捨てられたのではないか。無論、 忠興自身、決して捨てる気がないことは、あの夜部屋の外で聞いた玉子にはよくわかる。
しかし、家中の者がどう思ってここに自分を送り届けたか、わからぬような気もした。「奥方さま」呼ばれてふり返ると、清原佳代が、ほほえんで立っていた。「ああ、お佳代どの」「はい、何をごらんになっておられましたか」何を考えていたかとは、佳代は聞かない。それは尋ねるまでもないことなのだ。
「空を見ておりました。この空は宮津の空にもつづいておりますほどに」「・・・ほんに、さようでござります」「あのお天道様を、殿も、熊千代もお長も見ておりましょう」「はい・・・。御すこやかにいられましょう」 「お佳代どの。ここに参りましてから、歌の心が、ようわかります。仲麻呂が、三笠の山に出でし月かも、と歌った望郷の思いが、身にしみて・・・」
「遠い唐の国での歌でござります故」「左京大夫の・・・」言いかけて、玉子はやめた。玉子は、左京大夫の、---- 今はただ思ひ絶えなむとばかりを - 人づてならでいふよしもがな ---- の歌を思い出したのだった。しかし、それは、佳代にいうべき言葉ではない。玉子は話題を外らし、「お佳代どの。そなたはふしぎな人ですこと・・・」
「ふしぎ? と申されますか」「そう、ふしぎです。そなたはまだ十九のうら若い娘御。美しい衣裳を着たい、おもしろいものを見たい、おいしいものを食べたいという年頃ではありませぬか。でも、この味土野に来ても、宮津を恋しがることもせず、いつも幸せそうに頬笑んでいられる。それが、ふしぎに思われてなりませぬ」
「ま、お恥ずかしゅうござります」「その上、この山奥への難儀な山道をも、何の苦もなく登ってこられました。殿御の足でさえ辛いところを・・・」「奥方様、それは、以前、毎日山を歩きました故」「毎日?」「はい、捨て子を探しに」「ああ、いつぞや聞きました。捨て子を探して、山の中を歩いたということでしたが・・・」
「はい。もう、あの頃は夢中でござりました。一歩でも半歩でも多く歩いて、捨て子を見つけ出さねばと・・・」「お佳代どの。以前には、その話を、ただ奇特なことよと、人ごとのように聞いておりましたが・・・」玉子は、何かを考えるように向いの山に目を放ったが、「その捨て子は、親も捨てたくなるほどに、体の弱い子でありましょう?」
「はい、親も育てかねる弱い子が多うござりました」「つまりは役立たずの子・・・」「でも、御方さま。西洋の国々では、日本のように、弱いからといって、わが子を捨てる風習はありませぬような。いいえ、弱ければこそ、かえって、皆で大切に大切に育てますそうな」
「大切に?」「はい、パアデレさまは、日本の捨て子の多いことに、ひどくおどろき、お心を痛めて、そように大切に扱うのれで、信者たちに捨て子を養育することを、お教えなされました」「では、キリシタンでは、身動きの出来ぬ不具者でも、老人でも、同じですか」
大名の子でも、弱ければ捨てる、または毒殺するということの、 時にはあった時代である。 玉子の言葉は当然であった。「はい、御方さま。キリシタンでは、人の命はみなひとしく、この全世界より尊いと申しておりまする」
「人の命はみなひとしい? では、殿の命も、位の低き者の命も?」「はい。キリシタンでは、人に貴賤はござりませぬ。いかなる命も捨てたり奪ったりは、なりませぬ」「ふしぎな教え・・・。しかし、尊い教えに思われます」
先程玉子は、自分がうばすて山に捨てられる老婆のように、侘びしく思われた。自分は捨てられても仕方がないように思われた。そう思っただけに、捨て子を拾って育てるキリシタンの教えは、切実に身近な、ありがたい教えに思われた。
蝉の声がはたとやんだ。静かにものうい七月の午下りである。「お方さま、何と静かなことでござりましょう」「ほんに、気の遠くなるような、深い静けさ・・・。こんな淋しい山の奥にまで、お佳代どのは進んで共に来てくだされた。ありがたいと思っております」今まで、幾度かくり返した言葉である。
「ま、いつもいつももったいないお言葉、痛み入ります。佳代はただ・・・、お方さまと共におりたいだけでござります」「お佳代どの、お礼を申します」そう言った時である。突如、静けさを破って、裏山のほうでほら貝が響いた。外部の者の侵入を知らせるほら貝である。
男城と呼ばれる館から、警護の者が十数名、鉄砲や槍を手に、バラバラと飛び出す姿が見えた。「お方さま、早々お部屋におもどり下されませ」佳代があわてたが、玉子は足どりも静かに部屋に戻った。つづいて、警護の沢村才八が小者を従えて庭先に駆けてきた。
「奥方さま、怪しき者が入り来たったげにござります」縁先にひざまずいた沢村才八の顔が緊張している。「怪しき者?」「はっ、見張りの者が、山道に数名の見なれぬ人影を認めたと申しまする」沢村は、ちょっと言葉を途切らしたが、地に両手をつき、「奥方様!」と、ただならぬ面持を見せた。
「何です!」「実は先日、部落の者が日置の浜に降りた際、筑前殿は、惟任殿の血筋の者、残党の者を根うわさだやしにせんと、見つけ出しては打ち首、はりつけの刑に処しいる噂を聞いて参りました」「・・・それで」玉子は眉一つ動かさなかった。
「もし、今の人影が筑前殿の手の者とあれば・・・もとより吾ら根限り戦い、身をもってお守りいたしますれど、奥方様、敵の手におちいるが如きことにならば、潔くご生害なされませ」「生害? 沢村、それは、殿のお指図か」「いえ、殿のご命令にはござりませねど・・・」
「ならば死にませぬ。殿はいかなることがあっても、死んではならぬと仰せられました故」「と申しましても、貴きお体、万一奥方様がはずかしめを受けましては・・・」谷のほうで、俄かに怒声とも罵声ともつかぬ声がこだました。
「奥方様! 猶予はなりませぬ。何はともあれ、かねて用意の場に、急ぎ身をおかくしなされませ」急きたてる沢村才八の言葉に、玉子が静かに立ち、佳代がつき添った。と、大声で呼ばわりながら、池田六兵衛が庭に駈けこみ、「沢村殿! ご安心召されい」と一息つき、「奥方様、珍しい客人でござります」と告げた。
いぶかる間もなく、玉子の前に姿を現したのは、思いがけなく頓五郎興元であった。数人の従者をあとに従えた興元は、玉子を見るなり、「姉上! ここに・・・生きておられたのか」と、ふりしぼるように言い、がくりと地に膝をついた。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 幽閉 16-3
興元を部屋に招じ入れた玉子は、早速膳の用意を命じた。もとより山家、部屋の中も、並べられた膳も粗末であったが、興元は玉子に会えた喜びに心をはずませ、盃を傾けては、忠興はじめ、熊千代、お長、幽斎夫妻の無事や、家中のことなど話しはじめた。
「・・・しかし、姉上、探しましたぞ」興元は持ちかけた箸を置いていった。「探されたとは?」「父も母も、家中の者誰一人として、姉上の行方を知らせてはくれませなんだ」「ま、興元さまにも」 「いや、わしのような者故、知らせなかったのかも知れぬ。何しろ、父や兄にも謀らず、惟任殿のもとに走った無鉄砲者故」
「・・・ 興元さまが、父光秀のために、ひとり京に向わせられましたお心、玉はどれほどありがたく存じておりましたことか」 「そのお言葉だけで、頓五郎は満足至極。・・・ま、それはともかく、父も兄も姉上の行方を聞かせてくれぬは、これはもはや、姉上は既にこの世に在さぬかと、一時は・・・」
いいかけて、傍らの河喜多石見、池田六兵衛、佳代らを見、口をつぐんだ。「それは、いかいご心痛を・・・」「だが、姉上は生きておられた。このような山奥の、このような宅住居は、いたわしき限りなれど・・・」ひとしきり味土野の話に及んだ後、玉子は言った。
「ところで興元さま、父や一族の最期の様子、いかがお聞き及びか、詳しく承りとう存じます」「おう、惟任殿のご最期か」苦しげに玉子の顔を見守って、興元は盃をおいた。一度は知らせねばならぬことである。 が、それはあまりにも痛ましい事実なのだ。
しかも、この山家に心淋しく過している玉子に、 その肉親の最期の様子をつぶさに伝えるのは、あまりにも苛酷に思われた。その興元の胸中を玉子は察して、「かまいませぬ、興元さま。伺えば、わたくしの心も定まります故」興元はおし黙った。男城で遅い昼飯を済ませた興元の従者たちが、いつの間にか庭先にもどって、控えている。
「かまいませぬ」再び玉子がうながした。興元はふいに立ち上がって縁に行き、従者の一人を手招いた。従者は縁近くに来て、ひざまずいた。「姉上、この者にお憶えがござろうか」問われて玉子は、面を伏せている若い武士に目をやった。
「面を上げよ」興元がいった。その武士は静かに顔を上げ、玉子を見た。玉子の顔に、驚愕の色が浮かんだ。「そ、そなたは、初之助ではありませぬか」頬がこけ、やつれているとはいえ、それはまさしく、初之助であった。濃い眉の下に、少年のように澄んだ目が、憂いを帯びて見開かれていた。
「お久しゅうござりまする。・・・初之助のみ生きながらえて・・・只々面目次第もござりませぬ」「初之助はどうしてここに?」「は、殿のご命令にて、この初之助は死ぬことを許されず・・・」初之助は最初より順を追って語りはじめた。
「殿が信長殿に代って、天下を取られると心に決められましたは、五月二十八日、愛宕山での参籠の夜とか」ここで光秀は三度くじをひき、はじめの二度は凶と出たが、二十九日には愛宕の西の坊で、里村紹巴などと連歌の席を持った。
「この折、殿は、時は今あめが下しる五月哉と詠まれましたげにござります」「・・・」「こうしてついに、天下は殿のものとなりましたが、第一に恃みにしておりました・・・ご当家のご支援なく、また殿に大恩ある筒井順慶殿もまた確たるご返事なく・・・」
初之助は時々顔を伏せては、語りついだ。「十三日は、雨でござりました。その日は申の刻(午後四時)になって、ようやく戦さが始まり、敵の加藤光泰の働きがめざましく、つづいて、高山右近、堀秀政らの働きに、ついに明智の奮戦もむなしく、殿は辛くもその場をのがれ、わたくし奴もお伴つかまつりました」
その折、光秀は初之助を招き、「初之助、そちの働き、身にしみてありがたく思うぞ。が、いまひとつ、折入ってねがいがある。聞いてくれるか」「何なりと、殿のご命令とあらば・・・」
「万一、わしがこの戦さに果てし後は、急ぎ坂本に帰り、その死の様をお熈に申し伝えよ。 そして、この辞世を渡すのじゃ」それは、<順逆二門なし、大道心源に徹す、五十七年の夢、覚め来りて一元に帰す>という辞世であった。
「凞子は、見苦しき最期を見せぬ女だ。そちは、わが一族の死を見とどけたあとは、丹後のお玉のもとに参れ。細川家は、まさかお玉の命までは奪うまい。しかし、お玉が苦境に立たされるは必定じゃ。そちはお玉に仕えてやってくれ。そして、形見にこの懐剣を渡してくれ。 これは、八上城に死んだお玉の祖母の形見なのだ」
「殿! それでは、この初之助、ひとりおめおめと生きのびて・・・」「初之助、生きることは、死ぬより辛いことがある。そちは、人にそしられ、笑われるかも知れぬ。しかし、お玉と共に生死を共にしてほしいとわしはねがう。これがわしの親心だ。 そちは武に秀れてはいても、まだ若い。あまり名のないのが幸いなのだ。これは名のある武士には頼めぬことなのだ」
初之助は、こうして死をねがうことを許されなかった。その光秀の言葉を初之助はかいつまんで伝えた。「その変でござります。折よく雨は晴れましたれど、月もなき暗夜にて、溝尾庄兵衛どのら数名と共に、殿に従って坂本城へのがれる途中、小栗栖というところにさしかかりました」竹林の中の小道をひそかに馬を進めていた時、前から三番目にいた光秀が、「うっ」と呻いた。
後につづいた庄兵衛がすぐに駈けより、「殿! 殿!」と叫んだ。初之助は列の最後にいたが、ただならぬ気配に駆けつけた時は、光秀は苦しい息の下から、「初之助、頼んだことを忘れるな」といい、「名もなき者の槍に・・・。不覚であった。庄兵衛、介錯を!」と、従容と自ら切腹して果てた。
「さすがは殿のご最期、沈着でござりました」暗い竹林の中に、僅か数人の者に見守られて、父はその一生を終えたのかと思うと、さすがに玉子は涙をとどめることができなかった。
「坂本城に吾らが戻りましたる時、既に奥方様もお覚悟遊ばされておりました。興元様はじめ坂本城にこもらんとした方々に、一族ここに火を放って果てまする故、何卒皆様方は城外におのがれ下されませ。他の方々を巻き添えに亡びたとあっては、明智一門の恥でござります、と申されました。
弥平次殿は、吉光の脇差、虚堂の墨蹟など、天下の名品をまとめ、その目録と共に、城を取り囲んでいた堀直政どのに贈られました。名品は天下のものという殿のご意志に従ったのでござります。弥平次どのは城に火を放ち、お倫さま、奥方さま、十五郎さまがたと共に、見事に、実に見事に果てられました」
粛として、一同声もなかった。山を渡る風さえ、はたと止んだようであった。
細川ガラシャ夫人(下巻)
● 山鳴り 17-1
それは、坂本城のようでもあり、勝竜寺城のようでもある。玉子は、一人布団の中でうつらうつらしていた。人の気配に目をあけると、枕もとに忠興が突っ立っていた。
おどろいて顔を上げると、忠興はだまってひざまずき、玉子を胸にかき抱いた。
忠興は白いりんずの衣を着ている。そのりんずの、ひやりとした感触が、玉子の頬に快かった。「忠興様、お会いしとうござりました」「お玉、迎えに参った」玉子がいうと、えもいわれぬふくいくとした香の匂いが、忠興の衣からただよった。「え?お迎えに?」
