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毎日新聞 2023/8/17 東京朝刊 有料記事 2563文字
アイヌ民族の遺骨4体が5月、約1世紀ぶりにオーストラリアの博物館から返還され、国内に戻った。世界的に先住民の遺骨返還が進んでいることが背景にある。人類学の発展の陰で不当に収奪された遺骨は多い。国内でもアイヌ遺骨を返還する動きがようやく始まったが、遺骨を大切に思う子孫らの心情が十分に反映されているとは言い難い。戦前に海外で収集された先住民の遺骨の扱いも大きな課題だ。尊厳の回復を最優先に考え、返還の仕組み作りを急がなければならない。
返還は国際的な潮流
アイヌ遺骨の返還は2017年のドイツに続き2例目。今回の遺骨は1910~30年代に豪州の先住民アボリジニの骨との交換で日本の研究者が提供したものだ。先住民の遺骨収集は、骨を分析して人種や民族の来歴を探る人類学が19世紀に欧米を中心に盛んになったことがきっかけだ。
アイヌのコタン(集落)は移転することも多く、墓地はみだりに立ち入らない神聖な場所とされてきた。人けがない土地で研究者が発掘したり、同意を得ずに盗掘したりする例も多かったとされる。
米国では、遺骨などを収奪してきたことへの反省から、90年に返還や墓地の保護に関する法律が制定された。2000年代以降、遺骨が研究対象として妥当かなどを審査する国立委員会を設置したり、研究機関のガイドラインを定めたりする国も増えた。07年には国連で、先住民の遺骨返還の権利を認める宣言も採択された。
各国は「国境を越えた返還」に取り組んでいる。ドイツの大学は11年に旧植民地ナミビアに遺骨を返還した。英豪両国は00年の首脳会談で、豪州先住民の遺骨返還で合意し、作業を進めている。
日本では、文部科学省による11~13年の調査で、12大学に1600体以上のアイヌ遺骨が保管されていることが判明した。多くが20年に開館した北海道白老町の国立施設「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の慰霊施設に移された。
今回返還された遺骨4体のうち3体は、この施設に納められた。残る1体は、かつて日本の統治下にあった南樺太(サハリン南部)で収集された遺骨で、取り扱いは未定だ。慰霊施設にとどめず、本来暮らしていた地域で埋葬するよう求める声は根強い。解決への道のりはまだ遠い。
博物館を所管する文化庁は昨年、各館が所蔵するアイヌ遺骨の返還方針を定めるよう通知したが、策定に至っていない館もある。遺骨以外の副葬品の扱いについては、調査すら始まっていない。
北海道アイヌ協会と学会3団体が18年から話し合ってきた、遺骨や副葬品の研究に関する倫理指針もまとまっていない。「収奪した過去への反省」を打ち出すかを巡る意見の隔たりは大きい。
遺骨問題に詳しい瀬口典子九州大准教授は、学界の一部に謝罪を拒否する空気があると説明し、「遺骨を『人類全体の共有財産』と表現する専門家もいるが、直接の子孫に向けて言えるのか。研究者目線で語るのは問題だ」と指摘する。
アイヌ以外の遺骨の問題もある。沖縄の墓地から持ち出された遺骨の返還を子孫が京都大に求めた訴訟で、京都地裁は昨年、権利関係が確定できないなどとして訴えを退けた。だが、「心情はくむべきものがある」と認め、大学側に善処を求めた。
指針示すのが国の責務
アイヌ遺骨返還に際し、豪州はアボリジニの遺骨の返還を日本側に要請した。豪州政府によると、30年以上の活動で9カ国から1668体の遺骨が戻ったが、日本からはゼロだ。文科省などは、各大学や博物館に保管の有無を問い合わせているが、実際に返還するかは、「一義的に所蔵機関の判断」との立場だ。
海外の先住民遺骨の多くは戦前に収集された。件数などをまとめたデータはない。国は個々の大学や研究者が収集したと説明してきたが、日本への移送に関与した実態が明らかになりつつある。
毎日新聞は昨年、インドネシアのカリマンタン(ボルネオ)島の先住民「ダヤク」の遺骨移送について、国の関与を示す文書が残っていることを報じた。
東京帝国大医科大(現東京大医学部)教授などを務めた人類学者の小金井良精(よしきよ)氏に1913(大正2)年、現地に在住する日本人実業家が送った手紙には、生々しい記載があった。
先住民から墓地発掘の承諾を得られなかったとした上で「夜間ニ乗シ作業スルコト故(ゆえ)、誠ニ容易ノ業ニ非(あ)ラス」と盗掘を示唆していた。
集めた遺骨を東京大に送ったことを小金井氏に手紙で伝えたのは、駐シンガポール(新嘉坡)副領事だった。通関に便宜を図るよう税関に依頼したことも記している。
36年には、この実業家のダヤク遺骨移送に協力するよう当時の外務次官が駐バタビア(現インドネシア・ジャカルタ)総領事に指示したことも外交文書で判明している。
近年出版された小金井氏の日記には、駐米サンフランシスコ領事や駐チリ公使が東京大に先住民遺骨を移送したことが記されている。27年に別の人類学者の意を受けて、持ち出し禁止の「インカの骨」を駐ペルー公使が外務省通商局長あてに送ったとの資料もある。陸海軍の軍医が遺骨を収集し、日本に移送した例もあるとされる。
永岡桂子文科相は5月の記者会見で、豪州以外の先住民の遺骨や副葬品に関し、「基本的に所有者の大学などが管理、把握すべきだ」と述べるにとどめた。
だが、戦前の遺骨移送への国の関与は明らかだ。遺骨返還問題に取り組む松島泰勝龍谷大教授は、国立大所蔵の遺骨には「国有財産」の側面があると指摘する。返還に向けては法整備や指針が必要で、「国はどのくらい存在するか把握し、他国と調整する必要がある」と強調する。
それぞれの遺骨には、ふるさとに眠る権利がある。少なくとも他国並みに指針を定め、返還を求める人々の声に応える責務が国にはある。
■ことば
先住民族の権利に関する国連宣言
22年間の議論を経て2007年の国連総会で、日本も賛成し採択された。先住民族が差別や不正義で苦しんだことに触れ、国家は奪取された文化的・宗教的財産に関し、原状回復を含む救済を与えるべきだと指摘。先住民族は儀式用具を使用・管理することや、遺骨返還の権利を有し、国はそれを可能にするよう努めると定めた。日本でもこれを受け、08年の国会決議などでアイヌ民族を先住民族と認めた。