+洗礼者ヨハネの殉教記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は洗礼者ヨハネの殉教記念日です。
救い主・イエス・キリストと天の元后聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、洗礼者ヨハネ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」(マタイ11・11)。このイエスの御言葉の通り、洗礼者ヨハネはイエス様に先立ち、その道を整え準備した偉大な預言者です。このようなヨハネは、ヘロデ王の不貞を非難したためにヘロデの妻ヘロディアの策略で殉教しました(マルコ6・17-29参照)。洗礼者ヨハネの受難と死を記憶することは、4世紀ごろに彼の遺骸があったサマリアの地下礼拝堂で始まりました。(今日の典礼より)
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マルコによる福音
<「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」>
そのとき、6・17ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。(マルコ6・17-29)
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バン・ヨンオク神父様の黙想文「主の御前で」です。
賢く優れた人が多いと大変になります。なぜなら、自分の賢さを頼りに生きるからです。彼らは自分の主張を曲げることができず、計算が上手です。それで自分を優先的に考えます。そしていつも相手を意識して顔がこわばっています。しかし、愚か者と一緒にいると生きやすいです。彼らは計算をしないからです。自分を考えずに笑って生きていきます。もしかすると、彼らが本当に賢い人たちかもしれません。
今日、記憶する洗礼者聖ヨハネは愚か者でした。人間的な計算をしていたならヘロデ王に良い顔をして、自分の権勢を享受することもできたでしょう。しかし、計算せずに正しいことを言いました。ヨハネはヘロデ王が王としてしてはならない不正な結婚をしたという誤りを指摘したのです。だから結局首をはねられて死ぬことになりました。私たちから見ると本当に愚か者です。しかしヨハネは命よりも神の御意志の中に留まることが幸せでした。結局、ヨハネは光となりました。彼は人の目には愚か者であっても神を失わないことを願いました。
ヘロデ王は賢くて優れていたようでしたが、神の御前では本当の愚か者でした。すべての権力を持って何でも思い通りにできると思っていましたが、軽率な一言のために、そして無駄な誓いと体面のためにヨハネの首をはねるよう命じました。結局神の御意志に逆らい、威信と体面を選ぶ計算をしてしまいました。してはならないことをしてしまったのです。軽率に誓ってはいけません。
したがって、私たちは目に見える成功を期待せず、どんな状況でも神を選ぶ愚か者になれば良いです。
創世記26章には井戸を掘るイサクの話が出てきます。中東地方では井戸は一つの部族の運命がかかったものだから非常に重要です。しかし、井戸を掘ることは簡単ではありません。水路をつかむこともそうですし、砂地で井戸を掘ることは難しさそのものです。しかしイサクは7つも掘りました。熱心に掘っておくと周囲の人々がいちゃもんをつけました。すると静かに場所を移してまた掘り、それで7つも掘ることになりました。
賢く優れた人は井戸を掘らずに掘っておいた井戸を手に入れようと考えました。しかしイサクはそんな風潮に染まらず、愚か者になって井戸掘りに熱中しました。すると神は「あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。」(創世記26・24)と言い、イサクと共におられました。結局、愚かなイサクが勝利しました。井戸を奪った人々は賢いようですが、不幸に生きました。愚か者のように井戸を奪われ、また奪われたイサクは、ついに主なる神を手に入れました。
福音には、死んだ者は洗礼者ヨハネで、生きている者はヘロデと記録されています。しかし本当に死んだ者はヘロデで、生きている者は洗礼者ヨハネです。洗礼者聖ヨハネやイサクは愚か者のように見えましたが、本当に賢い者です。賢いと言われた人たちは偽りの賢者でした。
今日一日だけでも神を選ぶ愚か者になることを祈ります。
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主のためにはいつも愚かな者で、本当に賢い者となれますように!聖霊、きてください