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毎日新聞 2023/8/20 東京朝刊 621文字
お盆を古里や行楽地で過ごし、日本の原風景のかやぶき家屋を目にした人も多いのではないか。合掌造り集落で知られる岐阜、富山両県の「白川郷・五箇山」だけではない。都心近郊でも奥多摩の「馬場家御師住宅」など全国で数万棟あるらしい▲だが疑問がわく。イネ科の茎を並べただけでなぜ雨漏りをしないのか。東京大名誉教授ら7人でつくる同人会「ロゲルギスト」も関心を寄せた。謎解きの様子は著書「物理の散歩道」に詳しい▲同書を含む多分野の本を読み、豊富な教養と知識を身につけて学者棟梁(とうりょう)と呼ばれる大工がいた。国の特別史跡「吉野ケ里遺跡」(佐賀県)の北内郭復元を含む国内外の文化財建造物の修復、社寺建築、住宅・店舗の施工を手がけた田中文男さんである。2010年8月に78歳で亡くなった▲終戦後の住宅難を目の当たりにして大工を志した。高校の夜学に通ううちに古民家の調査に携わったのが縁で、東大建築学科に正規学生のごとく出入りした。職人だけでなく、工学院大の後藤治理事長ら多くの有識者も育成した▲昨年の十三回忌はコロナ禍とあって、延期した「偲(しの)ぶ会」の開催準備が現在、進められている。発起人を務める千葉県成田市の建築会社社長、岩瀬繁さんはことあるごとに、師匠の言葉を思い出す▲「世の中変わるから、俺に教わったことだけで食えると思ったら、違うぞ」「時間が欲しかったら、一度でやれ」。通じるのは建築分野だけではないだろう。変化の激しい今こそ、肝に銘じたい。