+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第23主日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと被昇天の聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マルコによる福音
<イエス様は耳が聞こえ人は聞かせ、舌の回らない人は言わせます。>
そのとき、7・31イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(マルコ7・31-37)
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毎日のミサ「今日の黙想」です。
メシアであるイエス様は、耳の聞がこえない人々を聞こえるようにし、話せない人々を話せるようにされました。幼児洗礼の儀式の中に、信仰の耳、心の耳を開ける「エッファタ」という儀式があり、司祭は洗礼を受ける赤ちゃんの耳と口に親指を当てて、「主イエス様、耳が聞こえない人を聞こえるようにし、口が利けない人を話せるようにされたのですから、この赤ちゃんもすぐに、耳で主の言葉を聞き、口で信仰を告白し、神なる父に賛美と栄光を捧げることができるようにしてください」と祈ります。
洗礼の秘跡を通して、私たちも神の子となり、神の御言葉を聞くことができるようになり、舌が解かれて神を父と呼び、父である神を賛美し、その御言葉を伝えることができるようになりました。ですから、神の御言葉を心に留めて聞かず、聞くだけで実践しないなら、信仰の耳の聞こえない人、あるいは話せない人になってしまうでしょう。
華やかな服を着た人と粗末な服を着た人に同時に会ったとき、見栄えの良い服を着た人に目が行くのは当然かもしれませんが、ヤコブの手紙は、洗礼の秘跡によって新たに生まれた真の信仰者は、人を差別して扱わないと警告しています。
人を差別することは、意図的に聞こうとしない、見ようとしない態度であり、共同体を分裂させる行動です。
イエス様の弟子の共同体である私たちは、教会が天の国の種であり、パン種であると言うためには、私たちの中でも、イエス様がなさった「素晴らしい」ことが続けられなければなりません。耳の聞こえない人を聞こえるようにする奇跡を起こすのは難しいかもしれませんが、金持ちの人々よりも貧しい人々に関心を持ち、優先して心を寄せることで、私たちもこの地でイエス様を助け、イエス様が宣言された天の国の実現を早めるきっかけを作ることができます。
主が私たちの心の目と耳を大きく開いてくださり、私たちの人生が主を賛美し、幸せな日々となるように、その耳にそっとお願いしてみましょう!
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この世の素晴らしいことを聞き、話せることに感謝します。主の素晴らしことを聞き、大きな声で伝えること、賛美することができますように!聖霊、きてください。