+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第23木曜です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと被昇天の聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。>
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。6・27「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカ6・27-38)
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サレジオ会のチャン・スンピル・アンドレ神父様の黙想文「愛することができる理由」です。
新約聖書のさまざまな箇所で「赦し」という言葉が登場します。イエス様の赦しは神の赦しです。「あなた方が天の父に赦されたのだから、互いに赦し合いなさい。」赦しの起源は神であり、イエス様は神に立ち返りその方と一致するために赦すよう教えました。ですから、イエス様が教える「赦し」は、神の贈り物であり、恩寵が私たちに実現された状態だと言えます。
新約聖書で赦しと同じくらい頻繁に出てくる言葉が「憐れみ」であり、赦しと憐れみの3倍以上頻繁に出てくる言葉が「愛」です。「愛」と「憐れみ」もまた、「赦し」と同様に神に由来しています。「天の父が憐れみ深いように」私たちも「憐れみ深い者」となり、イエス様が私たちを「愛したように」私たちも互いに愛しあうのです。
もし「愛」と「赦し」、「憐れみ」は上から来るものなので、愛し、赦し、憐れみを施すことは、他の人間的な感情やその感情から生まれる行動よりも簡単かもしれません。
(人間的な感情の例として)
誰かを好きになることはあっても、同じ誰かを嫌いになることもあります。好きだった人が嫌いになるのはとても簡単で、一度嫌いになった人を再び好きになるのはとても難しいことです。好きという感情が大きいほど、その感情が憎しみや怒りに変わる可能性も大きいからです。私たちが一貫した心を保つことは、私たち自身でも、ましてや神でさえもどうにもできない領域かもしれません。
しかし、「愛すること」は違います。神が私たちに与えてくださる心であるため、私たちは好きになれない相手も愛することができ、値しない者に「憐れみを施し」、「赦すこと」ができます。このような心は感情ではなく、贈り物であり恩寵であり、神が私たちと共におられる証なのです。
皆さんの心に平和の鳩のようにこの贈り物が舞い降り、巣を作ることを願っています。
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イエス様に似たキリスト者となって、常に愛と赦し、憐みの施しが実践できますように!聖霊、来てください。