+十字架称賛の祝日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は十字架称賛の祝日です。
救い主・イエス・キリストと天の元后聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ヨハネによる福音
<人の子も上げられねばならない。>
そのとき、イエスはニコデモに言われた。3・13「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3・13-17)
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チョ・ミョンヨン神父様の「今日の黙想」です。
ある信者さんのご両親はよくこうおっしゃいました。
「顔立ちが良く、家柄が良いということは必要ない。ただ、誠実で勤勉なことが一番だ。」
ある日、一人の男性と出会いました。彼はそれほどハンサムでもなく、家の事情も特に良くなかったのですが、誰よりも誠実で勤勉に見えました。両親の言葉を思い出し、このくらい誠実で勤勉な男性なら一生を共にできると感じ、結婚することになりました。しかし、結婚後にしばしば後悔することになりました。誠実さは実は無能のためであり、勤勉さは小心さのためだったのです。相手の最大の長所と思っていたことが、逆に最大の短所に変わったのです。
単に誠実で勤勉であれば最高と思いましたが、これが幸せな家庭を作る最良の徳ではなかったのです。幸せな家庭を作るために最良の徳とは何でしょうか。それはどんな時でも揺るがない愛です。この愛がなければ、他に何を持っていても幸せな瞬間を築いていくことはできません。
実体と虚像を区別できない私たちです。世の物事、物質的なものが本当に必要な実体だと思いますが、ある時点でこれらすべてが実体ではなく虚像であることに気づきます。典型的な例としてお金を考えてみてください。1千万円あれば幸せだと思っていたのに、その1千万円が満たされると1億円が必要だと感じます。また1億円が満たされると10億円があれば幸せだと思うようになります。このお金が幸せに生きるための実体のように見えますが、それは永遠に満たされることのない虚像に過ぎませんでした。
私たち信仰者にとっての真の実体は、ただ十字架だけです。主は自ら十字架を担い、この十字架で死をも受け入れられました。そして私たちにこの十字架を背負って主に従うようにとおっしゃいます。世の物事や物質的なものが救いのためには全く役に立たない虚像に過ぎないとしたら、私たちの救いにおいて決定的な役割を果たす十字架は、私たちにとって必ず必要な実体です。
今日、十字架称賛の祝日を迎え、私たちに必ず必要な実体である自分の十字架を黙想しなければなりません。十字架は救いの大いなる栄光をもたらす唯一の実体ですが、ただ簡単に手に入るものではありません。つまり、十字架の栄光は、主が自ら示されたように、十字架の苦しみなしには得られません。
主に対する堅固な信仰を持ち、自分の十字架を喜びを持って担うことができなければなりません。
救いは十字架を通してのみ成し遂げられます。
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神の独り子、「人の子」のイエス様が直接見せてくださった模範の十字架の道に従い、復活と永遠の命を得ることができますように!聖霊、来てください。