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地球温暖化で感染増 「人食い感染症」の原因菌とは谷口恭・谷口医院院長
2023年11月13日
2001年7月に熊本県で起きたビブリオ・バルニフィカスによる感染症を報じる毎日新聞の記事。いずれの死亡者とも肝臓に持病があった
地球温暖化の弊害としてまず思い浮かぶのが、干ばつ、台風、洪水、津波などの自然災害でしょう。さらには凶作、貧困、地域格差拡大など経済への悪影響もあります。世界には気温50度を超える地域も出てきましたから、熱中症どころか、これからは人間が住めなくなる地域が増えていくでしょう。感染症も温暖化のせいで今後ますます深刻になります。8月の連載「蚊が媒介するデング熱 妊婦には恐ろしい影響」などでも述べたように、現在世界的にデング熱が勢いよく広がり、死亡者が激増しています。前回紹介したトコジラミも、致死的な疾患ではありませんが、日本を含めて世界中で被害が日ごとに深刻化しています。今回紹介するビブリオ・バルニフィカス(Vibrio vulnificus)という細菌も、日本ではほとんど関心を持たれていませんが、世界では「人食い感染症(flesh-eating infections)」として恐れられています。今回はこの感染症を取り上げ、これから我々が注意すべきことについて私見を交えて紹介していきます。
無名だが、古くから身近にいた細菌
ビブリオ・バルニフィカスという細菌はかなり無名ですが、決して新しい細菌ではありません。日本でも少なくとも1970年代には見つかっており、80年代以降コンスタントに発生しています。2001年には九州北部を中心に20人の感染者が報告されました。この細菌は世界中の沿岸の海水中に生息し、傷口に海水が触れることで感染します。感染すると壊死(えし)性筋膜炎と呼ばれる重症の皮膚感染症を起こし、短期間のうちに高確率で死に至ります。また、この菌に汚染された魚介類(特に貝類)の生食も危険です。もっとも健常者は感染しても重症化する可能性は低く、リスクが高いのはなんらかの肝臓の病気を有している人や免疫能が低下している人だと言われています。
なお、「ビブリオ」で有名なのは「腸炎ビブリオ」で、日本の感染症法の分類では5類に入れられています(ビブリオ・バルニフィカスは感染症法では記載がなく届け出義務はありません)。腸炎ビブリオは、かつて大量に犠牲者が発生したこともあり(50年の大阪の「シラス干し」が有名)、夏の魚介類による食中毒といえば腸炎ビブリオが筆頭に上がっていましたが、近年は報告数が激減しています。
米での感染者数は30年間で8倍に
現在ビブリオ・バルニフィカスの被害が最も深刻な地域のひとつが米国のフロリダ州です。現地の公衆衛生情報をまとめたサイトによると、今年は10月27日の時点で43人が感染、うち10人が死亡(致死率23%)しています。昨年も被害は大きく、感染者74人、死亡17人でした(21年は感染34人、死亡10人)。
この細菌による被害が増加している原因は地球温暖化による「海水温度の上昇」です。英国紙The Telegraphの記事「人食い感染症の増加は気候変動が原因(Climate change blamed for ‘concerning’ rise of flesh-eating infections)」によると、地球温暖化がこのまま続けば40年までに米国沿岸部のすべての州でこの細菌による被害が広がると予想されています。実際、今年はロングアイランドを含むニューヨーク州とコネティカット州で感染者が報告されています。ニューヨーク州では生ガキを食べた人が入院しています。英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された論文「温暖化と北米におけるビブリオ・バルニフィカス感染の増加(Climate warming and increasing Vibrio vulnificus infections in North America)」によると、88年から18年にかけて米国東部では、この菌による創傷感染が8倍に増加し、最も北の感染者発生地が48km北上しました。
カキなど海産物の生食に要注意
ビブリオ・バルニフィカスの被害が深刻なのは米国だけではありません。例えば、タイでも同様の事態が起こっています。発表が2012年と少し古いのですが、過去12年間のビブリオ・バルニフィカス感染の報告を検討した論文によると、29人の患者がこの細菌に感染して重症化し、うち20人(69%)が急速に死亡していました。ビブリオ・バルニフィカスに感染して重症化しやすいのは元々肝臓に病気を持っている人や免疫能が低下している人ですから、まったくの健常者が重症化することはそう多くないと予想されます。よって、実際には致死率がこれほど高いわけではありません。ですが、取るに足らない感染症だと侮れるわけではありません。
「魚介類の生食での感染」を考えてみましょう。このタイの論文では「生ガキ」の危険性が指摘されています。では、実際のところ生ガキはどれだけ危険なのでしょうか。
これについてもタイから報告されています。医学誌「The Southeast Asian Journal of Tropical Medicine and Public Health」に14年に掲載された論文「タイ東海岸産の小売りされている生ガキにおける腸炎ビブリオとビブリオ・バルニフィカスの発生(Occurrence of Vibrio parahaemolyticus and Vibrio vulnificus in retail raw oysters from the eastern coast of Thailand )」では、タイトルどおり、小売りされている生ガキがどれくらいビブリオ・バルニフィカス(及び腸炎ビブリオ)に汚染されているかが調べられています。
その結果、小売りされている生ガキ240個のうち53個(22%)でビブリオ・バルニフィカスが検出されました。つまり生ガキを五つ食べれば一つはこの細菌も口にすることになる計算です。なお、腸炎ビブリオは240個中、219個で検出され、そのうち29個で病原性のある「tdh」と呼ばれる毒素が検出されています。
ところで、「すしや刺し身が世界に普及するようになったといっても魚介類の生食は日本料理の特徴だ」と言われますが、生ガキは例外で、かなり以前から世界で食されています。フランス料理の定番メニューとして生ガキが供されることからもそれは分かりますし、タイでは高級店でなくてもシーフードレストランに行けばまず間違いなく生ガキがメニューにあります。
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生ガキの食中毒としてはノロウイルスが最も有名で、その次がA型肝炎でしょうか。過去のコラム「今日から使えるノロウイルス対処法」で述べたように、私自身は医学部の学生の頃から生ガキは一切食べず、患者さんにも随時危険性を伝えているのですが、世の中には感染症のリスクを背負ってでも生ガキを食べたいという人が少なくありません。ある患者さんは「A型肝炎のワクチンは接種済み。ノロウイルスのリスクを抱えて食べて何が悪いのか」と言っていました。そのような考えは尊重されるべきだと思いますが、ではビブリオ・バルニフィカスのリスクも背負えるでしょうか。
肝機能が低下していると重症化リスク高い
もっとも、上述したようにビブリオ・バルニフィカスは何らかの理由で肝臓が弱っている人にとってのリスクであり、健常者はそう恐れる必要がないかもしれません。とはいえ、何の自覚症状もないけれども肝機能がそれなりに悪化している人は珍しくなく(健診で肝機能障害を指摘される人は多数います)、また、まったくの健常者でも体内に大量に菌が入ってくればそれなりのリスクが出てきます。例えば、海岸を歩いているときに貝殻などで足に傷ができ、海中にビブリオ・バルニフィカスが多数いたとすれば重症化するリスクが出てきます。生ガキの食べ過ぎも危険と考えるべきです。
今のところ日本ではまだ「地球温暖化によりビブリオ・バルニフィカスの感染者が増加」という報道は見当たりませんが、このまま海水の温度が上昇し続ければ、やがてそのリスクが出てくるでしょう。地球温暖化で起こりうる感染症の深刻化が今後ますます注目されるようになるのは間違いありません。
特記のない写真はゲッティ
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。