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毎日新聞 2023/8/23 東京朝刊 1658文字
東京電力福島第1原発にたまり続ける処理水について、政府は24日に海洋放出を始めると決めた。「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」と約束しながら、誠意ある対応を尽くしたとは言いがたい。
除去できない放射性物質トリチウムの濃度を、国の基準の40分の1未満になるまで海水で薄めた後、海底トンネル経由で1キロ沖合に放出する。
トリチウムの放射線は紙1枚でさえぎることができ、体内に取り込んでも水分として排出される。雨や川、水道水などにも含まれており、環境や生態への影響は確認されていない。
東電は原子力規制委員会が認めた方法に従って放出し、政府とともに水質を監視する。国際原子力機関(IAEA)の職員も原発内に常駐し、透明性を確保する。
風評被害対策の徹底を
しかし、風評被害などの懸念は払拭(ふっしょく)されないままだ。放出に反対する全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長は、岸田文雄首相に面会後、「約束は破られていないが、果たされてもいない。科学的な安全性への理解は深まったが、社会的な安心とは異なる」と述べた。
国民の声に耳を傾け、丁寧に合意形成を図るのが、政治の役割だ。しかし、放出決定に至る過程では、不誠実さが目に付いた。
安倍晋三元首相は2013年、東京オリンピックの招致演説で汚染水の状況を「コントロール下にある」と強調した。保管タンクからの漏出が相次ぐ中、現実からかけ離れた発言だった。
安倍政権と東電が15年に「関係者の理解」を処分の前提条件に据えたものの、21年に菅義偉政権が地元の反対を押し切る形で海洋放出の方針を決めた。
安全性を検証したIAEAの包括報告書が提出された後、地元での説明に当たったのは西村康稔経済産業相ら閣僚だった。岸田首相は20日に福島県を訪れたが、第1原発で東電関係者に指示を出しただけで、地元の漁業関係者らに面会さえしなかった。
処理水を放出すれば風評被害が広がる恐れがある。一方、保管が長引けば復興の足かせになり、住民の帰還が遅れかねない。地元はジレンマに苦しみ続けている。
にもかかわらず、政治が福島の人たちの思いに寄り添う場面はほとんど見られなかった。むしろ、放出の決定を巡り、漁業関係者に「踏み絵」を迫るような構図が続いてきた。
現在、タンクの容量全体の98%が使用されている。処理水は今も日々90トンずつ増えており、このままでは廃炉作業の支障になりかねないのは事実だ。政府・東電には、計画を安全に遂行する重い責任がある。
ただし、東電は、過去に汚染水の漏出などのトラブルをたびたび起こしてきた。
18年まで、トリチウム以外の放射性物質が除去し切れていない水がタンクの8割を占めているという事実を公表していなかった。情報公開に対する消極的な姿勢も含め、東電への不信感は根強い。
廃炉の見通し示さねば
放出は少なくとも30年間は続く見通しだ。その間、風評被害のリスクは残り続ける。政府は水産品の値崩れが起きないように買い支え、損害が生じれば東電が賠償する。漁業の継続を可能にする支援策も実施される。
だが、そもそも海洋放出の安全性にかかわる情報について、政府が丁寧に説明し、理解を深める努力を十分にしてきたとは言えない。被害を生じさせない息の長い取り組みが求められる。
処理水の放出は、「廃炉」というさらに大がかりな事業のプロセスの一つに過ぎない。
原子炉内で溶け落ちた燃料デブリは880トンと推定され、取り出し開始のめどすら立っていない。「51年ごろ」とする廃炉完了を目指す工程表は事実上、破綻している。厳しい現実を直視しなければならない。
岸田首相は「今後数十年の長期にわたろうとも、処理水の処分が完了するまで政府として責任を持って取り組む」と明言した。再び約束をないがしろにするようなことがあってはならない。
処理水の放出を、被災地の復興にどのようにつなげるのか。世界最悪レベルの原発事故を起こした国のトップとして、道筋を内外に示す責任がある。