+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第25主日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと被昇天の聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マルコによる福音
<人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。いちばん先になりたい者は、すべての人に仕える者になりなさい。>
そのとき、9・30イエスと弟子たちはガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ9・30-37)
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シン・ウシク神父 様の毎日のミサの黙想文です。
キリスト者の人生は、十字架の体験と切り離して考えることができません。それぞれの十字架を背負っていく生き方(マタイ16・24参照)についての省察は、キリスト者が自分のアイデンティティに従って生きているかどうかを判断する「尺度」になり得ます。時には果てしなく続くかのような十字架の体験が、私たちにため息つかせることもあります。
今日の第一朗読(知恵2・12、17-20)は、そのような私たちに慰めとなります。「本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
敵の手から救い出されるはずだ。」主が共におられるので、私たちは忍耐をもってこの時間をしっかりと耐え忍ばなければなりません。
第二朗読(ヤコブ3・16-4・3)でヤコブ使徒は、この忍耐の実がどのように現れるのかを教えてくれます。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」
今日の福音で、弟子たちは「十字架の体験」について理解していないようです。死後三日の復活についても理解できませんでした。依然として現世的な名誉が重要である弟子たちは、「誰が最も偉大か」と互いに論争を繰り広げます。そのような彼らに、イエス様は「誰でも一番になりたいと思うなら、すべての人の最後になり、すべての人の僕になりなさい。」と教えます。そして「子ども一人を私の名によって受け入れるなら、それは私を受け入れることです。」とおっしゃいます。
イエス様は、私たちがイエス様の御言葉の中で、ご聖体の中で、そして子どものような弱い人々の中でイエス様を見出し、イエス様の教えに従って生きることを望んでおられます。
世のものだけを追求せず、それぞれの十字架を受け入れて忍耐し、救いの道に入るなら、神の国を贈り物として受けることができると思います。
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十字架の僕となりキリストのアイデンティティを実践し隣人を愛することができますように!聖霊、来てください。