+聖ビンセンシオ・ア・パウロ司祭記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日聖ビンセンシオ・ア・パウロ司祭記念日です。
救い主・イエス・キリストと天の元后聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖ビンセンシオ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
********ヴァンサン・ド・ポール(聖ビンセンシオ・ア・パウロ)聖人は、1581年にフランスのランド地方で小規模農家の息子として生まれ、フランシスコ会の学校で学び、1600年に司祭叙階を受けました。彼は貧しい人々と出会う中で、「貧しい人々を助けることは神に仕えることに他ならない」ということに気づき、慈善団体の愛徳姉妹会、宣教会、そして聖ビンセンシオ・ア・パウロ愛徳娘会を設立し、生涯を通じて貧しい人々を助けることに捧げました。1660年に亡くなった彼は、1737年に聖人に列せられました。1885年、教皇レオ13世は彼を「すべての慈善事業の守護聖人」として宣言しました。現在、世界中で多くの人々が彼の霊性を実践しており、聖ヴィンセンシオ・ア・パオロ愛徳娘会、セントヴィンセント・デ・ポール慈善修道会、また信徒の組織である聖ビンセンシオ・ア・パウロ協会が協力しながら活動しています(今日の典礼から)
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ルカによる福音
<「神からのメシアです。人の子は必ず多くの苦しみを受けることになっている。」>
9・18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」(ルカ9・18-22)
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チョン・サムヨン・ヨセフ神父様の「今日の黙想」です。
アーネストは、自分の町にある「大いなる岩の顔」を持つ人にぜひ会いたいと思っていました。彼は、その町から温和で愛に満ちた顔を持つ偉大な人が現れるという伝説を聞いて育ちました。時が経つにつれ、アーネストは次第にその「大いなる岩の顔」に似てきます。多くの人々は、そのような人柄を持つアーネストを見て、彼こそが「大いなる岩の顔」だと気づきます。これはナサニエル・ホーソーンの短編小説『大いなる岩の顔』のあらすじです。
人は見続けると似てきます。好きなものだけを長く見続けることができます。好きだからこそ長く見続けると、それと一体になります。腐った肉ばかりを食べるハイエナのような猛獣の顔はとても凶悪です。しかし、草食動物の顔は恐ろしくはなく、穏やかです。自分が何を好み、何を見つめ、何を食べるかによって、自分の姿が変わります。
今日の福音書で、まずイエス様は群衆があなたを誰だと言っているかと尋ねられます。群衆は、洗礼者ヨハネやエリヤ、昔の預言者が生き返ったのだと言います。これは、群衆が見たいと思っているイエス様の姿を表しています。ただペトロだけが「神からのメシアです。」と告白します。
キリストは、人の罪を贖うために十字架の受難を受け、三日後に再び復活する運命を持たれています。人々がイエス様をキリストとして見ない理由は、自分たちも十字架を背負わなければならない運命になるのではないかと恐れていたからです。
私がキリストをキリストとして見ようとするなら、十字架を最も愛し、長く見つめることができなければなりません。
十字架の生き方を望まない人は、依然としてキリストをキリストとして認識できません。
キリストを純粋にキリストとして見つめる時にのみ、自分もキリストになることができます。
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イエス様をメシア、キリストと告白ができ、私たちが真のキリスト者となれますように!聖霊、来てください。