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毎日新聞 2023/8/27 東京朝刊 1673文字
人手不足なのに賃金が上がらない職場がある。人工知能(AI)の進化に伴い、職を失う人も出るだろう。政府や企業は経済構造の転換や技術革新による変化を的確に見通し、働き手本位の対策を打たなければならない。
物流や建設の現場は、人材難で業務の維持すら難しい。2024年に強化される労働時間規制への対応も迫られる。路線バスの運転手を確保できず、廃止・減便する地域も相次いでいる。
富山県の加越能バスは、この5年で約3割の路線を減らした。運転手不足を補おうと、今春までに6人のバスガイドが大型免許を取得した。入社30年のベテランが、マイクをハンドルに持ち替えて地域の足を担う。
バス事業は00年代初頭の規制緩和で参入が相次ぎ、競争が激化した。投資は車両や座席など集客力を高めるための設備に振り向けられ、人手不足でも賃上げが難しい事業者が多い。他産業よりも賃金が低いのに勤務時間は長く、若者が集まらない。
人手不足でも賃金停滞
ITを活用したビジネスでも、働き手の立場は弱い。飲食宅配のウーバーイーツや通販のアマゾンでは、配達効率を高めるシステムが収益力を左右する。運転手のスキルは評価されにくく、待遇改善が進まない。低賃金や労働災害など不安を抱える働き手は多い。
ネット通販では「送料無料」の表示があふれ、配達という労働の価値が消費者に伝わりにくくなっている。「苦労して再配達までしているのに、やりきれない。賃金が上がらず、人手が不足する」。業界団体の幹部は嘆く。
デジタル資本主義のひずみといえよう。革新的な技術やビジネスモデルを生み出した少数の人に富が偏在し、格差拡大や貧困などの問題を悪化させた。中間層の厚みが失われ、民主社会の基盤を揺るがす。そうした懸念が、AIの進化で増幅しそうだ。
ダボス会議を主催する世界経済フォーラムは、AIの活用やデジタル化に伴い、この先5年で今の仕事の4分の1が様変わりすると予測する。データ分析など新しい仕事が生まれる一方で、なくなる業務もある。
米国では、脚本家と俳優の労働組合がストライキに突入した。AIが雇用環境を悪化させるとの懸念が広がったためだ。
従来なら多数のエキストラを動員し、数日がかりで撮影した場面でも、AIに表情や動作を学習させれば短時間で動画を作れる。製作費の抑制につながるが、俳優は仕事を奪われる可能性がある。
変化に対応する姿勢は必要だ。技術革新の成果を取り込めば、経済は活性化するだろう。サービスの改善や価格の低下を通じて消費者は恩恵を受ける。働き手も必要なスキルを身につければ待遇を改善できる。
AIの進化に向き合う
一方で、失業や賃下げといった不確実性が高まる。人を道具のように扱い、尊厳を傷つけるような技術の利用は共感を得られない。政府や企業には、働き手が著しい不利益を被らないような手立てが求められる。
AIには偽情報の発信といった弊害がある。民主社会を脅かすリスクへの対策は必要だ。その半面、産業の効率を高めることも間違いない。新しい技術に適応しながら、雇用の質を上げていく。そうした希望の持てる未来の実現に向け、政府や労使、消費者などが議論を重ねるべきだ。
中央大の阿部正浩教授(労働経済学)は「規制の見直しやITの導入が進む中、人材よりも資本への投資が重視され、賃金が上昇しにくくなった職種がある。AIの進化で雇用不安はさらに強まっている。生産性を高めながら働き手を守る仕組みを考えなければならない」と指摘する。
最低賃金の引き上げや長時間労働の是正、労災対策など、働き手を守る仕組みを強化し、技術の進化とのバランスを図る必要がある。社会保障などセーフティーネットの整備も欠かせない。
産業競争力の向上を優先し、働き手を犠牲にするようなことがあってはならない。主要国が協調し、AI利用の倫理や雇用規制などの国際ルールを整備する時だ。
暮らしを豊かにしてこその技術である。自身の仕事に誇りを持ち、安心して暮らせる社会を実現できるか。AI時代の資本主義のあり方が問われている。