+聖フランシスコ(アシジ)記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は聖フランシスコ(アシジ)記念日です。
救い主・イエス・キリストと天の元后聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖フランシスコ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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*****1181年-1226年、フランシスコは、イタリア、アシジの裕福な織物商の家に生まれた。フランシスコは、快楽を求め自由奔放な青春時代を過ごしたが、騎士になりたいと望み、戦場に赴いた。そこで病気にかかって、夢の中でイエス・キリストに出会い、回心してイエスに従う決心をした。持ち物を貧しい人びとに与え、自らは粗末な服をまとい、ローマ中を巡礼した。アシジに戻ったフランシスコは、壊れた聖堂で祈っていたとき、教会を建て直すようにとのキリストの声を聞き、すぐに聖堂の再建を始めた。フランシスコの父は、教会のために家の財産が費やされることを嫌い、フランシスコが財産を受け継ぐことを放棄する法的手続きをとり、勘当した。
しかしフランシスコはよりいっそうキリストの言葉に従い、同志を集め、清貧と愛の生活を続けて多くの人びとを感化し、当時の乱れた教会を改善していった。その後ローマに行き、教皇インノセント3世から許可を得て、1209年に「小さき兄弟会」、後の「フランシスコ会」を創立した。
すべての被造物をとおして与えられる神の恵みを悟ったフランシスコは、神に感謝と賛美をささげた『太陽の賛歌』を作った。彼の物語は、『小さい花』という本に伝えられている。また、彼はクリスマスの夜に馬小屋を飾って祝った最初の人であり、その習慣を広めた。
1224年、フランシスコは聖痕(キリストが十字架に付けられたときに受けた5つの傷)を受けたといわれている。その生涯は、キリストのしもべとして貧しく愛にあふれるものであり、現代まで世界中の人びとに大きな影響を与え続けている。(聖人カレンダーから)
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ルカによる福音
<わたしを遣わされた方を拒むのである。>
そのとき、イエスは言われた。10・13「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。14しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。15また、カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
16あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」(ルカ10・13-16)
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毎日のミサの黙想文です。
アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』という小説があります。優れた容姿を持つ青年ドリアン・グレイは、自分の肖像画を手に入れます。そして「自分の美貌はそのままで、代わりに絵の中の自分が歳を取っていけば良いのに」と思います。すると、彼のこの願いがそのまま叶ってしまいます。特に、自分の美しさを利用して悪事を働くたびに、肖像画の中の自分の姿は恐ろしく変わっていきます。自身の美貌のみを信じて生きてきたドリアン・グレイは最終的に惨めな結末に至ります。そして嘆きます。「悪事を働くたびに代価を払っていれば、ここまで堕落しなかっただろうに」と。
福音書のあちこちでイエス様は信仰の乏しい人々、悪意を持つ人々、見せかけだけの人々に激しく非難される場面を見かけます。これを見て、イエス様を怖くて厳しい方だと考える人もいます。しかし、イエス様が厳しく人々を叱責するのは、石のように固くなった彼らの心を打ち砕き、悔い改めることを望むためです。それが彼らを救う道だからです。
今日の福音でも同様です。コラジン、ベトサイダ、カファルナウムの三つの町に向けて「不幸だ」と嘆き、厳しい裁きを受けるとおっしゃったことは、呪いの警告ではありません。今からでも真実を悟ることを望んでいる意図が込められています。
多くの人々は福音から「慰め」だけを求めます。もちろん、時には鎮痛剤のような慰めが必要なこともあるでしょう。しかし、鎮痛剤だけを求めて生きていれば、ドリアン・グレイの運命を免れることはできないでしょう。
むしろ、真の霊的健康のためには、より必要なのは実質的な治療です。今日イエス様がなさったのがまさにそれです。
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自分の罪を深く悔い改めを通してペトロやパウロのように新しくなり、イエス様の福音を命をかけて伝え、聖フランシスコのように主に賛美ができますように!聖霊、来てください。