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文部科学省は、毎年10月の終わりに、前年度の調査結果に基づき不登校の児童生徒数を発表します。 私は、ちょうど2年前の記事で、2021年度のそれが全国で24万4940人だったことに触れ「これは驚くべき数字」と書きました。
ところが、先月末に発表された同じ調査の数字、つまり23年度に不登校と認定された小中学生の数は、なんと34万6482人。たった2年で10万人以上増えてしまったのです。私はまた同じように驚かなければならないでしょうか。「ただごとではありません」と。
たしかに、1年分の雨が2日で降っちゃったような衝撃を覚えました。しかし、だから言わんこっちゃない……という無責任な感想も湧いてしまうのです。
文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」をもとに筆者作成不登校の増加が示しているもの
不登校についての見方や考え方は、この現象が心理学や精神科の分野で注目されるようになった1960年代初めから、時代とともに変化してきました。
80年代初頭までは、病気や経済的理由もないのに学校を長期に休んでいる子どもは、「学校恐怖症」だの「登校拒否症」だのと名付けられ治療の対象にされてきました。これに対し、問題は子どもの側にあるのではなく学校にあるとする見方が台頭してきて、90年代初めには文部省(当時)も「登校拒否」はどの児童生徒にも起こりうるという有識者会議の報告(注)を公表するに至り、不登校を病気あつかいする時代は終わりました。
いっぽう、不登校児童生徒の人口の推移をみると、70年代半ばまではゆっくり減少していたものの、そこから後は右肩上がりに増加、97年には中学生で10万人を超えます。2000年代に入る頃からは10年ちょっとの間、横ばいでしたが、12年からはまた増え始め、近年はコロナ禍の影響も続き激増しています。
数字が減少や横ばいから増加に転じた理由については、社会の動きに照らして検証する必要があるでしょうが、それは私の力に余るので、ここではおいておきます。
ただ、なぜ増えるだけで減らないのかについては、わかる気がします。それは、学校が変わらないからです。いや、変わろうとしているけれども、そのスピードが遅すぎるからというべきでしょうか。
以前の記事では児童精神科医の滝川一廣氏の考察を紹介しましたが、おさらいしておくと次のような話でした。
日本が近代化を達成したことで公教育制度はその目的を終え、学校はかつての存在意義と絶対性(聖性)を失った。その結果、学校は求心力を失い、子どもは些細(ささい)なきっかけで不登校になるようになった。そもそも能力も関心も一人ひとり異なる子どもたちをひとつの教室に集めて、同じ進み方、同じ内容で教え込む学校の制度自体には無理があった……。
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<とりあえず学校を休んで ~「初めての不登校」に慌てないために>
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今から30年前に、識者からはこうした発言があったわけですが、昨今では、発達障害とその近縁の子どもたちが、この「無理」をより明白なものにしてくれているように感じます。
たとえば、「ギフテッド」と「境界知能」の例で考えるとわかりやすいと思いますが、IQ(知能指数)130以上の子と85未満の子を同じやり方で教えているとしたらどうでしょう。どちらの子どもにとっても、授業は退屈でつまらない時間になることは想像に難くありません。
もちろん、ふたりが同じクラスにいるのはよいのですが、学習の内容や教え方はそれぞれの子どもの力に合わせてやらないといけない。しかし、学校は長い間それを教師の技量に任せておくだけで、制度自体を変えようとはしてこなかった。学校は勉強をするだけの場所ではないにしろ、一日の大部分の時間を授業に当てているのですから、これがつまらなかったら学校の「求心力」が弱まるのも無理ありません。
学習指導だけでなく、不合理な採点の基準や評価の仕方、意味不明な校則、無駄な式典や行事など、学校には子どもの苦痛の種がいっぱいです。けれども、みんな一緒に、これまでと同じに、という文化が根強くあるため、学校はなかなか変われないのです。
とはいえ、教育行政が無策かといったら、そういうわけでもなさそうです。
学校は変われるか~COCOLOプランへの期待と注文
昨年3月に、文科省は「COCOLOプラン」と名付けた「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」を打ち出しました。時の文科大臣、永岡桂子氏は、子どもたちの学びの保障を社会全体で実現していくと宣言し、以下の三本柱を立てました。
①不登校の児童生徒全ての学びの場を確保し、学びたいと思った時に学べる環境を整える。②心の小さなSOSを見逃さず「チーム学校」で支援する。③学校の風土の「見える化」を通して学校を「みんなが安心して学べる」場所にする。
「対話」の時間で話し合う子どもたちと教諭=大分県玖珠町の町立学びの多様化学校で2024年7月16日午後3時40分、山口響撮影
これに基づく具体的な計画はすでに動き始めています。そのうちのひとつに「学びの多様化学校」があります。不登校の児童生徒を受け入れる「不登校特例校」としてスタートしたのですが、すぐに名称が変更されました。現在は全国に35校以上設置されており、将来的には小中高合わせて300校の開設を目指すそうです。
具体的にはどんな学校なのか、中学校を例にあげて説明すると、まず学校の規模は通常よりずっと小さく、1クラス10~15人ぐらい。これを2~3人の教員が受け持ちます。年間の授業時間数も通常より少ない。学習指導要領に基づく中学校の標準授業時間数は1015時間だそうですが、これを10~25%削減して生徒の負担を軽くしています。
毎日の登校は必須でなく、登校する日数はリモート授業と組み合わせ生徒が自分で決められます。授業は内容に工夫をこらしています。ある学校では音楽、美術、技術家庭などを統合した「セルフデザイン」という科目があったり、またある学校では演劇を取り入れた「表現科」があったり、 「コミュニケーション・スキル・トレーニング」があったり。英数国の主要科目は、習熟度別に行われ、各生徒が自分の学力に適したクラスで授業が受けられます。
こんな「学校」が不登校対策として全国規模で作られていると知ったとき、私はちょっとばかりモニョりました。アイデアは悪くないと思いますが、これって天井からの雨漏りに新しいバケツを置いて回るようなものではないですか。全国に小中高で300校作るといったって、規模からすれば通える子どもの数は限られます。今後も増え続けるであろう不登校には、とても対応しきれません。教員のなり手も減っているというのに、そっちに回す人手はあるのでしょうか。
肝心なのは、新しいバケツを買ってくることではなく、屋根の張り替えです。学びの多様化学校は、これはこれでよいとして、本丸の学校を「学びの多様化学校」化していくことも考えるべきだと思います。新内閣が発足して大臣も交代しましたが、新しい大臣にはそれを強くお願いしたい。だから言わんこっちゃない……とはもう言いたくありません。
注:学校不適応対策調査研究協力者会議「登校拒否(不登校)問題について」報告。1992(平成4)年
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/04121504.htm
特記のない写真はゲッティ
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山登敬之
明治大学子どものこころクリニック院長
やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。