+諸聖人の祭日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は諸聖人の祭日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと誉れ高い乙女マリア、聖母の配偶者、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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教会は、最初の時から殉教者の殉教記念日を祝ってきました。しかし、ディオクレティアヌス皇帝の時代(4世紀)の迫害のころからは、ある特定の日(復活節中のある日、または聖霊降臨最初の主日)に祝っていました。
9世紀に、教皇グレゴリウス4世は、この祝日を11月1日に移し、すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。この決定を機に諸聖人の祝いは広まっていきました。
典礼暦年の最後の月に祝う“諸聖人”の祭日は、主の再臨とキリストの輝かしい完成を思い起こさせる日です。それは、キリスト者が死のかなたの命への希望に生きるように励ましてくれるためであり、また、目にみえない世界に入ったすべての人との連帯を意識する日でもあるのです。
私たちは諸聖人が、今は神のもとにあって、私たちのために取りなしてくださっていることを信じ、諸聖人とともに喜んでこの日を祝います。(「聖パウロ女子修道会の聖人カレンダー」から)
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マタイによる福音
<喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。>
そのとき、5・1イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12a喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」(マタイ5・1-12a)
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毎日のミサの「今日の黙想」です。
今日の福音は、イエス様の教えとして知られる『真福八端』に関するものです。この教えの中で、人々は幸せに至る八つの基準を見出します。そして、この基準を最も忠実に生きた方は誰だったのかを考える必要があります。それがイエス・キリストです。
イエス様は貧しく生活されました。キツネには穴があり、空の鳥には巣がありますが、イエス様には横たわる場所すらありませんでした(マタイ 8:20参照)。また、イエス様は悲しまれました。ラザロの死を前に、また平和を理解しないエルサレムを見て涙を流されました(ヨハネ 11:35; ルカ 19:41参照)。さらに、イエス様は柔和で、屠殺場に引かれる子羊のように黙って受難を受け入れ、義に飢え渇き、十字架上で「渇く」と仰いました(ヨハネ 19:28参照)。
イエス様が慈悲深く心が清いという事実は、福音書の至る所で見ることができます。また、平和を築こうとしてユダヤ人に迫害されたこともよく知られています。総じて、真福八端で提示された幸せの道を最もよく実践された方がイエス様です。
「ラッセル」という登山用語があります。冬の登山では、誰かが最初に雪を固めて道を開く必要があり、深い雪の上に最初の足跡を残して道を切り開く大変な作業を指します。私たちはイエス様とその道をたどった聖人たちを思い起こし、神の国を目指す旅を止めないようにしましょう。
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イエス様はすべての聖人の足跡をついていく怠らない毎日でありますように!聖霊、来てください。